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RRA 普及・向上委員会コミュの農村開発における倫理の問題について

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私のマニュアル『RRA実践マニュアル(第3版)』では詳しく触れることができなかった農村開発における倫理の問題に関連して、最近読んだパウロ・フレイレ著(里見実訳)『希望の教育学』がなかなか刺激的かつ有用な示唆に富むものだったので、ここで簡単に紹介しておきたいと思います。

パウロ・フレイレによる『被抑圧者の教育学』は教育思想の古典として知られています。この本『希望の教育学』のほうは、著者が前著を「再読する」なかで、改めて彼が提示する論点や問題点を明らかにしながら、それらに対する諸批判について検討するとともに、さらに前著を通じた世界各地の人々との関わりなどについても記されたものです。

私はまだ『被抑圧者の教育学』のほうは読んだことがないのですが、この『希望の教育学』を一読して、フレイレは実は単なる教育思想家であるのではなく、優れた「社会変革のための思想家」であることがよくわかりました。実際のところ、それゆえに『被抑圧者の教育学』は、一部の独裁政権下の国において禁書の扱いを受けていたのでしょう。

この本を通じて私が理解し得たフレイレの社会変革のための思想は、だいたい以下の3つのポイントに要約できるでしょう。

1.「未然の可能性」を展望するために「世界を読む」ことの必要性

第一に指摘すべきは、フレイレは、識字教育は単に文字の読み方や書き方を学ぶだけにとどまらず、文章を読むという行為には、そのなかに含まれたイデオロギーを謙虚で批判的な態度で暴露することを通じて、「世界を読む」ことが含まれていると捉える点です。このように「世界を読む」ことを通じての「気づき」が、被抑圧者を歴史における主体とするための第一歩であるとしています。フレイレは、次のように書いています。

「『世界を読む』というのは、自分がおかれた閉じた状況、つまりそこを一歩踏み越えることで『未然の可能性』が見えてくる所与の状況を、ますます批判的に解読できるようになっていく、ということだ。」

ここで言う「未然の可能性」とは、アナ・フレイレによる注釈によると「ユートピアンにとって存在が知られているものの解放のための実践によってしか実現されえない何かであって、この実践を媒介するものとして、フレイレの対話的行為の理論はある」とされています。つまり、問題をはらむ現状について客観的かつ批判的に分析し意識することによって、初めてその問題を克服するための道筋が見えてくる訳ですが、そのための現状認識と変革のための実践行為には被抑圧者との対話を通じた相互理解が「未然の可能性」を実現させていくための前提となる──ということでしょう。

したがって、フレイレにとっては、識字教育は被抑圧者にとって自らを取り巻く(抑圧者側によって形成された)不公平な現状を変革していくための前提条件となるものなのです。

このように「世界を読む」ためには、被抑圧者が拠ってたつ「民衆知」を尊重し、被抑圧者を取り巻いているローカルな状況から分析を進めていかなければならないとされています。そして、自分たちを取り巻いている足元の状況から出発し、さらに上位のシステム階層に属する諸々の要素との相互連関を理解する必要性を説くのです。

2.決定論を克服するためのユートピアニズムの重要性

第二点は、ユートピアニズムの重要性についてです。抑圧者側のイデオロギーは常に決定論の装いをまとっています。すなわち、抑圧者は被抑圧者に対して「現状」への素直な適応を決定論の名の下において要求するのです。フレイレは、そのような抑圧者側のイデオロギーが被抑圧者に受け入れられやすい傾向にあることを認めながらも、そのような決定論的な思考を克服するためのユートピアニズムの重要性を訴えています。

「人間は歴史をつくる主体であると同時に、その歴史によって形成され再形成される客体でもある。そうして人間は、たんに世界に適応するだけではなく、世界に介入する存在たりつづけてきた。とどのつまり、夢もまた歴史を動かす原動力の一つだったのである。夢がなければ、変化はありえない。希望なしには夢がありえないように。」

前項でも触れたように、フレイレにとっては、ユートピアニズムは「未然の可能性」の前提条件となるものです。換言すれば、ユートピアニズムが行動の要件となると捉えることは、現実変革の過程において主観性の役割を重要視するということです。

しかし一方で、彼は主観性の役割を絶対視しているわけではありません。フレイレは主観主義と客観主義のそれぞれの落とし穴にはまる危険について指摘したうえで、それを弁証法的な視点を採用することによって克服していく必要性を以下のように説いています。

「われわれがまず認識しておかなければならないことは、『歴史の大道を歩む』のは、そう易しくはないということだ。実践にたいして『距離をとって』それを理論化する場合でも、実践にコミットする場合でも、その困難に変わりはない。一方において、客観性を過大に評価して、意識をそこに還元していこうとする誘惑があるし、他方に、意識を過大視して、意識こそは世界を意のままにつくり、つくりかえていく全能の力だと考えてしまう落とし穴が、われわれを待ち受けている。……(中略)……事実、弁証法的な視点にたつときのみ、はじめてわれわれは歴史における意識の役割を不当に大きく見積もったり、無視したりする誤りから免れて、正しくそれとして理解できるのである。だから弁証法は、意識を客観的な物質関係のたんなる『反映』とみなすことを拒絶するように求めるし、同時に意識を具体的な現実のありようを左右する決定的な力と考えることをも拒絶するのである。同時に弁証法的なものの見方は、ぼくが『被抑圧者の教育学』のなかでも、またこの論文のなかでも批判してきた『鉄の規則に支配された未来』という考え方とはぜんぜん両立しえないものであることがわかる。……(中略)……弁証法の立場にたつと、意識は、たしかにそれだけで現実がつくりだされるわけではないが、しかしぼくがくり返し言ってきたように、たんなる現実の反映ではない、という意味においてきわめて重要なものになるのである。教育が大きな意味をもってくるのは基本的にはその点においてである。ぼくのいう教育とは、ある教育内容を教授するということよりも、われわれの意識が多かれ少なかれそれによって拘束されている事実、ぼくが『金しばり』と呼んできた身体と精神の状況を生みだしてきた経済的・社会的・政治的・イデオロギー的・歴史的な諸事実を、その背後のからくりにまで踏み込んではっきりとさせていく認識行為を意味している。」

3.被抑圧者を社会変革の主体として位置づける必要性

第3点は、フレイレは一貫して被教育者(あるいは被抑圧者)を社会変革の主体として位置づけていることです。この被抑圧者の主体性に関して、恐らく最も明確に示されている部分は下記の記述であるように思われます。

「(前略)奴隷制の過去は、命令し威圧する領主の経験として、あるいは死をまぬがれようとして主人に服従する奴隷の卑屈さとしてあるだけではなくて、じつは両者の関係としてあるのだ。死をまぬがれるために服従する奴隷は、「服従する」というそのことが、かれにおいては闘争であることに気づくのである。そういう行動をとることによって、奴隷は生存をかちとるからである。この学びは人から人へと継承されて、抵抗の文化とでもいうべきものを根づかせていく。この文化には狡知がつまっていると同時に夢もはらまれている。外見的には順応しているようだが、その底に反逆への意志が秘められている。」

このような立場を踏まえて、第一点として指摘したように、文章に明示的あるいは暗黙的にすり込まれている抑圧者のイデオロギーを批判的に読み解く作業を通じて、被抑圧者は歴史における主体性を獲得し、社会変革の実践者となると捉えられているのです。

このようなフレイレの思想は、「被抑圧者」と「抑圧者」という用語を用いているためか、一般的にはマルクスの思想と同一視される傾向があるようです。しかし、私がこの本を読んでみて抱いた印象は、E.H.カーの『歴史とは何か』や『危機の二十年:1919−1939』で展開されているカーの歴史思想(つまり、ユートピアニズムとリアリズム、理論と現実、道義と力のそれぞれの弁証法的な関係)を思い起こさせるものでした。

それはおそらく、『危機の二十年:1919−1939』の扉に「これからの平和を担う人びとへ」と記したカーの思想と、世界各地で社会変革のために闘ってきた人たちを突き動かしてきたフレイレの思想は、人類に対する希望がその根幹をなしているという点で同じものであるからなのかもしれません。

また、ロバート・チェンバースのように二項対立を踏まえた形式的な弁証法的な議論展開のような「胡散臭さ」が感じられないのは、フレイレが「議論のための議論」ではなく、きちんと自らが体験してきた現実と向き合ったうえで議論を展開しているからなのでしょう。

セクターに関わりなく、途上国の開発に携わるすべての人に読んで欲しいと思わせるような良書だと私は思っています。

コメント(1)

河童のkantarrow さん

パウロ・フレイレの著作のポイントを分かりやすくご紹介頂きありがとうございました。いずれ読んでみようと思います。

パウロ・フレイレが、「被抑圧者」と「抑圧者」の定義あるいは区別を、どのように行っているのか興味があります。

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