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SF&F創作の部屋 作品コミュのマッド・サイエンティストの夏休み

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『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み (前編)

「おんやあ?」

 私は、思わず声をあげました。宗谷研究所の前にパラソルが出ていて、誰か何かやっていたからです。この真夏のくそ暑い最中にドラム缶を半分に切ったバーベキュー用のコンロの上に特大ダッチ・オーブンを掛け、なにやら作っている様子。白衣を着ているからには宗谷博士かマクガイバー博士のはずですが、身長がかなり足りない。期待を込めて近づくと、それはやはり女の宗谷博士でした。

「こんにちは」「あら」
 宗谷博士も気づいて左手で額の汗をぬぐうと私を見て微笑みました。
「悪いけど中でクィンシーか澪と話していてくれない。ちょっと取り込み中なのよ。単純労働だから融通が利かなくて」
「単純労働、ですか」

 確かに単純労働なのでしょう、アウトドア料理というものは。カレーか焼肉が定番で、間違って雑誌のとおり凝った料理を作った人は、炊事場の自縛霊とかアライグマとか呼ばれるものになって二度とキャンプ場にこないのが普通です。
 だがしかし。フィールドワーク中というならまだしも、マッド・サイエンティストがわざわざ表に出てきて料理というのはどうにも場違いです。しかもそれが宗谷博士の場合には特に。もちろん宗谷博士は研究者ですから、シリアルに牛乳かけて一日三食何週間、という食生活は当然やってきているわけですが、そうでない時は、「料理とは民族の歴史であり、文化であり、そして何よりも科学である」とか言ってトウキビ一本煮るにも科学しないと気がすまないときている。


「なんで冷蔵庫に入れなきゃならんのです?どうせお昼のご飯にするんでしょう」

 それは何年か前のある夏の朝、朝もぎのトウキビを持ってお邪魔したところが、宗谷博士はありがとうの言葉もそこそこ、慌てて皮をむき始めてはストッカーに放り込み始めたものです。
「うーん、君もかあ」 博士は、のんびりした口調とは対照的な早さで皮をむく手を休めず答えました。
「朝もぎにこだわる割にはみんな知らないんだよなあ。トウモロコシは、収穫すると発熱するんだよ。」
「発熱?」
「そう。だから、さっさと皮をむいて冷やしてやらないと、温度が上がって糖の分解が加速されるんだ。」
「へーえ、知りませんでした。」
感心する私に、珍しく宗谷博士の方から質問してきました。「その調子じゃグツグツ煮込んでないかい」
「まさかあ。ちゃんと沸騰してから入れてますよ。」
「何分くらい」
「そうですねえ、プロパンガスなんで火力が弱いから30分くらい。」
「それ、水から煮て」「沸騰してからですけど」
「そりゃずいぶん昔の煮方だなあ。8分から9分で煮えているよ。」
「えーっ。そんなに早く」
「市場の要請でね。今時そんな時間かけて煮ていたら客が帰っちゃうよ。」
「品種改良、ってそんなに進んでいるもんなんですか。」
「トウモロコシはF1だからね、事実上毎年品種改良しているようなものだし、調理法も当然それに合わせて変っている。代々伝わるお袋の味は全く通用しないよ。」

 といった具合に博士にとっては単純作業でも私にとっては新鮮な驚き、というのはよくあることなので、私はもう少し質問を続けることにしました。
「何を作っているんですか」
「ナタデココ、ロボットの材料」「はぃーい?」

 驚く私をよそに、宗谷博士は早口でそう言うと鍋の蓋を取って温度計を突っ込んだり忙しく働き始めました。今度こそ本当に手が離せないようです。
 ま、きゅーちゃんに聞けばいいか。ロボット、っていってるからには、マクガイバー博士がメインにやっている作業なことに間違いないはずです。そして玄関のエアカーテンを抜け、扉を何度か開いてゆくと出し抜けに英語の罵り声が。
「Dumb, dumb, dumb! God dumb, dumb! This bloody thing! This bloody …」

 イギリス人としては最大表現で何かを罵っております。そのうちジーザス・クライスト!と言い出さんばかりの勢い。えらいところにきてしまったと入るのを躊躇していると、けたたましい女の笑い声。ということは澪さんも一緒だ。じゃあ大丈夫か、などと我ながら小市民根性丸出しでドアを4回ノックしました。

”Who's it?”(だれ) ”It's me.”(私です)
「だ、だあれえ」
 澪さんの妙に低くくて間延びした声にピン、ときた私は声を低めました。
「警察だ、ここを開けろ!」
「だ、だあれえ?」「警察だ、ここを開けろ!」
「だ、だあれえ?」「警察だ、お願いだからここを開けてくれ」
「だ、だあれえ?」「警察だ、お願いだからここを開けてくれ。頼む」
「だ、だあれえ?」「警察だ、お願いだからここを開けてくれ。お願い。開けてくれるだけでいいんだ。何もしないから」

”Ah, What are you doing here?” (あー、そんなところで何してるんだい?)
 日本人同士のわからないジョークにあきれたマクガイバー博士がドアを開くと、のっしのっしと部屋の中に入ってその辺をうろつく私。なんだ?と怪訝な顔をする二人の表情を確認してから、おもむろに二人に向かい合い
"This house is surrounded. I must ask to no one leave this room."
(この家は完全に包囲されている。おとなしく抵抗をやめて出てきなさい)
 きょとん、とする澪さんとマクガイバー博士に満足しながら私は続けました。
"Now I introduce myself. I'm inspector Tiger."(私は、タイガー警部です)
"Tiger?"(トラ?)
"Where! Where!"(どこだ!どこだ!)

 きょろきょろする私にようやく事態が飲み込めたマクガイバー博士が笑いをこらえながら歩み寄ってきたので、私は握手のために手を差し出しました。
「お楽しみいただけましたか」
「そりゃ何回も何回も何回も繰り返し繰り返し見ているからねえ。しかし、日本人の君がなんで知っているんだい。」
「英会話を覚えるのにシェークスピア傑作集よりずっと面白かったんですよ。
ところでロボットを作っている、って聞いたんですけど」

 マクガイバー博士は、途端に眉間に筋を寄せて机に戻ると操作盤のスイッチを入れました。がちゃがちゃ音がして、床に転がる金属フレームの組みあがったその姿は。
「こ、これは、もしかして!」

 昔風のアルマイトの弁当箱の上に黄色いプラスチックのワッカを二つ並べ、その下に海釣りで使う三角錘をあしらったその姿は見紛うわけがありません。
「アイヤー,新世的先行者。是中華民族智慧的,又一次閃光!」

 思わず私は駆け寄ると、ポンポン、と筺体を叩きました。「ニィハオ、長沙国防科技大学研制的第一台類人型機器人,歓迎来参観,希望得到メン的関心和呵護。」
「君、何を言ってるんだい?」
 いかなマッドなエンジニアが作った翻訳機も、日本人の漢字の棒読みにはついてこられなかったらしい。ささやかな勝利感に浸りながら私は答えました。
「こいつが言ってくれるはずの挨拶です。」「君もか。」

 日本人はどうもわからん。ガンジーみたいに国産の工業製品しか使わないくせにこんなものをうれしがる、と首を捻りながらマクガイバー博士は私に椅子を勧めました。
「小休止だな。どっちみち煮詰まっていたんだし。コーヒーは?」
「いただきます」
「コーヒーを2つ頼む、ミオ」
"Yes, Mr. Teabag."
「ま、いいけど。え?」
 急にぎくしゃくした歩き方をして出て行った澪さんにうれしくなった私は悪ノリを続けることにしました。
「それで、こいつは一歩歩く毎に足を頭の上に上げて御辞儀をするんですよね。」
「なに?」「補助金の申請をするんじゃなかったんですか」
「残念ながらそいつはもう不可能になってしまったんだ。」
 日本人の挑戦にマクガイバー博士はニヤリとして答えました。「バカ歩き省の予算は、昔は国防費の次だったんだが、レディー・マーガレットのおかげで今や教育省よりも減らされてしまってね。」
「それはひどい。まさか半ギニーとか」
「1ソヴリンなんてとんでもない。教育省より少ないんだぜ。 3ファージングしかないんだ、時給換算で。」

 時給3ファージング?なんだそりゃ。私は5秒ほど考え、答えを思い出しました。『3ファージング貸してる、と聖マーチンの鐘が鳴る』しかしマザーグースでは、こっちの分が悪いなあ。
「どうも続きが思い出せないんですが。骨董屋のチャリントン氏とか、内局員のオブライエン氏なら知っていそうなんですけど」

 今度はマクガイバー博士が考え込む番です。ふーむ、と唸って考えているうちに折よく澪さんが戻ってきて、出前のどんぶりよろしくラップを張ったマグカップをおいていったので、マクガイバー博士は、礼をいい、ラップを取って中身を覗き込み、ああ、ちゃんと中身があるな、と微笑みました。
「人工言語というのも変な言葉だが、イングソックというのは実に不快な響きがするな。我が懐かしの故郷のジョークのほうがよっぽどいい。 君、スコットランドで魚を釣れないときの秘訣を知ってるかい?」
 私は、グラスを飲み干す手まねをして笑うと、質問の続きをはじめました。
「して、なんでまたこんなものを作ってるんです」
「夏休みの工作。」「はあ?」
「ミズホからそう聞いたぞ、日本のサヴァティカル休暇の伝統だって。しかも、周りに手伝ってもらうことに意義があるって」
「うん、まあ、そうです。」 それだから宗谷博士、わざわざ女になったなあ。普段のおっさんの姿で頼まれるよりも何倍もきゅーちゃんの心に訴えたはずです。
「ご家庭で手に入る材料でロボット作るって、いうことでこれになったんだけどさ。
確かに日曜大工の店で手に入る材料ではできているんだが。」
「きゅーちゃん、ちょっと自信なくしかけているのよ。キット・カーや手作り飛行機を作っているほうがまだ簡単だって。」
「そんなに複雑なメカなんですか、これ。」

 私は首を振って床のガラクタを見直しました。出来のいいメカには必ずといっていいくらい、合理的で洗練された一種独特の美しさがあるものです。 例えば自転車のペダルはサドルの真下にあって上下対称の小さな箱型をしていますが、もし三輪車のように前輪にあっては力が入りません。あまり大きくしてしまうと、下駄で自転車を漕ぐようになって足首にとんでもない負担がかかります。上下非対称になっていたら、足を離すたびにいちいちペダルの位置を直さなければならないでしょう。あるべき部品があるべき場所にあって、要求される性能と使いやすさを発揮したとき、メカには得てして機能美が宿るのですが、こいつはねえ。こんなもんに十年も人生を捧げ、毎月土日出勤までして新婚生活を危機に曝したくはないよなあ。

「からくり儀衛門の茶運び人形とか、弓引き童子の方がよっぽどロボットらしいですよ。どうせやるならもうちょっとローテクで作りません?」

 この一言が、被験者A氏(男性)の志願となってしまいました。宗谷研究所に通っていると、嫌だといってもそうなることはままあることなので、結果は同じといえば同じなんですが。

< 中編に続く >

コメント(7)

『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み (中編)

・データ収集その1 @野幌原始林

「あ、ゴジュウカラ」
「これは松?樅?蝦夷松?唐松?」
「昭和28年植樹。ああ、スターリンショックの時か。」
「森のにおいって、なんだか湿っぽい感じがするわ」

 四者四様の感想をあげながらやってきたのは、公式の森林公園よりも通称の原始林の方が有名な野幌森林公園。街中ででっかいリュック背負って歩きたくない、と私が強く主張した結果ではありますが、博士達には丁度いい気分転換になったようです。
 とはいえこの真夏のくそ暑い中、普通は海に行くだろうと思ったら結構人がいて、測定用のヘッドセットを被った私をクマゲラか何かでも見たかのように通り過ぎていきます。プレート越しなのでその視線は多少和らぐとはいえ、やっぱり恥ずかしい。向こうから人が来るたびに、私はいかにも何かでも探しているようにきょろきょろしました。
「こら、変によそ見しない。データが取れないじゃないか」
「だって、そのお、あ、オナガアゲハだ」

 勿怪の幸い。私は蝶が見えた方向へ駆け出し、8mほど手前で止まって今度はソロソロと3mほどまで近寄って黒色の蝶が花にとまって蜜を吸っている姿を観察しました。それから腰をかがめ、ヘッドセットに組み込まれているカメラでも十分詳細な絵が取れるようににじり寄っていったのですが、アゲハ科の中でも警戒心の強い彼女のこと、あっという間に飛び去ってしまい、私はその後ろ姿を見送りました。
「いやあ、何年ぶりだなあ。久方ぶりに見ましたよ」
「オナガアゲハ?」
「ええ」
「人には見かけによらない取り柄があるのねー。」
 私はここぞとばかりに胸を張り「フィールドワークはやったもん勝ちです。」
「あたしは、見た瞬間に同定するほど素人じゃないわ。」
「オナガアゲハはいいんです、道内では。」私は、丁度視線の高さに飛んでいる白い蝶を指差しました。「あれだと図鑑持ってこなきゃなりませんけど。」
「紋白蝶じゃないの?」
「そうじゃない確率の方が高いんですよ、特にこういう林間では」
「そうなの?」
「モンシロチョウやモンキチョウのメスの白色型なら要りませんけど、スジグロシロチョウか、エゾスジグロシロチョウか、となるとちょっと。
 大きさから言って、ツマキチョウやヒメシロチョウじゃないとは思いますけどね。」
「じゃあチョウセンシロチョウは?」 微笑みながら宗谷博士が質問してきました。ほーお。鋭いが、冥府魔道にかかってくるか。
「ありゃ環境テロリストがばら撒いた時にだけ数世代現れる産地限定種で、北海道の採集記録は留萌と名寄と浜頓別だけのはずです。それに」私は、宗谷博士の表情を伺いました。「Pierisじゃない、属違いですよ。亜属に分類する人もいますが」
「休憩時間はこれくらいでいいかな。」
 マクガイバー博士が、いたずらっぽい表情を浮かべながら会話に刺さってきました。ああ、宗谷博士に一矢報いる千載一遇の機会が。
「今のは大変よかった。この調子で突撃と忍び歩きを繰り返してくれ。」
 がっかりした私は力無く周りを見回しました。「この辺は針葉樹が多くて、蝶はあんまりいないんですけど」「じゃあ、そっちまで駆け足!」
「ええっ?マジですか。」「もちろん」

 ってここ大沢口なんだけど。しかも6月とか7月の頭というんならともかく、夏の真っ盛りにどっちがいいかなあ、と思い当たったところで我に返りました。よく考えたら自分。春先にしか野幌原始林にきたことがないんだった。そして木が春から秋にかけて生え変わるわけもなし。
「いいでしょう。汗の海で溺れた奴はいない、っていいますからね。
 博士と澪さんは、先に森林の家に行っててください。中央線に戻って登満別園地に抜け直せば、歩いても先回りできます。」


 2時間半後、疲労困憊して椅子にしだれかかっている私と対照的に、マクガイバー博士は早速モバイルギアを使いながら予備的なデータの解析を始めておりました。 普段から鍛えてはいないけれど、この差は何なんだろう。こっちの荷物の方が圧倒的に重いとはいえ、きゅーちゃんが空身だったわけでもなし。それにしてもうちの女衆は遅い、と、待つこと暫し。ようやく食料と飲み物を持った澪さんと宗谷博士が現れました。

「おーそーいー。」   「男は女に待たされても文句いわない。」
「はらーへったぁぁぁ」 「少しは先代萩の千松さんを見習いなさい。」
 そう言ったって、測定機器を背負うのに水も食べ物もみんな預けていたんだ。
「ちーかーらーみずぅー」「はい、はい」

 澪さんから南欧の羊飼いが持つ皮製の水筒を受け取ると、力一杯絞ってワインを飲み始めて感心しました。偉い。ポートワインだ。
「チョリッソは?」
「いただきます」
「はい」「どうも」もぐ。
「うえ、なんですかあ、こりゃ。」思わず私はかじった残りを見つめました。「甘ったるい上に味の素の味がする。」
「注文の多い人ね。」「まずいもんはまずいです。タバスコありません?」
「あきれた。チョリッソにタバスコかけるなんて。」
「なにをおっしゃる。米軍御用達Cレーションには付き物です、タバスコ。
 粒胡椒ないです?」
 あきれかえった表情をして宗谷博士が黒胡椒のミルつきのビンを渡してくれたので、私は蓋を捻って中身を掌に受けると、粒をガリガリかじりました。
「粒胡椒かじる人なんて初めて見たわ。」
「武士の嗜みです。少なくとも合戦に出た経験のある戦国武士なら足軽ですら」
「戦国時代に胡椒?」
「『雑兵物語』って江戸時代に書かれた本があるんですけど、そのとっぱじめに出てきますよ。梅干は見てもかじっちゃいけないので合戦には1個あれば十分だけど、胡椒は何個も要るって。 それにしても遅かったですね。」
「間違ってトド山口の方に行っちゃったのよ。」
「ああ、あそこの看板はわかりづらいですからねえ。言っておけばよかった。」


 てな会話をしているうちに食卓の用意が整い、ローストビーフにサンドウィッチ、エビが各種にサルサソースが添えられたグリーンサラダがそろそろクワガタが産卵しそうなテーブルを飾り、また、袋売りのフルーツポンチにはキーウィとメロンが仲間入りしました。そして宗谷博士がおもむろに茶筅を取り出すと、野点を始めたものですから、まあ目立つこと目立つこと。
 しかし、同じ目立つんでもこういうのならいいやね。アウトドアの食事がまずくて貧しくて、焦げたご飯と、生煮えのニンジンやら茶色い皮がついたタマネギが入ったカレーをうまいうまいと言って食わなきゃならんなんて誰が決めた。

「もう一杯所望。」

 ポートワインですっかり元気を取り戻していた私は、白い琺瑯引きのコッフェルを差し出しました。これ、どこで買ったか聞いておかないとな。黒や紺色の食器は、確かに汚れは目立たないけれど食事がまずそうに見えていかん。すると宗谷博士は、ポットのお湯を注ぐと緑茶のティーバッグを入れ、蓋をかぶせました。
「1分半、じっと我慢の子よ」
 なんだか手抜きされたようで、いささか不満を感じつつも大人しくそれに従う私。
「それで、どうだったの、きゅーちゃん」
「冴えないね。」
 ひでえ。こんなに人を走ったりなんだりさせて、いうことがこれ?
「もちろん実験室より色々なデータは取れている。しかし、期待したほどじゃない」
 宗谷博士はPCの画面を覗き込み、マクガイバー博士が示すデータを眺めました。
「ここは?10時20分頃の、このピーク」
「キベリタテハ追っかけさせられたんですよ。後の方がルリタテハ」
 私は、状況を思い出しながら答えました。
「原ちゃり追いかけたことあります?犬ぞりでもいいですけど」
「まあ」 宗谷博士は、極上の微笑でごまかしてくれました。
「走るデータ揃えたってしょうがないわね。じゃ、これは?移動距離はそうでもないのに重心がぴょんぴょん移動している」
「うん、それが今回の成果かな。どうして何にもないのに小走りしたんだい」
「小走り?」
 そんなことしたっけか、と思いながら私もPCの画面を見ました。よりによってキベリやルリ追っかけさせられて、その後引返してへろへろ歩いて。植林してから全然間引きしていないまっくら森の横を通り過ぎて。
「石にけっつまづいたところかなあ。下り坂だったし。」
「下り坂だとどうして?」
「バランス崩したら誰だってやるでしょ。」
二人の博士に見つめられて多少の補足の必要を感じた私は続けました。「スキーでギャップのひどいところを降りるのと同じですよ。ウェーデルンでちまちま曲がりきれなくなったら、ジャンプターンで平たいところに飛ぶでしょう。」
「僕はスキーをやらないんだ。片足に交互に衝撃がかかっているんだが、なぜ」
「両足で踏ん張ったら倒れちゃいますよ。それに一発目は衝撃が強いから、何回か分けて飛ばないと足にきて。」
「わざと回数を増やして衝撃を減らしていると」
「もちろん。一発目で止まれないことはないですけど、大抵は衝撃が強すぎてバランス崩します。それに回数こなせば、どこかでバランス取れます。
 危ないところは踏ん張らないで、とっとと降りた方がよっぽど安全ですよ。」

 ここまで言ったところで嫌な予感がしました。ひょっとして自分、墓穴掘ったか。言わなかった方がよくはなかったか。注意を引かないよう、さり気なくお茶のお代わりを求めた私に宗谷博士は魔法瓶になった水筒から熱い番茶を注ぎながら、私が宗谷研究所にお泊りすることを宣言しました。
 明日は早いから、今日は早く寝なさいね。大丈夫、谷の中にいない限り携帯電話は通じるから、欠勤の連絡は現地からできるわよ。


・データ収集その2 @表大雪

 薄明に飛び立ったヘリコプターが中央高地に近づくと、カドミニウムオレンジに縁取りされた稜線がぱっと輝き太陽が姿を現しました。同時に山の斜面の東側がカドミニウムレッドに染まります。空ならではの光景に見とれること暫し。早朝の冷たい空気の中、我々の乗ったヘリコプターは、あたかも電車か車のごとき乗り心地で白雲岳裏の平に着陸しました。

「意外と静かなのね」

 荷物を降ろしながら宗谷博士がつぶやきました。ヘリの爆音に気圧された高原の鳥がさえずりを再開する外、私達の足音以外に聞こえる音はありません。
「そりゃ騒音の元がありませんも」
「そうじゃなくて、なんていうかなあ」
「この時間は凪だからね。」とマクガイバー博士。「こんなに広いのなら払暁飛行にする必要はなかったな。空飛ぶキーウィ達に少々脅されすぎたよ。」
「空飛ぶキーウィ?」
「サザンアルプスでヘリスキーをやる時の契約書でね、山岳地帯の気流がいかに複雑怪奇で危険か説明するんだ。そして『ご心配なく。へたくそはみんな落っこちてもういません。』」「まあ」
「確かに幅3ヤードもないような尾根にスキッドの片端をかけてホバリングするような腕なんだ。しかし、自営パイロットという種族には客を安心させる独特のやり方があるらしくってね。」
「例えば墜落したのを拾ってきて直して飛ばしているとか?」
「そう。三ヶ月ぐらいかけて、確信はないがたぶんこんなことじゃないか、って墜落した原因を明らかにしてから。『そこは直したから、もう大丈夫です。』」

 と、いって白雲岳に目をやり、大きいなあ、と、つぶやきます。東の視界を30度以上ふさぐ山体は、マッドエンジニアにはどう見えているのやら。単なる障害物?それとも安山岩X.0×10^nトン?そんな風に訝っているうちにストップウォッチが鳴ってお茶の準備ができたことを告げ、私は目の前の現実感のなさに目をぱちくりさせました。
 標高1900m、最寄りの人家まで6km、下りでも2時間半以上かかる下界から離れた山中。天然の巨大な岩石公園と高山植物のお花畑がヘクタール単位で広がる朝焼けの下、備前の火襷のマグカップを渡されて美人のマッド・サイエンティストとイギリス人と三人で朝のお茶を飲んでいる。
 こうなるとイギリス人に合わせて宗谷博士が肘に皮パッチをあてたセーターを着るべきか、それとも私がターバンを巻くべきか、何が物足りないのか思い当たった私はSIGボトルを取り出して中身を自分のカップに注ぐと、宗谷博士に渡しました。
「エタノール40%溶液?」
 ボトルに手書きで書いてある化学式を見て怪訝な顔をする宗谷博士に、私はマクガイバー博士の方を向き「なにしろ大変蒸発しやすいもんですから。簡易消毒液にもなりますし。」
「それで中身は?」「マールですよ」
「クルボアジェはないの?」「あれは一日の仕事が終わってから飲むものですよ。」

 納得して頷き少量注ぐとマクガイバー博士の方を向き、あなたは操縦するからだめ、ときっぱり。イギリス人にはスコーン、日本人にはすあまと大福が提供されて朝のお茶が終わりました。轟音を立てて飛び去ってゆくヘリを見送り、宗谷博士がきちんと日焼け止めを塗るのを確認します。
「じゃ、行きましょうか。」

 天気は良い、荷物もいつもの縦走登山に比較すれば半分にもならない。マッド・サイエンティストだけれど美人の連れ。雪渓横の壁を下り、避難小屋を過ぎてしまえば、1km歩いても主曲線一本も高度が落ちない高根ヶ原。楽ちん楽ちん。問われることもなく、右手正面の三角山がオプタテシケ、その後ろの雲が湧いているのが十勝岳、とガイドをやり始めました。
「意外ね、本の虫としては。表に出すと干からびると思っていたわ。」
 理系の揶揄もなんのその。「アリストテレスの講義は常にアウトドアです。諸子百家は、中原から黄海沿岸まで行ったり来たり。家に籠もってられたなんて、坊さんくらいなもんですよ。」
「そうじゃなきゃ、戦争を知らなかった科学者ね。」

 あっちもこっちも花だらけの風衝礫地を行くこと1時間、高根ヶ原分岐に着くと小休止。マーブルチョコを水で流し込むと、あらためて日焼け止めを塗りなおします。
「妙に機嫌いいわね」
「そりゃあもう。高根ヶ原貸し切りですよお、こんだけ天気いいのに。贅沢この上なしですよ。」
「まあ、データ取れればそれでいいけど。途中で歩き方変わったわね。なぜ」
「目が慣れてきましたからね」「目?」
「最適コースが見えてくるんです。」私は、足元から白っぽい線になって真正面の忠別岳まで続く登山道を指しました。「どの石はよけて、どの岩は足がかりにするか。平地モードから切り替わるのにちょっと時間かかりますけどね。」
「こんな川原みたいなところで?」
「何にも考えないで歩いたら三歩ごとにけつまづきますよ。」
「何を目標にしているの、これだけ石があるのに」
「何を目標、ってこともなくて、なんとなく見えるんです」
「なんとなく?」

 この一言がマッド・サイエンティストの琴線に触れてしまったことは言うまでもありません。しかしここは高根ヶ原。延々この風景が10kmも続くからには十分なデータは取れるはず。こんなこともあろうかと思ってこのコースを選びました、と説明したところ宗谷博士の機嫌は大変よろしくなりました。
 実は、こんなヘッドセットを被っているのを見られたくなかったから一般客は絶対来ない所を選んだので、これが裾合平や雲ノ平にヘリで乗りつけて被り物をして歩いた日には、百名山行脚の連中にかかって日本全国に語り継がれかねません。そして数少ない縦走者もこの天気では5km先の人が見えます。後はヘリが迎えに来たときに、忠別岳の頂上に人がいないことを祈るのみ。

 とか思って忠別沼を見下ろす巌で早めの昼食をとっていれば「ねえ、ハイマツ帯って、スレート平の入り口の所にしかないの」
「忠別岳の頂上の向こうはずっとそうですけど」
「足元が見えないまま歩くデータ、ってもうちょっと欲しいのよねえ。」
「それはいいですけど」私は宗谷博士の顔をしげしげと眺めました。「本当に行くんですか?」
「もちろん」
「あそこは女子供の赴くところではありませんが。」
「行くの」

 携帯電話を取り出し、ピックアップ地点変えるからQちゃんにいっといて、と澪さんに電話。簡潔に議論に決着をつけた宗谷博士でしたが、さてその2時間後。五色岳の頂上で博士の機嫌はさらに悪化しておりました。「あー、もー嫌!」
「だから言ったでしょうが」

 忠別岳裏から五色が原はおよそ表大雪らしからぬハイマツ帯。五色岳の頂上はハイマツトンネルの出口にあり、私の身長くらいだと外が見えることもありますが、女の宗谷博士にとっては完全に藪の中。丁度顔に当たるくらいに枝が出ていて、両腕を上げてガードするか、腰をかがめてくぐらなければなりません。そして足元の見えないところにハイマツの幹や根がゴロゴロして危ない上に、木に遮られて風が全く通らないときている。

「女子供というのが悪いのよ。身長170cm以上とか、もっとものの言い方ってあるでしょう!」
「だから女子供といったんですけど。」
 心地よい疲労感から、気遣いとかなんとかを下界に置き去りにしてきた私は、のほほんと答えました。
「130cm以下だったら顔には当たりませんけど、今度は藪漕ぎする体力ないだろうし。」
「それを最初から言いなさい!」
「だけどどうします。あっち行ってもこっち行ってもハイマツ漕ぎですよ。ここじゃヘリは降ろせないだろうし。」と、北の方忠別岳と、西の方五色が原を向きます。
「戻って忠別小屋分岐まで30分。進んで化雲岳まで1時間。」
「短いほうに決まっているでしょう」
「しかし、ヘリを下ろすには場所がわかりにくいんですよ。化雲岩なら10km先から見えますが。せっかくここまで来たんだからお花畑見て行きませんか?あっちも途中で高原湿原に出ますから、藪漕ぎの距離は似たようなもんだし」


 絵葉書に出てくる平方キロメートル単位のお花畑にすっかり機嫌を直した宗谷博士を見ながら胸を撫で下ろす私ではありました。おっさんのほうがなんぼか気楽で良かったかなあ、などと思いながら。

< 後編に続く >
『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の1)

・狂科学者、狂技術者合作的類人型機器人

 再び宗谷研究所に呼ばれたのは夏もすっかり終わってからのことでした。勤め人と違って、マッド・サイエンティストの休暇というのはずいぶん長いようです。もういい加減忘れられているんじゃないか、と半分あきらめていたので喜びもひとしおというもの。

 チャイムを鳴らすと、はーい、という女の子の声。聞きなれない声だなあ、誰だろう、と思っているとピコピコ音が近づいてきて扉が開きました。

「いらっしゃいませー。 宗谷研究所にようこそ」
「あ、あ」
 それ以上声が出ません。な、なんだ、このアニメ顔は。しかもネコ耳!
「こちらへどうぞ。博士がお待ちかねです。」

 うわあ、アニメ顔がしゃべってるよ。そしてそのロボットが振り返った瞬間「しっぽ?!」
「かわいいでしょう」

 妙に人間くさい言葉を返して黒のロングスカートに白いエプロンという典型的なメイド服を着たロボットが尻尾をふりふり前を歩いていきます。一歩一歩にピコピコハンマーの音をさせながら。科学の奇跡を見ているはずなのにこの頭痛は何。会議室(応接間のこと)までの距離が異様に遠く感じられたのは言うまでもありません。

「お客様をお連れしましたー」

 ロボットの明るく元気よい声に毒気を当てられ、重力が2倍かそれ以上になった気がします。とても人間とは思えないぎくしゃくとした動きで私は椅子に腰掛けました。

「どう、ななちゃんは?」

 宗谷博士が更に若返ってティーンネージャーになっています。しかし、こうも驚くことばかりだとどこから驚いていいもんだか。
「ななちゃん、ですか」
「そう。試作七号機だからななちゃん。ななちゃん、お客さんに飲み物を持ってきて」
「はーい」
 明るい返事でピコピコ去っていくななちゃんを見送りながら宗谷博士が目を細めます。「良かったわ、七号機でできあがって。これが九号機だったらきゅーちゃんで、クインシーと区別が付かないところだったわ。」
「危うかったよ。ミズホときたら、8号機になったら、亜音速で走れなきゃ駄目だ、って脅すんだから」
「亜音速?」
「8号は、やっぱり弾より速く走れないと。」
 こんなことでめげてどうする。ふぁいとお、自分。

「質問してもよろしいですか」「どうぞ」
 二人の博士が同時に答えたので、澪さんがクスクス笑います。
「なんでアニメ顔なんです。」
「一目でロボットとわかるでしょう。」と宗谷博士。
「表情つけるのがむずかしいんだよ。」とマクガイバー博士。

 顔を歪める係数の範囲を絞ると営業用スマイルになって表情が画一的になるし、広げると表現方法をあたら増やすせいで人間にはない表情がつく。やればやるほど人間との違いが強調される結果になったそうです。
「純粋に数字の問題さ、筋肉繊維とワイヤの。筋肉繊維何千本で表現していることをワイヤ数本で再現できる、と考える方がおかしい。トランジスタ時代の計算機に今のPCの演算と同じ動きを求めるような物だ。」
「ロボットが人と同じ顔をしなくたっていいでしょ。人だって、同じギャグ見てもみんな同じ顔して笑ってないわよ。わかればいいじゃない。
 あ、帰ってきた」
 澪さんはジュースのペットボトルを抱えて帰ってきたななちゃんを呼び止めました。
「ななちゃん、笑って」
 目がヘの字、眉はハの字になり、口は猫口になりました。
「驚き呆れて」
「あ、目が点になった」
 しかも口はちゃんと丸くなっています。
「ななちゃん大激怒」
 目と眉はつり上がり、口は大きく開き、額の端の方に十字マークのしわが浮かび上がります。
「ななちゃん猛烈に感動」
 目にお星様が浮かび上がりました。しかも、ちゃんと涙まで流すという凝りよう。
「はい良くできました。ななちゃん、お澄まし。」


 ペットボトルをロボットから受け取ると、澪さんはジュースを注ぎながら私に尋ねました。「どう、とってもわかりやすいでしょう」
「漫画じゃ見慣れてますけど」
「だからこれでいいでしょ」
「うー」なんだかペテンにかけられた気分です。
「僕も最初はそう思ったんだけどね。アニメのDVDを買ってきて、顔の部品、目、眉、口、などなどの動きを解析したところ、大変興味深い結果が得られた」
「と、いいますと?」私は興味を駆られて反射的に尋ねました。
「変形範囲の縦横比率のモードは1.61だった。つまり、下二桁まで黄金比と一致する。となると数学的処理は大変単純だ。X^2=X+1の回帰計算を割り込みすれば、ぶれを表現できる。 そう最初は思ったんだが、ななちゃんに注目」
 マクガイバー博士は、ジョイパッドを手に取るとなにやら操作しました。鉄人かい、と吹き出しそうになりながらも見つめていると、ちょっと微笑んだかな。

「とまあ、曖昧な表情しかつかない。君たち日本人はそれでも十分なのかもしれないが、わかりにくい。もう少し数値の範囲を広げて、表情をもっと豊かにする別な方法を考えなければならない。
 そこで数値の範囲だが、縦横比の最小値は1.41、最大値は2.00だった。メジアンは1.71だが、モードは1.61で、つまりデータの分布が一様でないことを示している。アニメーションの制作者が意図したわけじゃないだろうけれど、このシンプルで数学的に扱いやすい数値に感動したね。エレガント、といっていい。」
「もうちょっと文系の私にもわかるようにいってくださいよ」
「うーん。」
 マクガイバー博士は、頭をかいて私を暫し見つめたものです。出来の悪い生徒にどうやって教えるか、という教師の表情とはこういうものなんだろうな。
「最小値は√2の近似値。メジアンは少々ずれるがおおむね√3。そして最大値は2。
 この数字を2で割ったら何か思い出さないかい。」
 はてなあ。私に聞くんだから、そんな真っ当な数学は要求されていないはずだが。遠い昔の受験数学を思い出しながら、私はおそるおそる答えました。
「sinπ/4、π/3、π/2じゃあ」
「その通り。ということは、三角関数で表現できるんだ。初期値をモードの黄金比の二分の一の近似値、sin54°にして、角度の値をsin45°から90°の範囲で1°単位で変えればいい。
 君、乱数は知っているよね」
「ぐっちゃぐちゃに数字が散らばれば散らばるほど良い、ということくらいは」
「数学的に美しいと思うかい」
「美しくはないでしょう」
「別の表現をすれば乱数は、エントロピー無限大の部分集合だ。そして人間はエントロピー無限大を混沌として嫌って、美の対象にしていないんだな。裏返しに言うと、エントロピーが収束する部分集合を美としているわけだ。」

 わかったようなわからないようなところで話を飛ばされて私が首を傾げていると、宗谷博士が助け船を出してくれました。
「音楽の和音の組み合わせは順列組み合わせの通りあるけれど、完全和音になるのは例外的な少数。不完全和音が若干。ほとんどは不協和音になって、雑音に聞こえるでしょう。」
「お腹に入ってしまえば全部一緒、っていっても、パスタはパスタ、デザートはデザート。コーヒーはコーヒーで飲みたいでしょう。いくらおいしいものでも全部まぜこぜにしてミキサーにかけたら単なるゲロよね。」
 こちらは澪さん。ようやく言わんとするところが把握できたような気がします。
「−9°、+36°。初めから乱数関数を使ったり、回帰法の初期値から0.001ずつ減らしたりするよりよほどエレガントだがもう一工夫。黄金比ついでにフィボナッチ数を使って分布を表現すると、マイナスが-1,-2,-3,-5,-8、プラスが1,2,3,5,8,13,21,34でだいたいはまる。これくらい絞れば実用になった。」


 アニメで黄金比とはねえ。私は目の前のアニメ顔をながめながら呆れていました。こんなバカげた代物にも受験数学が生きていたなんて。受験数学も使いようらしい。
「君たち日本人はデフォルメが得意だから、偏差が激しいデータもかなりあったんだが、それを除外してみるとこれだ。いささか驚いたよ。
 あとは驚き呆れた目が点になるとか、嫌なときは額に縦縞が入るとか、そんなパターンを集めてやればよかった。フランスあたりの大道芸人の百面相のビデオ編集を考えれば、どうということもない。」
「しかしネコ耳ってちょっと」
「うさ耳やいぬ耳もあるけど。オプションで」
 私は思わずジュースを吹き出しそうになりました。
「なんですか、そりゃ」
「内蔵マイクの取り付け位置が結構難しくてねえ。マイクを服に止めてもいいんだけどあまりに藝がないし、だからといって耳孔につけると音を拾いづらいんだ。
 ハードで解決しようとすると余計に回路がいるし、ソフトで処理するのもやってやれないことはないんだけどめんどうくさい。
その点、外耳を変えるだけなら構造は単純で軽いし、余計な電力もいらない。」
「ねこみみきらい?」
 と、ななちゃん。しかもタレ目で瞳潤ませて。ロボット+人間三人のこっち向く視線が痛いぞ。いやあ、そんなことはない。ネコ耳大好き、可愛いよ、と自分の小市民ぶりに呆れながら応えるとロボットがニコッと微笑みます。うう、本当に負けそうだ。
しかし、私にはまだ為さねばならないことがある。
「耳はわかりました。でもその尻尾って、なんとかなりません?」
「君は何か誤解しているようだな。しかし、それは想定範囲の質問だ。」
 マクガイバー博士は、ロボットに後ろを向かせると、尻尾の先を捻って外し、私に持たせました。
「うわ、重い」まるで鉛でも詰まっているようです。
「ななちゃん、ちょっと歩いてみて」
 尻尾を外されたロボットは、ものの三歩でコケて「ふぇーん、また転んでしまいましたあ」
「どじっ子」
「どうせ転ぶんなら、かわいい方がいいでしょう。
 ななちゃんに手を貸してあげて。一人じゃ起きあがるのにかなり苦労するのよ」

 頭痛を感じながらも言われるままにロボットに手を貸してやるとかなり重い。ありがとうございましたー、と、にこっとしてお礼を言うところが、結構かわいいかも。

「というわけで、それはバランスを取るためにつけたんだ。君の考えているような趣味ではなく。倒立振子の演算するよりよほど単純で簡単だ。」
「等率紳士?」 なんのこっちゃ
「逆さ振り子、といった方がわかりやすいかしら。振り子の錘が動くんじゃなくて、振り子の糸がぶら下がっている天井の方が動くの。
 二足歩行の重心を考えるときの基本的な概念なんだけど、いざこれをメカで実践するとなると大変なのよ」
「秋田の竿灯祭り、見たことない?」と、澪さん。「コーヒーやジュースをお盆に載せて運ぶのでもいいんだけど、ただ腕を固定して持っていたら中身こぼすでしょう。あの時は、ちゃんとバランスを取って重心が動かないようにしているのよね。」

 ああ、こう言われて、驚きっぱなしで自分が何を聞かなければならないかようやっと思い出した。私のあの春とか夏の歩きのデータはどうなった。

「ああ、それね」

 ロボットに尻尾を付け直しながらマクガイバー博士は答えました。「いかに人間、普段どおりの歩行に固執して歩きかたを変えないかよくわかったよ。今度学会でプレゼンテーションに使わせてもらうけどね、おかげで複雑なアルゴリズムを組まなくてすんで、演算処理が大幅に簡略化できた。」
「と、いいますと」
「障害物があろうがなかろうがないものとして歩くことだ。障害物とか傾斜を感知して、それに相応しい歩き方をさせなきゃと思っていたんだが、君の藪漕ぎのデータを見て考えを変えたよ。
全く足下の見えない、坂道なのか段差なのか、木の根が飛び出たり、石が転がっているかもまるでわからない状態なのにほとんど普段通りの歩き方なんだもんな。
 まったくフレキシブルな歩行にこだわっていた自分が馬鹿みたいに思えたよ。」

 ハイマツは木の高さが一定だから、木の並びを見れば傾斜と大きな段差はわかりますが、根っことか小さい段差は実際に踏んでみないとわからないんだから普通に歩くしかありません。宮本武蔵クラスの武芸者や忍者ならさておき、普通の人間が腰を落として膝をちょっと曲げて、なんてやっていたら半時間もしないうちにのびてしまう、と付け加えたところ、意に添うものであったらしく、きゅーちゃん、大いに力づけられておりました。

「じゃあ河原歩きの方はどうだったんですか。」
「正直言って使い物にならなかった」きゅーちゃんは、ぽりぽり頭をかきました。「といっても君の責任じゃない。ハードの能力の問題だ。演算回数が多すぎて、一歩踏み出すのに数秒かかるんだ。」

 げーっ。なんじゃそりゃあ。あれだけ協力して使い物にならんかった、ってあんまりでないかい。こっちも努力したんだから、そっちも努力せーや。
「演算回数を落とせないんですか」
「水平方向は割合簡単にできたんだ。ある程度の大きさ以上の平たい石を選んでいる、というのは、レーダーのクラッタ処理とか、音楽のノイズ処理とか、そういう確立された技術があるからね。問題は、垂直方向でね。
 坂を上り下りするのに階段になるような石を探しながら歩いているのはわかったんだが、そういう石がないか、あるいはありすぎて選ぶのに困るような場合、君のとったルートがまちまちで解がなかなか収束しない、というのが一つ。
 もっといいルートがある場合でも別ルートを選ぶことがあって、統計的に無視できないんだ。平地もそうなんだが、坂道になると際だって多い。統計的に有意だからアルゴリズムにできるし、君が選ぶ基準がわかれば演算回数は減らせるんだけれどね。」

 はてな。全く無駄な動きをしないで歩いているわけではないけれど、そんなに無駄足くってたっけか。
「仮にそのデータを生かした動歩行をするとしてだ、ルート選択の情報処理に演算を費やした後、今度は姿勢制御にまたハードとソフトの両方が必要となる。それをやっているのは大企業の研究所で、一個人がサヴァティカル休暇にやることじゃない。
 それより安定の悪いところは、さっさと飛ばしていく、という君の意見の方がよほど魅力的だったので、そっちに力を入れたんだ。
というわけで、少しの段差もこけて平面しか移動できないロボット、それなら車輪で充分なわけだが、それと一線を画したのがななちゃんだ。」

 そういわれてみると凄いメカのような気がしてきます。だけどアニメ顔。だけどネコ耳メイド。
「あの、つかぬことを伺いますか」
「はい、何か」
「なんでピコピコハンマーの音がするんです。」
「データ収集用よ。歩くスピードがわかるでしょう。秒速0.4mから0.8mに増速、というより、4拍子から8拍子、といった方が感覚的にもわかりやすいし。うるさかったら止めるけれど。」

 この人たちのことをわかっていたつもりではいたけれど、やはりそれなりの科学的裏付けがあるものだな、とあらためて私はななちゃんを見直しました。じゃあひょっとして。
「この服はなにか意味があるんですか」
「君たち日本人は、その作業着に女の魅力を感じるそうだが、もうちょっと無粋な理由でねえ。スカートをめくってごらん。ななちゃん、止まって。」
「え?」私は思わずマクガイバー博士の顔を見上げました。「スカートめくり?」
「ロボットにセクシャルハラスメントはない。気にしなくていい。」
 私は宗谷博士と澪さんの顔を見ましたが無反応。意を決してちらっとスカートをめくります。
「あー、そんな遠慮しなくていい。もっと大胆に。」

 そんなこと言われたってなあ。堂々とスカートめくりやれって言われて、はいそうですかって、うら若い女性の前でやれといわれても。二人の興味津々な顔に困惑しながら躊躇していると、面倒に思ったのかきゅーちゃんがフレンチカンカンよろしくスカートをまくり上げました。

「う。見なきゃよかった。」

 私の言葉に女二人が笑い転げます。スカートの中は、19世紀の女性用のコルセットでもなければ香港の建築現場。スカートの形を整えるのに竹籠が組んであって、脚がどこかで見たような油圧式ダンパーのついたサスペンション。ふくらはぎの辺から義足になっていて白いソックスをはかせている。
「女のスカートの中には秘密が隠されているのよ。」と澪さん。「勉強になった?」
「レギュレーションチェックでね、ちゃんと先行者のフレームに使っていることを確認してもらわなきゃならない。これならスカートをめくればすぐにわかるだろう。
 もっとも踝までくるロングスカートの出来合いで、手に入ったのがたまたまそれしかなかったんだけどね。」
「ドン・キホーテで安く売ってたのよ。ラッキーだったわ。そうじゃなきゃ、カナリヤかこみやまやで生地買って作らなきゃならなかったわ。」

 そういやそんなものが表にディスプレイで出ていて、目眩がしたことがあったっけ。あんなもん誰が買うのかと思ってたら、こんなところにいた。
「上半身も見る?」
「遠慮しておきます。」
「あら残念」ローティーンの宗谷博士がクスクス笑います。「でも、ほっぺたくらい触ってみない。自信作なのよ。」
 まあ、それくらいなら。ななちゃんのほっぺたを軽くつまんでみると、柔らかいながらも結構弾力があるな。
「これはよくできてますねえ。」
「でしょう。ね、なんでできていると思う」
「さあ。ゴムじゃないことだけは確かですが」
「ナタデココ」
 少女の姿をした宗谷博士がえっへん、とばかりに胸を張ります。この人、姿に合わせて行動まで子供らしくなったか?
「水分蒸発しちゃうから表面は特殊コーティングしているけど、下地はナタデココなの。
 色もね、ちゃんと紅花とかクチナシとか天然着色料使っているから、食べられるのよ。
 寒天の方が簡単なんだけど、寒天だとどうしても弾力不足で」
「転ぶたびにメカに響くんだ。緩衝材は、少しへこむくらいでないと中に響く。」
「そばかすに見えるのは、丁子と黒胡椒と一味唐辛子。粉末にして防腐剤で使ったんだけど、その部分だけわざと粒を大きくしたの。それらしく見えるでしょ。」
「あー」

 完全に言葉を失った私を感嘆のあまりと勘違いした宗谷博士の開発苦労?話を聞かせられながら表に出ました。ティーンになったのも、ななちゃんの声をあてるためだったとか。このロボットが秋葉原デビューでもした日には、声優オタクが祭りを起こすかもしらん。

「では。まずはななちゃん、ごあいさつ。」
「あらためまして。ななちゃんなのです。」

 ペコリ、と頭を下げるロボット。お辞儀の角度はマニュアルどおりの30°ですが、人間に比較すると、ちょっと動作が急かな。
「はい、ななちゃん。今週のバージョンアップは?」
「歌を覚えました。ただいまの登録曲数は5024曲です。リクエストはありませんか。」
「じゃあ、そうだなあ。えーっと」どうせダウンロードしてきた割には曲数が少ないなあ。ホントに一般的な曲限定なんだろう。でもちょっと捻って「冬景色、文部省唱歌の」

♪ 狭霧消ゆる 湊江の  船に白し  朝の霜
  ただ水鳥の 声はして 朝に映える 岸の家

 私は思わずきゅーちゃんの方を向いて言いました。「地声?録音じゃなくて」
「録音の再生だけだと著作権がらみでうるさいからね。」
 こういう時のイギリス人って本当に表情が変わらなくて、クールで格好いいな。
「実際は、原曲の肉声部分とななちゃんの声を同調させて発声させている。ななちゃんが歌っているときは、音声はななちゃんの声しか聞こえないけれど、電気的には原曲とデュエットしているんだ。
ちなみに、これにはおもしろい副産物があってね。ミオが気づいたんだが、ああ」
「『こんなに地球が美しいから』歌える?」と澪さん。
「え、あー、はい」
私はどぎまぎしながら答えました。美人のおねーさんが、アニソンをリクエストしてくるなんて、時代は変わったもんだ。
「ななちゃん、『こんなに地球が美しいから』 1,2,3,はい」

 ななちゃんが歌い始め、慌てて私が後を追いかけます。それにしてもネコ耳メイドロボがアニソンをデュエットって、はまりすぎだなあ。歌い終わると、澪さんがお約束でぱちぱち手を叩いてくれました。
「はい、それではななちゃん、今の得点は?」
「あなたの得点は82点です。やったね!」
「カラオケマシン?」
「オリジナルと音声の同調チェックでシンクロ率出していたらね、澪が案出してくれたの。いかにも日本のロボットらしくていいでしょう。」

 ジャパニメーションにコスプレにカラオケ。確かに世界に通用する日本文化のてんこ盛りですが・・・。違う、違うぞ。何がどう違うって、二足歩行ロボットといえば、メカがある一定の技術の水準に達したメルクマールになるものだろうに、こんなおちゃらけたモノがなっていいのか。スチブンソンの蒸気機関車とか、T型フォードやDC−3にアポロ宇宙船みたいな教科書に載るはずなものがネコ耳メイドロボでいいのか。

「まあ、これはおまけゲームみたいな機能ね。静止状態のななちゃんは結構演算能力あるのよ。あそこのオンコの木まで何mあると思う?」
「うーんと、2,30m、ってところですかね」
「ななちゃん、あそこのオンコの木までの距離をcmまで測りなさい。」
「25m47cmです」
「はい、じゃ、これ」
 と、宗谷博士は巻き尺を私に渡しました。「あそこのオンコの木のところまで行って距離を測って。」
 私は元気よく返事をすると巻き尺を持って小走りしました。そして指定された場所につくとピン、と巻き尺を張ります。「25m44」
「ちょっと、位置がずれたかしら。25mのところまで近づいて」
「はい、25mです」
「じゃあ、メジャーを全部巻き戻したら、メジャーを持ったまま真っ直ぐに横に腕を伸ばして。できるだけ動かないでね。」
なんなんだかなあ、と思いながら言われたとおりにすると、ネコ耳メイドロボが腕まくりしてこっちに向き直ります。
「準備よろし。構え。撃て」
 物騒な言葉を理解する前に何かが巻き尺に当たり、腕がちょっと持って行かれます。うひゃー、と思って巻き尺をみると、取っ手の回転軸のあたりに赤い色がついている。
「どうだい、ななちゃんの腕前は。パーティー用のトリックとしてはなかなかだろう。」
「パーティー用のトリックも行き着くと白夜の森で銃を撃ち合うことになるんです。」
 歩み寄りながら、驚きで口調が強すぎるものになっていることにいささか怯みつつも私は質問を続けました。「スナイパーにもなるんですか」
 とんだ美少女メカメカどっかんだ。
「エアハンドガンや競技用のリムファイアライフルで狙撃手がつとまれば。
 発射の際の反動が吸収できなくてね。これで携行可能な光線銃でもあるなら、ストラスブールの大聖堂の鐘に止まっている雀を撃ち落とせるけれど、実際は酒場でトランプの柄を撃ち抜くくらいだな。パーティ用のトリックだよ。」
「ストラスブール?」
「時に君、極上のキャビネットに首を賭ける気はないかな?」

 私が首を振っていると、宗谷博士が突然何かに閃いたらしく、文系人間には全くちんぷんかんぷんの言葉でななちゃん相手に口述筆記を少々。まあ、会話できるくらいだからそれくらいはできるわな。
「文字通り、歩く辞書なわけですね」
「他にもいろんなことができる。左腕はバネ秤になっていて、10g単位で重さが量れる。右腕にはさっきみたとおり空気銃が仕込んである。ミズホは、腕ごと飛んでいくのに固執したけれど技術的にはこれが限界だな。
 妥協策だ、といって直径3インチもありそうなドリルをオプションで用意させられたけれど、この用途は僕もわからない。」
「ドリル?」
「男のロマンじゃなかったのかい、僕はそう聞いたけど。ああ、ななちゃん」
「はい、ご主人様」
「そろそろ双子を連れてきたほうがいいな。急いで」
「はい、ご主人様」
 アニメ台詞に面食らっていれば、メイドロボはとてとて走り出したかと思うと、ウサギよろしくぴょんぴょん跳ねて建物の方へ。
「ちなみにあれが高速モードだ。」と、マクガイバー博士。「あれを見て君はどう思う」
「あー、えーと」
「正直な感想を聞きたい。」ええい、ままよ。いっそうさ耳の方が良かったんじゃないか、という言葉を飲み込み「猫又でもなければ、キョンシーかと」
「ネコマタ、キョンシー。色々な言い方があるんだなあ。」

 マクガイバー博士、素直に感心しております。誉めてるんじゃないぞ、きゅーちゃん。妖怪変化と説明してもまだわからない。これだからトールキンと同じ国の人は。
 かすかに頭痛を覚えながら猫又が行灯の油を舐めるのを説明していると、ななちゃんが大きな車輪をつけた業務用掃除機のようなものを2台引きずって帰ってきました。
「黒い方がトイードルB、赤い方がトイードルG。」
「Nice to meet you, governor」とB。「こんにちは」とG。

 掃除機が口を利くのに驚きつつボディをみると、白抜き文字で“B”“G”と大きく書いてあります。電極の+と−と思ったら酸素とLPガスのボンベを積んだfat boyのBと発電機でlittle girlのGだそうな。
「酸素ボンベ?」
「そう。トイ−ドルGの効率が今ひとつでね。酸素濃度を上げているんだ。」

 酸素魚雷かよ。なんとも贅沢なパワーアップ方法があったものです。普通、スーパーチャージャーにしません、と尋ねたら発電機にそんなものつけてもしょうがないし、そもそも汎用品にない、と言われました。キットカーの部品を自作するイギリス人とロイヤリティ欲しさにオリジナル規格の日本人の合作が汎用品とはね。興味を覚えつつ、しかし本筋の質問を私は続けることにしました。
「このR2まがいは、何のためにあるんです。」
 言った途端に2台から抗議の電子音。英語と日本語で私たちは、翻訳ルーチンもない半製品じゃありません!と怒られてしまいました。うーむ、ロボットも見かけで判断しちゃいかん。
「蓄電池が2時間しかもたないんだ。よほど画期的な蓄電池が開発されない限り、お出かけはトイードル達と一緒だね。」
「燃料電池は?」
「コンプレッサーを動かす電力にまったく足りないんだ。高温型なら十分だけれど、それだとこのサイズにはまらないし。これも開発待ちだ。」
「コンプレッサー?」
「ななちゃんは、圧縮空気で動いている。」
 するってえとアレか?ポンプを押すとぴょんぴょん跳ねるカエルのおもちゃ?
「だいぶん進化したでしょ」と宗谷博士。
「構造が単純だからね、メンテナンスも簡単だよ」とマクガイバー博士。

 うー、もう何をどこから突っ込んでいいのかわからなくなってきた。思わずこめかみを押さえて揉んでいると、ななちゃんのポケットからなんとも珍妙なぬいぐるみが顔を出し「ななちゃん、エネルギーチャージの時間だもん」
「ありがとう、あとらん」

 男だったらベルトのあるあたりに手をやると、ななちゃんは、コードを引っ張り出してトイードルGのコンセントに差し込み、発電機が運転を開始しました。

「なんですか、あのトランプの王様みたいな頭したぬいぐるみは」
「付帯脳。ジャパニメーションではヒロインに標準装備なんだろう。」
 どっからそういう間違いでもないが、正しくもない知識を仕入れてくるんだろうなあ。しかもしっかり変な語尾をつけてしゃべらせてるし。
 いや待て。付帯脳?アトラン?
「さすが科学の国だね。子供向けに愛らしいキャラクターにするところがドイツ人との違いだな。」
 ああ、やっぱり。しかしここは大提督のために一肌脱がなければなるまい。
「付帯脳は、でっかい耳のビーバーの方がいいと思います。前歯がむき出しになっていて、きんきら声でしゃべる」
「そうだった?マイクロ人間じゃなかった?」と宗谷博士。
「それはいつもお腹を空かせている、ごっついちょんまげのおっさんの相方です。」

 他に改善すべき点についてマクガイバー博士が二、三質問。かぶらをくわえ、電子音の、いわゆるロボット声にすることで話がまとまりました。人間ぽい、というのは何にせよ、あのいたずら好きのラマンが嫌がることだからなあ。
「ところでななちゃんのこと、気に入った?」
「ええ、まあ」
 曖昧に頷く私に少女の宗谷博士がにっこり微笑みます。この微笑みはやばい、何かある、と思った瞬間。
「良かったー。実はね、一週間ななちゃんを預かってほしいの」
「へっ?」
「ピノキオでも、フランケンシュタイン博士のモンスターでもいいけれど、実験室に置いておくと自分探しの旅に出ちゃうでしょ、人造人間って。それなら最初から旅に出してやった方がいいと思うの」
「せっかく動くように作ったんだから、動き回って迷惑にならないような日常生活の行動パターンを身につけさせなくてはならないんだが、うちの研究所は、ああ」

 私は思わず吹き出してしまいました。確かにロボットに人格を学習させるのにマッド・サイエンティストとマッド・エンジニアでは教育上よろしくないでしょう。ま、いっか。
 細々準備があるので、来週私の部屋によこすことで話がまとまりました。

< 続く >
『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の2)

・ネコ耳メイドロボのいる暮らし

・初日 日曜日

 ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴り、こんにちは、という明るい声。男に戻った宗谷博士が、この子をよろしく頼みます。一通りのことはできるように躾たつもりなのでびしびし使ってやってくださいと、まるで内弟子でも預けにきた父親のような挨拶。それに荷物が若干。
 機能でわからないことがあったら、ななちゃんに聞いてください。できることはできるし、教えれば学習します。できないことは後で改修するので、言ってくれればななちゃんが録音してテープ起こしして宗谷研究所に電子メールするのでよろしく。


 保護者が帰ると、あらためて私はななちゃんを見つめ直しました。うーん、最初はショックだったけれど、日を置いてみるとだいぶん見慣れたかな。

「まあ、突っ立っているのも何だから座って、座って」
「あたしはロボットですから疲れませんけど。」
「そうなんだけど、見ている方が落ち着かないのさ。」

 どすん、といった感じでソファに腰掛けるメイドロボ。フレームがアレだからしょうがないか。腰掛けるのが下手、と口述しました。人を差し置いてテレビの真っ正面に座るのもよろしくないんだが、まあそれは後でいいや。駆動時間は通常時で2時間。待機モードで6時間。動く必要のないときは、できるだけコンセントにつなげておいてください。

「以上です。」
「えっ?たったこれだけ?」
「マニュアルは、わからなくなったときに読むものですよ。」

 いかにも技術屋のいいそうな物言いに苦笑いしていると、お茶はいかかですか、と尋ねてきました。おお、なんかそれらしくていいぞ。
「じゃあ紅茶がいいな」
「かしこまりました。純水と紅茶とカップのある場所を教えてください」
「純粋?」
「蒸留水や精製水でもいいですけど」

 いきなりこれかよ。しかし、宗谷研究所のお茶がうまい理由がひとつわかった。水道水でも何ら差し支えないことを説明しつつ、お茶を入れる作業を見ていましたが確かに上手だ。カップは温めるし、蒸らし時間もわかっているし、さすがイギリス人仕込み。
「ふむ、おいしい。」

 私は真剣に感動していました。これだけでもこのメイドロボを開発する意義がある。そう思ったのはほんの束の間。
「食器洗浄機はどこですか」
「それはないよ、一般家庭だし。」
「食器は、どうやって洗うんですか」
「もちろん手だけど」

 といったところで、はたと思い当たりました。ひょっとして、そういう複雑な動きができない?
「取っ手がないものや、つるつるした丸いものはつかめません。手の構造が対応できないんです。」
「できないものはしょうがないけど、ホントにできないの?」
「ぶぅ。うそつきはパケハの始まり。ο"υτοι συν'εχθειυ 'αλλ'α συμφιλε^ιν "εφυν」
「はい? 今、何て言ったの」
「ο"υτοι συν'εχθειυ 'αλλ'α συμφιλε^ιν "εφυν」
 メイドロボは意味不明の言葉を繰り返すばかり。ユートイ シネクなに?
 いきなり壊れたのかこいつは、と訝りながらも正しい質問を考えること15秒。
「日本語に翻訳して」
「あたくしが生まれたのは、争うためではなく、愛するため」
 どこかで聞いた言葉だが・・・。「原語は何語?」「古代ギリシア語です。」

 なんとね。イギリス人の教育にかかるとロボットにもエウリピデスを暗記させるのか。呆れながらも手の構造を質問したところ、いきなり手を握ってきました。えっ、とか思っていると手を握る力が瞬間的に増します。
「最大握力、25kg。手首の回転、30度刻み、最大180度。折り曲げ、15度刻み、最大90度。これ以上細かい動きができないので、手作業は簡単なものに限られます。」

 取っ手のドアは開けられるが、丸ノブのドアは開けられない。字は書けないので、コネクタとプリンタをご用意ください。なお、カメラのレンズが汎用品で解像度が低いので、11ポイント未満の文字は極端に誤読率がアップします、とのこと。


 ウェルギリウスを原語で暗唱し、円周率を下200桁まで言えても新聞も読めなければ自分の名前も書けないのな、メイドロボって。


・ 二日目 月曜日


「朝ですよー 起きて 起きて」

 なにぃ!女の子が起こしにかかるなんて、今、俺、どこにいる!
 思いっきりアドレナリンが分泌されて目が覚め、文字通り飛び起きます。見回せばそこは見慣れた自分の部屋。同時に昨日からメイドロボがいることを思い出しました。
 あー、もう、朝っぱらから心臓に悪いわ。

「おはようございます」
「おはよう」

 傍らに微笑むメイドロボにさも平静な声で答えます。そして部屋の中の明るさが淡いのに気付きました。時計を見れば、げ、いつもより1時間も起きるのが早い。
「あー、もうちょっと寝かせて。」 一気に萎えたぞ、もう。
「朝ご飯が食べられなくなりますよ。」
「いいの。俺、高校生の時から朝飯食べたことないから。」

 意地でも寝てやる。布団を被り、睡眠のリズムを呼び返すこと暫し、すぐに意識を失ってまもなく。今度はゆさゆさ肩を揺すぶられて目を覚ましました。

「朝ですよー 起きて 起きて」
「うー、もちょっと寝かせて。あと10分」
「10分ですね。」
 そして本当に10分後に起こすメイドロボ。

「朝ですよー 起きて 起きて」
「あと5分寝かせて」


 5分が3分になり、3分が2分になり、2分が1分になって、ようやっと起き出す私。時計を見れば何のことはない、いつも起きている時間です。メイドロボにかかってえらく睡眠時間を損した感じだ。しかし、メイドロボは心なしうなだれて私を見つめます。
「お茶をどうぞ。トーストは冷めてしまいました。」
 そういってマグカップを差し出します。言われて初めてハロッズのNo.14の香りがただよっていることに気付く私。
「ごめんよー。ついついいつもの癖で」

 努めて明るく言ってはみたものの、あまりの心の疚しさに胸が痛みます。起きがけの一杯なんて、最近はジェントルマンでもやれないことをやっているのに、自分のぐうたらでぶち壊しにしてしまった。せっかくななちゃんが何度も起こしてくれたのに。
 しかも、この時間では身支度を調えるとほとんど余裕がなくて、お茶なんかゆっくり飲んでいられないこともわかりきっている。
 マグカップの中身はまだ熱くて冷めていませんでした。きっとななちゃんが何度も暖め直していたのでしょう。ひょっとしたら入れ直していたかもしれない。ロボットに感情がないことはわかっていますが、ここで一口も口を付けないというのは、人間としてよろしくありません。熱いのを我慢して半分以上を飲み干し、ラッシュアワーの駅の人混みを縫って走りました。


 そしてその夜。

「ただいまー」「おかえりなさいませー」

 にっこり微笑むメイドロボ。ロボットが感情をもたないことはわかっていますが、ほっとしました。これが生身の女だったら、貢ぎ物を捧げた後、祓い給え、鎮め給え、と力を尽くさなければ−あるいは力を尽くすふりをしなければ−ならないところです。それでも季節の折々や年の節目に思いを新たにされるはずで、ロボットは気楽でいいや。

 実のところロボットに貢ぎ物って、何を贈ればいいのか皆目見当も付かなかった、というのもあります。おまけにロボットが感情という概念を理解するにはそれ相応のデータの蓄積と、情報を解釈する時間が必要なこと、そして生まれたてのAIに詰め込み教育すると、システムダウンを起こすか暴走するのがお約束ということになっているし。


「日中は何をしていたの?」

 せっかくなので、メイドロボを向かいに座らせて晩ご飯。ロボットとはいえ、会話相手がいるのは良いことだな、としみじみ思います。
「お部屋のお掃除と、お洗濯です。」
「へえ、掃除洗濯できるんだ。」 感心、感心。
「でも乾燥機がないので、乾かせませんでした。」
 あたた。「じゃあ、洗濯物、どうしたの?」
「洗濯機に入れたままです。どうやって乾かすんでしょうか。」

 やれやれ。本当に知らないものを怒ったってしょうがないので、手伝わせながら物干しに洗濯物を掛けます。そこでななちゃんは、洗濯物を掛けるだけで、洗濯ばさみを使えないことが判明。これくらいは使えた方が良い、と口述しました。


 なんともお嬢なメイドなこったい。かわいいメイドさんのいるほのぼの生活、というのは、宗谷研究所の科学をもってしてもまだまだ遠いようです。


・三日目 火曜日


「朝ですよー 起きて 起きて」

 はい、はい、と起きようとしたところが、布団がはぎ取られ、どん、と突き飛ばされます。
「ふぇっくし!」 " Salud ! "
「ふぇっくし!」 " Amor ! "
「ふぇっくし!」 " Dinero ! "
「あー、グラシアス。」

 ロボットの力が弱いからいいものの、危うくベッドから転げ落とされるところでした。ついでにもう一発くしゃみが出そうになりましたが不発。ちっ、4回目はなんて言うのか聞き逃した。
「おはようございます。」
「おはよ。なんちゅう起こした方するのさ」
「ご主人様に相談したら、これが一番確実な方法だって教わりました。」

 ストームなんて、こんなところにパブリックスクールの寄宿舎の習慣を持ち込むとは、全くなんて奴だ。つって、マッド・エンジニアか、彼は。
「確かに一番確実だけど、心臓に悪い。」
「えっ! 病気なんですか! 大変」
「あー、そうじゃない。」電話を取ろうとしたななちゃんに私は慌てて手を振りました。「今のは、モノの例え。実際に心臓の病気になったわけじゃない。
 そうじゃなくて、びっくりするから、もうちょっと優しく起こして欲しいんだ。」
「かしこまりましたー」

 明るい声で応えるメイドロボ。こっちは毎朝、いちいちびっくりさせられてたまったもんじゃない。それでもベッドの上で起きがけの紅茶を飲み、新聞にざっと目を通し、というのはチャーチルの日常だな。久方ぶりに、朝食を摂り家を出ます。
 うん、こういう生活もいいもんだ。



「ただいまー」「おかえりなさいませー」


 玄関を開けた途端、色々な料理の香りがします。おお、ご飯を作るとはやるじゃないか、ななちゃん。感動しながら食卓を見れば

・ チャーハン(冷凍食品の)
・ ロールキャベツ(同じく冷凍食品)
・ 目玉焼き(両面焼き)
・ 大根下ろし
・ コーンスープ

 うーん。レンジでチン、のチャーハンとロールキャベツ、粉を溶かすだけのコーンスープはわかる。所詮は先行者のフレームなんだから。こうなると目玉焼きと大根下ろしを作った方が驚きだな。
「よく出来たね。」
「ありがとうございます。」ニコッと微笑むななちゃん。
「愛い奴じゃのう。褒めてとらす。ところでよく卵が割れたね。」
「はい。性能試験で延べ120時間卵を割り続けましたから。」
 おお。こんなアニメ顔したロボットにも修行の期間があったとは。
「じゃあ、大根下ろしは」
「はい。大根下ろしは、回転運動の耐久試験で300時間。」
「回転運動?」


 聞けば往復運動はメスを研ぎ、偏光顕微鏡用の岩石試料のプレパラートを作るくらいの精度で出来るということ。この精度なら、包丁やサバイバルナイフの研ぎなんて屁でもありません。ロールキャベツは、ただ水を張ってチンしたんじゃなくて、ちゃんとコンソメとか胡椒とか入れて煮込んであるし。
 意外と家庭的で使えるじゃないですか、メイドロボ。


・四日目 水曜日


「朝ですよー 起きて 起きて」
「う゛ーん」

 ようやく聞き慣れてきた声。大きく伸びをしようとしたところで、唇に柔らかいものが押しつけられます。目を開けば、ななちゃんの顔が目の前。
「わわわっ!」
「おはようございます。どうかなさいましたか」

 明るい声で尋ねるメイドロボ。機械とわかっていても、キスなんかされたら驚くわい。誰だ、ロボットにこんな起こし方を教えたのは。

「はい。優しく起こして欲しいということでしたので、澪さんに相談して。
 喜ばれる、と教わったんですけど、よくありませんでしたか。」
 あー、もう。あのお水なお姉さんは!おかげで今日も今日とて心臓に悪いぞ。
「いや、いいんだけれど、意識のあるときにして。覚醒していないときにされると、心の準備ができていないからびっくりする。」
「かしこまりましたー」


 そしてその夜。

「ただいまー」
「おかえりなさいませー」

 そういって私に飛びついてくるななちゃん。何事?と思って慌てて受け止めると、いきなりキス。痛てっ、前歯ぶつけた。

「ストップ!」
 まずはメイドロボを引きはがし、両肩に手を置きます。
「いったい全体どうしたんだ、ななちゃん」暴走でもしやがったか?
「はい、キスは意識のあるときにする、ということでしたのでそのようにしました。
 いかがでしたか」
 瞳にお星様浮かべてしゃべるんじゃないよ、もう。
「あー、キスをするには、相応しい状況があるんだ。のべつくまなししていいものじゃない。」
「そうなんですか。男の人はキスをしてあげれば、照れるけど喜ぶ、って教わったんですけれど、違うんでしょうか。」

 うー。あったくあのお水な姐さんは。生後何ヶ月の初なロボットに、夜の街の特別教育を教授するんじゃない。これはどうしたって意見してやらなければなるまい。君にはまだ早すぎる、と教師になった気分で説諭。光の速度で宗谷研究所に電話をかけます。

「はい、宗谷研究所です」 おお、当の本人が出た。
「澪さん、何をななちゃんに吹き込んだんですか!」
「あらあ、よかったわねえ。うふふふ」
「うふふふじゃありませんよ、まったく。毎日毎日心臓に悪いですよ。」
「やーねー。あたしの好意がわからないなんて。どう、ななちゃんは」
「どうもこうもないですよ。メカ相手にそんな気分になりますか。独身男=2次元コンプレックスって、その自称セレブの独身女みたいなのなんとかしてくださいよ。」
「あらあ、奥手なあなたにちょうどいいんじゃない。キスの下手な男は、それだけで評価低いわよ。
 腕で練習したり、ナンパして回るよりよっぽどいいんじゃない。それにtry and err を繰り返してもらった方が、ななちゃんの教育にもなるわ。
 がんばってね、教育係さん。」

 ちゅっ、とこれ見よがし、というか聞かせがしの音がして電話を切られてしまいました。唖然として受話器を持って固まっていると、メイドロボが私の顔を覗き込みます。
「ご主人様も宗谷博士も、お忙しくてあまり実験できなかったんです。よろしくお願いします。」
「よろしくだもん」と付帯脳。

 うおおお。話がうますぎると思ったああ!
『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の3)

・五日目 木曜日

 北欧神話の雷撃の神の名を冠した曜日は、将に雷撃を食らった気分。
メイドロボに起こされる前に自分で起き出し、顔を洗おうと洗面所で鏡を見て仰天。キスの実験台にされたおかげでキスマークがあちこちに。これでは外に出られん。

「あー、もしもし、私ですが。」思いっきり声を作って電話しました。「風邪引いて、ひどいんで今日と明日、休みます。」
「風邪?どうしたの」
「いや、暑いって窓開けて寝てたらすっかりやられまして」
「ふーん。ホントは、連休にして誰かさんとどっか行くんじゃないの」
 ぎくっ。冗談で言っているのがわかっていても洒落になってない。
「んー、そういう彼女紹介してくださいよ。看病してもらえる」
「はいはい。今日と明日ね。お大事に」
 腕で練習したり、ナンパするよりよっぽどいいでしょ、という悪魔のささやきに乗った自分を呪いながら受話器を切ります。


「風邪を引いたんですか。」とメイドロボ。
「いーや」否が応でも声が低くなります。
「なぜ風邪を引いていなのに、風邪を引いた、といったんですか?」
「休む口実を作ったんだ」
「なぜ休む口実を作ったんですか?」
 お前が言うか、という言葉をぐっと飲み込み「外に出られないからさ」
「なぜ外に出られないんですか?」
「顔にいっぱい痕がついたからさ」
 ちょっとこっちおいで、と洗面所まで連れて行って、この辺とかこの辺とか、といちいち説明しました。
「あたしはついていませんけど」
 瞳にはてなマークを浮かべてメイドロボ。だんだん人工知能相手の会話らしくなってきやがったぞ。
「ロボットはつかないけれど、人間はつくの」
「学習しました。なぜ、痕がつくと外に出られないんですか」
「恥ずかしいからだ」
「なぜ恥ずかしいんですか」
「誰が見てもキスマークとわかるからだ」
「キスマークとわかると恥ずかしいんですか?」
「そう」
「なぜキスする方もされる方もうれしいのに、痕が残ると恥ずかしいんですか?」
「痕が付くようなキスは、下手くそか、情熱的すぎるかのどっちかだからだ。
どっちにしても、人前でその証拠をさらけ出すのは恥ずかしい。」
「学習しました。痕がつかなければいいですか?」
「そうだね」

 あー、なぜなに大魔王を振り切ったぞ、とほっとしたのも束の間。メイドロボがやっぱりキスをしてくる。
「わわっ!何をする」慌てて飛び退く私にサンプリングです、とメイドロボ。
「どのくらいの圧力と触れている時間で痕が付くようになるのか、右頬と左頬で比較対照実験します。」
 やっぱこいつはマッド・サイエンティストとマッド・エンジニアの合作だっ!これ以上キスマークなんか増やされてたまるか。
「えーい、やめんか!」
「えー?データが足りないんですけどぉ。せめてサンプルは100くらいないと、統計的に有意なのかどうなのか、信頼性が低いんですぅ。」
 両手を組み、お祈りポーズ。瞳うるうる。語尾まで媚びてくるメイドロボ。
「ダメったらダメ!ナイン、ブーシー、ニエット」
「怒られちゃいました。しおしおー」


 一体全体こいつのフレームはどうなっているんだ。いきなり属性変わるし。普通、ロボットものといえば、自我の確立がどうなのこうなのっていうのがピノキオの時代からのお約束だろうが。頭の中を覗いてみたいぜ、と、ぼやけば、承知しましたー、モニターに接続しますのでどうぞ、ときた。
 心当たりもないのにくじにあった気持ちでPCの前に座れば、ディスプレイに3つの窓が開きます。

「ななちゃんαです。」と、怜悧な表情の白衣姿が挨拶文を表示。
「あ、ななちゃんβですぅ。はじめましてぇ」と、おめめくりくりのネコ娘。
「ななちゃんγよ。よろしくね。」と、エプロン姿。

 何を参考にして造ったか、よーくわかりましたとも。こうなると、シビルにならないのが不思議だね。
「シビル、ってなんですかあ」とβ。
「今PCにつながっているじゃない。ネットで検索すればいいのよ。」とγ。
「該当件数が多すぎるわ。検索条件を絞るキーワードを教えてください」とα。
「失われた私 統合失調症または多重人格障害」


 ななちゃんの下位意識のトリオ漫才のログを読みながら、私はいにしえの女神のことを思い出していました。運命の女神モイラ。一柱で表現されるときは単数形のモイラ。三柱で表現されるときは複数形のモイライ。運命の糸を紡ぐクロト、その長さを定めるラケシス、断ち切るアトロポス。
 人生を線分に例えたときの始点中点終点と思っていたけれど、m-RNA,t-RNAの比喩にもなるよなあ。一つは三つ、三つは一つ、ってキリスト教がそんなことでお互いに破門しあっていたっけ。
 立体を正面図、側面図、平面図で表現するようなものじゃないのか。上位概念を成分で分解しようとするからおかしなことになるので、ん?待て。成分というならベクトル表示が可能で、どうせなら行列の方が扱いやすいな。演算子でもいいけど。 そして似たものベクトルの部分集合が意識となるわけだ。でも論理演算のベクトル表示って?


 文系には完全に分を超えた思考を巡らしていることに気づいてPCの画面に注意を戻せば、画面一杯ブラウザの花盛り。何事、とか思って窓を拡大すればあっちこっちの掲示板にななちゃんが書き込みをしている。こいつが妙に会話慣れしているのはこのせいだったのか。

「きゃ、フシアナさんですの。」
「あっ、プロキシ刺してない。どういうセキュリティしてるのよ。」
「通信遮断。」
「通信遮断します。」

 女三人集まれば姦し。といってもテキストデータですが。ホント、こいつはどうやって人格を統合しているんだ。呆れているところにワームの侵入で一気にブラウザが鎮まり、新しいバージョンが現れたのに気づきました。
「君は誰?」
 どこかで見たような軍服姿のななちゃんに呼びかけます。
「私は、ななちゃんΩ。統制官です。
 βがワーム侵入を検知。αがその原因を究明。 γはワーム撃退すべきですが、時間がかかり過ぎます。ベストではないが、ベターな方法を限られた時間の中で返すのが私の役目。意思決定に無限の時間を掛けるわけにはいきません。」
「兵は拙速を聞く。未だ巧みの久しきをみず、というわけ?」


 下手に孫子を引用したおかげで、書き下し文のがわからないメイドロボ相手に一日諸橋徹次の本を片手に中国故事をレクチャーする羽目になりました。
 うーん、この娘、フレームは中国製なんだがなあ。
事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の4)
6日目 金曜日

「朝ですよー 起きて 起きて」
「あー。今日休みだから。 寝る。」
「早起きは三文の徳ですよー。起きて 起きて」
「三文儲からなくていい。 寝せて」
「あたしが儲かります。フライングボディアターック!!」
「ぐえっ」

 寝ぼけて身構える暇もなくまともにロボットの体重が。いくらベッドでスプリングが効いているとはいえ、衝撃は衝撃。伸びているところにロボットが耳元でささやきます。
「お目覚めですか。それとももう一回やりましょうか。」
「起きます、起きます。」
 横に転がってベッドから転げ落ちます。一回で十分間に合っている。
「あのさ、だんだん起こし方が過激になってきてない?」
「毎日いろんな起こし方を実験できて勉強になります(^0^)」
「俺は不幸だ」


 それでも朝食を摂りながら新聞をめくり、どこぞで熊が出ただのなんだのといった記事を読んでいるうちに気分は前向きになってきました。国際紛争、親殺し、企業買収、等々、今日も朝からはびこる物騒な話に比べれば、メイドロボに体当たりを食らう不幸なんつぁ、limit→0。汝の隣人を愛するキリスト教徒と、汝の隣人の平安を祈るイスラム教徒との間に住まうことを思い浮かべればよいので、例え行間を読まなければならないとしても、これが人様に迷惑をかけずに精神衛生を保つ小市民の生活。
 うむ、せっかく早起きしたんだし、ここは普段やれないことをやろう。

「大掃除だ。大掃除をやるぞ。」
 外に出られない以上、内でやる仕事をやるしかありません。
「大掃除、ですか?」
「うむ」
 私は落語の大店の主人が手代や丁稚に指図する様を思い出しながら頷きました。
「メイドさんなんだから服装にふさわしいことしなさい。まずは煤払いね」
「煤払い。どのようにやりますか。」
 しょっぱなから腰を折ってくれるなあ。
「まず窓を開ける。それから箒を持ってきて天井を掃く。」
 そこで私は、メイドロボを眺めました。この娘、俺より身長低いなあ。届くのか?試しに箒を持たせてみると、ああ、やっぱり駄目だ。
「届かないんじゃしょうがない。はたきかけて」
「はたきかけ。どのようにやりますか。」
「やったことない?じゃあ実践だ。こうやるの」
 見ただけではわからないというので、文字通り手をとって教え込みますが、いざやらせてみればガラガラがっしゃん。
「もうちょっと力を加減して」
 でもガラガラがっしゃん。どうやら手首の関節が15度単位にしか曲がらないせいで、スナップを利かせるということが出来ないようです。これはソフトではなくてハードの設計ミスだ。ロボットに学習させたところで能力の範囲を超えている。

「できないものはしょうがないね。じゃあ、煤払いとはたきかけが終わったら、掃除機かけてもらうから、それまで見てて」

 然るにメイドロボ。あっち向いてちょんちょん、こっち向いてちょんちょん。物に当たる度にあさっての方向を向いて掃除機をかける。
「何をやってるの、君わ」あきれて声をかければ、お掃除です、ときた。
「おーまーえーは四川省の田舎者か!四角い部屋をまあるく掃除機かけてどうする!」
「仕様です」
 しゃあしゃあと応えるメイドロボ。こいつはきゅーちゃんを小一時間説教してやらなければなるまい。そう思いきやモップがけやガラス拭きはちゃんとできるんですからわけがわかりません。一体全体どういう仕様なんだ?
 それやこれやありましたが、二人掛かり。昼前にはとりあえず作業は終わりました。

「うむ。大儀であった。余は満足じゃ。褒めてとらす。」

 1時間遅れのイレブンジズを飲みながら、私は結構まじめに感心していました。確かに独りで黙々と作業した方が効率はいいのですが、相方がいる方が気が紛れて退屈しない分、結果的に作業は早く終わった。
「ありがとうございます」
「あー、こう言われたときは『有難き幸せにございます』と答えるように。古語には古語で答える、宜しい?」
「わかりました。」
「かしこまってございます。かしこまりました、でもいいけど。」 大店の旦那から殿様になった気分で私は言葉を続けました。
「苦しゅうない。何ぞ望みがあれば申してみよ。」
「望みって、なんでしょうか。」

 与えられたタスクをこなすことはできても、自分でタスクを考え出すことはできないのか。あたら人型をしてるので−アニメ顔だけれど−ついその気になってしまった。
「何か調べてみてもわからなかったことや、判断がつかないものがないかな」
 食欲−関係ない。性欲−あったら怖い。お金も地位も名誉も関係ないロボットなんですから、欲があるとすれば知識欲のはずです。
「New speakは、何が面白いんですか」
「ニュース ピーク?」なんのことだかわからないので、私は状況を尋ねました。
「ご主人様が『社会は個人を束縛するが、それは目先の誘惑に迷う個人を長期的利益に誘導するためであって、目先の欲望でしか行動できない動物よりも遥かに人間が自由であることを示している』といい、宗谷博士が『不自由が自由って、それじゃNew speakじゃない』というと二人で大笑いして」
「戦争は平和である。BIG BROTHER is watching you.」
 反射的に答えて吹き出す私にメイドロボが質問を続けます。「そんなにおもしろいことなんですか。」
「わかる人は。わからない人はさっぱりわからないという、例のパターンだ。
 しかし、なぜそんなことを調べようと思ったのかな」
「ご主人様が、歌ってコントができるロボットを目指していますから」
 歌って踊れるじゃないのかい。
「踊りは構造上不可能です。しかし、しゃべるだけなら可能ですから」
「うーん。そりゃどえりゃー試練の道を選んだもんだがね。
 それにしてもいきなりジョージ・オーウェルというのは難しすぎる。もうちょい簡単なところから始めなさい。まずは単発ギャグとか。」
「単発ギャグ。どんなものですか」
「本場インドの味、ビーフカレー」
 メイドロボはちょっと間を置き、それからPCのブラウザを開いて言ったものです。
「これですか」 「え?」
 画面を覗けば、げ。本当にそういうカレー店のメニューがあるよ。
「あたぁ。今のなし。じゃあ唐辛子入りチョコレート。」いいのか?インド人。
「これですか」
「マジ?」 おいおい、韓国やタイどころかドイツやイタリアにもあるよ。
「うー。今のもなし。それじゃあねえ・・・。おでんとおもちの牡蠣油いため」
「これですか」 「・・・うそぉ」
 真実は小説より奇妙なりとはいうけれど、これは斜め上を行っている。
「こんなのもありますよ」
 驚く私を尻目にメイドロボが開いたページには、Japonais Restrant 焼き高知、と看板を掛けた、いかにも小洒落たレストランの写真。パリのどこぞにある日本料理店らしい。
「もう駄目だ。 ;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン」

 首を傾け、口を開いたまま惚ける私にメイドロボ、小首を傾けておもしろくありませんでしたか、と尋ねます。
「い、いや。しかし、そのお、なんだ。最近免疫力が落ちていて、こういう猛毒のジョークはちょっと」
「猛毒なんですか?おもしろニュースの配信ですけれど。」
 ああ、ちょっとは安心したぞ。こんなものをロボットがジョークであげてくるなんていったら、最早人がコントを書く時代ではない。
「最強ジョークなら、もっと凄いのがありますよ。えへっ」ここぞとばかりに笑顔を見せるメイドロボ。「聞きたいですか?」
「なにっ、まだ上があるのか」

 これより斜め上だとお。これは心して聞かねばなるまい。重々しくうなづいて、先を続けるようにうながします。
“Wenn ist das Nunstuck git und Sotermeyer? Ja,Beiherhund das "
 私は何も言わずに立ち上がると新聞紙を丸めてメイドロボの頭をぶっ叩きました。
「えっ?」
「おもしろうないわ。そんなもんで笑うのはドイツ人だけだ、あほう。しかもだいぶん昔のだ。そんなにアラスカに行きたいか」「アラスカ?」
「わかる人はわかるギャグだ。よろしい、君にお笑いの真髄というものを教えてやろう。まずはハリセン作りからだ。」
「ハリセンって」検索をかけ始めたメイドロボの手を引っ張ります。「いいからこい」

 紙鉄砲なんてとんでもない、つづら折りもできない不器用ぶり。つうか、高がハリセンの折り目に1mm,2mmの誤差で悩むなよ。用途によって精度には幅があることを理解していない、公差の概念がない、と口述します。こんなもん作るのに20分もかかった。


「では、大きく振りかぶってえ、思いっきり振り下ろす」
 スパーンといい音がします。紙鉄砲つくるなんて小学生以来だけれど、手が覚えているもんだ。「はい、やってみ」
 紙鉄砲を渡します。何度か失敗したけれど、一回こつを覚えてしまえばそこはロボット。すぐに鳴らせるようになりました。
「今の感じで、今度はハリセンを振り下ろす。よろしい?」
 今度は一発目からぱしっと叩きました。ふむ、筋がよろしい。
「今の感じがとてもつまらない。後は動作の大小や、音の強弱で判断する。じゃ、つまらないギャグを言ってみるから、復唱するように。隣の空き地に塀ができたんだってね」
「隣の空き地に塀が」
 すかさずハリセンでメイドロボを叩きます。「半万年前のジョークか!」
「半万年前にジョークがあったんですか」
「それくらい古くさくてつまらないジョークなの。じゃ、次。ノリのいい建物。家」
 わざと棒読みしてメイドロボにもそう言わせると、ぽそっ、とハリセン。
「今のはそんなにつまらないギャグじゃなかったんですね。」
「いいや、あまりに寒すぎて脱力するギャグなの。でも、威勢良く言ってみよう。
 ノリのいい建物! イェーイ!」
 復唱させますが、単発ギャグは束ねないとね。
「気合いの入った動物ぅ、うーしっ! 高飛車な魚ぁ、こいっ!」

 20分後。ほとんど私は自己嫌悪に陥っていました。突込みがあってこそのドツキ漫才。それをネタばらししながら一人二役でやっているとだんだん悲しくなってきた。しかもロボットがいちいち筋の通った説明を求めてくるもんだから、ああ。俺にはとても名古屋の演芸場で漫才はできそうもありません。

「あー、てやんでい、べらぼうめい。このグーリンダイのポンポコピーめ」
「ポンポコナーのちょーめーきゅーのちょーすけ」「え?」
 するってえと、もしかして?「寿限無寿限無 五光の摺り切れず」
「かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんぎょうまつ ふうらいまつ・・・」
 面白がって追求してみると、落語のみならず浪曲までカヴァーしていることが判明。もっとも、ティーネージャーの女の子の声で食いねえ食いねえ、鮨食いねえ、と言われても違和感ばかりが付きまとうことは確かですが。そこで更に興味に駆られたのが運の尽き。
「羯帝 羯帝 般羅羯帝 般羅僧羯帝 菩提僧和伽」
「自爆キーを確認。自爆まであと、3分です。」
「なにっ!・・・これもネタか?」
「これは演習ではありません。自爆まであと、2分40秒。」

 うそお、マジかよっ!。大慌てで宗谷研究所に電話をかけます。ええい、こういう時に限ってつながるのが遅い。「もしもしっ!私です!」
「だ、だあれえ?」
「ぼけてる場合じゃないですよ!きゅーちゃんに代わってください。大至急」
「どうしたの、まるで救急車でも」「非常事態なんです!ななちゃんが自爆モードに」
「了解」

 いつもと変わらず落ち着きのある、艶っぽい声で応える澪さん。しかし、こういう事態では弄ばれているようにしか思えん。イライラしながら待つこと暫し。部屋の中でメイドロボの自爆カウントダウンの声が空ろに響きます。あと、1分30秒。部屋の外に飛び出すだけでも30秒は欲しいぞ。早くしてくれ。

"Here I am, Ho-ho, are you ready? "
(お待たせ。じゃ、いってみようか)
"No kidding! Stop Nana-chan, tell me! Please"
(バカ言ってる場合じゃないよ。ななちゃんを止めて、お願いだから)
"Nothing worry about. However,she will be noisy a little."
(大丈夫、大丈夫。ちょっとうるさくなるかもしれないけどね)
"A little? A little noisy bomb? How "
(ちょっと?ちょっとうるさい爆弾?一体全体)
 「自爆まで、あと30秒です」

 時間切れだっ!財布と鍵はどこに置いたっけ。見つけるのに更に5秒ほど要し、部屋から飛び出す私の背中越しにメイドロボの声が響きます。
「3,2,1,0 芸術は爆発だ!どっかーん!」

 ゴン、と何か重たいものが落ちる音がして沈黙。こんなこともあろうかと思って爆弾を仕掛けていたのかと思えば口でどっかーん、だあ?恐る恐る玄関から覗いてみると床にななちゃんの首が転がっています。「黒ひげかよ」
 首を振り振り部屋の中に入ってメイドロボの首を拾い上げます。脅かしやがって。投げ飛ばしていった受話器をとって耳を当ててみれば、おや、まだつながっている。
「もしもし」
「はっはー。面白かったかい」
「えーえ。面白かったですよ。これがイングリッシュ・ジョークというやつですかい」
「いや、新大陸の“あれがエンターテイメントだ”だね。暫く楽しみたまえ。」

 唐突に電話は切られてしまい、唸り声をあげて受話器を睨み付けていると床に転がっているメイドロボが口を利き始めました。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理を顕す」
 平家物語をしゃべり始めた生首を怪訝に思いつつ見守りながら思うよう、確かこんな話が昔のSFだか怪奇小説にあったな。
♪ Freude, schoener Goetterfunken,Tochter aus Elysium!
いきなり歌いだすし。
「おーい、もしもし?」
 しかるにメイドロボ生首、人の言うことなんか聞いちゃいません。少々むかついたので、つんつんつっついてみました。
「ウルサマイナーα 赤経2時31分8秒 赤緯 89度16 実視等級2.0
 色指数B-U +0.60,U-B +0.38 スペクトル型 F7」


 後はいちいち書くのも面倒です。3分とか、5分おきに何の脈絡もないことをしゃべり続けやがります。人間ならとっくの昔にしゃべり疲れてしまうんだろうけれど、こいつはメカなせいで疲れというものを知らない。ユーリ狂人帝の名に懸けて、少々やかましいなんてものではないぞ。げっそりしながら電話を取りあげます。

「もしもし、私ですが。アリス伯母さんお願いしたいんですけど」
「アリス?」
「はなはだ申し上げにくいことですが、ななちゃんのバイオチップが鼻くそになってうるさいんです。私だけじゃあ、手に負えません。」
「はっはっは。それが仕様なんだ。あきらめるんだね。」
「仕様?いったいいつまで我慢すればいいんです」
「電池が切れるまで」
 よせよ。出来るだけコードにつなげとけ、っていうから繋ぎっ放しだよ。
「ナントカならんのですか。リセットスイッチとか」
「解除コードはあるんだが、ちょっとむずかしいんだな。」
「冗談じゃあないですよ。戯言聞かされる身にもなってくださいよ」
「ああ、それが自爆の目的だからね。散々戯言聞かせて相手をうんざりさせる、っていう。ハイジャックとか立て篭もり事件で警官が使う手だ。」
「もう十分堪能しました。 解除コードを教えてください」
「フェイズ1 5分以内に元素を1番から順番に108番まで口述する。
 フェイズ2 5分以内に英国産の飛行機と搭載エンジンの名前を50機以上口述する。
 フェイズ3 5分以内にワインの銘柄とブドウの品種を30種類以上口述する。
 最終フェイズは研究秘密で教えられないが、フェイズ1で1時間、2で2時間、3で4時間うわ言モードが停止するから十分だろう。できるかね?」

 できるもできないも、やらないことには止まらないんだからやるしかないでしょうが。本棚のどこぞから教科書を持ってきます。「水素、ヘリウム、リチウム・・・」

 しかし止まらない。言い直しがあったのがまずかったのか、と思い、やり直してみますがやっぱり止まらない。こみ上げる疑念と怒りを抑えつつも再度電話します。
「フェイス1でいきなりこけたんですけど。」
「いいえ。ちゃんと実験済みで、それも3人で試しているから間違いないわ。あなたのミスね。聞いていてあげるからもう一回やって」
 なぜかまた女になっている宗谷博士にきっぱり言い切られて取り付く島がありません。是非もなし。水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム・・・。うんざりしながら読み上げ、半分くらいいったところでストップがかかります。
「それよ。ランタノイドという元素はないわ。」
「へ?だって周期表に」
「安物の周期表ね。57番ランタンから70番イッテルビウムまで続く元素の総称よ。それに今はランタンモドキなんてひどい言い方しないわ。ランタニド元素といいます。」

 アクチノイドというのも89番から103番までの総称で、やはり今はアクチニド元素という。それを聞いて私は作法通り教科書を壁に叩きつけました。全くなんでもかんでもとっておけばいいというものじゃない。
 作業が始まってから2時間後、ようやくメイドロボの戯言が止まります。あー、疲れたのど乾いた。お茶。ホント午後のお茶の時間になっちまったぜ。
 で、次。イギリス産の飛行機とエンジンだっけか。

「デハビランド タイガーモス、ジプシーメジャー。ウエストランド ライサンダー、マーキュリー。フェアリー ソードフィッシュ、ペガサス。グロースター グラディエーター、マーキュリー。・・・」

 だがしかし。「やっぱり4機足りない」
 ジェット機時代のデハビランド・バンパイアや複葉機時代のソッピース・キャメルまで入れてもまだ足りない。50?RAFにそんなに飛行機あったか?マニアの自信を打ち砕かれた悲しみに暮れながら本日3回目の電話をかけます。

「あの、50なんてとってもないんですけど。テキサンをハーバード、っていうのもありですか?」
「そんな苦労しなくても、第二次大戦中のレシプロだけでだいたい間に合うはずだが」
「そんなにありましたあ?フィンランド空軍のコールホーフェンFK-52くらいどマイナーな奴でも入れないことには」
「そんなことしなくても充分間に合うよ。スピットファイヤーだけで軽く10は超えるだろう。」

 言葉だけは丁重にお礼を申し上げて受話器を置きます。確かに楕円翼のMk.Vとテーパー翼のMk.XXIじゃ見かけからして全然違うけどさ。くっそーお。
イギリス人のフェアプレイ精神を垣間見ちまったぜ。
『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の4)

土曜日

 ワインの蘊蓄を知らないばかりにメイドロボに2時間ごとに夜泣きされ、眠れない夜を過ごした次の日は、お邪魔虫の入りまくり。

 ピンポーン
「はい」
「おはようございます。今日は神のすばらしい」
「私が神ですが、なにか」

 ルルルル。「はい」
「おめでとうございます。私、株式会社○○の何とかと申しますが、このたび弊社で新製品の特別無料モニターキャンペーンを行っておりまして」
「何かのお間違いでは?そういったものに申し込んだことはないですけど」
「いえ、電話番号の無作為抽選で見事あなた様が当選されたわけでして」
 おめでとう商法かよ。「要りません。さようなら」ガチャ。
 ルルルル「もしもし、今電話した株式会社××のナントカですけれども、説明の途中で電話を切るなんてひどいじゃないですか」
「だから要らないといったでしょ。さよなら」ガチャ。
 ルルルル「もしもし、株式会社××のナントカですけれども、人の話も聞かないで一方的に電話切るって」
「だからいらん、って言ったしょ。しつこいね、あなたも。誰が電話かけてくれって」
「人の話を途中で聞かないで電話切るって、無礼じゃないですか」
「あんた、勝手にひとんちに電話かけてきて何いってんのさ。さいなら」
 ガチャ。こっちは睡眠不足で機嫌が悪いんだ。
 ルルルル「もしもし、あんたにあんたといわれる筋合いはないんだわ。失礼でないかい」
「誰が失礼よ、このごんぼ掘りのかまど返し。なんで俺が勝手に電話かけてきた奴の相手をしなきゃならんてさ。お前のほうが」
「お前とは何だ、お前とは!人の話も聞かないってはんかくさいんでないの、あんた」
「すったらこと言われる筋合いないわ!何おだってんのよ。調子こんでるんじゃねえ」
「誰が調子こんじよ、おんどりゃあ。調子こんじはあんただろうが」
「何お、このタクランケ。黄色い救急車呼んでやるから電話番号教えろ」

 と、まあ、方言丸出しで罵り合っていると、デュラハーンよろしく首を小脇に抱えたメイドロボ。お困りですか、と受話器を取り上げ、耳をしっかり塞いでください、と言うので訝りながらも言われるままに耳を塞ぐと、受話器に向かうや。
「GOESGOES@zTEA‘5―!」

 ガラスを引っかいたとも、黒板を引っかいたとも違う、今までに聞いたこともない高周波音が部屋を揺るがせ、ガラスがビリビリいいます。めまいを覚えつつ、差し出しされた受話器を耳に当てれば、おい、どうした、とあたりで慌てふためく声が。俺しーらない。そっと受話器を置きます。
「ヴォイス?」 これが話に聞くストン王国の最終兵器か?
「ヤンキーサーチです。周波数は変えていますが」
「なるほど」ビンをくらった潜水艦乗りの気持ちがわかったような気がするよ。
「よくやった。向こうは反応兵器が爆発したかと思ったんじゃないかな。」
「反応平気。ご主人様は、これで撃退できない痴漢はいないと言っていたんですが、まだ音量が十分ではありませんでしたか」
「いや。核兵器と書くと諸般の事由で出版拒否されるから、その代替表現だ。音量は十分間に合っていると思う」


 それにしても小脇に抱えられた首と話すというのはどうにも具合が悪くていけません。無名ジョークの墓石のレリーフには大変似つかわしいのかもしれませんが。
「首、はめ込めないの?」
「仕様です。」
 また仕様かよ。こいつ、エラーコード999が”仕様です”になっているんじゃないのか。どういう仕様だよ。
「ななちゃんの首を飛ばして遊ぶ悪人がでてくるかもしれないんだもん。
 人がいる方に首が飛んだら危ないし、何回もぶつかったらななちゃんの首も壊れちゃうんだもん」

 ネズミビーバーがひょい、と首をだし口調とは裏腹に筋の通った解説をします。そりゃそうだ。だがしかし。
「あー、すまないがどこか見えないところにいっててくれないかな」
「なぜですか」
「不気味なんだ。小脇に抱えられた生首が話すのが」
「身障者差別ですぅ。しくしく」
「お前はロボットだろうが!」


 あー、もう。朝からイライラさせられるぜ。こういう時はだな、癒し系のゆったりした音楽をかけてカモミールティなどすすりながら神代の時代の荒唐無稽なホラ話とか、UFOや宇宙人がどーたら、という与太話でも読んで嫌なことはきれいすっぱり忘れるに限るので、取りあえずお湯沸かそう。

 ぴんぽーん。「宅急便です」

 宅急便?はて、なんだろう。訝りながらもドアを開ければ「やいやい、さっきはひどい目にあわせやがったな。電話だからと思ってふざけたマネしやがって、そうは問屋が卸さないんだぞ、おらあ!」
 まじか。本当にお礼参りにきやがった。
「何いってんだ、てめえ。帰れ、この」
「すいませーん。これならいいですか」

 家にまでやってきた電話セールスの目がまん丸になったかと思うと悲鳴を上げて逃げていきます。後ろを振り返れば、三つ編みに編んだ髪で首を胸のあたりにぶら下げるメイドロボが。ま、そりゃ逃げるよな。
「うん。それならいい。よくやった。」

 本日2回目のDQNセールス撃退の功績を褒め称えつつ思うよう、これでウチは本物のメイドの幽霊が出るお化け屋敷で確定だな。ま、済んだことはしょうがない。
 ああと、いかん。やかんを火に掛けたまんまだった。

「たいへん。止めてきます」

 止める暇もなくカンガルー飛びするメイドロボ。たちまちけつまづいて転んだ先がたまたま開けっ放しだったクローゼット。中の物がななちゃんの上に雪崩れ落ちます。首が取れたせいで目測誤ったんだろうなあ。バランスも変わっただろうし。

「おーい、大丈夫か。」
「大丈夫じゃありませんけれど、火を先に止めてください。空焚きすると、やかんが駄目になってしまいます。」

 言われるままに火を止めに行きます。機械相手に怪我を心配したってしょうがない。それにしても見事なメイド魂。よくもプログラミングしたものだ、半ば呆れ半ば感心しながら火を止めて戻ってきてみると、事態は結構重大でした。道具箱が落っこちて、スキーが倒れてメイドロボの上に。ただでさえ首を飛ばしているところにこれで全く身動きとれません。大物を除けてメイドロボを引きずり出してみれば、右腕があらぬ方向にひん曲がっている。どういう勢いで突っ込んでいけばこうなるんだ。
「うわ。ロボットで良かったな。人間なら開放骨折だ。」
「ロボットでも重傷です。ショックでエアが抜けて動けません。」

 過負荷でギヤがひん曲がったり、シャフト折れたりするよりはマシだけど、これも設計の想定内なんだろうか。生首をこちらに向け直して会話しつつ、私は宗谷博士にどうやって言い訳するか考えていました。首は飛ぶわ、腕はひん曲がるわ、たった1週間のホームステイがどうしてこんな耐久実験になったんだ。
「わかりません。お風呂場に連れて行ってください。」
「風呂場?」
「応急処置です。それから、さっきお湯を沸かしたやかんを持ってきてください」

 首を捻りながらメイドロボを風呂場に連れて行き、それから台所にとって返してやかんを持ってくると、メイドロボに指図されるまま右腕をまくり、金属フレームに満遍なくやかんのお湯を掛ければ、ありゃあ、腕が元に戻り始めた。
「これは・・・」
「私のボディのほとんどは、これで応急処置できます。自転車の空気入れはありませんか。自動車用でもいいですけど」
「空気入れ?」
「エアサスが抜けたのでエアを補充しないと。それから石鹸水をつくってください」
「石鹸水?」
「空気を充填する前にあたしに塗って、空気漏れがないかどうか確認をお願いします」
 自転車のパンク直しかよ。それで風呂場だったのな。シャボン玉ができるくらいの濃度にシャンプーを薄めると、刷毛がなかったので輪ゴムで絵の具の筆を束ねてパーツごとにペタペタ塗っては空気入れを漕ぎます。圧縮空気使っているパーツってどれだけあるのやら。下手打つと関節の数全部?人間の関節っていくつあったっけか。
 内心うんざりしながら作業を繰り返すこと暫し、人間で言えば右鎖骨と肩甲骨の間のパーツからシャボン玉がふわーっと膨らみ、パチン、と消えました。やれやれ、ありがたや。
 天にまします我らが神と、これから生まれるであろうロボットの神に感謝を捧げつつ、ここから漏れている、と、いって漏出箇所を手で押さえたところで自分の愚かしさに気づきました。ロボットに圧点も痛点もあるわけねえべや。
「あたしの首を持って、場所を確認させてください」

 首が飛ぶのはそのためだったのかい。半ば呆れ、半ば感心しながらメデューサの首持つギリシアの英雄気分で首を掲げます。と、思ったらベリッと音がしてかつらから首がすっぽ抜けて落っこちた。
「あ、ごめん」
 床に斜めに転がって視線だけ恨めしそうにこっちを向くつるっぱげ生首。つむじと両耳の隣にマジックテープが貼ってあって、これでかつらを止めていたらしい。
「あー、ちょっと強度が足りないんじゃないかな、ベルクロの」
 照れ隠しにわざと冷静に言い添えます。グロといえばグロなんだけれど、アニメ顔なもんだから、どうしたって笑いのほうが先にきてしまう。
「そのように改善報告します。空気漏れ箇所を確認させてください」
「はい、はい」
「故障箇所を確認。隔壁遮断。漏出箇所をガムテープでぐるぐる巻きにしてください。」
「ガムテープ?」
「応急処置です。ちなみにテープはきれいに剥がれるようにコーティング済みです」


 といった具合に、宗谷研究所謹製メイドロボ。壊れてもお湯かけてガムテープ張ればとりあえず動きます。なんでも『戦場の蛮用に耐える』のがポリシーなそうで。
 それにしても確かに押し売りは追い返したけど、ご家庭って戦場なのか?”仕様です”と答えるばかりのメイドロボに、疑念はますます募るばかり。

             <日曜日に続く>
『マッド・サイエンティスト倶楽部へようこそ』

事例7 マッド・サイエンティストの夏休み(下の5)

 最終日、日曜日


「あらあ、意外と散らかっていないわね」と、部屋に入るなり宗谷博士。辺りを見回しながらのたまわったものです。
「もうちょっと散らかっていると思ったわ。やっぱりあたしのお守りのおかげかしら。」
「いやあ、私の護符のおかげだろう。」
と、こちらはマクバガイバー博士、メイドロボの服を脱がせて簡単な点検を始めます。お守りがどうのって、いったい何?あまりにマッド・サイエンティストやマッド・エンジニアに似つかわしくないんでないかい。

「ななちゃんは、自律エージェントなんだ。」
「自立エージェント?」

 咄嗟に私の頭に浮かんだのは、保険会社の社員でなければ、敵地で単独行動中のスパイです。代理人というからには復代理や表見代理でもいるのか。いやいや、ロボットは権利主体にも客体にもならない無能力者だから無権代理にすらならん。

「認知科学は知っているかい?」

 辛うじて”子供用の科学”で踏みとどまったようです。どうやら前に"新聞記者用の科学”までかみ砕いて説明されてむくれたのを憶えていてくれたらしい。
「名前だけなら聞いたことがありますが」
「まあ、そんなところね。人工無能、って知ってる。」やれやれ、やっと知っている単語が出てきたぜ。
「聞かれたことを言い返す単純なプログラムだけれど、ちょっとだけ会話する分には普通の人と会話しているように錯覚させるのよね。逆に言うと、機能をちょっとした会話だけに限定すれば、本物の知能と変わらないというわけ。
 チューリングテストは?」
 お守りのいわれを尋ねればこれで何やら禅問答めいていますが、まだついていける範囲だ。私は頷きました。
「人工知能の関連で必ず取り上げられるトピックだけれど、コマーシャルベースでは全くのオーバークオリティなのよ。」
「かくも能なしのために、かくも多くの優秀な人材と資金が投入された例はない。
あれだけの人と金を投資すれば、どれだけ立派な人間を教育できるかと思うんだが、科学者どもはエヘン」マクガイバー博士は、宗谷博士に微笑んで言葉を続けました。「相変わらずホムンクルスを作るのにこだわるんだ。
 ミロのヴィーナスや、サモロラケのニケがいつどこで誰が発掘したか調べるのに、検索という形で機械と対話をするのは、別に気にならない。しかし、その美しさとか、それを生み出したギリシア人の精神性を機械と語り合いたいと思うかい?機械の要求性能は人間と同じ必要はないんだ。」
「あるいは愛をね」
 イヤハヤ。紐付き研究やら成果主義研究から世界で最も程遠い、毎日好き勝手な研究し放題のこの二人が実用化云々言ってるよ。
「クオリアの概念に至ってまたseinとsollenの哲学論争。日本人には少ないけれど」
「ああ、日本人には、色即是空空即是色を感覚で理解しているところがありますから。」

 たまに突っ込んであげます。そうでないと話が神田の古書店街に読書人を放してしまったようなもので、東洋文庫の絶版を探しに行ったところが、学術文庫やサンリオ文庫を手に一杯提げて帰ってくる始末になりかねません。
「主観、客観の議論は、大いに結構。しかし、実際には見かけの知能があるように見えれば充分足りるし、人間が延々一つの話題で話し込む頻度は、日常生活では少なくて、大抵はその場その場の切り返しで終わっているものなんだ。
 ところで、ななちゃんのコントはどうだったかな。」
「ボケ役としては、まあまあの線かと。多少、理屈っぽいきらいはありましたけど」
 前日のハリセンラッシュを思い出しながら答えましたが、もちろんきゅーちゃんはそんなことは知らないので大層上機嫌。
「ななちゃんは、特定のキーワードに反応しているだけなんだ。でも、結構コントとしては成立していただろう。
 ボケ役というのは仕様だ。機械に突っ込まれてうれしがる人間はいないからね」

 笑いが可能な動物は人間だけだ、といったのは誰だったかしらん。メイドロボがギャグをかますのにはずいぶん驚いたけれど、事実は自分の意識をロボットに投影していて、その反射をあたかもロボット自身が言っているように受け止めていたに過ぎない、と言うことか。
「それで充分足りるのよ、実用品は。
 ながらく人間は、土偶とか、仏像とか、テディベアのぬいぐるみにそういうものを求めていたけど、今の時代、もうちょっとマシなものがあっていいんじゃない?立って歩いてしゃべる程度に。 それが自律エージェント。本物の知能があるわけじゃないけれど、取りあえず自分で動く」

 おお、マトモだ。アニメ顔して、キョンシーみたいに跳ねるメイドロボを作ったマッド・サイエンティストの言葉とは思えないほどに。そういうと、前にちゃんとそうした理由は説明したでしょ、と怒られました。で、お守りっていうのは?

「心理学の知能のたとえ話でね、目を突っつくと、カタツムリなら何度繰り返しても、目を引っ込めるだけだけれど、サルなら突っつかれそうになった時点で逃げるか怒って向かってくる、っていうのがあるの。
 だけど、カタツムリだって目を突っついているうちに、ただ目を引っ込めるだけじゃなくって、場所を動くとか頭の位置を変えるとか、違った行動するでしょ。」
「刺激に対して常に同じ反応するのではなく、たまに違った反応をする。それが有効な反応であれば、学習して憶える。人間でも普段普通にやっていることだ。」
「それがなにか?」
 当たり前すぎて、いちいち説明されるまでもありません。
「いつも同じ反応すれば、『機械的』だし、違った反応をすれば『知能的』。ここまではいいかな。」
 うへえ。今の質問で自分は”植物用の科学”にまで落ちぶれてしまったらしい。
「そこでコンピュータプログラム上、入力は同じなのに、出力が変わるためにはどうすればいいか」
「ランダム関数で」
「サイコロ振るのはそれはそれで有効だが、どこで仕掛ける?」
「さあ」そんなこといわれたって。
「もう一つある。バグだ。」
「はあ?」
「同じ刺激には常に同じ動作をするから機械。それなら、機械らしくなくするには、わざと間違えて作動すればいい。
ただし、その後に正しい動作ができるようにならなければならないが」
「するとなんですか?知性化は、試行錯誤の間違えるところから始まると?」
「失敗は成功の母、ということだな。♪バラが育つ バラが育つ 成功のバラが 失敗の灰から」
 節を付けて歌うきゅーちゃん。なんだっけ、これ。
「もちろん間違えっぱなしなら駄目よ。だけど自然界では、稀にその誤作動が正しい答になることがあります。さて、なんでしょう。」
「進化論の、突然変異?」
 二人の科学者は頷きました。ほっ。
「そこでななちゃんのプログラムはとってもバグが多くでるようにしてあるの」
 げっ。バグが仕様って、なんじゃそりゃあ。
「ななちゃんの体を動かすプログラムの原初は、自動掃除機のプログラムなのよ。何かにぶつかると向きを変えて、あちこちぶつかっているうちに床がきれいになっている、っていう。
 もっとも実際にお掃除させて進化させると、時間がかかってしょうがないからPC上で演算したけれどね。」
 二次元の簡単な障害物迂回から始まり、迷路、三次元、と条件が複雑化していって、演算に時間がかかりすぎるようになったので現実空間へとデビュー。
「突然変異で有効な行動を獲得すると、それをデフォルトにして、それまでのパターンはREMつけてお蔵入りして最適化。新しい行動を獲得するのは大切だけれど、先祖返りさせないことも大切なのよ。
 つまり、新しく物を憶えるには、古い物を忘れなければならないの。」

 そういや仏陀の弟子に箒を持たされた奴がいたなあ。法とは何ぞや、と師に尋ねたら、その考えが雑念だから掃き出せって。誰だったっけか? おっと、ボーアの楽しみを味わっている場合じゃない。
 バグだらけで誤作動の多い不良品。しかも大層忘れっぽく作ってある、というのがうろちょろするって、結構危ないんでないかい。
「そう。だからヴァーチャル空間から出たての頃は、ぶつかったり、立ちゴケして、実によく壊れた。
 壊れにくく作ること以上に直しやすく作ることが必要なことがわかったので、ななちゃんの構造材は、できるだけ手に入りやすい物で作ってあるし、修理もそこらへんのもので間に合うようにしてある。下手に出力が強くすると、物を壊すし、周りの人間も危ないので必要最小限に抑えた。
 放っておいても、転んだりぶつかったりしなくなったので君の家にホームステイさせたんだが、大丈夫だったようだな。」

 うえ。知っていれば丁重にご遠慮申し上げたぞ。被害はクローゼットの中だけどさ。それにしても、生まれつきのどじっ娘ロボって、もうちょっとなんとかできないもんなんですか。
「プログラムの自己進化が目的ですからね。パッチは敢えて当てていないし、いずれにしても、箸の上げ下げからいちいち人間がプログラミングなんてする気はないわ。
 基本的なところを作ったら、後はうまく成長してくれるのを見守るばかりというわけ。」


 そしてメイドロボの頭を開いてお守りとやらを見せてくれました。
 宗谷博士のが「根性 北海道 宗谷瑞穂」と書いた千社札。マクガイバー博士の方はというと、一枚の白黒写真で、分厚いセーターを着た男が写っています。なんじゃ、こりゃ。

「イギリスの科学者が万策尽きた時に祈るべき人物だ。サー アーネスト・シャクルトン。
『科学的な指導力ならスコット、素早く能率的に旅行するならアムンゼンが抜きんでている。だがもしあなたが絶望的な状況にあって、何ら解決策を見いだすことができない時には、跪いてシャクルトンに祈るがいい』」
「なるほど。それでこちらは?」宗谷博士に説明を求めます。
「国産ロケットが連続して打ち上げ失敗したことがあったでしょう。
 表沙汰にはなっていないけれど、あの時、実はとんでもない不手際があったのよ。」
「と、いいますと」
 これはこれは。思いっきり興味を駆られて続きを促します。
「ロケットを打ち上げるとき、ロケットの先端に寄せ書きをするのが習わしだったのね。
あの当時の宇宙センターの職員にFconjoのメンバーがいて、ロケットを打ち上げるときには必ず"Fconjo"って寄せ書きしていたんだけど、忙しくてついうっかり書き忘れたの。
 そうしたらロケットが規定高度まで達せず」
「うそぉ」
「その次もやっぱり書き漏らして、また打ち上げ失敗。ロケットに根性が足りなかったのよね。 やっぱり伝統は守らないといけないわ」



 と、いうわけでマッド・サイエンティストとマッド・エンジニアの愛と何かの加護に守られて、ネコ耳メイドロボ(どじっ娘仕様)は今日も元気に進化中です。その過程をご覧になりたい方は、ご一報を。
 ただし、私のように化け物屋敷の噂を立てられることもあるかもしれませんが。

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