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テンペストワルツ愛読者集合☆コミュの一章  第八話 消える英雄と、別れる友

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総理官邸地下 首脳部専用有事対策室


「我々は新国連から見放されたのです! 直ちに全軍を撤退させましょう!」


 自衛軍統合司令官が机を叩く。その表情には明らかな怯えが見えていた。平時ならその顔を見た瞬間に、言葉遊びが好きなこの部屋の連中は皮肉合戦でも始めていただろうが、室内にいるほとんどの人間が同じ顔をしているのだからそれを嘲笑するものはいない。


「我々は良いが、戦闘中の部隊はどうする? 逃げるにせよ、後に少しでも多くの戦力が必要となるぞ?」


 空軍司令官が疑問を投げかけた。


「しかし、この状況では、統率された撤退行動は取れん。撤退までの時間を稼ぐ、遅滞行動部隊を編成せねば……」


 自衛軍の頭脳と呼ばれる参謀たちは、早くも退却の算段を練り始めた。軍の主だった参謀たちは、久しく戦場を経験していない。百年と言う月日が、国が平穏という暖かな環境で腐敗していくように、軍という組織もまたしかるべき道筋を辿る……これは平和主義を掲げる国が抱える宿命だ。


 民はそれを求め、腐敗していく己を理解せず他者を非難する。何かを手に入れる代わりに何かを失う……それが、この世界の摂理である。この国は百年間の平和の代償に、己が種の退化という道を選択した。それが今の弊害を生んでしまったのである。


 先の日本海防衛戦においても、戦線を維持し続けたのは中央の参謀たちの采配ではない。前線に投入された艦隊群がそれぞれ己の能力の全てを駆使し、その多くの血と命で勝ち取った勝利である。戦いの指揮を執るべき中央の人間たちは、自衛軍艦隊の総数八十四隻と四万人の海兵を死地へ送っただけに過ぎない。


 上層部の無能は常に、前線の兵の命で贖われる。冷たい日本海には今も、四十二隻の艦船とその鉄の塊に閉じ込められた、三万名近くの海兵たちが死してなお、助けを待っている。自衛軍のトップと政府の閣僚たちは、佐渡島の関岬に慰霊碑を建てることで全てが終わった気でいる。だが、遺族やあの戦いで生き残った者たちの中では、日本海防衛戦は未だに続いている。嘆きと憎しみは未だ冷め遣らぬのだ。


 そして今も彼らは、散り逝く命に目を向けず尻尾を巻いて逃げようとしている。国家の行く末を担うものとして、同じ過ちを繰り返す彼らを小夜子には同じ為政者であるとは到底見られない。


「第一師団と特軍を囮にすれば良い。所詮約立たず……使えない物は捨てるに限る」


 元春は冷たく言い放った。小夜子は一瞬耳を疑った。一国を治める指導者たちが、早くも首都を見捨てる気でいる。二千万の国民とそれを護る為に犠牲を払っている兵をおいて、自分たちは率先して逃げ延びるつもりなのだ。自衛軍本隊を逃がすために、命をかけて戦い抜いた精鋭という物語を大胆に付け加えて。


「閣下! 我が軍の精鋭を安易に見捨てるおつもりですか!」


 そんなことをしては、今後の作戦に重大な支障をきたす。自軍の将が、率先して前線から逃げ出す輩だと思い始めれば、政府は全兵からの信頼を失ってしまう。戦争を起すのが人ならば、実際に戦うのもまた人なのだ。指揮官と兵の間に軋轢が生じれば、反抗作戦どころではなくなってしまう。ここにいる人間がそれを理解しているとは到底思えない。


「勘違いしないで頂きたい。これは歴とした作戦行動です。第一師団及び特殊作戦軍は、敵勢力に対し遅滞行動を行ない、その間により多くの将兵を東京から撤退させます……後の勝利のためにね」


 元春のそばにいた将校が口元をにやけて言った。まだ何か言いたげの司令官を片手を上げて制しながら、元春が彼の言葉を繋ぐ。


「それが軍という組織なのだよ。彼らを率いる我々は、兵を人として扱うことは許されぬ。我らにできることは、彼らに哀悼の礼を捧げることのみ……勇猛果敢なる我が軍の兵士達のために、な」


 小夜子は唖然としていた。この男が口にしたのは建前ですらない。結局は、最初に元春が言った「役立たずは死ね」と平然と言っていることに、何ら変わりないのだ。


「……狂ってる」


 小夜子は小さく毒づいた。この人たちは、自分が生き延びる為なら他人を生け贄にできるというのか……この者たちは。


 確かに、戦争では冷徹であることが政治に携わるものとして求められる。だが、彼らは自己の保身に走る臆病者の集まりでしかない。国を守るため、自分たちの命令に従って命をかけて戦う兵士達が、彼らより命の価値が低いと言うのか。これが政府であっていいはずは無い。小夜子は怒りのままに叫ぼうとしたが、良馬がゆっくりとそれを制した。小夜子が唖然とした顔で良馬の方へ顔を向けると、あきらめの表情をにじませた良馬が、硬く眼を閉じて首を左右に振る。そして良馬はゆっくりと立ち上がった。


「ならば……残存部隊の指揮は私が執り、撤退までの時間を稼ぎましょう。皆様は脱出をお急ぎ下さい」


 小夜子は彼の言葉の意味が一瞬分からなかった。だが、その意味を理解したとき驚愕に目を見開いた。


「良馬さん!?」


 小夜子は驚いて後ろを振り返る。だが良馬は小夜子を見ようとしない。彼の瞳には、揺るぎの無い決意が宿っていた。室内がざわつくが、元春が片手を挙げてそれを制す。元春の口元は醜くゆがんでいた。


「良いだろう。第一師団にその旨を伝えておく……貴官に紅き焔の護りがあらんことを」


 元春は神妙そうに言った。良馬は黙って敬礼で返す。それを見届けた途端室内は慌しくなった。全員が逃げることのみに専念したようだ。その中でたった一人、納得のいかない人物がいた。


「総理、それは……!」


 席を立とうとする元春に小夜子が異議を唱えようとする。唯でさえ有能な将兵を大勢死なせる上に、後方支援の部署でありながら幾度となく前線に赴き、兵を鼓舞してきた「自衛軍の父」と呼ばれる良馬まで失うわけにはいかない。何より、そんなことを小夜子は許すはずも無かった。だが、良馬はそんな彼女を無言で制した。


「大臣……彼らに、もう声は届きません。生き延びる為なら手段は選ばぬ筈です……時間をかけすぎると、捨て駒とされる兵が増える一方ですぞ」


 小夜子は彼の言うことが信じられなかった。だがもう良馬の目には、諦めと覚悟が見えていた。


 閣僚達が地下にある政府高官脱出用の鉄道に向かう中、一人見捨てられた戦場へ赴こうとする良馬を引き留めようと、小夜子は共に外に出た。


「良馬補佐官! お願いですから考え直して下さい。私には貴方の助けが必要なのです!」


 良馬は振り返り、微笑みながら首を横に振った。


「この老骨の居場所など、未来にはありません……。ですが、<今>にはあります。二人の息子を守れるという<今>が」


 そう言う良馬の目は、ただ優しかった。このような状況下でなお、他人を思いやることのできる良馬の顔をよく見ようとする小夜子だが、涙でにじんでよく見えなかった。


「悲しい顔をしないで下され……私は骨の髄まで軍人なのです。国の為、誰かの為に死ぬ覚悟は出来ております。この日まで、あなたの元で働けたことは私の誉れです」


 小夜子は涙を流しながら笑顔を見せた。良馬は顔のしわを更に深めた。


「……あなたはあなたの未来を生きなさい。そして息子達を導いてやって欲しい……この老いぼれの、最後の願いです」


 そう言って良馬は軽く敬礼し、再び歩き出した。彼はもう小夜子を見ない。そんな彼の後姿を必死に涙を堪えながら見つめた。


 小夜子は、良馬を父親のように思っていた。彼女の父は権力を欲し、家族をないがしろにする男だった。そんな父に反抗心を持ち、父を超える為に彼女も政治の道を歩んだ。そんな中、知り会ったのが良馬だった。


 良馬は、今まで会ったどんな男よりも誇り高く、強かった。長男の圭馬に恋をしたのも、良馬の面影を見ていたのかもしれない。圭馬とそのような仲になってから、良馬はいつも幸せそうだった。彼にはもっと人並みの幸せを感じさせてあげたかった。 そんな彼に頼まれたからには否定できない。


「お気を……つけて」


 その呟きは、ヘリのローター音にかき消されたはずだった。だが、死地に向かわんとする老将は一度だけ後ろに振り返り、飛び切りの笑顔を彼女に見せてくれた。良馬の搭乗したヘリが闇に消えていくのを見届けた後、小夜子は踵を返す。戦場を駆けることも、優れた戦略を練ることもできない小夜子が、唯一戦える<政治>という名の戦場ヘと……。


 東京守備隊の臨時総司令部となったこの防衛省には、味方の全滅・退却の報告ばかりが届いていた。首脳達が我先に東京から逃げ出したという情報は直ぐに伝わり、東京守備隊は総崩れとなった。精鋭と謳われ、日本の首都を守る関東方面軍が、その東京を放棄せざるをえない状況に陥っている。


 当初戦車十両以上の中隊を中核とする防衛ポイントは四十以上あったが、今は半分以上のポイントからの通信が途絶していた。正しい情報を逐一報告することを役割とする情報管制官は、正確な情報を部隊に送るわけにはいかなかった。残存部隊の士気が低下してしまうからだ。自衛軍創設以来前代未聞の事態に、誰もが我が目を疑っていた。


「第一師団、残存四十パーセント。第六、第十師団は各自撤退を開始しました!」


「中央区防衛指揮所は壊滅。残存の部隊は港区へ集結し、第一師団と合流せよ」


「成田基地陥落。現在第二航空師団の残余が敵機動兵器と交戦中ですが、敵の機動性は当隊を凌駕、対抗し切れません!」


 防衛省地下にある緊急指令センターには、友軍の劣勢が正確に伝えられた。圭馬は、険しい顔を崩さずに部下の悲鳴に近い声を聞いていた。


「東京全区は、港・新宿・千代田の三つの区以外全て制圧されました! 東京都内に展開する味方残存兵力は三十パーセントを切ります!」


 東京で満足に機能する部隊は皆無だった。首都防衛の中核である三つの師団の内、二つは既に戦闘区域から撤退し、残る第一師団も半数近くを失っていた。関東方面軍が持つ虎の子の航空師団も、そのほとんどは空に飛ぶことも叶わず鉄屑と化した。


 対するリジェネレイト・アジアの曙光連合軍の戦力は、当初の東京守備隊が保有する定数に匹敵する。敵は用心深くこちらの軍を寸断し、その退路も奪うことに成功している。皮肉にも軍の展開の速かった第一師団が、この戦局で一番の貧乏くじを引く羽目となったわけだ。


「関東総軍司令部が、関東各地の部隊の移動命令を出しています。既に千葉の第四・二十五・十一の各師団も、移動を開始しているようです」


 オペレーターが冷めた口調で圭馬に報告をする。彼が少し前に、一人のオペレーターに総軍司令部の無線を傍受するよう指示を出していた。方面軍の作戦指揮を執る関東総軍司令部は、茨城に置かれている。防衛省は自衛軍全軍の予算配分や部隊異動・情報統合などの事務的な作業を行なう場でしかない。ここにも一応将校は在籍しているが、殆どは役人相手の交渉に長けた政治将校くらいだ。


「関東各地に存在する、全ての師団群が茨城に移動だと? ……主戦力を二箇所に集結させるのか。何故そんな……?」


 軍の指揮権は、あくまでも首脳部か各方面の総軍司令部にある。東京守備隊も総軍司令部が指示を出す筈だ。なのに、戦闘が開始されてから三十分以上経過しているにも関わらず、こちらには何の指示も無い。初めは向こうも混乱しているのかと思ったが、各地への撤退・部隊移動指示が冷静なのが気がかりだった。だが、先ほどの報告を聞いて全ての辻褄が合う。


「まさか……上層部(うえ)の連中は東京の放棄を決め、次の戦いの準備を始めた……そう言うことなのか?」


 恵は彼の独り言に困惑顔だった。オペレーター達にも動揺が走る。その言葉の意味を理解できたからだ。


「中佐……何を仰っているのですか?」


 恵は何がなにやら分からずに、圭馬に問いかけた。だが、圭馬の耳には届いていない。信じたくないと思うが、状況は全てを物語っていた。自衛軍側の被害は甚大だ。主要道路は全て押さえられ、防衛施設を有する練馬駐屯地は常駐していた師団全てが展開した後、制圧されてしまった。今考えれば、東京外円部の防衛に向かった二つの師団は、撤退を前提とした上に配備されていたのかもしれない。現在東京に残り、戦いを続ける部隊の多くは現政権に批判的だった。それらも計算の内に入っていたというのか。圭馬はある答えを導き出した。


「総軍司令部……いや、政府首脳部という方が正しいのか……政府は前線で戦う我々と、国民二千万を捨て駒にする気だ」


 そう考えるなら、現在の状況もうなずける。例え首都陥落という最悪の事態となろうとも、後の奪還作戦を成功させれば良いのだ。その答えにたどり着いたとすれば、総軍司令部はもう増援をこの地に派遣する必要は無くなる。事実、東京都に隣接する県の師団群が茨城へと移動を開始している。そのどれもが、全国から選りすぐられた虎の子の精鋭ばかりだ。恐らく東京から撤退した軍を吸収し、茨城へと護送し関東平野に防衛線を張る手筈となっているのだろう。


「そんな! 軍が……政府のトップが、国の首都を敵に明け渡すというのですか!?」


 恵は憤然と言った。圭馬のスクリーンを見る目が険しくなった。圭馬もそれを信じたくは無い。だが、こうしている間にも事態は圭馬の予想通りに推移しているのだ。


「奪われたとしても、奪い返せばいいだけの話。残存戦力で、少しでも多く敵を削ってくれれば御の字……それが、上層部の思惑と言ったところだな」


 圭馬は皮肉を込めてはき捨てるように言った。それを聞いた恵は呆然となった。……馬鹿げている。自分が国家を運営する頭脳だからといって、手足を簡単に切り捨てて良いわけが無い。敵に首都を明け渡すと言うことの意味を、彼らは理解していないのだろうか?


 仮に撤退の意志を固めたのなら、取り残される兵にせめて徹底抗戦を伝えてから逃げてくれれば良いものを。おかげで、現存する守備隊に更なる混乱を招いてしまった。その混乱が招いた損害は到底無視できるものではない。無傷な部隊を早々に撤退する手腕は褒めても良い。だが、それでは捨石扱いされた我々はどうすれば良いのだ? 


 圭馬の胸の内に湧き上がるのは、無能な政府への不満と怒りばかりだった。


『こちら第十七中隊! 隊の被害は甚大! 至急援軍と弾薬の補給を求――』


『ちっくしょう! 指揮系統はどうなっているんだ!? 早く救援を寄越してく
れ!』


『こちら、上野公園防衛支隊。敵に包囲され、撤退不能……これより我が隊は、
残存戦力で敵包囲網の一角に突撃を敢行する……日本に紅き焔の護りがあらんことを!』


 無線機から飛び交う音声は、銃撃と悲鳴……そして生きることへのあきらめに支配されていた。一人のオペレーターが、耐え切れなくなったのか自分の頭を掻き毟った。自分達が見捨てられたという事実を、誰も受け入れたくなかったのだ。


 守備隊の混乱は分を刻むごとに蔓延している。東京への直接攻撃など想定外であったため、東京守備隊には最低限の装備しか支給されていない。強力な火力は市街地に要らぬ被害を出すという、世論と政治家たちの非難によるところもある。東京の人間は皆、凄惨を極めた日本海での戦いを、外国で起きた戦争だと現実を逃避してきたのだ。戦争を否定したがるのは仕方が無い。だが、自身すら護れない人間は正義を語れないのが、今も……そして、恐らくこれからも変わらない世界の真理なのだ。


「駄目です。敵勢力、止められません!」


 戦況分析を担当する部署の一人がたまらずに叫んだ。他県の師団群による支援という唯一の手も失われた今、取り残された東京守備隊の選択肢は二つしか残されていない。それは……降伏か、玉砕かである。第一師団は、その勇猛果敢さから前者を選択することはないだろう。


 精鋭であるが故に、それぞれが抱く誇りと意地も一入だった。それはこの千代田・新宿区に集結する者もそうだが、圭馬はどちらを選択するべきかを迷っていた。この周辺に展開する部隊は第一師団の三分の一にも満たない。そんな戦力でできることなどたかが知れている。


「国家というものの救いようの無さは、重々に承知していたつもりだったが……まだまだ私の認識は甘かったらしい」


――こうなったら敵中を突破して、第一師団と合流するのも手か? ――残存する戦力の全てで総力戦を行なえば、結構な数を道連れにできる。首脳部は恐らく、東北・中部と関東方面軍の残りを掻き集めて、東京奪還作戦を発動する筈だ。連中を喜ばせるとうのは気に食わないが、やるだけのことをやって死んでやるのが軍人の本懐というものだ。敵の戦力が未知数である現状で、少しでも後の戦いで味方が有利になる様図るべきではないのか?


 圭馬は考えを巡らせ、最良と思える選択を探す。だが、その思考は一人のオペレーターの声で遮られた。


「司令。第一師団が攻勢を開始! 港区防衛線を押し上げています」


 室内の誰もがその情報に釘付けとなった。報告したオペレーターでさえ、信じきれずにいるようだ。さらに情報が追加される。変化は、それだけではなかった。


「各エリアからの残存部隊も戦闘に参加! 共同作戦を展開するつもりのようです」


 恵は困惑した顔で、「どういうつもりでしょうか?」と圭馬に意見を求めてきた。対する圭馬も辛うじて冷静さを維持しているが、多少なりとも困惑の色を見せていた。


 この状況で攻勢転移だと? 自棄になった……違う。そうならこんな組織的な攻勢を行なうはずがない。そもそも作戦を立てる必要も無いのだから。これはむしろ我々に対するメッセージととるべきか……?


 彼らの行動の真意は、更なる情報の追加で明らかとなる。


「敵勢力に動きあり! 敵の半数が港区に向けて集結を開始しました! 第一師団は湾岸ブロックに撤収中」


 最後のオペレーターの報告で、圭馬は彼らの行動の真意が読めた。第一師団は敵を刺激することで、一兵でも多くの敵を湾岸ブロックへ惹き付けるつもりのようだ。第一師団(彼ら)は友軍を逃がすために、少しでも多くの時間を捻出しようとしている。例え師団そのものが消滅しようとも、今後の戦いの為に一人でも多く生き残らせることのできる、最後の選択を実行したのだ。


「……全軍に撤退命令を。新宿にいる全ての兵力をここへ集結。我々は撤退戦に移行する」


 圭馬の発言に皆が耳を疑った。彼は今、自分で東京を見捨てると言ったも同然だったからだ。だが、圭馬はその決断を誤っているとは露ほどにも思わない。第一師団の捨て身の覚悟を無下に出来るほど、圭馬は愚かではなかった。圭馬ほどの思慮深さは無くても、皆自分が与えられた職務を果たすために行動を始めた。


「中佐……それでは東京都民を見捨てるのですか!?」


 恵は唯一人、圭馬に詰め寄った。目の前で犠牲となっていく友軍を恵には無視できなかった。その気持ちは痛いほど分かる圭馬だったが、それでも彼の目は揺らがない。


「我々は敗北した。それが結果であり、全てだ。人は、結果から目を背けてはいけない……その想いがあるのなら、第一師団は何故命をかけてまで敵を引きつけようとしているのか、考えてみろ」


 圭馬の言葉の前半は草壁家の家訓であり、圭馬がこの世界で一番尊敬する父がよく口にしていた言葉でもある。圭馬の心には、父のその言葉がめぐっていた。後半の言葉に恵は考え、やがてその意味に気づいた。恵はそのことについてこれ以上追求することは無く、自分がすべきことについて思考を切り替えた。


「……ですが、未だほぼ全てのルートが敵の制圧下です。退却はとても……」


 恵は言いにくそうだ。練馬区にいた第一師団とこの新宿区にいる特軍部隊群は、比較的無傷な隊を逃がすための囮に使われた。緩やかではあるが、新宿を遠巻きに包囲しようとする動きが見て取れる。優先順位が低いとはいえ、敵勢力はこちらの二倍近く展開している。容易に突破させてはもらえないだろう。


 敵の最優先目標である第一師団が港区に向かったところを見ると、お台場に逃げ込んでそこに繋がる橋とトンネルを塞ぐつもりだろう。撤退もままならない友軍にできるのはそのくらいだ。あっという間に制空権を握れる精度を持つ軍相手に、そもそもそんなセオリーが通じるはずも無い。全軍を指揮する人間がさっさと見捨てた戦場で、最後の一瞬まで戦おうとする彼らを圭馬は誇らしく思っていた。


 そういう圭馬達も、このままでは彼らと同じ運命を辿ることになる。彼らに残された道はもう残されていないのだ。


 ……すまない、小夜子。来週のデートはキャンセルすることになりそうだ。
圭馬は最愛の女性のことを想っていた。父が家に彼女を連れてきた時、彼は一目見た瞬間心を奪われた。恋愛などしたことの無い圭馬は、彼女をデートに誘う時に弟にそそのかされて、薔薇の花束をもって行った。今考えてみると恐ろしくサブい光景だったが、彼女は一瞬面くらい、次の瞬間笑顔を見せた。その表情は今でも鮮明に覚えている。圭馬が小夜子に思いを巡らせていると、三人だけになったオペレーターの一人がこちらを振り返った。


「恵司令。草壁中佐に秘匿回線で通信です」


「中佐に?」


 恵は疑わしい目で報告してきたオペレーターを見た。圭馬は驚愕に目を見開いた。


「わかった……。繋いでくれ」


 言い終えた後、受話器を手にとった。


『やあ圭馬。調子はどうだい?』


 圭馬の予想していた通りの人間の声がした。


「お前か……この回線を使っているということは、彼らもお前の息のかかった者達か」


 オペレーター達もこの話を聞いているらしく、時折こちらに目線を送る。


『正解! 凄いだろう? 流石の僕も、ここまで部下を内部に浸透させるのには苦労したよ』


 本人は自覚しているかどうか知らないが、ファントムギアスの声色には苦労の影も見えない。これだけのことをしでかす男だ。どこに彼の手の者がいるかわかったものではない。


『さて、本題に入るけど……君をこの東京から逃がしてあげよう』


 ファントムギアスからの突然の提案に、圭馬は何も言い出せなかった。オペレーター達にも動揺の色が見えるのは、このことを彼らも聞いていなかったのだろう。


「……どういうつもりだ?」


 辛うじて声を発することができた。


『国道十七号から入間市の方へ進むといい。そのルートに<ヨトゥンズアーマー>はいない。後の撤退コースは君にお任せするよ』


「私は理由を聞いているのだ!」


 圭馬は語気を強めた。だが、ファントムギアスはいつもの調子を崩さない。


『答えを知りたいなら、生き延びることだ。いつかは話すと思うよ……それじゃあまたね』


 それきり通信は切れた。恵は黙ったまま動かない。今の圭馬には、ファントムギアスが自分を逃がす理由はわからない。だが、生きていなければそれもわからないままだ。なら、圭馬がやるべきことは決まっていた。


「全軍撤退だ。急ぐぞ」


 圭馬は踵を返して部屋を後にした。今は、ファントムギアスの言葉を信じるしかなかった。


 ――昔、互いを信じあっていた友の言葉を……――

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