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SF&F創作の部屋 作品コミュの煙

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煙

「煙の匂いが消えないんだ」
午後の喫茶店、珈琲豆の匂いが漂う中、1年ぶりにあった友人は開口一番私にそう言った。
「禁煙でもしているとか?」
私は、何の躊躇いも無く彼の前で点けてしまった煙草の火を、灰皿にその先端を押し当てて慌てて消しながら聞いた。
「違う」と彼は首を横に振って答えた。
私はまだ十分に長かったのに無駄にしてしまった灰皿のタバコを物惜しそうに眺めながら、「それじゃ、どういう意味で?」と聞く。灰皿に押し付けて消した煙草の煙が消え続けるまでの長いようで短い時間の間をおいて友人は答えた。
「実は人を殺した」
私は、煙草の箱からもう一本煙草を取り出して咥え、その先端に火をつける。こんな話を聞くのにはニコチンの助けが必要だ。
「私に妻がいたことを知っているだろう?」
知っている、「彼にはもったいなすぎる」と我々は皆、羨み妬んだものである。しかし……その彼女を、今彼が見ることは叶わない。
「奥さんのこと残念に思うよ」
私が言うと、彼は首を横に振って「事故死、ということにしているが、実は違う。」と悲しそうに答えた。
「妻の浮気に嫉妬した私が殺した……いや煙にしたんだ」
「煙に?」
私は友人の言葉に眉を潜めて首を傾げてみせる。そんな私に、自嘲的な笑みを口元に浮かべながら。
「何を言っているのか分からないか。無理も無い。だが、本当だ」
そう言って彼は、自分の横においていた鞄から、一冊の非常に古くて分厚い本を取り出して私の目の前に置いた。私は、それを恐る恐る捲ってみたが、そこには何が書かれているのか私には皆目見当がつかなかった。
「それは暗号文だ。それもヴォイニッチ手稿のような、ね」
伝奇小説の好きな私には聞き覚えがある名前だったが、覚えている限り現実主義の友人がその名前を口にしたことに私は驚いた。
「そこには人間をこの世界から煙のように消してしまう呪文が書いてある。この呪文を読解したのと、妻の浮気を知ったのは同じ頃だった。だから、私は思わず、その場の激情に駆られてこの呪文を口にしてしまった。もちろん、この呪文が本物だなんて微塵も思わなかったから、妻の姿が煙のように目の前から消えた時、私は驚愕し、そして自分の行いを後悔して、罪悪感と悲しさのあまりに胸が張り裂けそうになった」
だからだといわんばかりに、僅か1年の間に、彼は顔はもちろんのこと、その雰囲気もすっかり老け込んでいた。
「この1年、私の人生は後悔に苛まれ、心の痛みに耐える人生だった。涙に暮れなかった夜はなかったぐらいだ。だが、ある日突然私は気付いたんだ、体に纏わりつくようにして煙の匂いが私の周りに漂っていることに……妻は、煙になって消えたんじゃない。私の傍にいるということに……」
「……」
「彼女は怒っているのだろうか?悲しんでいるのだろうか?それとも私を呪っているのだろうか?。私は知りたい。なのに、それを知る手段が無いんだ」
私は暫く、悲しそうに潤んでいる彼の瞳をジッと観ていたが、やがて溜息を吐き「分かった」と答えた。
「君に必要なのは休養だ。だから休むんだ」
「私は……」
「休むんだ」
もう一度、今度は強い口調で言うと、彼は悲しそうに俯き、そしてカップに残った珈琲を飲み干し、挨拶もそこそこにおぼつかない足取りで席を立った。その背中を追いながら、私は「失敗だったか……」と舌打ちした。
1年前、確かに友人とその妻の結婚生活は上手くいっていなかった。破綻寸前だったと言って良かった。そして、そのことに友人はだいぶ精神的に参ってしまっていた。
「世間体、すぐに離婚と言うわけにもいかないんだ」
その言葉に、未練があるのだ、と考えた私は心療治療師を一人紹介することにした。そしてその治療師は、友人に一時的に暗示をかけることにした。
友人の妻が事故で死んだことにしたのだ。しばらく一人でいれば、その悲しさと寂しさのあまりに妻が狂おしいほどに恋しくなるだろうから、その時に暗示を解いてやれば良い……そう考えたのだ。だが、それは最悪の結末へと繋がった。
友人に暗示をかけたまま治療師が事故死してしまったのである。そして彼は悲しさのあまりに虚構の記憶を、自分を責めるための記憶を作り上げるに至った。私は慌てた、だが……時既に遅かった。
私はもう一本、箱から煙草を取り出して火をつけ、吐き出した煙の先に、今正に店の扉に手をかけている友人の背中を見た。その隣には、すっかりやつれ果てて細った彼の体を支えるようにして、甲斐甲斐しく彼を支えるその妻がいた。
二人の心は元の愛を取り戻したと言うのに、異なる煙が混じりあわないように二人はもう同じ世界で心を交わらせることはないのだ……ずっと、ずっと……

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