ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏典(ダンマパダなど)コミュのベンガル仏教徒の話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
バングラデシュのチッタゴンという街にベンガル人仏教徒がいます。
ここではブッタの時代に最も近いとされる南伝仏教が信仰されています。

死を当たり前だと考え、死を前にした病人がでた際には、僧侶がその家を訪れますが、神や仏などといった類のものに延命を祈願することはありません。

ただ死を前にした方に、死を避ける場所はなく、死を当たり前のものだというブッタの言葉を語り、今できる限りの善行を勧め、家族にはただただ病人がしたきた今までの善行を思い出し様に勧めるのみなんだそうです。

祈願ばかりし、欲と終着に悶絶する私に本来のブッタの教えを私に語りかけてくる様です。

コメント(4)

もっと生きさせて下さいと願い執着するのは、死の間際にあって確かに未熟な姿なのかもしれませんね。
原因があって結果がある。それを超える力がさもどこかにあるかのように思って、その超自然的な力に頼るのはシャキャムニ・ブッダの思想とは異なるものですね。
>>[1]

ベンガル仏教徒の葬儀で慎まなければならない事は嘆き悲しむ事であり、葬儀においては、嘆き悲しむ者とそれを静止させようとする者とのやりとりがよく見受けられるそうです。
大乗に慣れ親しんだ私には、これらの行為は薄情で、祈りのない行為は一見救いのないものの様に感じますが、ゴータマブッタはそもそも死を不幸なものとは定義していなかったのですから、ベンガル人仏教徒のこの行為こそ、仏教の本質にそったものなのかもしれませんね。
>>[003]

チベット仏教も大乗仏教でありながら、死に際しては同じような考えと態度に立つものです。
日本では亡くなっていく人への愛着や悲しみを惜しげもなく表現しますが、
六道輪廻と修行の重要性を心から信じているチベット人は、死を修行の一環であり新しい生への旅立ちであって、見守る者たちがその修行を助けてあげるべきものと考えているようですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏典(ダンマパダなど) 更新情報

原始仏典(ダンマパダなど)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング