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禅語を感じるコミュニティコミュの胡子無鬚

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これも無門関からです。

或庵が言われた。
「達磨にはどうして鬚が無いのか?」

これだけです。
どういうことでしょうね?
達磨さんとにらめっこでしょうかね。

コメント(6)

私なりの解釈です。
達磨大師の顔は絵を見たらわかる
と思うのですが、鬚は生えているわけです。
ならどうして、鬚は無いのでしょう。
もっとも、当時絵を見ながらは
考えなかったのでしょうが、
鬚が無いといわれたら顔を思い出そうとする
はずですよね。
そのとき、達磨大師と向かい合うわけです。
そして、自分自身を達磨大師と重ねるわけです。
そこから、何を得るのでしょう?
それからは、また考えるところです。
仏性は姿かたちに拘わりません、すなわち髭のある達磨さんではないのです、髭なし顔なし、姿なし、それらを認識する以前には「それ」と「わたし」とを区別する境界すらありません。
達磨は髭など無いし、西からなどやって来たためしがないのです。「在る」自体が「在る」してるのが達磨です。
髭があるのは、達磨さんのイメージです。 目と脳で捉えられるのはイメージだけです。 

本当の達磨さんの姿はイメージの世界を超え、本質そのものです。 その本質は達磨さんであり、あなたであり、私であります。 イメージと概念の世界を超えているので、説明することすらできません。 本当のあなたの姿=私の姿=達磨さんの姿=そこに立っている木の姿=宇宙の姿 は すべて一つであり、イメージの世界の外にいます。 
誰もが普通に見ている達磨の顔にはもちろん髭がある。しかし、達磨の本姿、すなわち表面的な姿かたちを脱落させた本体には髭も顔もあらゆるものが止滅している。それをこそ見よ。髭の無い所をこそ見よ。

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