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ドゥルーズ資料館コミュのドゥルーズの遺著『マルクスの偉大さ』を求めて

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知らなかった。三連発の驚きである。小誌掲示板で読者のエヌさんが、今月(2002年2月)に、ミニュイ社からドゥルーズの論文集が出ることを教えてくれた。驚愕。続いては、「みすず」490号(2002年1月、みすず書房刊)で、毎年恒例の識者による読書アンケートを読んでいたら、スラヴォイ・ジジェクがいの一番
に、昨年スイユ社から刊行されたラカンの新刊"Autres Ecrits"を挙げ、「『エクリ』には収録されていない、大方が晩年に書かれたものを集めた著述集」と紹介していた。驚愕。さらにフランスに留学中の知人から、今月にとある「待望の新刊」が某大手版元から刊行されたことを聞き、驚いた。この三つ目はまさに「とうとう活字になったか」という類の草稿系の超重要書なので、きちんと紹介すべきなのだが、私自身の仕事に関連してくることもあり、残念ながらまた次回に紹介したい。

ドゥルーズの論文集"L'Ile deserte et autres textes: Textes et entretiens 1953-1974"(アクサンが抜けており、申し訳ない)は、その名の通り1953年から1974年までの単著未収録のものを中心とした、論文・インタビュー・序文・書評等39編をまとめたもの。巻頭を飾るのは未発表のテクスト"Cause et
raisons des iles desertes"(1950)。すでに『ドゥルーズ初期』(夏目書房)や『ミシェル・フーコー思考集成』(筑摩書房)などに収録されているテクストもある。先月(2002年1月)刊行された『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫)に収録されたドゥルーズ論文「ノマドの思考」のクレジットがMinuit 2002と
なっていて当時首をかしげたのだが、つまりはこの論文集に収録されるからだったのだ。

この論文集を企画したDavid Lapoujadeによる解説によれば、1975年から1995年までのテクストを収録した"Deux regimes de fous et autres textes"が続刊予定とのこと。第一巻は400頁を超えるし、第二巻は未刊ということで、邦訳されるのはまだまだ先だろう。前回、洋書ブックフェアの成功のお陰で、三省堂書
店神田本店人文書売場で洋書を扱うことが可能になりそうだと書いたが、このドゥルーズの論文集第一巻もまもなく入荷するはずなので、現物を手に取りたい、という方は店頭の哲学・現代思想棚を覗いてみて欲しい。なお、以前、ロトランジェについて記事を書いたとき、彼がドゥルーズの単行本未収録テクスト約60本を
集めた英訳版論文集、その名も『マイナーワークス』を企画編纂していると書いたが、これはまだ当分未刊のようで、ひょっとしたら、フランス本国でのこれらの動きに対応して、企画を練り直しているのかもしれないなと推測している。

さて、この論文集について詳細に述べるのが本稿の目的ではなく、ドゥルーズ自身が生前から「最後の本」と語っていた『マルクスの偉大さ』について、ここ半年ほどで得た情報をご紹介したい。ご承知の方も多いと思うが、ドゥルーズはディディエ・エリボンの質問に答えて、こう語ったという、「マルクスは間違っていた
などという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終わったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。(……)次の著作は『マルクスの偉大
さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。(……)私はもう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を書くでしょう」。これは、1995年11月15日(ドゥルースが自死したのは同年同月4日)付けの『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥー
ル』に掲載されたインタビューからの引用であり、インタビューの抄訳は、『批評空間』第II期9号(1996年4月発行)に掲載されている。もともとは1994年に行われたインタビューだそうだ。

またドゥルーズへの追悼文の中で、デリダはこう述べている、「三年前、最悪の時期に、私がマルクスについて書いていたとき、彼もまたマルクスについて書こうとしていることを知って、ややほっとしたものです」。1995年11月7日付『リベラシオン』紙。邦訳掲載誌は『現代思想』1996年1月号:緊急特集=ジル・ドゥ
ルーズ。

これらの証言を聞くと、たとえ完成稿ではないにせよ、ドゥルーズの『マルクスの偉大さ』は草稿が残っているのではと推察できる。アントニオ・ネグリからはさらに決定的な証言がある、「ドゥルーズの最後の仕事、『マルクスの偉大さ』をみれば、そこにもやはり素晴らしい考えが見いだされる。というのは、そこで彼
は、《普通名詞》(ある概念を構成する知覚の全体)の定義が体現するようなある認識論的な立場を、認識論的共同体の言語学的構築として表現しようとしているからである。つまり、《普通名詞》の生産過程を存在論的過程へと読み換えることがくわだてられているのである。コミュニズム、それはコミューンに生成する多
数者・多数性である。といっても、それはひとつの前提や、ひとつの観念、何か隠された形而上学的なもの、あるいはひとつの統一性といったものがそこにあるということを意味しない。それは一なるものに逆らう共同であり、極限にまでおし進められた反プラトン主義である。それは、思想の発展のなかで早くから登場して
いた考え、つまりユートピアが必然的に統一性を構成したり、権力の統一と主権の問題を解決するといった類のコミュニズムの考えの裏返しでさえある。ここでは、共同を構成するのは多数者=多数性である。ドゥルーズ未刊の書、『マルクスの偉大さ』で構築されていたコミュニズムの概念とは、私の理解によればこのことなのである」。『未来への帰還』(インパクト出版会、1999年刊)43-44頁より。もともとはネグリのイタリアへの帰還(1997年7月)の直前に収録されたインタビューである。

ネグリはすくなくとも『マルクスの偉大さ』の草稿を読んでいたに違いない、そう推測できる。いつの日か刊行されるかもしれないその遺著への期待が膨らんだ読者は多いはずだ。しかしドゥルーズの死から五年以上が経ち、情報の片鱗すら出てこない。昨年夏、私は本業である出版社の仕事として、エディシオン・ド・ミニ
ュイにメールで問い合わせてみた。エリボンの質問に対するドゥルーズ本人の回答や、ネグリの談話にある通り、『マルクスの偉大さ』草稿は実在するのかどうか。約一ヵ月後、ごく短い返信がイレーヌ・ランドンさんから届いた。

「ディディエ・エリボンが『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』で記事にしたことと反しますが、ジル・ドゥルーズは『マルクスの偉大さ』を書かずに死んだのです。漠然とした計画以上のものではありませんでした。ですから、全く刊行の予定はありません」。

にわかには信じがたかった。たしかに、エリボンのインタビューでは「どれくらいまで書いた」という記述はない。しかし、デリダがその噂を耳にしたのはエリボンのインタビューの前年、1993年頃の話だ。彼の『マルクスの亡霊たち』がガリレー社から刊行されたのが1993年10月、執筆の時に聞いて安堵を感じたという
のだから、10月以前の話だろう。私がそもそも『マルクスの偉大さ』という書名を知ったのは、『批評空間』第I期第12号(1994年1月発行)の浅田彰氏の編集後記だった。氏はデリダのマルクス論に触れたあと、こう続けている、「ドゥルーズも『マルクスの偉大さ』という書物を執筆中であると伝えられるが、これはお
そらくもっとラディカルなものになるだろう」(1993年11月15日付)。調査不足で氏の情報源が何だったのかは知らないのだが、やはりすでに1993年にはドゥルーズのマルクス論の噂がちまたに流れていたということだろう。ドゥルーズが執筆する時間はあったはずだ。ならば、ミニュイのスタッフの返事はどう受け止め
るべきだろうか。

それ以後、『マルクスの偉大さ』はふたたび幻の書となったわけだが、私はまだ納得していなかった。ネグリの証言がどうしても気になるのだ。ミニュイ社から今月刊行された論文集をきっかけに、私はもう一度調査してみようと思った。できればネグリ本人に聞きたいが、連絡がつきそうにない。そこで、私は「ウェブ・ド
ゥルーズ」http://www.webdeleuze.com/ の責任者であり、ドゥルーズの生徒の一人であるリシャール・ピナス氏に、ご存知ないか思い切って尋ねてみた。するとほどなくこんな答えが返ってきた。

「『マルクスの偉大さ』は存在しないんだ。草稿すらもない。ある種の質問に飽きてしまったドゥルーズの、「冗談」のようなものなんだ。トニがああ語ったのは、この「本」が存在しないことをおそらく知らなかったものの、彼の政治的振る舞いにおいて必要だった、ということだ。音楽についての本こそが、ドゥルーズ
が死ぬ前にやりたかったものだけれど、実現しなかった」。

やはりなかったのか。ピナス氏の証言は私にとって決定的なように感じた。今読み返せば、ピナス氏自身の関心が音楽にあることが、このコメントの背景にないかということと、ネグリが架空の本について語ったとは思えないという、ふたつの思いが胸をよぎる。しかしひょっとしたらネグリはドゥルーズとの会話の中でイン
スパイアされただけなのかもしれない。ある種の質問に飽きたドゥルーズの、「冗談」のようなもの……これは実際ありうるのかもしれない。晩年は気管切開手術を受けるまで体調が悪かったドゥルーズに色々な人が「次の本は何ですか」と尋ねたことだろう。『〈マルクスの偉大さ〉』だよ――それは彼のメッセージであっ
たのだろう。

しかしいつの日か、遠い将来か近い将来かまるでわからないけれども、彼の原稿類が公開された場合、そこにはおそらく存在する気がする。〈マルクスの偉大さ〉をつぶやく言葉たちが。 [2002年2月25日]

 出典:「[本]のメルマガ」mailmagazine of books vol.97 [花粉大襲来号] 2002.2.25.発行より。

※参考までに第97号の目次とトピックス記事、編集後記と奥付を以下に引用します。

「現代思想の最前線より

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