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Lady Tramaine Hawkinsコミュの■トラメイン 来日特別インタビュー2007_Part3

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■トラメイン 来日特別インタビュー2007_Part2
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26799090&comm_id=2859652
からの続きです。

ブラック・ゴスペル情報サイト:Global Gospel Communication
【トラメイン・ホーキンス 来日特別インタビュー2007】
http://page.freett.com/globalgospel/jpdiary/2007/Tram.int.html

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(C) インタビュー、翻訳、構成/古澤英明
無断転載不可
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−すいません、少し、あなたのプロフィールを確認させて下さいネ。実は、私なりにかなり詳細に渡った記事を作成したのですが、ご本人に確認して間違いが無いかの確認をずっとしたかったんです。

 勿論、大丈夫よ。

−あなたが幼少期に最初に俗したと言う「サンシャイン・バンド」というのはどのようなグループだったんですか?

 あれは所謂、キッズ・クワイアだったのよ。私の祖父の教会、エフィシアン教会所属のね。「ヘブンリー・トーンズ」はそこから生まれたグループなのよ。私が「ヘブンリー・トーンズ」に参加したのは7歳の時ね。

−その時、既にウォルターと出会っていた、というのは事実ですか?

 そうよ、ウォルターはヘブンリー・トーンズの正式なピアニストだったんだもの。その時に初めて私はウォルターと出会ったのよ。

−次に、後に全米No.1シングルも発表する「ハニー・コーン」の創設メンバーとして声が掛かった、と言うのも事実だったんでしょうか?

 本当よ。

 実際に、確か3週間ほど彼らのリハーサルに顔を出していたのだけど、ある夜、夢にイエス様が現れて、「違う」と言われたの。それでハニー・コーンのマネージャーに連絡して断ったのよ。

−その頃に、エドウィン・ホーキンス・シンガーズ(以下、EHS)の元となる「ノーザン・カリフォルニア・ステーツ・ユース・クワイア」に参加していたんですね?

 多分、それはハニー・コーンの後ね。クワイアの結成は1967年だと思うわ。(*訳者注:ジョエルやその他の方々から、結構、トラメインは年代的な間違いをしてしまうケースもあると言われました…(苦笑)。なので、このインタビューでは、もしかしたら年代が正確では無いケースがあるかもしれませんが、まあ、当人の言葉と言う事でお許し下さい!)

−当時の資料では、創設者がベティー・ワトソンと記しているものが大半で、エドウィンでは無いようなのですが、それが何故、エドウィン・ホーキンス・シンガーズとなったのでしょうか?

 ベティーは、確かに創設者なんだけれど、彼女はオーガナイザーと言うか、マネージャー的な役割を負っていて、アドミニストレーションなどが主な仕事だったの。エドウィンはあのクワイアのミュージック・ディレクターだったのよ。

−なるほど。それでエドウィンがクワイアを率いる形になったんですね。

−エドウィン達が貴女の祖父の教会(エフィシアン・COGIC)で「Oh Happy Day」を含む『Let Us Go Into The House Of The Lord』を録音したのは、やはり親族である貴女がいた事が大きな理由なのかな?と推測していたのですが、実際はどうだったんでしょう?

 それはその通りよ。だけど、それだけではないわ。

 つまり、エドウィン達は当時、私の祖父の教会のミュージシャンも務めていたの。

 エドウィン達は、そもそもは、同じエリアのグッド・サマリタン・COGIC(Good Samaritan COGIC)のメンバーだったんだけど、ある日、私の祖父のメッセージを聞いて、更に教会の音楽ディレクターだったオーラ・アンドリュース(Ola Andrews)に感銘を受けて、私の祖父の教会に移って来たのよ。そこで奏楽の奉仕をしてくれていたの。だから、教会としても彼等は顔馴染みであったのよ。

−その後、アンドレ・クラウチとのツアーに参加するなどで一時期、EHSを離れた訳ですが、その理由は何だったんですか?

 極めて個人的な理由よ。但し、目指す音楽性が異なった、とか、いさかいがあったからではないの。私はエドウィン達とのツアーを楽しんでたわ。初めてニューヨークに行って、マジソン・スクエア・ガーデンでジャクソン5やエドウィン・スターとの合同コンサートもあったしね。マジソンではゴスペルを歌うアーティストは確かに私たち以外に居なかったけれどね。

−そのアンドレ・クラウチとの係わりですが、当時の『Take a Message Everywhere』の裏にあったライナー・ノーツを読むと、アンドレはあなたのことを「若い10代のソウル・シンガー」と紹介してますね。ついでに、トラメインの綴りも間違ってましたが!(笑)

 知らなかったわ(爆笑)

−それで、あなたが参加して、アンドレ・クラウチに初のグラミー賞ノミネートをもたらしたとシングル「Christian People」がリリースされたのは、アルバムより先だったんでしょうか?

 いえ、アルバムの後だと思うわ。

−この曲は多分、どのアルバムにも収録されていないですよね?私は一度も聞いた事がないんですよ。

 あら、そうなの?(と言って、幻の?Christian Peopleのサビを歌い始める…)

−この前後から、イマイチ、時制の一致と言うか、辻褄が合わなくなってるんですが…まず、ウォルターがEHSを抜けたのはいつ頃だったのでしょう?

 彼は自らのミニストリーを始める為に離れたのよ。多分、1970年か、71年かしら?私がウォルターと結婚したのが19歳の時で、ジェイミーが生まれたのが1972年の筈だから…多分、そうよ。

−それで、あなた自身がEHSから抜けたのはいつ頃だったんでしょう?

 ウォルターが辞めて1年後だったわ。

 やはり、牧師の妻として、1年中、ツアーに出ていると言うのは無理があった。私にはウォルターを支える責任があったから。だから1年後にグループを離れてからは、その他の歌手活動もあまりしなくなって、ラブ・センターのみんなが私を教会でちゃんと見かけるようになったし、より、彼をサポートするようなったわ。

−どうやらホテルに帰る時間になったようです。トラメイン、お疲れの所、本当にありがとうございました!

 いえいえ、楽しかったわ。ありがとう。


(C) インタビュー、翻訳、構成/古澤英明
無断転載不可

◎多忙なトラメインのスケジュールの合間を縫ってのインタビューを許可下さったMeg & Piano Koji Misic Ministryに心から感謝します!

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