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ベーシック・インカムコミュの公共通貨→ベーシック・インカム

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【転載】

「ベーシックインカム・実現を探る会」
http://bijp.net/

藤沢雄一郎
ゆういちろうのページ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~oyaoya/yomimono.htm
ベーシック・インカム
http://basicincome.progoo.com/bbs/?pid=basicincome&mode=topic


蘇るC・H・ダグラス
藤沢雄一郎
      (転載自由)

今の経済問題は構造的

景気は二番底になるかどうか懸念されている。しかし、もし現在の不況が経済の構造に問題があるとすれば、小手先の対処療法では解決せず底なしの景気後退になる可能性が高い。そして、実際今の経済には構造的で深刻な問題がある。経済は難しいなどと言っていられない。

実は、近代経済はその構造から必ず恐慌に陥ること、そしてその解決策を八十年も前に提示した人がいる。スコットランド人のクリフォード・ヒュー・ダグラスである。昭和初期には日本でもかなり研究され来日もしている人である。全国あるいは信州の各地で自由大学運動を始めた佐渡出身の思想家・土田杏村もダグラスの経済理論を熱心に紹介している。ダグラスはもともとエンジニアであったが、企業会計を調べている内に近代経済の矛盾に気づき解決策を考えた。現在でもその理論は充分通用するし、理論的・系統的な批判は知らない。エンジニアらしくマクロ経済をシステムとして捕らえている。
 
ダグラスによれば近代経済の根本的な問題は三つあるという。一つはオートメ化の進行で雇用が少なくなる傾向。二つ目は企業会計から見ると生産力・製品供給力に比べて人々の所得や購買力が必ず足りなくなること。三つ目は銀行マネーの問題である。
 
まずオートメ化の進行で雇用が減少する問題を見てみよう。例えばトヨタを考えると、二十兆円くらいの売り上げがあるにも関わらず正社員の数は七万人もいない。この計算でいくと、もしあらゆる企業がトヨタ方式で経営したら二百万人くらいでGDP五百兆円の生産高を稼いでしまうことになる。農業を産業として見るのは間違いだと思うが、私も作業受託も含めると一人で三町歩くらいの田畑を耕作している。昔は家族総出でも五反くらいが精一杯であったことを考えると省力化も極限まで来ている。こと生産現場においては機械化・オートメ化により全く少ない人数で足りてしま
うというのが現実なのだ。ではサービス産業が余った労力を吸収できているかと言うと、すでにその雇用数は横ばい状態になって久しい。この分野でも合理化やコンピューターなどによるオートメ化が進行しているのだろう。つまりあらゆる企業はまるで宿命のように人件費と雇用を減らす努力を続ける傾向があるのだ。我々はみな潜在的失業者なのだ。
 
次にダグラスは様々な企業の会計を調査して、企業会計は大きく見て人々の所得に繋がる労賃や報酬・配当などと、原材料費や設備投資・研究開発や利払いなどの経費に分けられると考えた。簡略化して人件費と諸経費としよう。両方を合わせたものが製品総額となる。企業利益というのは割合では意外に少なく無視して考えている。人件費と諸経費、双方の比率は違っていてもあらゆる企業にこの会計は当てはまるのだから、雇用などによる所得では全製品を買うことは不可能なのだ。一国を一つの工場と考えればわかりやすい。製品がすべて売れて始めて人件費と諸経費を賄うことができる。しかし、国民の総所得(人件費)だけでは製品の一部しか購入できない。諸経費の分だけ購買力が足りなくなるからである。また現代の人々の所得のほとんどが雇用によるものである点はダグラスの時代より顕著である。

考えてみれば当たり前のことではあるが、当時はまだ近代工業化社会の経済構造の分析は進んでいない古典経済学の時代であった。古典経済は自給自足的家族労働による自営農民や手仕事中心で徒弟制度の職人社会を基本としたものであり、諸経費や人件費はほとんど問題にする必要もない経済であった。余った物を売っていたとも言えるし、市場では需要と供給の関係で自動的に価格が決まり均衡するであろうという理論が通じる時代であった。しかし、近代工業化社会ではその理論は全く通用しない。労働者の総所得で総生産物を購入することは不可能なのである。必ず所得・購買力不足に陥り、放っておけばデフレと恐慌に行き着くであろう。だが、今でも価格は市場で自動的に決まり、生産と消費は自然に均衡するから国や政府が口や手を出すべきでない、という時代錯誤な意見は根強くある。
 
さらに利子つきの銀行マネーの問題が追い討ちをかける。工業化社会では初期投資やランニングコストは莫大なものであり企業の資金需要はとてつもなく大きい。例えば、製品を市場に送り出すには、研究開発や設備投資・原材料の購入が必要だし何ヶ月か何年か後に売り出す製品のために多くの労働者の所得を保証しなくてはならない。先立つものはマネーなのだ。言い換えれば将来は製品が売れるであろうという信用が不可欠である。それが銀行の信用創造という仕組みを肥大化させてきたわけである。手持ちの現金の十倍から二十倍、最近のカジノ経済においてはデリバティブなど
という金融商品は百倍近いマネーを無から創造している。不動産屋が架空の土地を売買すれば明らかに詐欺である。悪名高い街金でさえも手持ちの現金しか貸し出さない。唯一、銀行界だけが架空のマネーを創造して、その上利子を取る詐欺行為を公認されているのである。

近代工業化社会においては信用創造は不可欠なのだが、問題はその帳簿上の銀行マネーが私的利益のため利子つきで、しかも銀行の思惑に沿ってしか創造されないことである。だから、貸し渋りや貸し剥がし、株式や為替や土地投機などが常に行われる。金融は実は影の政府・実質的政府なのだ。初代ロスチャイルド財閥のマイアー・アムシュルは「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとそんなことはどうでもよい」とまで言っている。日銀は国が半分出資しているが、米英などの中央銀行はすべて民間銀行の出資で通貨と信用を支配・コントロールしている。民主主義など金融界の前では屁のようなものなのだ。実際、現在のマネーは利子つきの帳簿あるいはコンピューター上の銀行マネーが九割以上であり、私達が毎日馴染んで使っている札やコインはほんの数パーセントの割合しかない。国や自治体、企業や個人もこの魔手から逃れることはできないから社会全体が負債に覆われ身動きできなくなる。ギリシャだけでなく多くの国が財政破綻状態である。また、工業製品は数千から数万の部品からできているが、それぞれの部品を作る下請け企業も銀行マネーで運営しているから最終製品の価格には莫大な利子がつくことになる。価格の三分の一から半分は利子であると言われている。
 
 しかし、デフレや恐慌で経済が落ち込み格差がますます広がり、企業や自治体まで破産してゆくと、最終的には銀行そのものが自滅してゆく。資金需要がなくなるし融資が焦げ付くのだから当然のことである。アメリカでは地方の銀行を中心に恐ろしい勢いで銀行が潰れているという。金融界・財界の指令で政府も様々な小手先の対処療法を打っているが、経済構造を変えなければ焼け石に水なのだ。

経済成長と戦争

 以上の三つが恐慌の主原因であるとダグラスは指摘した。しかし、ここで今までの小手先の対処療法がどんなものであり、ダグラスの時代から百年近くも騙し通せたのは何故か、知っておく必要があろう。小手先の対処療法としては、経済成長とローン社会、自由貿易と戦争などがある。まずは耳に蛸ができるくらい言われ続ける「経済成長」である。新規商品の開発により新たな需要を作り出し、経済全体のパイを大きくすることによって雇用と消費の減少を食い止めようということだろう。地球の資源も環境にも限界があるのだから、無限の経済成長などあり得ないことは現代では常識ではなかろうか。例えかなりの需要を生む新製品が開発されたとしても、他企業も一斉に追いかけるのですぐに過当競争に陥る。最近のIT産業などはその良い例である。また、要らないもの、どうでもいいもの、危険なものも社会に満ち溢れる。
 
 次に、自由貿易・グローバル化で余った商品を他国に押し付けようとする。しかし、先進工業国はどこも同じような状況なのだから、貿易戦争から本当の戦争に繋がってしまう。古典的な戦争は、他国の資源や富を奪うために行われたが、近代では富や製品を他国に押し付けるために行われる、とダグラスは指摘している。実際、二つの大戦にはそういう側面が大きかったのではなかろうか。先進工業国がやらかした戦争なのだ。ニューディール政策がほとんど効果を生まなかったアメリカでは、第二次大戦によってようやく完全雇用を達成し不況から脱することができた。全くの浪費経済である戦争によってしか完全雇用など実現できないことの証拠ではないか。その戦争でさえ最近はオートメ化が進み、人間は機械の回りの雑用係みたいなものである。今は、グリーン・ニューディールがもてはやされているが、一般の人に購買力がないのに電気自動車や太陽光発電をいくら開発したところで限界は見えている。
 
 戦後、アメリカはこの戦争経済と自由貿易を進めてきたが、自由貿易は自国産業の衰退・空洞化を招いてしまった。そこで今度は、購買力のある中間層以上を対象とした贅沢品や金融商品などの開発と個人ローンを進めたが、その結果個人も借金だらけになり中間層の没落を招いた。もはや、小手先の対処療法もほとんど種が尽きたようだ。

国民配当という解決法

 では、ダグラスは近代経済の構造的問題をどのように解決すればよいと考えたのだろうか。これも三つの提案をしている。国民配当とパブリックカレンシー(公共通貨)と適正価格である。

 国民配当というのは、すべての個人に無条件に支給されるもので、ベーシック・インカムと考えていいだろう。前に書いたように、近代工業社会は必ず雇用が減少するし企業会計から見ても所得・需要不足は明白でありいずれ恐慌に陥る。雇用や労働とは切り離した所得を保証する国民配当によって所得の底上げをし、消費の落ち込みやデフレになるのを防ぐ必要がある。諸経費のなかの設備投資や研究開発、原材料や部品などは国民が幾世代も営々と築いてきた共有財産とみなし、現代の人々はすべてその配当を受ける権利があると考える。今更、火打石から火を起こす人も企業もいない。また、ダグラスは個人の自由を重要視してもいた。現代のワーキング・プアーや失業者などの増え続ける貧困層、あるいは正社員でさえリストラと過労死に脅えている状況を考えるとほとんどの人は経済・金融奴隷と言える。国民配当はこの経済奴隷制度からの開放を意味しており、社会主義ではなく自由主義に基づいた構想なのである。
 
 次にパブリック・カレンシー、公共通貨である。現代は利子付き銀行マネーによって動く負債経済であり、社会全体が負債に覆われてしまうことは指摘した。しかし、逆に考えれば、国が信用創造と通貨発行の権限を取り戻しさえすれば簡単に問題は解決してしまう。実際、戦前高橋是清がやった、国債の日銀直接引き受けは実質的には国による貨幣発行と同じである。これによって世界で最も早く恐慌から脱することができた。ダグラスも自分の考えた公共通貨と似ていると言ったそうである。また、ドイツのシャハト国立銀行総裁は労働財務証券という政府通貨を発行してわずか三年で破綻状況の経済を西欧最強にしてしまった。第一次大戦の莫大な賠償金により疲弊し破綻していた財政や経済を、金や外貨の裏づけも全くなしで立て直してしまった。これは現代においては通貨発行の裏付けはその国の生産力であることを示している。国民配当や国の信用創造による企業への融資は、それによって生産される財が国民によって消費されることで企業から国立銀行に戻り循環するのでインフレの心配はない。さらに、ほとんど利子なしで融資されるので製品価格は半値近くになる可能性もある。高橋是清とシャハトはともに国民の消費に結びつかない軍拡がインフレを招くことを指摘したため、暗殺・投獄された。
 
 最後は適正価格。これは消費税とは正反対の制度である。国民配当だけでは生産と消費のバランスが取れない場合、すべての製品やサービスを一律に割り引く制度である。小売店に割り引いた分の代金を国立銀行が直接支払う。古典経済では需要と供給のバランスにより市場で自動的に価格が決まるが、近代工業化経済においては人件費や諸経費により正当な価格はかなり高く固定的になる。そこで国が一律に割り引くという発想ではなかろうか。
 
 以上の三つの制度は、国立銀行がマクロ経済の分析に基づいて行い、生産と消費を均衡・一体化させることを目指すものである。国立銀行の業務は、あたかも気象庁が様々な観測によって気象情報を発表する作業に似ている。

恐慌克服の政治は可能か?

 以上がダグラスのマクロ経済の改革案である。今でも基本的には通用する理論であろう。ケインズ経済のユニークな所はほとんどこのダグラスの理論から導いたものではなかろうか。こうしたマクロ経済からの改革・民主化が進まない限り、私達の民主主義への努力はすべて徒労に終わるであろうし、国民が築いてきた富の恩恵を享受することもできなくなるだろう。

 また、現在の政党政治や議会制度・官僚機構といった政治の仕組みは、銀行マネーや経済発展を前提とした近代工業経済の矛盾を抱え、それに基づいて主にイギリスで作られた制度である。一旦、その経済が行き詰まると最早なんの解決策も見出せず迷走するだけなることは世界の政治状況を眺めるとわかる。機能不全に陥った政治システムをどう変えるか、その見通しは今のところほとんどないし、残念ながらダグラスの考察もそこまで及んでいない。
 
 しかし、通貨と信用創造を公共制度とすると、財源の問題は全くなくなる。財政規律とか歳入・歳出といった言葉は無意味になる。デフレ・インフレ規律が主要な論点となるから、マクロ経済を知らない政治家は不要になる。極言すれば無限の財源があるのだから、国民配当は言うに及ばずその他の政策も公共通貨で行うことができるので、財務省や各省庁に政治家や国会が牛耳られることもなくなる。教育や医療・福祉の無料化も充分可能であるし、将来の不安が少なくなれば貯蓄や投資から消費へとマネーの使われ方は替わる。さらには、わずかな利子により税金を基本的に廃止することもできるだろう。デフレ不況時の徴税や公共料金の値上げは人々から購買力を奪う愚かでマクロ経済オンチがすることである。
 
 もちろん、信用供与・通貨発行も公開・公平・公然・参加の民主主義の原則に沿って行われなければならない事は言うまでもない。国民の大多数が納得するものでなければ公共通貨は使えない。南米では自治体の予算や決算を住民が直接参加して決めたりする動きが広がっているという。また、イスラム金融は戒律にそって利子を禁止しているが、その銀行運営にも市民や聖職者・専門家などが参加している。アメリカ各州の財政はほとんど破綻しているが、ノースダコダ州だけは健全財政である。それは唯一州立銀行を持っているからである。
 
 お金はもはや私達の生活になくてはならない空気や水と同じようなものになってしまった。公共制度と考えるしかない。とりわけ現代では交換ではなく分配の道具として重要な意味を持つ。ダグラスはお金を切符のようなものだと言っている。切符はただ持っているだけで増えたりしない。使われない切符はただの紙切れである。現代ほどダグラスの理論や思想が必要とされている時代はないが、実現の可能性はまだほとんど見えてこない。恐慌という人工的な大津波に人類は襲われようとしている。緊急避難としての地域通貨も視野に入れておく必要もあるかもしれない。

コメント(68)

>28
お気をつけて。
リンク先は政府紙幣に関するものですので特にBIには触れていませんが、政策として政府紙幣を考える場合、>23よりは参考になる論文だと思います。
http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf
ですが、
P5で「政府紙幣」という「紙」を、物理的に市場に流通させる手法で悩んでおり、
「郵便局における貯金の払い戻しなどに政府紙幣を用いる」ようなことを論じていますね。
また、ヘリコプターマネーについて、
「所得税の減税や抽選などによって対象者を選び、その対象者に政府紙幣を配布する」
と、対象者選定に悩んでいます。

BIの議論では、政府紙幣は、財言論として語られがちですが、
この論文を書かれた方の悩みの解決「手段」として、BIは優れていると思います。
>30
特段悩んでるような文章でもないと思いますが、論文の題とご指摘の文を引用します。『』は私が付けました。


政府紙幣発行の財政金融上の位置づけ
―『実務的観点』からの考察―

「政府紙幣を発行する第三の方法は、政府が日本銀行を経由せず、直接市中に対して発行する方法である。……国の支払いの多くは銀行口座への入金により行っているので、新たに現金で支払うことができるような『事務体制作り』をしなければならない。これを『全国ベースで確立するのは非常にコストのかかる方法』である。したがって、一般的な支払を政府紙幣で行うというよりも、郵便局における貯金の払い戻しなどに政府紙幣を用いるような方法が考えられる。このような方法をとれば、政府紙幣の流通高を急速に増やすことはできないものの、『事務的にはよりスムーズに』紙幣を流通させることができる。……」
「いわゆる「ヘリコプター・マネー」という考え方がある。……これは政府が紙幣を直接発行するひとつの典型的なやり方である。実際には、所得税の減税や抽選などによって対象者を選び、その対象者に政府紙幣を配布することなどが考えられる。『配布の仕方が実務的に難しい』が、その問題は別として、……」


政府紙幣配布について、引用上段は事務的・実務的観点から現実的な方法を論考した部分です。
下段の減税や抽選は配布の「名目」例として出したもので、それがBIであろうと「名目」自体は重要でも論旨に関わってくるものでもなく、また『実務的に』配布の仕方が難しいという問題を抱えているのも変わりません。

この論文は政府紙幣を発行するとはどういうことか、どうなるかを論点としており、BIの政府紙幣財源論を考えるのに参考になるだろうと思います。
政府紙幣の発行目的が正当なものだったとしても、
>事務的・実務的観点から
無理であれば、絵に描いたもちです。

一般論として、「改革vs保守」的な構造の論争は、「抽象論的正論」vs「手段の不備」であることが多く、
改革派の提示する「手段」が稚拙なことをもって、保守派は正当性を確認しますし、
改革派が革命的に流行ると、その稚拙さで社会が混乱するわけです。

政府紙幣の発行目的が正当なものだったときに、電子マネーBIは、きわめて優れた手段だと思います。
もちろん、そのBI額は、政府紙幣の発行目的の範囲内の額になり、それでだけで生活できるかどうかの保障のある類のものではありませんが。
>32
あの論文をもとに何を論じたいのか、論点が見えてこないんですが…。
政府紙幣を電子マネーで発行し、それをBIの財源とする方法を論じているのだとは思いますが、何に対して、何と比べて、どういった基準から、優れていると考えるのか?
また優れているのはBIなのか、政府紙幣なのか、電子マネーなのか?
発行目的が仮定でありながら、なぜ優れていると言えるのか?
根拠や思考の経緯などをもっと具体的に論述していただかないと、その主張が分からないので有意な反応が出来ず、誤解している(と思われる)箇所を指摘するしかできません。
細部の引用は論点がぼやけるので結構ですから、全体に対して論じて貰えればと思います。


それから31を読み返してみると、私が言葉足らずだった部分がありますので補足します。
この論文は政府紙幣を発行するとはどういうことか、どうなるかを財政金融上の視点から帰結的に論考したものです。
具体的な民間への配布の方法や名目はあくまで例で、紙幣の流れをイメージするための説明的な文章でしかありません。
ですので配布方法や名目を論点に優劣を論じても、それはこの論文の主旨を反映したものにはならず、的外れな指摘にしかならないのです。
1.はじめに より抜粋
「政府紙幣の発行については、これまではその必要性や効果を主張するあまり、実務的な観点からの精緻な議論が欠落している嫌いがあった。そのため政府紙幣の発行がきわめて特殊な効果をもつかのような錯覚に陥る危険性があった。政府紙幣の発行には、一国の通貨制度の変更のみならず、金融政策の日本銀行への一元化や国債の日本銀行引受けの禁止、あるいは政府資金を統一的に管理するという国庫統一の原則に修正を加えることになることから、制度の大枠にかかわる議論が必要である。しかし、実務的な検討が欠けていては、どのようなやり方をするとどういった大枠に抵触するかがわからない。本稿は政府紙幣の発行にかかわる実務的な側面に焦点をあて、その金融面や財政面における基本的な性格を分析し、その位置づけを行うことを目的としている。ただし、政府紙幣の発行に賛成するか反対するかといった判断を行うことは目的としていない。本稿は上に述べた大枠にかかわる議論のためのひとつの重要な材料を提供することになる。」
>この論文は政府紙幣を発行するとはどういうことか、
>どうなるかを財政金融上の視点から帰結的に論考したものです。
その点は理解しております。

>あの論文をもとに何を論じたいのか、論点が見えてこない
論じたいことは、32そのままなので、
>政府紙幣を電子マネーで発行し、それをBIの財源とする方法
を論じたいわけではありません。
まあ、矮小に表現すると、

・政府紙幣は紙である必要はなく、電子マネーでもいいのではないか
・「配布の仕方が実務的に難しい」というが、BIであれば難しくないのではないか

というところでしょうか。論文が
>政府紙幣の発行にかかわる実務的な側面に焦点をあて
と主張しているので、述べたまでです。
>35
おそらく理解しましたが…やはり論文とBIとの関連という観点からは論点が的外れという印象です。
少なくとも論文を受けて考えるべき重要な点ではありませんので。


改めて言いますが論文内容は政府紙幣についてであり、それからすればBIであろうとただの名目でしかなく、全国に流通させ現実に使用できるようにするという条件以外に意味はありません。
その条件を鑑みれば、例話が子ども手当や減税を政府紙幣で、という仮定でも量的な困難さは違えど質的な困難さはそう変わらないでしょう。
つまり、
>「配布の仕方が実務的に難しい」というが、BIであれば難しくないのではないか
という主張はおそらく通りません。
むしろ都市圏から段階的に配布などの効率的な手段がとれない可能性が高く、政府紙幣が紙の場合は流通という意味では質・量共に大変な部類に入るかと思います。
書いてる途中で気づいたのでここに書きますが、論文中の「配布の仕方が実務的に難しい」とは配布の名目(減税やBIなど)が難しいと言っているのではなく、実際に通貨を手元へ送る手段が難しいという問題はあるが、という話ですが勘違いされてませんよね?

では電子マネーではどうか。
>政府紙幣は紙である必要はなく、電子マネーでもいいのではないか
これは結局、
1.政府紙幣を印刷し全国へ輸送・流通させるコスト
2.電子マネー決済が全国規模で通貨インフラの中心となれるようシステムを構築するコスト

を比較していることになります。
2で政府紙幣を活用するためにはさらに、日銀券と政府紙幣を帳簿上分けられるようなシステムにする必要があるでしょう。
これは素人では優劣の判断が難しく、専門家の方に大まかにでも試算してもらうしか比較のしようがないと思います。
ただ時間的には2で政府紙幣の場合より、1の方が短期で実現するのではないかと思いますが、あくまで素人意見です。

以上から政府紙幣とBIは、電子マネーで導入したとしても日銀券と比べて親和性や効率性が高いとは言えず、政府紙幣にとってもBIにとっても互いが後押しになるとは言い難いと思います。


結局BI実現という観点で考えるなら、税や国債による日銀券配布の方が実現は容易でしょう。
そこで考えるべきはそれでも政府紙幣を支持するかどうかであり、その問題を考えるのに、
>その金融面や財政面における基本的な性格を分析し、その位置づけを行うことを目的としている
というこの論文がこの場で扱われる意味があると思うのです。
>改めて言いますが論文内容は政府紙幣についてであり
そこは認識が一緒です。
>的外れという印象です
少なくとも、私はあの論文について的外れかどうかには興味がありません。
>政府紙幣の発行にかかわる実務的な側面に焦点をあて
に興味があるだけです。
そして、「政府紙幣の発行」が紙ということから来る制約は、政府紙幣の制約ではなく、紙ということから来る制約であるというのが私の主張です。

>勘違いされてませんよね?
そこは、読み間違いしてましたね。
なので、言い換えると、「減税」という選択肢は、インフレが予想される政府紙幣発行下において、高額所得者に厚く恩恵を与えるものに対し、BIは、低所得者のインフレ耐性を向上させる。
ぐらいにしておいてください。
>37
私は政府紙幣が紙であることでの制約には興味がありませんw
政府紙幣発行が合意に至った場合、その媒体が紙であろうと電子マネーであろうと大変さはあってもできなくはないからです。
それにどちらの方が実施しやすいかは専門家の試算を参考にでもしなければ判断できませんし、>36で書いた通りどちらでの実施と比べても日銀券の方が実務的には容易でしょう。

政府紙幣の発行を考える上では紙からくる制約はあったとしても大した制約ではなく、政府発行であるがゆえに持つ制約の方が遙かに重要かつ強力なものです。
また論文が考察しているのも後者ついてで紙についてではなく、紙についての主張でこの論文を引用するのは不適切でしょう。
後者を考えることなく前者を語っても、それこそ絵に描いた餅だと思うので後者についての考えをお聞きしたいのですが?
それとも論文からは政府発行そのものへの興味は湧きませんでしたか?
>政府発行であるがゆえに持つ制約の方が遙かに重要かつ強力
だとしても、あの論文は、紙から来る制約について書かれていますから、
「それは、政府発行故の制約ではない」というのが、あの論文に対して私が述べたことです。
>論文が考察しているのも後者ついてで紙についてではなく
と考えているのは、COMさんで、私の意見は違います。ですが、
>>少なくとも、私はあの論文について的外れかどうかには興味がありません。
ので、平行線でいいと考えています。
以前書いたこととも重複しますが、その主張を裏付ける、あるいはその結論に至った思考の経緯を論述して下さい。

そしてその主張を元に考えた場合、論文の何がどう否定、修正され、政府紙幣発行の財政金融上の位置づけにおいてどういった結論になるかを示して下さい。

参考まで
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf07/7-321-332-oshima.pdf
http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf

8. おわりに
これまでみてきたように、政府紙幣の発行は無利子永久国債の日本銀行引受けとほとんど同じ効果を持つ。そして、政府の得る通貨発行益は、日本銀行から政府への所得移転であり、その額は日本銀行の通貨発行益の前倒しに等しい。また、こういった財政金融上の効果は、政府紙幣を日本銀行が保有する場合のみならず、紙幣が市中に流通している場合でも同じであることもすでに述べた。結局のところ、政府紙幣の発行にはメリットもデメリットもあり、政府紙幣の発行が何か特別な効果を持つという幻想からは脱却しなければならない。
政府紙幣発行の効果を分析するには、?実質的に国債の日本銀行引受けであること、?その国債が無利子永久であること、および?それ以外に生ずる効果の三つに分けて考えるとわかりやすい。?については、日本銀行はその効果をいつでも相殺することができる。引き受けた国債を市中に売却するなどすればよい。しかし?については、日本銀行の財務面に与える影響が大きく、日本銀行の業務の運営には大きな制約となる。?は、政府紙幣は国の債務残高に含まれないという特徴や、政府が直接紙幣を発行する場合には一時的な現金の過剰状態が生じ、その間に景気や物価に良い影響が及ぶ可能性があることなどを意味する。
政府紙幣の発行によって実現しようとする効果には、日本銀行が行おうとすればすぐにでもできることが含まれている。たとえば、現状においても日本銀行が必要と思えば国債を市中から買い上げることによって実質的に国債の引受けと同じことをすることができる。また、現金の一時的過剰状態は、日本銀行券を支払手段に使うことによっても実現しうる。したがって、政府紙幣発行の提案が登場する背景には、政府からみて日本銀行がやるべきことを十分にしていないという認識が潜んでいると考えられる。そのように考えていくと、日本銀行の機能をどう考えるか、政府と日本銀行との関係はどうあるべきかという根本的な問題に突きあたらざるを得ない。本稿の守備範囲を超えるが、政府紙幣発行の是非を議論する場合には、このような点について別途さらに掘り下げた議論が必要であると考える。
ところで、
>実質的に国債の日本銀行引受けであること
>政府紙幣発行の提案が登場する背景には、
>政府からみて日本銀行がやるべきことを十分にしていないという認識が潜んでいるほ
とかかれていますが、一部のおかしな政府紙幣論者、例えば「打ち出の小槌」な事をいう人のイメージが強すぎるのでしょうね。

普通の政府紙幣論者は、「国債の日銀引き受け」と同等であると十分知っており、それでも良いんですが、それこそ、政府紙幣と同等なので、表現としてどちらが適切かという問題なんですよね。で、政府紙幣の方がわかりやすいでしょ?それだけの話なのに、政府紙幣否定論者って、どれだけ上から目線なんだと思いますよ。
また、Bi系政府紙幣論者には、米国でのクレジットカード式のフードスタンプが念頭にあって、身分証明書を兼ねる電子マネーによるBIということを考えると、発行体は日銀よりも政府の方がよいのではないかという意識もありますよ。
>42
>、「国債の日銀引き受け」と政府紙幣と同等なので、表現としてどちらが適切かという問題なんですよね。

これが根本的な間違いなんです。私が今政府紙幣を否定しているのは、表現の違い以上の現実的な意味があるからですよ。
そしてその意味に対する、ま@労働党さんや政府紙幣論者の有意な考察を期待しているんです。
確かに論文は「打ち出の小槌」に対する危惧として作成されたのでしょうけど、「政府による通貨発行」が持つ現実的な意味が考察されてない意見は結局、「打ち出の小槌」な事を言うのとそう変わらないんですよ。


1.通貨発行(信用創造も含め)は必ず誰かの負債として計上されること。
2.国債は政府の負債になるが、政府通貨は最終的に日銀の負債になること。
3.日銀の負債の増大は金融政策や通貨の信認などに重大な影響を及ぼす恐れがあること。

1はこのトピで私が主張と言うか説明を試みてきたことです。
2と3は論文(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf)において考察されたことです。

>一国の通貨制度の変更のみならず、金融政策の日本銀行への一元化や国債の日本銀行引受けの禁止、あるいは政府資金を統一的に管理するという国庫統一の原則に修正を加えることになる

>?その国債が無利子永久であること
>?については、日本銀行の財務面に与える影響が大きく、日本銀行の業務の運営には大きな制約となる。

そして論文ではそれらを含めて政府紙幣を考える場合、

>日本銀行の機能をどう考えるか、政府と日本銀行との関係はどうあるべきかという根本的な問題に突きあたらざるを得ない。本稿の守備範囲を超えるが、政府紙幣発行の是非を議論する場合には、このような点について別途さらに掘り下げた議論が必要であると考える。

と結んでいます。


要するに、電子マネーによるBIを行う場合それは財政政策であり、政府が行うのは行政の責任者として当然だと思います。そこに認識の違いはありません。
しかし財源に政府通貨という話になるとそれは金融政策の範疇に当たり、電子マネーともBIとも違う議論が必要になるんです。
もう一度お訊ねしますが、政府紙幣について金融的な観点からの考察はありませんか?
無いなら無いという返答で結構ですので。


参考までに
セントラル・バンキングの一般原則
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/374/oguri.pdf
我が国の国庫制度について
http://www.mof.go.jp/finance/f1706c.pdf
国庫金における債務管理の考え方について
http://www.mof.go.jp/singikai/saimukanri/siryou/ksk003c1.pdf
私は政府紙幣(や国債)は、資産税の一種だと考えています。
なので、
>表現の違い以上の現実的な意味
に関しては、国債は「負の宝くじ」的資産税、すなわち、「デフォルトしたら、国民の預金資産が吹っ飛ぶという形」での税であり、政府紙幣は、「インフレ分だけ毎年徴収する」税であるということでしょうか。
普通は、「デフォルト=税」なんて見方はしませんから、「デフォルトしないように、増税」とかいう話になるんですけど、私は、どうせ増税するなら、「政府紙幣によるインフレ」という形で行うのがいいのではないかと考えたんです。
要は、個人資産1500兆なんて言ってますけど、国債発行による隠れた増税により、本当はそんなに残ってないはずなんです。デフォルトするまで見えないだけなんです。
>44
>国債「デフォルトしたら、国民の預金資産が吹っ飛ぶという形」での税
>政府紙幣「インフレ分だけ毎年徴収する」税

この二つの何が比較されてるかを整理します。
前者で論じられている国債は市中消化が前提でしょう。
そして今まで述べたように、政府紙幣の発行は国債の日銀引き受けと実質的に同じです。
つまり上記二つの比較は、
A.国債の市中消化
B.政府紙幣≒国債の日銀引き受け
を比較していることになります。
これは国債の市中消化と日銀引き受けを比較しているのであって、政府紙幣の必要性や有効性、国債との違いなどを論じる内容にはなりません。


43で述べたことと重複しますが、論文によって指摘された国債と政府紙幣との違いとそれが持つ現実的な意味とは、
>2.国債は政府の負債になるが、政府通貨は最終的に日銀の負債になる
>3.日銀負債の増大は金融政策や円通貨の信認などに重大な影響を及ぼす恐れがある

ですので政府紙幣を考える上で必要なのは、政府の負債、日銀の負債にはどういう意味があるのか?日銀の役割は何なのか?それは政府が行うべきものなのか?
という通貨制度や金融政策の枠組みについての考察なんです。



以下は本題ではありませんが、気になったのでコメントします。
>要は、個人資産1500兆なんて言ってますけど、国債発行による隠れた増税により、本当はそんなに残ってないはずなんです。デフォルトするまで見えないだけなんです。

お分かりだと思いますが国債と税は違います。
政府へのお金の流れを見ますと、税は民間→政府への一方通行ですが、国債はお金の流れと反対方向に債権が渡り、金融資産(換金できる権利)として計上されます。
逆に政府の支出は民間への一方通行で、税も国債も違いはありません。
お金の流れが一巡した場合を比べますと、税は納税分が分配されるだけなので最初と違いはありません。
国債の場合お金は税と同じで最初と同じ状態になりますが、民間は債権を、政府は債務をそれぞれ持ち、それぞれが資産(負債)として計上されます。

政府からのサービスは同じ。数字は適当。
総資産(民間500+政府0)=500
税100の場合:
納税後…民間資産500−100=400、政府資産0+100=100
分配後…民間400+100=500、政府100−100=0
民間の政府から受けたサービス100

税50+国債50の場合:
納税・国債発行後…民間資産500−50−50=400(+50債権)、政府資産0+50+50=100(−50債務)
分配後…民間400+100+債権50=資産550、政府100−100−債務50=資産−50
民間の政府から受けたサービス100

ごくごく単純化してますが、これが表わすのは国債の発行によって民間資産が減ることは無い(むしろ増える)ということです。
ちなみに個人資産(家計部門の資産)の半分以上は預貯金、次いで多いのは保険・年金準備金らしいですよ。

内閣府統計 平成21年度国民経済計算より
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h21-kaku/21ss61_jp.xls
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h21-kaku/23annual-report-j.html
>これは国債の市中消化と日銀引き受けを比較しているのであって、
>政府紙幣の必要性や有効性、国債との違いなどを論じる内容にはなりません。
なるほどね。そうきますか。こちらとしては、「国債の日銀引き受け」とは、政府紙幣なので、国債じゃないんだけど、論理的には逆も真なりということですか。

>3.日銀負債の増大は金融政策や円通貨の信認などに重大な影響を及ぼす恐れがある
は、それこそ(=M2+CDと、円安)が政府紙幣の目的ですからね。たぶん論文は、政府紙幣を財源と看做すグループに対してかかれているのだと思いますけど。

>2.国債は政府の負債になるが、政府通貨は最終的に日銀の負債になる
文脈的には、政府紙幣の優位点を否定するために「国債も政府通貨も、負債になる点はかわらない」と言っているだけですから、そもそもその点に優位性を主張していない政府紙幣派にとって、正直どうでもいいことです。

>民間資産が減ることは無い
デフォルトすると、550あると思っていたのに、500になりますから、税100と同じではありますね。
長いですがこれも参考になる論文だと思います。
読むのに疲れたw

中央銀行券の債務性と政府紙幣の特質に関する研究
http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/WP/No126.pdf
>46
論旨が今一つ伝わっていないようですね…
全体の文章から一部だけを引用しそれに対して反論・コメントされても、全体では論としての体をなしていないので結局何が言いたいのか分かりません。
引用されてるのが結論や要約部分ならまだ伝わってると思えるんですが、説明的な意図で配した文章にコメントされても…失礼ですが感想文的なコメントに思えますし…。
私が >45 で一番言いたいこと、応えて欲しいことは、↓(以下●)なんです。

>政府紙幣を考える上で必要なのは、政府の負債、日銀の負債にはどういう意味があるのか?日銀の役割は何なのか?それは政府が行うべきものなのか?
>という通貨制度や金融政策の枠組みについての考察なんです。



以上が本題で、次は >46 に対する主に>45の説明と補足説明です。

国債の日銀引き受けと政府の通貨発行とは違います。違いますが、国債の市中消化よりも日銀引き受けの方が近いのは事実ですので、国債と政府通貨を比較されるなら国債の市中消化より日銀引き受けと比較した方が適切で、より深い考察ができるでしょう。
ただ無利子・無期限国債の日本銀行引受けならより政府通貨に近い(というよりほぼ同じ)のですが、それでは現行体制での「国債」の性質が失われるため、比較に適さないと考えます。


そして国債の日銀引き受けと政府通貨を比較した違いの一つとして、
>2.国債は政府の負債になるが、政府通貨は最終的に日銀の負債になる
があり、さらにそれが進んだ場合の現実的な意味として、
>3.日銀負債の増大は金融政策や円通貨の信認などに重大な影響を及ぼす恐れがある
と論文では考察されています。
だから●についての考え、論文内容は妥当か、通貨政策的には政府通貨は適正なのか、あるいはどういう条件・制約が付けばBIの財源として適正になるのか、などを考える必要があると思うのです。

ちなみに円通貨の信認への危惧とは、規律的・安定的なインフレや為替変動のことではなく、政府紙幣の通貨政策としての不適切さが市場に混乱をもたらすのではないかという意味での危惧です。それは政府通貨の目的ではないと思うので一応補足です。
もう一つ補足すると論文(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf)は
>(=M2+CDと、円安)が政府紙幣の目的
と考える論も視野に入れて書かれているようです。それについては論文の 1.はじめに に書いてありますので。


最後に >46 の違和感を覚えた箇所について。

>文脈的には、政府紙幣の優位点を否定するために「国債も政府通貨も、負債になる点はかわらない」と言っているだけですから、そもそもその点に優位性を主張していない政府紙幣派にとって、正直どうでもいいことです。

違いがあることと日銀の負債になること以外の文意を込めたつもりはありませんよ。そこは誤解です。
市場全体への通貨政策としては不適切だと思ってますが、政府通貨が政府債務にならないことは、政府にとって、そして政府債務が膨らむことに不安を覚えたり、政府の財政健全化を主張する人にとって国債発行より優位という考えを否定はしません。出来ればそれがより良い考察や政策案に繋がることを期待してます。

それと政府紙幣を主張・支持する人の中では、政府債務にならない点を支持する理由に挙げられることが多いのも事実でしょう。
ま@労働党さんがその点をどうお考えかは存じ上げませんでしたが、>44 の比較されてる箇所にて国債のデフォルトし得る点へ言及していることと、また個人資産が抱えている国債デフォルトリスクへの言及は、国債の政府債務性を問題視されている証左ではないかと思います。
ですので優位性をどうお考えかに関わらず、もし債務性の問題そのものをどうでもいいとお考えなら政府通貨を考える上で不十分ではないかと思いました。
リフレ派にとって、政府紙幣は、マネーサプライや円安を導くための手段であって、目的ではありません。
だから、彼らにとって、論文(http://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron086.pdf)の存在とは関係なく、「政府紙幣=国債の日銀引き受け」です。

まあ100歩譲って、双方を比較するのであれば、「デフォルトしない」という仮定の国債と、政府紙幣を比較するのではなく、デフォルトする国債と、政府紙幣を比較すべきだと思います。なぜなら、プライマリーバランスが云々とか、増税とか主張する人がいることの裏には、「このままだとデフォルトしちゃうのが確実」という認識が存在するわけで、プライマリバランスが均衡する兆しがない時点で、「デフォルトしない」と仮定してしまうのは、ずいぶん恣意的な感じがするからです。
>49
リフレ派の話なんてしてませんが…
その場合の=とは政府発行紙幣によるマネーストック増加の後、最終的には国債などの手段で用意した日銀券にて政府紙幣を回収する、といった政策案を踏まえての=なら分からなくはありません。
しかし債務性の違いを考察せず同一視しているなら、それは単に認識が浅いだけだと思います。


そもそもデフォルトとは何でしょうか?デフォルトするとはどういうことであり、デフォルトしないとはどういうことでしょうか?
ま@労働党さんは債務性そのものの考察・認識を論じられておらず、またそれゆえに比較・評価基準を明らかにされていません。
ですので私の印象では、その比較対象の選定こそ恣意的な感じがします。
まず上記2点(債務不履行への考察、比較対象選定と基準の考察)を論じて下さい。
>債務性そのものの考察・認識を論じられておらず
それは、私というより、財源として国債を論じる人の一般的傾向だと思いますけど?
まず、普通は、国債は「究極の債権」として論じられます。究極のというのは、銀行預金以上に現金と同等なものとして論じられる債権、すなわち、返済が確実なものとして扱われます。
次に、「国債の日銀引受け」を主張する人(=リフレ派と看做される)は、その機能は、政府紙幣と同等であると認識していますが、「政府紙幣」という言葉に対し拒絶反応する人がいるため、そちらで議論がゆがんでも仕方ないので、「国債」を選んでいます。
ただし、政府紙幣を主張する人には、2種類いて、シニョリッジに着目している人(いわゆる打ち出の小槌派)と、「国債の日銀引き受け」と同等だと認識しているが、あえてこちらの表現を選んだ人がいるのは事実でしょう。

「国債の日銀引き受け=政府紙幣」というのは、これを論じる人の一般常識です。もちろん、一般常識の非常識に、「認識が浅い」と挑戦することを無意味だとは思いませんが、それは「挑戦したい人」のテーマであって、一般常識を前提に物を論じる人の関心事ではありません。

それで、私が主張したのは、「国債の日銀引き受けだと、なぜ政府紙幣を主張したときのような抵抗(=ハイパーインフレに対する説明責任)を受けないかといえば、内在するはずのデフォルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E4%B8%8D%E5%B1%A5%E8%A1%8C
問題を回避できる、すなわち、デフォルトしないものとして議論を進められるから」という事です。
これは、サブプライムで「強欲」と呼ばれた構造(=利益は俺たちに、損失は国民に)と似ています。実際に負担が発生するまで、「国民は自己のリスク負担を原資にして、彼らが儲けていた」とは気づかないものなのです。
財源は日銀による20兆円の国債引き受けしかない(元経済産業副大臣)
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=ahye07G6Aevs
山本氏は引き受けを原則として禁止している財政法第5条について「ただし書きによって国会で議決すればできる。今回のことが特別の事由に当たらなければ何が特別の事由になるのか」とも指摘

金子洋一民主党参院議員も24日付の政策提言文書で、「通常の長期国債発行で復興費用をまかなった場合には、通貨供給量が増加しないので今後一層の円高を生み、長期金利が上昇し民間設備投資を妨げる可能性や、国債の償還にも支障が出る可能性がある」と
>51
なるほど。要するに一般常識しか言えないので政府紙幣の債務性については考察できず、国債との違いを指摘されても答えられないんですね。そこは納得です。
ただ構造や意味についての考察を問うても、論者についての考察で返答される点は相変わらず理解できませんが。
債務性についてはこれを読めば分かると思うんですけどね。
中央銀行券の債務性と政府紙幣の特質に関する研究
http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/WP/No126.pdf


>国債の日銀引き受けだと、なぜ政府紙幣を主張したときのような抵抗(=ハイパーインフレに対する説明責任)を受けないかといえば、内在するはずのデフォルト問題を回避できる、すなわち、デフォルトしないものとして議論を進められるから

この認識も間違いでしょう。
まず、日銀引き受けも政府紙幣と同様にインフレ懸念に対する説明責任は負います。
財政法によって禁止されてますから、それを退けられるだけの必要性や帰結的な考察を論じる必要がありますので。

それからハイパーインフレとデフォルトの関係について。
まず負債(債務)=資産という構図はご理解されていることと思います。
その上で説明しますが、
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100404/the_road_to_hyperinflation
>経済学上で定義されるハイパーインフレが起きるのは、経済の提供可能な水準を超えて政府がシニョリッジを求める時である。
>たとえば現在のGDPの2倍になんなんとする債務をすべてインフレで解消しようとしたら、一挙にハイパーインフレが現実化するのは避けられないだろう。

インフレとは、実体経済(供給)に対する金融資産(需要)の過多により金融資産の価値が下がることで生じます。
逆にデフレとは実体経済に対する金融資産が過少で、金融資産の価値が上がることです。
そしてデフォルトとは債務不履行であり、対応する債権価値の下落、喪失です。
つまり負債=資産の喪失は全体的な金融資産の減少であり、基本的にデフレを加速させる要因なのです。
これはまた、銀行債務の増加によってバブル(インフレ)が生じ、それが支えきれなくなって(バブル崩壊)債務の放棄や返済が増え、結果金融資産の不足によりデフレに至ったという現在の状況を説明するものでもあります。
つまりデフォルトを回避しようとするとハイパーインフレが懸念されるのであり、デフォルトを回避しないなら債務=資産消滅によってハイパーインフレにはならないと言えるでしょう。
まぁ内国債をデフォルトした例は無いと思いますので、実際にどんな現象が起きるかは分かりませんが。

最後に、財源案として政府紙幣が日銀引き受けよりハイパーインフレを懸念をされるのは、債務性の違いによってデフォルトすらできないからだと言えるでしょう。
それに対して日銀引き受けは日銀判断によって国債を市中に売却(金融資産増加の抑制)したり、景気過熱による税収増で繰り上げ返済する(返済による負債=資産の減少)ことも可能であり、金融・通貨政策を考えた上でも政府紙幣より日銀引き受けの方が優れていると言えると思います。
>要するに一般常識しか言えないので政府紙幣の債務性については考察できず、
>国債との違いを指摘されても答えられない
なんか穏やかじゃないですねぇ。たぶんすれ違いおきてますよ?
私は、リフレ派一般にとっては、そこは興味の対象外だと言っているにすぎません。
例えると、レオナルドダビンチの「最後の晩餐」の鑑賞に来ている観光客は、
「キリストが、神や精霊と同一かどうか」など興味がないと指摘したまでです。
もちろん宗教学を馬鹿にしているというのではなく、その観光客グループにとっては、
絵を鑑賞するのが目的であって、宗教ではないというだけの事です。

>日銀引き受けも政府紙幣と同様にインフレ懸念に対する説明責任は負います。
ええと、私は、リフレ派の「認識」の話をしています。
「政府紙幣」といった瞬間に、「ハイパーインフレ」という反発が沸き起こるのに比べ、
日銀引き受けは、それほどでもありません。
だから、そんなつまらない点で反発をうけることを「良し」としないグループは、
「日銀引き受け」という言葉を選択するのです。
>54
私は始めから「リフレ派」も「認識一般」も主要な論点とはしていません。
あくまで政府紙幣の構造や性質について論考してきたつもりですが、これまでの私の文章やリンク先を読まれてもそれすらご理解されてないのではないですか?
それに○○派や常識、あるいは一般認識など不特定な人々の平均的認識を代弁したような言い方をしておられますが、それらは本質的に発言者が自らの主観に基づいて分類・解釈したもので実体を持つ言葉ではなく、ゆえに発言者の理解を超えた意見は持ちません。
また主観的かつ実体のない表現なので、他者との共通理解を深めたり、論説に対して説得的な意味をもつ言葉にもなり難いです。

結局何の意見を代弁したつもりでもそれは発言者の意見でしかないので、どう言い繕っても、政府紙幣と国債の日銀引き受けの違いなどについて、ま@労働党さん本人がご理解されてない(もしくは理解できてないフリをしているw)という事実は変わらないんです。

そもそも政府紙幣と国債の日銀引き受けの同じ点は主張して違う点は興味が無いというのは、どう贔屓目に見ても大雑把すぎて論にならないでしょう。
せめて違いを無視できるほどの正当な理由が必要ですよ。
>あくまで政府紙幣の構造や性質について論考してきたつもりです
それはわかっていますよ。
COMさんは、「政府紙幣≠日銀の国債引き受け」という視点で、国債と政府紙幣を語っておられるんですよね。面白い視点だし、なるほどそういう違いがあるのかとは思いましたよ。

でも、リフレ派の場合、「政府紙幣≒日銀の国債引き受け」という視点なので、「国債と比較」というと、そのれは、「日銀が市場から買う場合の国債」との比較をしてるんです。単にそれだけの話なんですが?
何が気に障っているのでしょうか?

>そもそも政府紙幣と国債の日銀引き受けの同じ点は主張して違う点は興味が無い
「同じ点」がもたらす「効果=お金をじゃぶじゃぶさせる」が、リフレ派の主張ですからねぇ。
違う点に対する興味もあるんですが、それは、世間体の方です。
>「政府紙幣」といった瞬間に、「ハイパーインフレ」という反発が沸き起こるのに比べ、
といったね。
>「政府紙幣≠日銀の国債引き受け」
これは視点ではなく結論です。
視点は政府が財政目的で独自紙幣を発行する場合の、金融上の帰結と通貨制度上の原則、と言ったところでしょうか。
それを受けてもリフレ派だとか「政府紙幣≒日銀の国債引き受け」という粗雑な意見しか出ないのは、結局内容を理解できていないからですよ。
私はそこに徒労感と面倒臭さを感じてるだけです…

構造的に「政府紙幣≠日銀の国債引き受け」が正しい場合、リフレ派だろう何であろうと、「政府紙幣≒日銀の国債引き受け」は成立しません。
それを「ある人たちにとっては手段にすぎないから成立する」と言うのは、構造を理解できてないか言葉の定義が不正確だからです。
>構造を理解できてないか
>粗雑な意見しか出ない
それこそが、存在価値なのでしょう?
つまり、他の人が、「政府紙幣」と「日銀の国債引き受け」の差に着目していなかったのに、あの論文は着目し、それをきちんと指摘した。このことがあの主張の価値なのであって、それが「あたりまえ」だったら、論文としての価値はないじゃないですか。
その価値を認めているからこそ、でもそもそも紙じゃなくても良いんじゃないの、という主張を35でしたみたまでです。

COMさんは、誰と戦っているんですか?あの論文を読んで意見を言う人は、少なくとも「読んで」内容も「認めている」からこそ、意見を言うんです。読まない人もたくさんいるし、読んでも内容を否定していたら、意見を言わずに無視ですよ?普通は。彼らは、あなたの味方なんですか、敵なんですか?
ここはBIのトピで、BIに興味がある人が集まる所です。
ちょっと毛色が変わった意見や資料が出てきてもいいとは思いますが、それはBIとの何かしらのつながりを見つけられるということが前提になるのではないですか?で
31>BIの政府紙幣財源論を考えるのに参考になるだろう
とありますが、BIの政府紙幣財言論のうち、「お金なんて刷ればいいじゃん」系の意見に対するものに対しては、おっしゃるとおりの指摘だと思うのですが、そもそも、「国債の日銀引き受けでもいいじゃん」系の意見な、政府紙幣財言論にとっては、両者を区別していないという指摘をしているまでです。
「日銀国債直接引受」と「政府紙幣」が区別せず使われている例として、
BIメールニュース
http://archive.mag2.com/0000292484/index.html
を、あげておきます。この中で、
「地方からも、日銀国債直接引受を行う要望が寄せられています。」の例として、「国難に政府紙幣を」という意見がリストアップされています。

もっとも、同じメールの中で、古山明男さんという方が、「国債の日銀引き受けという策〜政府通貨、地域通貨等の方法もあるが、いかなる策も長所と短所を持っている。」と、明確に区別しておられます。結論が、「まったく新しいコンセプトの銀行を設立する」とか「減価マネー」なんで、そういう事を考えている人の間では、普通に区別しているのかもしれませんが。
私が求めてるのは理解された上での意見です。それは否定でも肯定でも構いません。
つまるところ、論文内容は妥当なのか?
間違いや、BIと組み合わせることで修正できるところはあるのか無いのか?
内容が妥当であるとするなら、政府発行紙幣(や公共通貨)は正しいのか?
政策として政府紙幣に実現可能性があるとすれば、それはどういう仕組みが考えられるのか?

こういった問いへの回答を、私が理解するために可能な限り具体的かつ論理的に述べて欲しいのです。


それから、
>「国債の日銀引き受けでもいいじゃん」系の意見な、政府紙幣財言論にとっては、両者を区別していないという指摘をしているまでです。

これはやっぱり言葉の定義・分類が不正確なだけなんですよ。
政府紙幣とは政府発行の紙幣であって、日銀引き受けであろうと国債とは区別されるべきものです。
「政府紙幣財源論」として話題にする時は前者のみを対象にするべきですし、両者を混同して言葉を使う人がいるにしても、その指摘はこのトピで政府紙幣の可能性を考えるのに意味があるものではないでしょう。
だからリフレ派一般なんてどうでもいいんです。そもそも「リフレ派一般」は今の話し合いに参加されてませんし。
そして何より、ま@労働党さんは両者を混同されてないでしょう?ならそれで良いんです。
その上で政府紙幣の可能性についての意見を聞きたいのです。
私は、米国のクレジットカード型フードスタンプのように、身分証明書をかねるBIカードというのがあって、それによる電子決済という支給方法がよいと思っています。
電子決済は、電子マネーでもクレジットカードでもいいのですが、BI界には、減価貨幣的消費強制機能を主張される方も多いので、有効期限付きにするのでれば、「電子マネー」の方が素直でいいかなとも思います。
なので、政府紙幣か、日銀引き受けの国債かということでいえば、すなわち、厳密に分類するのであれば、私の主張は、電子の「硬貨」ですので、いずれでもありません。

あの論文の視点は新しい視点で論じられており、そのことに価値がありますが、現代においては、「ポイント」という私企業による通貨も存在しますので、日銀による「紙」の通貨だけでなく、将来そういったものも総合して論じてくれたら面白いとは思いますが、論文自体が「安易な財言論に対する警鐘」だとするなら、「ポイント制」や「電子マネー」は主旨ずれですから、論じられることはないでしょうね。
電子の硬貨と言おうが紙幣と言おうが通貨として扱う以上発行主体が存在するはずで、発行主体は発行そのものに対する責任を負います。
政府紙幣は政府が発行責任を負うものであり、日銀引き受けは日銀券の発行者たる日銀が通貨に対する最終的な責任者になります。
そして再三言いますが、>61の論述では通貨政策や金融政策としては論述されていないので不十分です。要するに財源をどうするのか明示してないだけですから。
電子マネーとは要するに通貨発行方式を言ってるのであって、論文の結論に当たる通貨発行主体の違いについての考察に対しては何らの意味も持ちません。
要するにま@労働党さんの意見には、金融的・通貨政策的な考察が欠けているんです。

ついでに私企業のポイント通貨にも触れておきますが、それらは最終的な通貨責任を円(日銀券)に依存することによって成立しています。
ポイント発行とは基本的に消費における支払いの一部(あるいは全部)を還元してるだけであり、前払い制のポイント購入や、あるいは消費毎に一部通貨を円から企業ポイントへ兌換しているだけとも言えるでしょう。
つまりポイント発行された時点で担保となる円が回収されており、ポイント交換に伴う損益を最初に回収した資金で補填しているというだけです。
端的に言えば金本位制での市場獲得競争と同じで、円本位制における市場(消費者)の囲い込みを目的として、他では使用できない通貨へ交換しているだけです。
これについての考察は>40のリンク先にあります(以前見たら表示されませんでしたが、今は復活してるようです)。論旨がBIに関わるわけではありませんが、電子マネーについてはある程度参考になるでしょう。
電子マネーの金銭的価値根拠となる発行見合資金流動に関する考察
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf07/7-321-332-oshima.pdf

また通貨に対する責任と言う意味では、基本的に地域通貨も企業ポイントと似た構造を持ちます。
もし円に依存しない通貨発行を行う場合には、通貨量のコントロールなど日銀が行う金融政策や通貨の信用維持を行わなければならなくなり、また独自に信用を築くということは市場において円と競合するということにもなるでしょう。
通常の通貨政策は、電子マネーを前提としていないので、現代社会を分析する類の論文ならともかく、未来を語るはずの政策だとするならば、ちょと現実が見えていない気がしますね。

電子マネーであれば、本人認証や有効期限が簡単に設定できます。
既存の紙幣や硬貨と比較する際には、その辺も含めて比較すべきだと思うのです。しかし、基本的には等価交換的発想で論じているというか、「通貨発行方式を言ってる」に過ぎないという認識が一般的なんだと思います。

以前、デジタルTVが出始めたとき、アナログTVとの比較において、「画像がきれい」といったアナログTV的な視点でしか比較されませんでした。しかし、デジタルTVの肝はそこではなく、コピーがしやすく、ニコニコ動画やYouTubeのような副次的利用を促したり、コピープロテクトで流通を制御できたりするという点です。
だから、もし当時「TV政策」なるものがあったのだとしたら、画面のきれいさから来る政策を論じるのではなく、ニコニコ動画のようなサービスが可能な社会について論じるべきだったと思うのです。

私は、この構造が、紙幣と電子マネーの間にも存在すると見ています。すなわち、本格的な電子マネー時代が来たときには、電子マネーは、単なる紙幣の置き換えにとどまることなく、いろいろな応用されると思うのですよ。そして、私は、きれいなTVには興味がありませんが、ニコニコ動画には興味があります。だから、ニコニコ動画がある社会については論じたいと思いますが、きれいなTVに関しては、それに興味がある人々の間で論じてくれば、私はかまわないのです。

なお、BIカードの原資は、政府紙幣に限定されません。消費税や保険料など、他の原資によるBIもそのカード宛に振り込まれます。
相変わらずズレてますね・・・
それは要するに現金よりクレジット方式やプリペイド方式のICカードの方が便利と言ってるだけでしょう。

電子マネーや消費者の利便性などは基本的に、市場へ直接影響を与える行政政策の範疇です。
それらは通貨・金融政策の本質にはなり得ず、従って通貨政策を考える上での検討材料にはなりません。どう扱ったところで的外れでしかないんです。
だから金融的観点から現在なり未来なりを現実的に考えてる論文には出てこないんです。

今論点としているのは政府紙幣の金融的な考察であり、行政的な観点から利便性や可能性を説いても何らの正当性も説得力も持ちません。
金融的観点から政府紙幣に可能性はあるのか?


ちなみにデジタル放送の政策的な肝は資源である電波帯の効率的な利用です。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/dtv/kihonjoho/kihonjoho2.html
>相変わらずズレてますね・・・
ええ、あの論文はBIの論文ではありませんので、BIとずれている部分に興味をもつ人はほとんどいないと思います。論文を軸に考えるのであれば、ズレているように感じるのは致し方ないとは思います。

>現金よりクレジット方式やプリペイド方式のICカードの方が便利と言ってるだけ
政府系電子マネーは現金だと思います。

>通貨・金融政策の本質
は、社会に存在する技術によって変化すると思います。今の通貨・金融政策は、コンピュータや通信技術存在なしには成り立ちえません。現金も電子マネーの出現により換わるはずです。

>デジタル放送の政策的な肝は資源である電波帯の効率的な利用です。
一部で馬鹿にされている、総務省の公式見解のことですね。
電波の効率的な利用というのは、(デジタル故に可能な)高圧縮により初めて実現可能になったもので、「加工・複製の容易性」というデジタルの特徴から派生した副産物です。つまり、コピー制限やニコニコ動画と本質的に変わらない応用の1つです。
いえ、ズレていると感じるのは、ま@労働党さんの認識と文章に対してですよ。
まぁ理解や考察ができないならそれはそれで構いませんが…
私が問うているのは、BIの支給方法や実施方法ではなく、財源としての政府発行通貨の正当性です。
特に問題にしているのは通貨の素材や形式ではなく、政府による発行という部分です。
それに対して、通貨発行の枠組みや規律などの考察による新たな可能性があるのかないのかを期待しているんです。

>BIカードの原資は、政府紙幣に限定されません。消費税や保険料など、他の原資によるBIもそのカード宛に振り込まれます。
だからこの回答では論点に対してズレているし、この上なく期待はずれなんです。
電子マネーの可能性にも興味はありますし異論も有りますが、今の論点では無いんです。


>>通貨・金融政策の本質
>は、社会に存在する技術によって変化すると思います。今の通貨・金融政策は、コンピュータや通信技術存在なしには成り立ちえません。現金も電子マネーの出現により換わるはずです。

私はそうは思いませんので、これについて「はずです」ではなくもっと論拠などを詳細に論じて下さい。

現在ほどの技術が無い時代に近代国家は生まれ、通貨金融政策は行われてきました。
近代国家が生まれる前は近世的な社会や中世、古代的な社会が存在しました。
その時代から物々交換・物品交換はありましたし、現在のような紙や金属のみならず、それ以外の自然貨幣も存在していました。
それはつまり規模や仕組みが未熟ではあっても貨幣による市場や金融は存在していたということであり、また貨幣経済の発展に伴って権力者による通貨価値の保全などを目的とした金融政策も行われています。
ですので科学技術は利便性や政策の普及・反映速度などに多大な影響を与えているとは思いますが、金融政策の本質的な目的を変化させているとは思いません。
>金融政策の本質的な目的を変化させているとは思いません
それは、「本質」どの程度に捕らえるかによるんじゃないですか?
人類の営みは2000年以上前から本質は変わっていないとも思えますが、
円キャリートレードや、ヘッジファンドは、飛行機やコンピュータなしにはなし得ませんしね。

>いえ、ズレていると感じるのは、ま@労働党さんの認識と文章に対してですよ。
ええBI以外の点に関心がある方の視点でみたら、ずれているでしょうよ。
でも、それをBIのコミュで主張するかなぁ。

>>BIカードの原資は、政府紙幣に限定されません。

>財源としての政府発行通貨
を受けてのものです。はっきりいって、BIの財源としてはそんなに期待してないので、財源としての政府発行通貨というのは、限定的というか、「財源としての政府発行通貨」の議論が成立するような量を発行しないのが前提です。
超遅まきながら返信しますw

>でも、それをBIのコミュで主張するかなぁ。

意図した流れではありませんでしたが、ここが公共通貨のトピでしたので。
BIの財源案には租税、政府通貨、国債の3通りがあると思います(他にもあるなら教えて下さい)が、そのうち政府通貨の妥当性を考えるために途中から活用させてもらった次第です。

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