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霊・精神・身体医学 研究会コミュの「命の木の生き方」は、人を健康にする

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霊が「命」で満たされると、霊・精神・身体は命にあふれ健康になると考えられるので、「命」に満たされるように生きることは非常に大切なことだと思います。

ところで、「命の木の生き方」の本質は、じつは、「神の生き方」とも言えるのではないでしょうか。
(参考として、図http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitokaminoikikata.htmにまとめてみました。)

そして、「命の木の生き方」は、ひとことで言うと「内面重視、中味重視」であり、「善悪の木の生き方」は「外面重視で、見た目にとらわれた」生き方と考えられます。

***

図にしてみると、いろいろなことが見えて来ると思います。
それらは・・・・

?「命の木の生き方」は、神の生き方と考えられ、神の国の生き方である。

?神は、私達との「命の触れ合い」を第一に求めておられる。

そして、私達の思考は、すべて このことをスタートとして考えればよい。(例えば、「日曜日の礼拝を優先させるべきか?部活を優先させるべきか?」とか、献金の問題、聖書はアルコールについて何と言っているのかとか、お雛さまや鯉のぼりには関わってもいいのか・・・・など、いろいろな問題は、すべて「神と自分との命の触れ合い」をまず第一に考えて、その次に、それらの問題を考えれば良いことが、明瞭になってくる。)

つまり、「命の木の平面」で行なえば、あらゆる事は神との命の触れ合いの結果であるので、基本的にはみこころにかなう事であり、「善悪の平面」で行なえば、「善行」さえも罪となってしまう(←なぜなら、動機が外面を取り繕うためであるから)のである。

?「命の木の生き方」は「内面、中味」重視であり、「善悪の木の生き方」は「外面、見かけ」重視の生き方である。

・・・・などです。



***********<以下、参考の図>*************************************


【図】…【命の木と善悪の木:聖書全体の流れ】

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotinonenpyou.htm

【図】…【命の木と、善悪の木の「ライフスタイル」。。。。対照表??】

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatu.htm

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatunotuika.htm


********<図・その他>*********************************


【命の木の平面と、善悪の木の平面の生き方の違い。脳と心のエネルギー源の視点から】
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouzenakutoinochinokanryaku.htm

【心の構造モデル】
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzou.htm

【心の構造モデル:一般版】
(簡易版)
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzouippannosekaikan.htm
(詳細版)
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/kouzou3kairisounododai.htm

コメント(12)

間違いなく、正しいものと思います。

「人を救うことは善だから、救う行動をとろう」という道義は、仮面的ですわ。
人を救うということは、命を救うこと。
命の木の平面にあたることでしょう。

善悪の平面として、行き着くところ、
「神を語ることは善だから、神を語る行動をとろう。」
と神を語ってしまうほどの極限はないわけで・・・

それでもこの世は、善悪と道義(命の木)の両方の歯車かぁ。。。

美談は命がかかっているものがなぜか多いですね。


>1 ROCKAさん

コメントありがとうございます。

>それでもこの世は、善悪と道義(命の木)の両方の歯車かぁ。。。

確かにそういう面があると思います。
立ち位置としては「命の木の平面」に立った上で、善悪を考えるようにしています。
>イエスといのちの木を、直結する聖句があるといいのですが、どこかありましたでしょうか?探しているのですが

ルカ 22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」

ヨハネ 6:48 わたしはいのちのパンです。

わたしは、この二つがそうだと思っています。


●「命の木のライフスタイル」と「善悪の木のライフスタイル」の対照表?を試作しました。(ポイントなどを追加)

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatunotuika.htm

●対照表?(既出)・・・http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatu.htm
いろいろな図をこれまで試作してみましたが、「善悪の木の平面」で生きるのではなく、「命の木の平面」で生きることの大切さを日に日に実感しています。

創世記には、「命の木」と「善悪の木」があったのに、黙示録の最後では「命の木」だけになっている事から考えて、
聖書のメッセージは、実はただひとつであり、それは・・・・

「人は、命の木の生き方で生きるべき存在である」

ということなのではないでしょうか。

****

上記の図、http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitokaminoikikata.htmを作ってから、その図も念頭に置いて、日曜日のメッセージを聞いたり、聖書を読んだり、社会情勢を見たりしていますが、(手前ミソで恐縮ですが)意外と使えるように思っています。


(家でも、子供たち(・・・といっても大学生くらい)の意見も聞いてみましたが、評判はいまのところ悪くはないようです。彼らは、小さいときから教会で、「善悪の木の平面」の生き方も、「命の木の平面」の生き方も見聞きしているので、その意見は、私にとっては大変参考になります。)

***

今回、まとめのために、>0に、他の図も引用しておきました。
あらためて、人生の目的について、「命の木と善悪の木の生き方」を念頭に置いて考えてみました。

その理由は、「人生の目的は、神の栄光を現わすことである」という答えが、
いつの間にか、なぜか「しっくり来なくなった」ためです。

しばらく考えていたのですが、けっこう納得できる解答にたどり着きました。
それは、以下のようなものです。(「真理はあなたを自由にする」(ルーク・カラサワ氏著)も参考にさせて頂きました)

***

?まず、神の究極の目的は、「人と共に住むこと」である。(聖書:黙示録2
1:3)
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatu.htm

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/inotitozenakunohyounoinsatunotuika.htm

?したがって、人の究極の目的も「神と共に住むこと(神と共にいること)」
である。

?ところで、キリスト者の場合、すでに、神である聖霊・キリストが内にいる
ので、「神と共にあること」という目的は、基本的には、すでに達成している
(!)のである。

?そして、人は、「人生の究極の目的は、実は、すでに達成しているのだ」と
いう事実に「安住」して良いのである!(←これによる、「心が安心を得る」
という事は、キリスト者の精神衛生上とても大切である。)

?人は、「安住、安心、安息」すると、不思議と、じわじわと生きるエネルギ
ーがわいてくる。(そのように、もともと、脳が作られているのである。)

?(キリストとつながっている限りにおいて)その、自然にわいて来たエネルギーで
「何か」をすると、結果としてそれは神の御心にかなっており、「結果として
、自然に、」神の栄光を現わしているのである。

(注「あなたがたの中に願いを起こさせて実現に至らせるのは神であって、それは、神の良しとされるところである」と聖書にある。そして、こういうライフ・スタイルこそが、「善悪の木の平面での生き方」でなく、「命の木の平面の生き方」の基本なのである。)

?以上が、キリスト者の(人間の) この世での生きる目的と考えられる。

***

(「親は、子供がそばにいるだけで幸せを感ずる」と思うが、神も同じな
のではないだろうか。)

(もちろん、この世での生きる目的には、「神を愛し、神に愛されること」「
キリストをのべ伝えること」などもある。・・・・・しかし、今回、あらため
て思ったことは、「神を愛する」前に、まず、人は「神と共にある」ことが第
一の目的なのである、という事である。この違いは大きい。なぜなら、「神と
共にある」ことは、「神を愛する」ことと違い、キリスト者ならば、だれにで
も簡単にできる(・・・正確には、すでに成しとげている)ことだからである。)

(よくありがちな、「まず、とにかく、神の栄光を(がんばって)現わそう」
と考える生き方は、いつか疲れてしまうと思われ、ある意味 危険ではないだ
ろうか。)
とても府に落ちる考えだなあ
と思いました

>「まず、とにかく、神の栄光を(がんばって)現わそう」
と考える生き方は、いつか疲れてしまうと思われ、ある意味 危険ではないだ
ろうか。

同感です。
>やまだいかん さん。

コメントありがとうございます。

話はそれますが^^ 禁煙学がご専門とのこと。最近、産業医もしておりまして、職員の喫煙対策に関心を持っております。機会がありましたら、いろいろとご教示ください。
冒頭に、
「霊が「命」で満たされると、霊・精神・身体は命にあふれ健康になると考えられる」と書きましたが、このように「生き生きと生きる」生き方を

「ウェルネス」

・・・・・と言うことを知りました。
「日本心身医学会」の定期雑誌にのっていました。

***

「公衆衛生医であったハルパート・ダン博士は、新しい健康の概念として Wellness を発表しました。彼は1950年代後半に、ワシントンDC近くの教会で行われた講演の中でこの考えを明らかにし、1961年に「ハイレベルウエルネス」として出版しました。これがウエルネスに関する最初の出版物です。

そして彼はウエルネスとは、個人が持つ潜在能力を最大限に生かす機能を統合したものである、と定義づけしています。」

・・・ということのようです。
http://wakayama.cool.ne.jp/wakayama-kinokawa/ysub7.shtml

***

日本ウェルネス学会もあるようです。
http://www.j-ws.jp/

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