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SF小説『SAMPLE』を読んでみるコミュのSAMPLE -38-

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「お待たせして申し訳ありません」
「お久しぶりね、杉田くん。貴方が卒業して以来だから、四年ぶりくらいかしら?立派になってくれて、嬉しいわ」
 未来の病室から自室に戻った杉田が挨拶すると、部屋の隅にある椅子に座っていた人物が立ち上がりにこやかな返答を返してきた。
「田代先生もお元気そうで、何よりです。突然呼び出したりして失礼しました」
「気を使わなくていいわよ。私はもう隠居の身なんだし、元学生の貴方の頼みなんですもの。喜んでどこへでも行く準備はあるのよ」
 腰が低い杉田に対し、女性は温かい微笑みを絶やさない。
 彼女は杉田が卒業した医大のスクールカウンセラーだったが、元精神科医の経歴を持つ女性で名を田代裕美という。上品な化粧に長い銀髪を大きな黒いバレッタで一つにまとめ、銀縁の眼鏡に目立たない色のグラスチェーンといういでたちは、杉田がカウンセリングを受けていた頃と変わっていない。歳は50歳のはずだが、皺の少ないやや浅黒い顔と真っ直ぐに伸ばされた背筋、ほどよく流行を取り入れた私服に身を包んだ軽やかな雰囲気が、全くそれを感じさせなかった。
「先ほどHARがクライアントの資料を渡したと思うんですが」
「ええ。待っている間に目を通したけど、短時間で見事にまとめてくれたのね。これによると、クライアントはかなり特殊な環境に置かれてることになるけど」
 小さいが活力に満ちた手に挟んだ書類に、田代は再び目を落とした。
「はい。彼女……クライアントの間未来ですが、僕が担当しているプロジェクトの被験者です。軍事用に肉体を改造されていて、脳に移植された装置の誤作動による器質的な問題があると思われます。主訴と僕の所見は、資料に記載している通りです。放っておけば悪化の一方を辿るかと思われたため、田代先生をお呼びした次第なんですが」
「そうね。外部の医療機関に治療を委託もできないでしょうし、この施設か私のマンションで面接を継続した方がいいかしら」
 杉田の声を聞きながら、再度書類の内容を確認していた田代が頷く。
「必要なようであれば、薬の処方もお願いします。この研究所内なら、どんな種類の薬剤も揃っているかと思いますので」
「改造による薬の代謝異常が発生する可能性はある?」
「恐らくないとは思いますが、定期メンテナンスの検査結果は必要があればお送りします」
「わかったわ。早速面接を始めるから、終わったら連絡を入れるわね」
「お願いします」
 もう一度頷いて顎を上げた田代の顔は、杉田が彼女のクライアントだった頃の表情に戻っていた。
「とにかく私にできることをやるから、クライアントの了解を取ってから感触をお伝えするわ」
 思わず頭を下げてしまった杉田へ一言残し、田代は研究室を出た。
 間未来は今までに出会ったことがないタイプのクライアントだ。
 医大のスクールカウンセラーを引退した後は、自宅で一部の者から紹介された時にのみカウンセリングを行っており、今回も杉田から依頼を受けてのことである。本来なら出張カウンセリングは受け付けないが、杉田の焦った様子からかなり深刻な状況と判断し、引き受けることにしたのだ。
 未来がいる個室のインターホンを押してから、貸与されたIDカードをスロットに通して自動ドアを開ける。ドアの側に立った衝立から中を覗くと、隅の椅子に座っていた人物が立ち上がり、頭を下げるのが見えた。
「初めまして、間未来さん。杉田先生からの依頼で、貴女のカウンセリングを担当することになった田代裕美と申します。杉田先生の卒業した大学病院で精神科医としてずっと働いた後、スクールカウンセラーを担当していたの。どうぞよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 一言言って直立の姿勢に戻った未来の言葉は緊張のためたどたどしく、瞳には不安の色が伺える。
「好きなところに座って。もし座るのが辛ければ、ベッドに上がって壁にもたれるといいわ」
「いえ、ここで大丈夫です。先生はこちらに?」
 頷いて、田代は未来が座った正面にある椅子に腰を下ろした。
 室内はがらんとした印象の病室だが、木製のサイドテーブルにはピンクの薔薇とかすみ草を活けた花瓶が置かれている。杉田が未来のことを配慮し、自分で活けたものを置いたのだろう。
「貴女が最近置かれている状況については、ざっとだけれど杉田先生から伺っているの。私は大勢の患者さんに接して色んな症例も見てきているし、きっと貴女の力にもなれると思うから」
「……はい」
 頷きながらも、未来は机に視線を落としたままで顔を上げようとはしない。
「最初に、貴女から了解を取らなければならないことを説明させて頂くわね。退屈な話に聞こえるかも知れないけれど、ちょっとだけお付き合いをお願いできる?」
 未来が上目使いで田代の口許をちらっと見て、頷いた。田代は彼女に頷き返し、必要事項が記載された資料を見ながら、わかりやすい言葉を選んで説明を始めていく。
「私には倫理的にも法的にも、貴女が私を信頼してここで話してくれたことを外に漏らさない義務があるの。つまり、貴女の了解なしに誰にも明らかにされないということ。でも、貴女はこの面接について誰かに自由に話すことができるから」
「はい」
「ただ、貴女の今後について必要と思われる情報は、紹介者である杉田先生に伝えてもいいかしら。資料用に面接の様子は録画するけれど、これは決して外部に公開しないことを約束するし、貴女が望めばこれをコピーしてお渡しすることもできるものよ」
 田代はそこまで説明してから一旦席を立ち、用意してきたカメラを花瓶の前にセットした。未来が先の内容を理解していることを表情で確かめてから、守秘義務について最後の説明事項に触れていく。
「この守秘義務についてだけど、幾つかの例外があるの。最初が、情報開示について貴女が了承したとき。次に、貴女が子どもや老人を虐待しているとき。そして貴女が私に対して、医療過誤に対する訴訟を起こしたとき。最後が貴女に自殺、もしくは誰かを傷つける恐れがあるとき。以上の場合は、私が貴女のためになる手段を講じたり、その相手の人に連絡を取るために、守秘義務を破らなくてはならないの。いいかしら?」
「はい、大丈夫です」
 未来の返答は小さく短い。
「では未来さん。何故私がここに呼ばれたのか、貴女はその理由をご存知?」
「……杉田先生は、私に精神的疾患が考えられるって言ってました。ここには専門医がいないから薬も出せないし、放っておけば悪くなる一方だからって。でも、自分がそんなに酷い状態だなんて信じられません」
「以前の貴女と今の貴女とでは、何か違いはあるかしら?」
「あの……田代先生は、私についてどこまでご存知なんですか?」
 そこで未来は初めて顔を上げ、泣き出しそうな表情で田代を見つめた。
「杉田先生が知っていることは、大体私も知っていると思ってくれていいわ。貴女が何故この研究所にいるのかもわかっているし、最近ショックを受ける出来事が連続して起きたことも聞いているの。そのことについて、貴女がどう感じていたのかを話してもらいたいと思っていてね。どんなに小さなことでもいいの。貴女が抱えている問題が何なのか、それを一緒に考えていきたいから」
 自分が抱えている秘密を田代が把握していることに安心したのか、未来の若い顔にほっとしたような色が浮かぶ。だが、引きつった唇から出た言葉は震えていた。
「でも私……話すのが怖いです」
「何故怖いと思うの?」
「だって……自分の弱点を人に晒すのが嫌なんです。そんなの……誰だって嫌だと思います」
 再び下を向いた未来の瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「そうね……自分の弱さを誰かに見せるのは辛いし、勇気がいることだと思うわ」
 田代の言葉が、軽くしゃくり上げる声に重なった。未来が涙を手の甲で拭い、呼吸を落ち着けるまで、田代は沈黙を保ったまま未来の仕草を見つめている。あくまで未来が自発的に話すのを待っているのだ。
「けど、今まで誰にも話せなかったから辛かったんです。誰も私の弱さを認めてくれないって思ってたから。他の人を頼りにしちゃいけないんだって、ずっとそう考えてましたから」
 数分の後に赤い目をまだこすりながらも、未来が再び口を開く。田代は頷き、優しく語りかけた。
「弱さを認めてくれない、というのは貴女の身近な人たちも、ということなのかしら?」
「……私、いつもそうなんです。誰かを頼るのは悪いことだって思ってて。自分一人で何でもやらなきゃ、気がすまない。自分で何もできない私なんか、生きてる価値がないって思うんです」
 田代の顔から視線を外し、未来は呟くような調子に声のトーンを落としていた。
「いつごろから、そう思うようになったの?思い出せる?」
「わかりません。人の役に立たない奴は生きる価値がないのが当然って、気がついたら考えてました。今の私は仕事をするのも辛いし、こんな状態じゃあ満足に戦うこともできません。私は戦うために作られたサイボーグなのに……大事な戦いまで、あと二週間もないって言うのに……何もかも上手くいかなくて……ものすごくいらいらしてるんです」
 自分がサイボーグであることに触れた未来は、声を喉に絡めるように途切れ途切れに続ける。悲しげに目を伏せて十数秒間ほど口をつぐんだ後、更に溜息を吐き出した。
「でもこんなことは誰にも言えないし、杉田先生たちに相談しても迷惑かけるだけなんです。そういう自分が本当に嫌いで」
 未来が落ち着かない様子で崩れていた姿勢を戻して手を組み直すが、感情を抑えようと必死なようで、爪が甲に食い込みかけているのが見て取れる。
「貴女は、自分が役に立たない者だと思われるのが本当に辛いのね。なのに最近、朝起きられずに会社に行けない日もあったと聞いてるの。その頃のことを、詳しく話して頂けるかしら」
 田代が促すと、未来は小さく頷いた。
「ええと……1週間くらい前のことです。ある事件がきっかけで、私は……その、自分が騙されていたことを知ったんです……」
 ゆっくりと語り出した未来の言葉に、田代は真剣に耳を傾けた。
 目の前に座っている愛らしい顔立ちをした娘が人間兵器であるとは、にわかに信じ難かった。
 しかしそうであるが故に誰にも相談することができず、抱え込んだ心の闇は深いものであるに違いない。脳に器質的な問題があるのなら、急激な悪化も十分に考えうる。
 精神科医とカウンセラーを長年続けているため、クライアントにどんな素性が隠されていようと驚くことはなかった。実際、凶悪犯罪の犯人の面接も行ったことがある。
 だが、今回与えられた時間はあまりに短く、クライアントの精神状態を判断する材料も少なすぎる。カウンセラーとして腕の見せ所でもあったが、恐らく放っておけば大変なことになる、と精神科医としての勘がさかんに警鐘を鳴らしているような気がしてならない。
 田代と未来の面接はまだ始まったばかりであった。

 レールガンに装填する弾丸は、パチンコ玉よりも小さな球だ。3メートルある銃身に対して、これが本当に最新工学の粋を集めた弾丸であるとは思えないほどだ。P2は手も本来の大きさよりかなり大きく作り変えられているが、その中にある弾は黒い金属板に置かれた砂粒のように見える。
 レールガン発射時に発生する空気摩擦で、既存兵器に使用されているような金属の弾丸ではその熱に負けて燃え尽きてしまう。
 この弾丸はレールガンに合わせて開発された新素材で、強靭な物質だ。質感はセラミックに似ているが遥かに軽く、極めて高い耐熱性を持っている。空気中を秒速8000メートルで飛来する摩擦熱に耐え、初速を落とさずにターゲットを貫く優秀なものだったが、欠点は製造に莫大なコストがかかることだ。若松が持っている地下の設備では複製は不可能、AWP脱出時に持ち出せたのも僅かに作られた数発分のみだった。
「弾丸は、今渡したものを入れて4発しかない。試射で使えるのはそいつだけだ」
 金属の掌に転がした弾を眺めるP2に若松は勿体ぶった調子で説明すると、地下に穿たれた巨大な空間であるトンネルの暗がりにその声がこだました。
 若松とP2は、レールガンの試射をアジトのすぐ側であるリニア新幹線のトンネルで行おうとしていた。5年前の逃亡時には正常な稼動が確認されていた武器ではあったが、それ以来一度も撃ったことがない。実戦に備え、最低限の確認は必須だった。
「このトンネル内に、ターゲット用のロボットを置いてきた。大きさはお前の頭くらいで、稼動は上下左右と前後にも動くやつだ。数値はランダムに設定してあるから、どんな風に動いてるか俺にも予測がつかん。そいつを狙ってみろ。お前の性能なら、試射の一発で十分に仕留められるだろう?」
 頷くと、P2が弾丸をレールガンに装填した。
 レールガンは、電位差がある二本の伝導体製のレール間に電流を通す伝導体を弾体として挟み、この弾体上の電流とレールの電流に発生する磁場の相互作用によって、弾体を加速して発射する武器である。右腕に装着するものだが支えはなく、使用者は全重量を腕のみで支えねばならない。フォルムは銃というよりも、銃口が不自然に細い大砲という印象だ。重量は3メートルを超える全長に相応しく100キロ以上で、音速の20倍を超える弾を撃ち出す際の反動も想像を絶する。たとえ大人の男が10人束になって撃ったとしても弾き飛ばされるであろうことは、想像に難くない。人間にはまず扱えない武器だ。
 P2の専用装備として開発されたレールガン最大の欠点は、凄まじい威力に比例する電力を必要とすることだったが、これは体内の発電ユニットから直接投入することで解消を図っている。故に、発電システムを体内に持つサイボーグにしか扱えない武器であるとも言えるものだった。
 P2が黒光りするレールガンを担ぐように持ち上げて右腕に装着し、腰を落とした体勢で足を踏ん張って構えた。
 そのまま自身の身体を電気の源とし、エネルギーをレールガンにチャージする。
 強大なエネルギーが集中するのを感じ取ったのか、傍らの若松が唇を歪ませ、アジトの扉を開けて中に細い身体を滑り込ませる。
 その姿を確認してから、P2は銃身のスコープを覗いて安全装置を外した。C−SOL襲撃以来ほとんど使っていなかった聴力センサーを最大限まで引き上げて、ターゲットの稼動音を探る。
 ほどなく不規則な金属の響きが捉えられたため、銃身の方向を調整してズームを絞る。スコープの狭い視界の中に、見張用のそれと同じタイプのロボットの影が現れた。ランダムに稼動を設定してあるせいで、半径30メートルの範囲を強弱をつけて走ったり、キャタピラと本体の間に仕込まれたスプリングで飛び上がったり、ちょこまかと動き回っている。
 アジトに近いトンネルの空間は数百メートルに及ぶ直線の区間で、その間に遮蔽物はないに等しい。長距離の射撃には、こちらが圧倒的に有利な環境だと言えるだろう。
「……この射撃だけで終わってしまうような敵でもあるまい」
 P2が低く呟き、トリガーを引いた。
 レールガンの銃口から光が暖色の迸り、スコープの中を跳ねていた小さなロボットが砕け散る。
 その後で、落雷数個分を集めたかと思わせるほどの破裂音がトンネル内に轟いた。
 弾丸の初速故に発射音と衝撃が空気を叩くのよりも早く、ターゲットが破壊されたのだ。
 同時に、P2の250キロある機械の全身を乱暴に宙へ放り出すほどの反動が襲う。彼はそれを左半面の表情一つ変えずに押さえ込み、レールガンを構えた腕を僅かに上へ反らせただけだった。
 その光景をP2の視点確認用モニターで共有していたのであろう、若松の薄い唇からほう、と感心したような息が漏れたのが聞こえた。
『見事だな、本当に一発で命中させたか。今まで試射もしていなかった兵器の割に、稼動には問題がないようだが……撃ってみた感触はどうだ?』
「弾丸の軌道は照準から外れていないし、弾速も鈍っていない。実戦時に3発分しか使用できないことが、いささか重大だ」
 特殊通信越しの若松の声は得意げだが、P2のそれは醒めたものであった。
 トリガーから指を離して銃身を下ろしたP2が、破壊されたロボットの残骸が散らばる地点へ視線を合わせズームを絞る。空気の壁をも突き破る弾丸に貫かれたロボットは文字通り粉微塵に砕け散っており、黒い金属の無残な骸を晒していた。
 頑丈なパワードスーツに身を包んだP3も、レールガンの直撃を受ければ身体はバラバラに破壊されるであろうことは想像に難くなかった。
『そいつは個人用の武器として、最高の破壊力があるからな。P3に掠る程度でも、動きを止めるのに充分なダメージは与えられる。弱ったP3にとどめを刺すくらい、容易いことだろう?』
「私も最初はそう考えたが、奴は予想以上に手強い敵だ。窮地に追い詰められれば、逆に奴の生存本能を刺激して逆転される可能性が高くなる。安全策を狙うなら、遠距離の銃撃戦で決着をつけるべきだと思うが」
 若松の言葉に返したP2の声に軽い皮肉が込もり、左半面にある眉を僅かに動かしていた。
『銃撃戦で決着がつこうがつくまいが、最終的にはお前が必ず勝つ。断言してもいい』
「何故、そう言い切ることができる?P3の総合的な性能が私より上であることは、お前のほうがよく知っているはずではないか」
 そこで、若松の声が荒くなった。
『俺にも決戦に備えてそれなりの準備がある。余計な詮索はするな。俺の準備ができるまで、アジト近辺にいろ。トンネルの外へは絶対に出るんじゃないぞ』
「では私は、接近戦に備えてこのまま訓練を続けていよう」
 特殊通信は、P2の意思で切断することはできない。若松の方から特殊通信の回線を切断し、専用レシーバーを自席のデスクに置いた。
「……ふん。P3の破壊は、もう決定されたことだ。必ず実現させる」
 呟いた若松の視線の先には、P2が眠っていたタンクの横に置かれたグレーの小さな金属製ボンベがある。数日前、闇ルートで手に入れた最強とも言える武器だ。
 以前のP2ならば、この武器の存在と使用方法を明らかにしても何の反応も示さなかっただろう。
 しかし、P3と出会ってからのP2は、人間としての感情を取り戻しかけているように見える。ボンベに入ったあるものはP2の勝利を約束するための切り札とも言えるものであるが、今の彼がその使用に対して首を縦に振るとは思えなかった。
 若松がAWPから連れ出した頃のP2は冷静沈着で、個人の利益より全体の利益を優先するタイプだった。感情を表にあまり出さず、生き物を手にかけることにも無頓着。思考パターンも機械的でよりロボットに近いものであった。そして何より全体の利益、不利益を第一に考えるため、作戦の遂行のために多数の一般市民を巻き込むことも厭わなかった。
 その融通の利かなさが廃棄処分となる主たる原因だったのに、自身の分身とも言えるP3の存在を知って以来、サイボーグとなる以前の感情が戻りかけているように見える。何が何でもP3を破壊するという若松の目的を果たすための手段には、そんなものは邪魔にしかならなかった。
 P2は天才工学博士たる自分が作り上げた改造人間の最高傑作で、言ってみれば自分は親なのだ。
 子どもは黙って親の言うことに従うべきで、逆らうことは許されない。
「大月め。お前の鼻っ柱をへし折るのは、この俺だ。首を洗って待ってろよ」
 いまいましげに、若松は意識せず吐き捨てるように呟いた。
 5年前にP2が破棄される経緯を作ったのは、もとはと言えば大月だった。
 彼女がうるさく改造行程やプロジェクトの細部にまで口出ししたため、被験者の人格にまで影響が出る改造をすることとなり、結果として破棄という決断が下されたのだ。
 勿論若松にも主要メンバーとしての責任があり、それなりの代償を支払う義務があるとグループの重役たちが口を揃えて喚いた。
 彼は冗談じゃない、とその場で怒鳴る代わりに研究成果の一切合財を持ち去り、逃亡すると見せかけて一人で研究を続けることを決意したのだ。
 自分のことを最後まで認めようとせず、一人前として扱わなかった大月に思い知らせるために。
 いつか、彼女を屈服させるために。
 憎らしい嘗ての女上司の顔を思い浮かべる若松の三白眼に、パソコンのモニターの光が映り込んでいる。
 そこには千代田区のホームページの一部が表示されていた。複数の工事現場より危険物が発見されたため、11月5日に九段坂上交差点を中心とした半径2キロ以内を立入禁止とし、その処理を行う旨の告知が大きく出されている。
 交差点はこのアジトの真上ではないが極めて近い場所にある。が、この付近で大規模な工事など最近やっていた覚えはないし、ホームページには危険物の種類の明確な記述すらない。
 AWPが警察や軍とも連動しているプロジェクトだということを考えれば、これはP2と自分に対する攻撃を決行するためのものだと思って間違いはないだろう。AWPは自分たちと違い、その存在を世間に明らかにするわけにはいかない。P3を差し向けてくるにあたり、どうしても一般市民を遠ざけた環境で戦闘を展開しなければならないはずだ。
「問題はP3がどういう作戦で攻撃を仕掛けてくるか、か。こいつの使いどころも、それによってかなり左右されるな」
 暗がりの中、若松の目がボンベに向けられた。電子音と様々な色のLEDが支配するアジトに座す、彼の独り言は多い。
 パソコンデスクの側には大小二つの作業台があり、小さいほうに作りかけの小型ロボットが乗っている。P2の整備はほぼ完了し、あとはP3襲来時まで細かい調整を取り続けていくだけだったが、勝負の行方を左右するであろうこのロボットの完成は急がねばならない。
 P3を迎え撃つこちら側でも、何の備えもせずP2だけを差し向けるつもりでいるわけではない。確実にP3の息の根を止められるだけの駒は、このロボット以外にも着実に揃えつつあった。
 ただ、作戦内容は恐らくP2の意に沿うものではないだろう。そのため詳細は事前に伝えるつもりはなく、その時に指示を与えていくつもりでいた。P2本人がそれをどう思おうが関係ない。P2のメンテナンスは若松にしかできないことである故、逆らえば自分の身が危うくなるのだ。P2が若松の命令に背くはずがない。
 若松がふと見たパソコンのディスプレイの時刻は、午後4時を示している。
地下トンネルの壁中にあるアジトには太陽の光が届かないため、昼夜の区別はとっくになくなっていたが、作戦の決行時間に合わせて体内時計も調整しておく必要があるだろう。
 もっとも、その必要があるのも自分だけで、時間の感覚を自在に調整できるP2には関係ない。
「化物の身体も、こういうときは便利なものだな」
 皮肉な調子で薄い唇から出た言葉は、大月が未来に対して発するそれと同じ色を帯びていた。

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