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SF小説『SAMPLE』を読んでみるコミュのSAMPLE -1-

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「サンプルが届いたのね?」
 ノートパソコンに向かったまま、白衣の女が感情の混ざらない声で言った。
 ベージュのネイルで手入れされた指で、キーボードを休みなく叩く音が続いている。
 消毒薬の匂いが鼻腔の奥をくすぐる空気が、やや冷たく感じられる。空調が完璧に管理されている病院内なのに、ここは温度が違っているように思えてならない。
 季節は新芽が目に眩しく感じられる初夏だったが、そんなものも関係なかった。
 この病院に勤務する医師ではないのに、古い書棚の本に囲まれた部屋で仕事をこなす。
 プロジェクトの中で立場が上にある女は、そうした特権を与えられるのが当たり前のように、この部屋を自分の好みに沿って変えていた。他の医師に与えられた部屋には、色とりどりの熱帯魚が悠々と泳ぐ水槽や有名な画家の油絵などは決してないだろう。
 彼女好みのものに囲まれると、いつにも増して落ち着かない気分になる。
 そんな心の内を読まれないよう、杉田はなるべく淡々と報告するよう努めた。
「患者の状態は危険です。辛うじて意識はあるようですが、首から下の火傷と両手足の複雑骨折に空気塞栓、大量出血による……」
「杉田くん」
「は?」
「貴方はここの正式な医師ではないのよ。あれは患者じゃない、サンプルと言いなさい」
 女の正面に佇む青年の、カルテを持った手が不意に大きく揺れる。黒縁の眼鏡越しに、眉がわずかにしかめられた。この病院の医師でないのは貴女も同じことでしょう、と相手が彼女でなければ言っていたところだ。
「こちらでの搬送準備はもう整っているわ。サンプルから同意が取れそうなら早くして」
「しかし、彼女は強心剤と輸血で何とか……」
「何度も同じことを言わせないでちょうだい」
 苛立った声と顔を上げた女の鋭い眼光に、彼はそこで言葉を切らざるをえなかった。
 女が重厚なつくりの椅子から立ち上がると、白衣の隙間から伸びた足先を覆うハイヒールが床を打ち、同じように鋭い音を立てた。
「これ以上このプロジェクトの進行を遅らせるわけには行かない。無駄なことは少しでもしたくないの。ここでの貴方の仕事はあくまで研究者であることを忘れたの?」
「いえ……その、大月さん。ただ、状態が安定してから次へ進むべきじゃないかと」
 中年を迎えているとは思えないほど若々しく美貌に溢れた彼女の顔を、杉田はまともに見返すことができない。白衣の左胸に留められた「大月 玲華」のネームプレートの辺りでつい、目線が泳いでしまう。
 ハイヒールを履けば彼の背を超えるほどに背が高い大月から発せられる言葉は、一つ一つが威圧感に満ちている。
 もともと自分を流されやすい性格だと自覚はしていたが、女ながらに大手製薬会社の部長というポストに就きプロジェクトを仕切るこの女性には、普段から圧倒されてしまい言いたいことも言えなかった。
 額にこぼれる真っ直ぐな髪を払いのけながら、大月が更に杉田を睨みつけた。
「わかりました。同意を確認してきますので、お待ちください」
 結局僅かな抵抗もできないまま、杉田は大月に背を向けた。病院内にある大月の研究室に入ってから出るまで、一度も目線を合わせていない。
 部屋の出入口のスロットにIDカードを通す音を聞く前に、大月が再度デスクに向かうのがわかった。もう、この件に関して彼女は興味を失ったのだ。
 関心があるのは、この後の結果のみだった。

「おう、話は終わったのか?お前が相手だと、あのおばさんとの決着が早くて助かるな」
「生沢先生……」
 ICUに向かう途中、のっそりと近寄って来た男が杉田の横に並んだ。
「おばさんって、生沢先生と大月さんは一つ違いでしょう」
「あの女は神経が立派におばさんなんだよ。外見がいくら若くたって、内面の老化が激しいのは誤魔化しようがないからな」
 サンダル履きの足でぺたぺた音を立てながら、髪が伸び放題になっている頭を掻く。
「先生、また煙草吸ってたんですか?」
「お前は俺の女房かよ。個人の嗜好にいちいち口出しすんな」
 ばりばりと掻き毟っている髪から散る煙草の匂いにつっかかる杉田に、生沢がむっとして白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
 いかつい顔に不似合いな垂れ目。することがないときはまるで、冬眠から覚めたばかりの熊のような男だ。全身のごつい造形と不精髭だらけのところはもう慣れたが、彼が天才的な外科医であることには未だに違和感を覚える。
よれよれの白衣を羽織ってはいるものの、よほどのことがない限りは下に私服以外着ようとしない。何もかもが格式ばっている大病院の白い、無機質な廊下にこれほどそぐわない医師というのも珍しいだろう。185センチを越す大柄な身体といい、彼、生沢 慎吾は「おおざっぱ」そのものが服を着て歩いているような印象が最初はあった。
「で、どうだ?」
「はい。患者の容態は思わしくありません」
「ふうん……」
 目的の部屋へ向かう歩調は変えず、杉田が生沢に手許のカルテを差し出す。
 生沢が素早く内容に目を通す間、杉田は自分の頭に残る情報を整理した。
 患者の名前は間 未来、21歳の女性。乗っていたバンが高速道路の高架より転落し炎上。奇跡的に首から上の損傷は軽い切り傷と打撲のみだが、四肢の複雑骨折に胸部、腹部の裂傷、出血によるショック、複数箇所の内臓破裂及び全身に第二度の火傷があった。
普通ならば病院に担ぎ込まれた時点で昏睡状態に陥っていてもおかしくない状態だったが、激痛に悲鳴を上げながらも意識は保っていたようだ。
「こいつは酷いな」
 カルテを杉田に返して一言、生沢が呟いた。
「他6人の同乗者は全員死亡確認を取ってる。生き残ったのがこのお嬢さんだけとはね」
「本当に、この人を研究所へ?」
「ああ。そうしなきゃ、もう命は助からんだろう。図らずも、おばさんの思い通りになったってわけだ。ここでは内蔵破裂の暫定的な処置手術だけをやって、本格的なことは研究所に着いてからだな。全く……なんてこった」
 生沢が、また髪に指先を突っ込み掻き回しながら舌打ちする。同調して、杉田が吐き捨てた。
「大月さんは患者でなくサンプルと呼べって言ってますよ」
「そんなことが聞けるか。俺たちは所属こそ病院じゃないが、全員が医者なんだぞ。そもそもあいつが結果を急がなけりゃ、こんな胸糞悪いことにならずに済んだものを」
「健常者の状態で同意を得ようとするのは面倒だからって、こんなこと……僕たちがもっと強く反対するべきでした」
「いや。杉田や俺がどんなに反対しようが、大月はやりたいようにやったろうさ。ただ、こういう結果になった責任は俺たちにもある」
「……僕たちに……その責任が取れるんでしょうか」
 苦しそうな杉田の声に、それまで荒かった生沢の口調が静かになった。
「何としても、彼女を死なせないことだ。そして、身体を元通りに動かせるようにしてやること。それが今、俺たちにできる償いだな」
 感情を抑えこんで言う生沢の顔は、もう医師としてのそれになっていた。あらゆる手段を尽くして、患者である未来の命を救う。今はそのことだけを考えるしかないのだ。
 杉田は頷いて、嫌な仕事を少しでも早く終わらせるべくICUへ向かう足を急がせた。
 彼、杉田 理人の26年の人生の中で、一番拒否したかった仕事。
 自分たちの力が及ばなかったがため瀕死の重傷を負った患者から、サイボーグ手術の同意を得ることであった。

 杉田と生沢は、ICUの入口を監視している受付ロボットの目にIDカードを突きつけ、認証用コードを読み込ませた。彼等がこの病院の関係者であることが一瞬で認識され、丸っこく愛嬌があるロボットの胸に内蔵されたLEDが青く光る。
「お通りください」
 合成音の一言とともに自動ドアが開くと、隣接している救急処置室からの慌しい雑音が二人の耳に飛び込んできた。
 患者はその反対側にある一番奥のベッドに横たわっていた。応急処置は一通り施されているが、早急に手術しなければならない危険な状態だ。にもかかわらず治療が応急処置止まりなのは、大月の指示であろう。救急車で搬送されてきてからずっと意識があるのが不思議なほどの重傷なのだ。救急担当の医師や看護師の話では、「お母さんに知らせないで!」と処置中も悲鳴を上げ続けていたらしい。看護師が彼女が望むまで連絡はしないことを約束するとやっと安心したのか、麻酔をして欲しいと申し出たというのだ。
 普通であれば家族にも知らせて当たり前の容態なのに、何故そうまでして彼女が家族を拒むのかがわからない。
 事前に入手していた書類によると、身元もきちんとした家庭の娘だ。強いて普通でない点を言うなら、彼女が所長を務めている便利屋の経営が思わしくなかったことぐらいであるが、闇金融からの借金もなければ違法な仕事をしていた形跡もない。
 書類に貼られた顔写真の表情には幼さが残っており、一般的に見れば可愛いと言える。そんな印象の中にあっても意思の強そうな瞳をしているのが特徴的だった。
 その顔に今は赤黒い血の塊がこびりつき、頭の切り傷からの出血のため、明るい茶髪が黒く固まっている。包帯が全身を覆い、染み出た体液と血液で汚れていた。
 彼女の生命を維持するための様々な機器がベッドの脇で働き、接続されているチューブや電極が無数にその細い身体に突き立てられていた。多量の鎮痛剤を投与されているためにぼんやりしているようだが、まだ意識はあるらしい。虚ろに開かれた瞳が、ベッドの脇に来た人の気配に動いた。
「間……未来さん?」
 杉田が声をかけると、「はい」の形に未来の口が動こうと震えた。しかし、喉を切開して人工呼吸器を繋いでいるせいで声は出ない。怪我をしていなければさぞかし愛らしい女の子だろうに、打撲した頬は紫色に腫れ上がっていて写真と同じ人物だとは一目でわからない。彼女の痛々しさを見て取り、杉田の表情が悲しげに曇った。
 こんな状態の未来に、正常な判断ができるわけがない。命が助かる可能性があることならば、それが何であっても藁にもすがる思いで処置を望んでくるだろう。
 彼女を助けるためにサイボーグ手術を施すのに間違いはないが、それは決してそのためだけではない。一企業の利益のため命と引き換えに、その後の人生を差し出すよう要求することでもある。加えて未来をこんな無残な姿にしたのは、紛れもなくその企業に属する一握りの人間だ。彼女が巻き込まれた事故は、その身体を手に入れる目的で予め仕組まれたものだったのだ。
 それも、サイボーグを兵器として利用するという、限りなく野蛮な研究のために。
 杉田は胸の奥に鈍痛を覚えた。死にかけた若い女性に一体何と言えばいいのだろう。
彼は未来に声をかけたはいいが、次の言葉を考えあぐねているようだった。その様子を見て、杉田の隣に立つ生沢が未来の顔に軽く手を翳し、制するようにして言った。
「声は出さないで。今から俺たちが状況を説明する。幾つか質問するから、『はい』ならまばたき二回。『いいえ』ならまばたき三回。わからなければ目を閉じて。いいね?」
 ゆっくりと、未来がまばたきを二回する。
「ようし、いい子だ」
 生沢が優しく未来の額を撫で、ベッドの脇に膝をついた。諭すように、顔を近づけて話を切り出す。血と薬品の臭いが鼻をつくが、そんなことを気にしている猶予はなかった。
「まず俺は生沢真吾、こっちは杉田理人。君の主治医だ。次に君の今の状態だが……すぐに手術をしないと危ない。あの事故で両手足は複雑骨折、内臓も酷く傷ついている。今は薬が効いてるからあまり痛くはないだろうけど、このままでは君は死ぬことになる。わかるね?」
 丁寧に生沢が説明すると、未来のまぶたが二度まばたきをした。頷いて、話を続ける。
「ただ、普通の手術では元通りの身体にはできないかもしれない。そこで」
一度息をつき、なるべく優しい口調で医師は言葉をつないだ。
「身体の損傷が酷い部分を、人工のものと取り替える。ただ、これはまだ人間に使われたことがない。医療用に作られたものじゃないから、本来の君とは違う姿になってしまうかもしれない。でも、こうしないと治せない可能性が高いんだ。ここまではいいかい?」
二度のまばたきが、話の続きを促した。
「そして、これを使った場合だけど。治った後も身体を保つため、これを作った研究機関で君の身体を診ていく必要がある。言ってみればテストケースで……君の治療に使わせて欲しいんだ。君を助けるためにはこれしかない。それでもいいかな?」
 今度は素早く、二度のまばたき。薬で虚ろな未来の瞳に、わずかながら生気が戻ったような錯覚さえ覚えさせた。
「よし。俺たちが、必ず君を助けてあげる。だから気を楽に……今は安心してお休み」
 もう一度、生沢の大きな掌が未来の額をゆっくりと撫でた。それで落ち着くことができたのか、半開きになっていた瞳が静かに閉じられる。今まで気を張って何とか意識を失うまいとしていたのだろう。ようやく、鎮痛剤の効果に身を委ねる気になったようだった。
 未来が眠りに落ちたことを確認し、生沢が立ち上がる。
「急いで手術の準備に入るから、お前は大月に報告して来い」
「あんな説明で良かったとは、とても思えませんよ!医療用じゃないどころか、彼女を軍事利用が可能なサイボーグにしようとしてるって言うのに……」
「分かってる!」
 咎めてきた杉田に、生沢が怒鳴った。
「しかし嘘は言っていない。何より、あの子の命を救うことが最優先だ。その後のことはそれから考えりゃいい。面倒ではあるがな。それよりも、あの子の神経のクローンが必要になるぞ。今のうちにお前も細胞培養の準備しとけ」
 今は口論をしている場合ではない。まずは未来を助けるための手術が必要なのだ。慌てて杉田が走り出した生沢の後に続く。
「あ、それから例の免疫抑制剤はここでは出すなとも、大月に伝えてくれ」
 汚れた白衣の前を留めながら、生沢が杉田に視線を向けた。
「いくらあの子が一番の適合者でも、容態があまりに危険だからな。ここで必要になることはまずない。あんたが考えてたよりも、状況はずっと悪いと報告しろよ」
 頷いた杉田は廊下の途中で生沢と別れ、大月の研究室に向かって走って行った。
 サイボーグ手術後に投与する免疫抑制剤は、大月と生沢が所属する製薬会社の新製品だ。必要不可欠な薬剤だが、副作用が強く出ることもわかっている。
 未来はその治験の参加者として会社のバンに乗っており、研究施設からの移動中に事故が故意に引き起こされた。
 数週間の治験の結果、彼女は群を抜いて免疫抑制剤との相性が良い個体とされたのだ。

コメント(8)

ひとつ聞いてもいい?
これだけの量で、原稿用紙(作文用紙?)何枚分なのかしら?
>めいみちゃん
とりあえず10000字いってないから、25枚以内でつ。
読ませて頂きました
この手の話しは好きなので続きが楽しみです
昔(学生の頃)はティーンズ小説なんかを読みまくっていたのですが最近は読む機会がすっかり無くなってしまい文章離れしていたのでリハビリも兼ねて楽しく読ませて頂きました

さて、未来ちゃんの運命やいかに!
続き楽しみにしております、頑張って下さい
>藤むらDさん
ラノベほど軽くなく、ハードSFよりは
とっつきやすい内容目指して書いてます。
次回のうpは週末を予定してますので、楽しみにして
お待ち頂ければ嬉しいですv
頑張りますね。
初めて読まさせていただきました。シンプルでかっこ良く、判りやすい文体。すごくいいと思います。先進プロテーゼ法による、身体の改変と拡張。サイバーパンクの一翼のテーマですね。私も医学関係に関心があって、今、似た様なのを書いてます。自閉症スペクトラム患者のミラーニューロン接続を、外科的に治療するという医療技術の話。ひょっとしてグレッグ・イーガンとか、お好きですか。先も楽しみに読ませて頂きます。
>かじやんさん
こちらでははじめまして!コミュ参加&早速のご感想をどうもありがとうございます。
筋力を増強してくれるロボットスーツは今現在、介護職の現場でも
実用化が進んでいるので、そう遠くないうちにサイボーグも実現できるんじゃ
ないのか?と思ってます。ちょっとわくわくしますよね。
えと……あまり難しいことはわからないのですが、私も昔は医者か科学者に
なるのが夢で、硬い専門書ばかり読んでいるような子供でしたよ。
でも私にとってのSFはもっぱらロボットアニメだったので、知識は
付け焼刃的なものかも知れません。大目に見ていただければ嬉しいです。
本作は完結済みなので、ごゆっくりお楽しみもらえればと思います。

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