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伊伎國見聞録コミュの−10−

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島の中央部に国片主神社(くにかたぬしじんじゃ)(延喜式内名神小社)があり、社名の由来について。『別名を国分神社(くにわけじんじゃ)という。神代に、大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)と少彦名神が天下を二分、神領も二分し、片方ずつ領有していたことに起因する』と記されています。

古事記にも『故、それより、大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき。然(さ)て後は、その少名毘古那神は、常世の国に度(わた)りましき』とあります。

国片神社の由来も古事記も、「この国」は大穴牟遅(大国主神の別称)と少名毘古那が二分して治めていたと言っています。

当時の感覚からすれば「この国」は日本全土を指すわけでなく、出雲の国、科野(しなの)の国、日向の国などに相当し、ここでは壱岐の国を指すことになります。

古事記の記す神功皇后の詠んだ歌の中に『この御酒(みき)は 我が御酒ならず 酒の司(かみ) 常世に坐(いま)す 石立(いわた)たす少名御神の云々』とあり、少名毘古那の国は「常世の国」と呼ばれていました。

壱岐の島は「豊葦原」と呼ばれ、大穴牟遅と少名毘古那が分割統治しており、その内の少名毘古那神の支配する地域を「常世の国」と読んでいたことになります。

壱岐は豊葦原とも呼ばれることも、常世の国と呼ばれることもあり、常世の国が宝来の国、蓬莱の国と呼び替えられ、美称としての「蓬莱」が壱岐の代名詞になったものでしょう。

大同類聚方「火遠理命(ほおりのみこと)が壱岐の住人だった」と記する古典が存在します。

歴史を伝えることを目的にする古典ではありませんので、政治的配慮もなく、かえって信憑性は高いはずです。

「大同類聚方(だいどうるじゅかた)」といい、平安時代に作られた日本最古の薬の辞典ですが、その中に思わぬことが記されています。

彦火火出見命(火遠理命)が、壱岐の石田の山の神である天手長男神社の祭神から授けられた「御方」として壱岐薬、赤間薬、大間薬などがあると記し、赤間薬について『赤間薬、長門(ながと)国(こく)赤間(あかま)稲城(いなぎ)等に傅(つた)ふる所、元は彦火火出見尊、壱岐の石麻呂この方を傳ふるなり』とあります。(姓氏家系大辞典より)

即ち、赤間薬は、天手長男神社(壱岐一宮)の祭神〜彦火火出見(火遠理命)〜壱岐の石麻呂〜長門国(山口県)の赤間(あかま)稲城(いなき)に伝えられたことになりますが、壱岐の一宮の祭神から日向の火(ほ)遠理(おりの)命(みこと)に伝えられ、再度、壱岐の石(いし)麻呂(まろ)に還元してから、改めて、長門の国の赤間稲城に伝えられたとは、とても考えられません。

赤間薬の伝達は、壱岐〜壱岐〜壱岐〜長門と考えるのが自然であり、火遠理命は壱岐の住人だったということになります。

(参考)壱岐は昔、壱岐郡(北部)と石田郡(南部)に分かれており、天手長男神社は石田郡にあり、壱岐国の一宮で、祭神として天忍穂耳命・天手(あめのた)力男(ちからおの)命(みこと)、天鈿女(あめのうずめの)命(みこと)が祭られており、その内の天手力男命が、御方を伝えたとされています。

コメント(1)

壱岐の石田は「石田(いわた)野(ぬ)とも呼ばれていました。」
旧石田郡には「粟島神社」がありますが「昔は、常世の社」と屋ばれています。
もちろん「御祭神はすくなひこなの神」です。
 いわたぬにいます「スクナヒコの神」は酒の神でもあられるのです。

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