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本能の壊れた岸田秀コミュの事件を岸田理論で説明

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社会で起きた事件を岸田理論で説明してみませんか?


世の中には不可解な事件がけっこう起きていますので、岸田理論の出番は今後ますます増えていくのではないでしょうか。そのような意味での提案です。


言い出しっぺの私から一つ。
あまりに卑近な例で恐縮なんですが、一例を挙げさせていただきます。


最近、教頭先生が下半身を露出して捕まった事件がありました。
http://m.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=voice&id=2784156&guid=ON

他の人の日記を読むと、理性が本能に負けたと解釈している方がいました。
しかし、下半身の露出は本来生殖に役立たない行動です。ですから、下半身の露出は動物的な本能に基づく行動ではありません。
岸田理論によると、人間は本能が壊れていますから、性的な行動も後天的に作られます。
教頭先生の性的行動のパターンは、通常人が示す性的行動とは違う方向に向かった、ということになると説明しうると思います。

コメント(54)

これは岸田理論ではないですね。フロイトなどの精神分析学的な説明の仕方かもしれません。
こういう説明の仕方ができるとして、これを岸田理論に組み込んで、より深化した整合性のある説明はできないものでしょうか…。
[013] idさん

このトピックの内容に関係ない話題を一つ。

このトピックの一番最初にidさんからコメントいただいたのに、「お久しぶりです。」って書き込みしてしまいました。

すみません。
STAP細胞の論文不正問題。組織、個人での自己欺瞞の連鎖は、日本国家自体が自己欺瞞でがんじがらめになっていることとパラレル、不可分の関係にあると考えます。 また、こういう種類の自己欺瞞及びストレスをセルフコントロールできない⇒うつ病発症 という流れに関心があります。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140401-00000079-mai-soci
[017] maru3さん


これはあくまでも一般論なんですが、人は嘘でも信じ切ることができるようになるそうです。例えば、被疑者は過酷な取り調べによりやってもいないのにやったと自白するのはそういうことらしいです。これは外部刺激(過酷な取り調べ)により自分が犯人であるとの私的幻想を抱くに至ったと説明することはできないでしょうか。

これと同様に研究の場においても、自己の功名心のため、あるいは周りからのプレッシャーにより写真の取り替えなども無意識的に行われることだってあり得るのではないでしょうか。
これは、故意に写真を取り替えるというのではなく、自分の発見を正当化したいという心の欲求のために、事実の認識レベルで、事実が嘘であるのに真実であるとの私的幻想を抱くに至るというんでしょうか、そういう気がします。
上段落については、いわゆるストックホルム症候群で、いずれにせよ自己欺瞞ですな。嘘でも信じきることはできるかもしれませんが、心のどこかで、それが嘘だと知りつつ嘘ではないと認識するという状態を人間は維持できると。無理やり犯人に仕立て上げられた屈辱感を抑圧しながらも、屈辱感は心のどこかでは消えない。 ただ、自分が犯人であると思い込むなんてのは可能なのでしょうかね?

下段落については、どうなんでしょうかね?

周りからのプレッシャーにより写真の取り替えなども無意識的に行われることだってあり得るのではないでしょうか。
↑あり得ると思います。

”嘘のでっち上げを無意識的にやってしまう” 最近、こういう事件が多いですね。 佐村河内氏のゴーストライター問題とか。
私が興味があるのは、そういう個人よりも、むしろそういう嘘を許容するメンタリティが今の日本にあって、周りの組織もその嘘を正面から追及出来なくなっているのではないかという部分です。
STAP細胞の論文不正問題では、理化学研究所は身内ということで、自浄作用がないことに加え、自らも何らかの嘘の体質があるためか、調査に一年かかるとかと言い出したりしている。
そして、すべての遠因、源泉は、日本国家が抱える自己欺瞞の連鎖で出来た共同幻想にあると。根本的には、言わずもがなアメリカとの関係において、属国であることを否認しているというところに行き着くという岸田唯幻論のお決まりの帰結点へ回帰すると。
[020] maru3さん


そうですね。

日本はアメリカがそうであるように自己欺瞞の国ですね。
敗戦による屈辱感を抑圧して、自由と民主主義の国になったと喜んでいますからね。
こういう抑圧された社会が、個人を抑圧している図式はありうる図式だと思います。
大学課題「女子は腋毛伸ばせ」、10週間ムダ毛処理止め男女の違い学ぶ。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=2962343

この話題も、岸田理論で容易に説明できそうですね。
>>[20]

おっしゃる通り、一番の問題は、被害に見合った追及ができない=詐欺師に甘いという点。

詐欺師を損害賠償で訴えない無責任。問題は、詐欺師ではなく、まわり、日本全体。

何が、見えない壁が遮っていると思います。

詐欺師については、岸田語録の「一流の詐欺師」でしょう。一時は、日本全国民を見事に騙した。
>>[22]
この分野は、唯幻論の得意分野ですかねw

話の中身より議論の周辺部分を語らせてください。

ジェンダーフリー論者というのは、構成主義とか構築主義社会学学派なんです。

この構成主義ってのが、アンチ実体主義で、社会は、何らかの実体的なものを理由に変化するものではなく、社会的に構成された認識によって出来ている。という教義。

具体的議論では、男らしさや女らしさという社会規範は、何ら生得的、生物学的な実体に根拠がある訳ではなく、社会的なまたは、歴史的に構築された観念と見るわけです。

性差のほとんどすべては、社会的に構築された観念。この性差をジェンダーと名付け生物的性差(セックス)と区別します。

このジェンダー論と女性解放論が結びついて、ジェンダーフリー(ジェンダーからの解放)運動になります。

ジェンダー論に反論する論客もいて、大論争があったわけですが、社会構築主義論者の切れ味は鋭く、圧勝します。

このあと、本論ですが、長いので、つづく。
[024] タクさん

コメントありがとうございます。


おっしゃるとおり、人の性差の多くは社会的に形成されたものに過ぎず、男女がそれぞれにその社会的な性差を受け入れているだけだと思います。

岸田理論はそうなる理由を説明するための一つの仮説と位置付けられます。
岸田理論によると、人間は本能が壊れていますから、その代替物として、社会的に規定された性差が存在すると説明されると思います。さらにいえば人間は種族保存のためにそうせざるを得なかったと説明するのだと思います。
>>[25]
おお!
絶滅、過疎状態と思ったが生存者がいた。
さて、脇毛や体毛を剃る、剃らないの授業は、規範をあえて破り規範の外へ出てその外部から規範を眺める実体験の授業というわけです。

授業の目指すところは、
1)女性は、腋毛を剃るという行動規範に実体的根拠はない。
2)しかし、この規範を破るとさまざまなトラブルや偏見にさらされる。

ジェンダーフリー運動は、まさに、このジェンダーに基づく女性差別からの偏見や差別をなくす運動です。

ジェンダーフリー論の強さは、社会構築主義の切れ味、分析手法の鋭さにあります。

そして、議論に圧勝するので、ジェンダー論は正しく、ジェンダーフリー運動も正しい。ということになって、日本でも雇用機会均等に絡めたり、教育の場で公金を使って進められている。

長々とすいません。ここまで、前書き。
次が本論。
ここで、社会構築主義と唯幻論の類似に気がつくでしょう。
「ジェンダー(性差)は、社会的に構築されている。実体的根拠はない。」

というのは、
「男らしさ女らしさの規範は、幻想だ。」というのと、同義です。

この指摘は、私独自のものではなく、某大学の某先生の御指摘です。

唯幻論は、社会構築主義のさきがけ、というわけです。
何しろ、時系列でいえば、唯幻論のほうが、古いらしい。
さらに、唯幻論の方が、簡明で分かり易いので優れている。というのが、某先生のご指摘です。
>>[25]
>岸田理論はそうなる理由を説明するための一つの仮説と位置付けられます。

全く異論はないのですが、そうなると社会学の一種で社会構築主義の一変種ということができるでしょう。

ただ、それ以上の何かが私を感動させる。それはなんだろうと、いま考えて、それは、岸田先生の話の中には、いつも、生身の人間がいる。泣いたり笑ったり失敗したり舞い上がったり、、、、。それが、私の心に響くのではないか。そうなると、文学ですね。まとまらない話で、すいません。

モノローグは、次回にする。
[031] タクさん


僕は社会構築主義など、全然知らないんですが、岸田理論とは相通ずるものがあるということですね。


僕が岸田理論に惹かれるのは、社会に起きている現象を単純明快に説明できているところなんですよ。僕自身も岸田先生の説明に納得できるところが多いです。
>>[32]

アカデミズムにおける唯幻論の位置付けがはっきりしないので、ちょっと、やってみたかった。

後世の学者が100年後ぐらいにやるかもしれない。

岸田秀は、現在、評論家を自称しておりますが、世間の評価もおおむねそのへんですが、それは、分かりやすさとか、納得しやすさなどの点が評価されているのでしょう。

それは、それですごいことです。これほど、長きに渡って評論活動できるだけでもすごい。
さらに、主張が全く変わっていません。
さらに、昔の評論をいま読み返しても新しいと思えることを言っている。ほとんどの時事評論が10年後には、読むに耐えないものになるのに。

これだけでも、すごい事ではありますが、それだけではない。
哲学者、心理学者、歴史学者という面もある。

まだ、岸田秀という知の巨人の全体を評価出来る人がいないのが現状だと思います。

唯幻論に関して、なんでも語り合うのが大好きです。
よろしく、お付き合いを。
さて、唯幻論は、社会構築主義と似ている点があるのですが、
個別具体論をみると、まったく別物のようです。

たとえば、唯幻論からジェンダーフリー論が導かれるとは、とうてい思えない。

ジェンダーフリー論や運動について、唯幻論が語るのは、ジェンダーは幻想。そして、ジェンダーフリー論も幻想。ということ。
さらに、その幻想は、どんな理由で成立し、どんな機能を持っているか。
さらに、たかが幻想、されど幻想。社会的性差からの解放といってもそう簡単ではないだろうということ。等々。

現在、日本でもジェンダーフリー教育なるものがあるようですが、当事者の思惑通りに上手くいくとは思えない。女性がじゆうになるどころか、不自由になるのではないか。
おしまい。
名前尋ねる捜査員に「はい」=監禁された小5女児―岡山

 女児が見つかったのは、藤原容疑者宅の1階の4畳半。捜査員が到着した時、パジャマ姿で寝転んでテレビを見ており、捜査員の姿を見た女児は「何、何? 」と驚いた表情を見せた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00000005-jij-soci

さらに、14日午後4時半ごろ、女児の自宅近くの路上で連れ去る際、刃物のようなものを突 き付け、「殺すぞ」と脅していたことも判明。
http://www.sanyonews.jp/sap/article/44508/

==============================
ストックホルム症候群。
岸田自我理論でこの不思議は、説明済み。
でも、実際に起こるとやっぱ驚くね。
これを現代日本社会に当てはめて日本の不思議を説明するのが唯幻論の独自の手法。
しかし、日本人自体は、不思議と思っていない。行動の矛盾の説明はできない。問題は、無自覚にやっているので、こも行動矛盾に気がつかず抜け出せないこと。外国から見れば、不思議の国になる。
[035] タクさん

僕もこの事例はストックホルム症候群で説明できるかもしれないと思いました。
>>[36]
ストックホルム症候群は、恐怖による支配という状況で起きるようですね。
原爆を落とされ、一瞬にして十数万人殺された。ここまで残忍な戦闘もないですよ。いくら戦争といっても。

米国は、アラブ統制を恐怖を持ってやってます。逆らう者には、無人機で空爆ます。
さらに、陸上軍で指導者を処刑し、傀儡政権までつくる。
これは、恐怖による支配でなくてなんでしょう。
しかし、アラブ民は、ストックホルム症候群にかからず、米国の支配に反対する人が多数派。

日本は、この恐怖支配を恐怖と感じない。見えない。矛盾する行動もせつめいできない。米国に従うだけ。抜け出せない。
英語は世界でもっとも言葉の貸し借りが多い言語である:研究結果
http://www.lifehacker.jp/2014/07/140721english.html

Popular Science:Chemise(シュミーズ)、schadenfreude(シャーデンフロイデ)、Tennessee(テネシー)など、英語は他の言語からの「借用語」が多い言語です。その英語が、今では世界で一番言葉を「輸出」しているそうです。米ボストン・グローブ紙が次のように報じています。

フィンランドでは、グローブ紙の記者であるブリット·ピーターソン氏が、「hot jooga」という言葉に遭遇しました(joogaはフィンランド語でヨガ)。 また、日本語の「フライ」は英語の「fry」から来ています。フランスは、英語の「smoking(喫煙)」を「タキシード」を意味する言葉に変えてしまいました。
英語が借用語を世界でもっとも輸出している事実は、国際言語としての重要性を表しています。「ある言語がどれだけ借用されたかは、その言語の優位性を計る指標の1つだ」と、マックス・プランク研究所の言語学者、マーチン・ハスペルマス氏は言います。例えば、北京語は長い間、アジアで絶大な勢力を誇っていました。しかし、同研究所で世界41言語の被借用率を調べたところ、北京語は最下位だったそうです。
ここから推論できることは、言葉の貸し借りは友好的に行われるものではないということです。借用語の多くは、戦争後の占領期に無理やり植え付けられたものです。例えば、ベトナム語の中にあるフランス語由来の借用語は、植民地時代の名残です。その国の文化と母語を守るために、借用語を追放しようとする国もあります。現代においてそれは、英語に抵抗することを意味します。
英語は今でこそ影響力を持っていますが、マックス・プランク研究所の調査によると、世界でもっとも借用語が多い言語でもあるそうです。英単語の実に42%が外国語からの借用語とのこと。おそらくこれが、英語が成人にとって学習が難しい言語である理由の1つなのでしょう。

================================

外来語は、侵略の一つの指標になるでしょう。
英語という言語は、外来語(借用語)が非常に多い。つまり、侵略され差別された民族の言語ではないか。

何度も支配され、差別された民族が、いま、世界を支配している。
現代では、日本語だけでなく、世界の言語に英語が侵略している。
植民地支配された土地の言語は、植民者の言語に侵略されます。
フィリピンは、スペインに支配された時期に、スペイン語がかなり流入している。たとえば、現在でも数の数え方が二通りあって、スペイン語とタガログ(フィリピン語)です。こういう痕跡は、混乱や煩雑さになっていると思う。
米国にも支配されて、フィリピンの第二言語になっています。

インドも長い英国支配の歴史があり、英語が共通語の役割をしている。だけでなく、日常会話に、借入語ではなく、英語が文章で入ってきます。英語と現地語を混ぜて話している。

日本は、まだ、文章まで入ってきていないですね。あくまで、単語。それも、カタカナにして英語の侵略に壁を作っている。
ストックホルム症候群の件の誘拐犯は、カントを大学院で研究して、カントを愛していたらしい。

カントと言えば、エロ写真を隠し持っていた、真面目人間。
と言うような事が、岸田先生の対談にあったと思うが、どういう文脈で出てきたのか、思い出せない。
首相>ヘイトスピーチ「対処する」 都知事と意見交換

安倍晋三首相は7日、首相官邸で東京都の舛添要一知事と会談し、日韓関係について意見交換した。舛添氏は2020年の東京五輪・パラリンピック開催に向けて、人種差別を助長するヘイトスピーチ(憎悪表現)への対策を検討するよう要望。首相は「しっかり対処しなくてはならない」と述べ、対策を検討する考えを示した。 首相はヘイトスピーチについて「国際社会の関係を誠実に築き上げてきた日本の誇りを傷つけるものだ」と指摘した。 舛添氏はまた、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領との会談内容に関し「韓国側は日韓関係をなんとか改善したいという気持ちが強いという印象を受けた」と報告。首相は「同様の気持ちだ」と、日韓関係改善に改めて意欲を示した。【木下訓明】

================
ヘイトスピーチ禁止は、明らかに愚策。
抑圧されたものは、消滅するわけではなく、見えないところで増殖し、歪んだ形で表現されるであろう。

発言を禁止され会場から排除された論者は、消滅するすることなく、会場外で騒ぎ、再び会場に侵入してくる。

というのは、フロイトでしたか?

そもそも、憎悪を法律で禁止できるわけはない。禁止すべきでもない。私は、憎悪表現は、スケベ表現と同じ程度のマナー違反で下品でいいと思う。
度が過ぎれば、名誉毀損、脅迫、営業妨害で大きな罰金を課せばいい。現行法対応可能。裁判に訴える者の負担軽減は、必要かもしれない。
エリートは、不祥事があると途端に弱い面をさらすことがある。
入院したり、自ら死を選択したり…。

また、エリートは失敗に弱い。
一度失敗しただけで挫け仕事の意欲をなくしたりする。叩かれたらその落ち込みようは尋常ではない。
要するに、エリートは、相対的に環境の変化に弱い。特に、急激な変化に耐えられない。

彼ら彼女らは、自分が失脚したら、生きていけないと思っているかのようだ。
でもそんなことはない。現在の地位を失っても、選り好みしなければ、いくらでも仕事はあり、十分幸せに生きていける。


エリートが、環境の変化に弱いのは、現在の地位が永続するという私的幻想に捕らわれているからであると思う。
人の能力というのは加齢に伴って衰えるものであるし、生きていたら突然何かあるのが人生だから、人に与えられた地位が永続するというのは幻想である。
いや、エリートもそれは観念的にはわかっているのかもしれない。しかし、自分だけは他のエリートとは違うと(多くのエリートが)思っているという言い方ができるかもしれない。
■女性暴行未遂容疑で17歳逮捕=盗まれた警察手帳も所持―埼玉県警
(時事通信社 - 10月08日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3087569

この事件に関する日記やつぶやきには、去勢しろという意見が散見されます。
しかし、岸田理論によれば去勢は無意味という結論になるものと思われます。
以下、私の日記の中での私なりの説明
http://m.mixi.jp/view_diary.pl?guid=ON&id=1933599899&owner_id=47122285&via=list_diary_history
今角界は、日馬富士の暴行事件で大騒ぎですが、これに関して角界の隠蔽体質が取り沙汰されています。
力士間で暴行事件があったにも関わらず、それがあたかもなかったかのようにされてしまう可能性があると言われています。
こういう角界の体質がもしあるのだとすればどういうことなのか。岸田理論で自分なりに考察してみました。


相撲というのは現在はスポーツ興行であり、庶民の娯楽の一つですが、かつては、神事として行われていたそうです。つまり、神聖な儀式だったわけですね。土俵入りなどにその名残があると思います。
神聖な儀式である相撲において、その最高位にある横綱は、単に強いというだけではなく人格的にも高潔で間違ったことはしてはななりません。なにしろ神事の中の最高位なんですから。

ですから、横綱は間違ってもキレて暴力沙汰など起こすはずがないという認識が角界関係者の中にあるといいますか、そうであるはずだという希望的観測がこの事件の背景にあると思われます。
こういう長い間培われてきた考え方が角界という閉鎖された集団の支配的認識なんじゃないでしょうか。
つまり、角界は、「横綱は間違いを起こさない」という「共同幻想」にとり憑かれた、いわゆる「自閉的共同体」だということです。

しかし、横綱も人間です。腹が立つことだってあるでしょうし、場合によってはほかの力士をぶん殴る人だっているかもしれません。この点は世間といっしょです。
ですが、角界側からみたらそんなことは決してあってはならない。ですから、あったものをなかったかのように扱ったり、事実を自分たちに都合のよい勝手な解釈を施したりして、事件を有耶無耶にしたりするということが行われるのではないでしょうか。

以上が僕自身の分析です。
横綱にしろ誰にしろ、稽古以外で殴ったりすれば、それは暴力事件だろうと思いますが、一応、横綱は品格もそなわっていなければならないことになっているので、余計に暴力事件を起こせば問題は大きい。
だから、もし起きてしまったらどうするかということが頭を悩ませることになる。
無かったことにすべくもみ消して、世間に知られないようにするか。
問題をできる限り小さいものに協会内で口裏合わせをするか。
そんな暴力事件を起こすような横綱は、事件を大っぴらにしてでも品格のともなわない者として引退させるか。

舵取りの難しいところですね。
単なる一スポーツ興行で、
パワハラ、酒乱、談合八百長体質を自閉的共同体が支えているということじゃないですかねぇ。
横綱の品格とは建前だと誰でも思っているのでは。
>>[046]


角界関係者は誰もが横綱の品格が建前にすぎないと頭ではわかってはいても、それを脅迫観念的に求めてしまうということでしょうかね。
白鳳に代表されるひどい取り組みをみると、建前だと思っているから「横綱の品格」を問わずに興行を優先しているように思えます。
朝青龍の場合のように、何らかの問題対立があった場合に「横綱の品格」を理由に排除します。
>>[048]


なるほど。

相手力士の頬をひっぱたくようなひどい取り組みに対して文句言う関係者はいてもそれ以上の処分なんてないですからね。
「日本死ね」と「朝日新聞死ね」について
多くの日本人はその個々の自我の多くの部分を日本人であることで支えらています。
その自我の一部である日本を死ねと攻撃されると、お前が死ねとする反発は当然でしょう。

私の自我は森羅万象に支えられていますが、その自我を攻撃する対象は私の自我からは排除しようと考えます。
私の自我を攻撃する朝日新聞死ね。
>>[050]



こんにちは。


岸田先生がお説きになるように、日本は、黒船襲来以降、単一の国家であるにもかかわらす、自我が内的自己と外的自己に分裂しているわけですが日新聞は外的自己の象徴だと言えそうですね。
朝日新聞は外的自己だとは思っていないのですよ。反日の捏造メディアと思っています。
外的自己を代表するのはアメリカポチの読売新聞、産経新聞じゃないですかね。
大相撲(放送を含めた利権)の世界だけじゃなく、政治(国会議員、官僚、警察検察裁判所)の業界でも同じですね。
>>[20]

ゴーストライター問題とSTAP細胞事件は取り扱い方が違っていいのではないか、とおもいます。
ゴーストライターは問題でも何でもなく、業界で一般的に行われている、というのが私の認識。(音楽であれ、小説であれ、映画であれ。。) ゴーストであろうとリアルであろうと、いい物はいい、つまらんものはつまらん、作者なんてどのみち消えてしまう物、誰か(ロボットでもかまわない)がつくった、という程度でいいのじゃないか、料理と同じ、美味ければいい、制作者などだれでもかまわない。

研究論文の場合。これは事実、を私がよく知らないからかなり想定の部分がおおくなるが。Oさんがねつ造した、という証拠写真。これは、写真などどうでもいい、わたしが発見したある現象は確実に存在するわたしがこの目で見た(リアル)のであり、それを証拠立てる=論文レフリー含めた有象無象が納得する、などは事実の存在に何の影響も与えない、−> ねつ造してもそれがどうだというのか?。。。くらいの認識ではなかったのか? これはOさんだけじゃなく、Oさん周囲の協力者と共有されている認識ではなかったのか?

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