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伊伎國見聞録コミュの−3−

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古事記成立の時代背景

古事記の完成は712年のことですが、最初に編纂を指示したのは天武天皇ですので、即位した672年前後の時代背景を考えてみましょう。

対外的には、白村江(はくそんこう)の戦いの敗退があります。

660年、大国・唐が朝鮮半島に進出、新羅と連携して半島の統一を図ります。

百済の滅亡は任那(みまな)の放棄に直結しますので、日本は大軍を送り、百済と共に唐・新羅連合軍と戦いましたが、大敗し、朝鮮半島からの撤退を余儀なくされました。

戦いは天智天皇の2年(663年)のことで、大規模な海賊が錦江(きんこう)の河口「白村江」で行われたことから、「白村江の戦い」と呼ばれています。

敗戦の結果、大国「唐」の侵攻に備え対馬や壱岐、筑紫沿岸などの国境の防備を本格的に固める必要が生じ、全土の力を集結することの出来る「求心力を持つ協力な統治者」が必要になってきました。

父・天智天皇は671年に崩御、皇子の大友皇子(おおとものおうじ)(弘文天皇)が近江で即位しますが、翌年には叔父の大海人皇子(天武天皇)に亡ぼされてしまいます。

(注)記紀は、兄・天智天皇から弟・天武天皇に継承と、弘文天皇を除外した皇位継承を伝えていますが、後に明治政府によって、38代天智天皇(父)39代弘文天皇(子)と、弘文天皇が追加されています。671年に近江の国で即位、672年の壬申の乱に敗れるまでの1年間、天皇としての即位期間があったと見直されたためです。

天武天皇は、国の内外に『この国は(従来の国を亡ぼし)天下を統一した「新しい国」であり、自分はその国の最初の天皇である。』ことを宣言しました。

考えすぎかもしれませんが、「新しい国」を名乗ったのは、巧妙で賢明な選択だったかもしれません。

「新しい国」は、「唐と戦った国」を亡ぼして建国した国ですから、唐からみれば、「敵の敵は味方」ということになり、日本に侵攻する大義名分を失い、結果だけからいえば、唐の侵攻を免れることが出来たからです。

国内の事情も簡単に見てみましょう。

この時代、国内においては急激に勢力を拡大し、辺境の地に進出しています。

655年には、蝦夷(えみし)、隼人の一部が帰服。

656年には吐火羅人(とからびと)の来朝。658年には安倍比羅夫(あべのひらふ)を派遣、蝦夷を征討。

こんな内外の事情の中で政権を奪取した天武天皇は、近隣諸国に対しては、従来の国を討伐して樹立した新しい国であることを、国内においては、新参の勢力に対して、天皇家が神々に繋がる皇統譜を有し、全土を統治すべき唯一無二の存在であることを、広く知らしめる必要がありました。

「古事記」の編纂はそんな流れの一環で、天武天皇は途中で崩御されましたが志は姪の元明(がんめい)天皇に継承され平城京遷都(710年)を機に、711年、安萬侶に撰録の指示が下されたものなのです。

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