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エディット・ピアフの人生コミュの37、オランピア劇場初出演

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 ジャックと結婚して、幸せな日々を送ってはいたエディットでしたが(写真左)、結婚したとは言え、互いに歌手という仕事を持ち、しかもそれぞれパリ一流の大スターの身ではそれだけで忙しく、二人の時間はをゆっくり楽しむというゆとりはあまりありませんでした。
 さらに悪い事にははこの頃がエディットにとっても、麻薬依存のピークだったのでした。ジャックは夫として、辛抱強く妻の麻薬中毒を断ち切るための治療に付き合い続けました。この点ではエディットも、ジャックにはたいへん感謝していると述懐しています。そういうわけで、二人とも忙しい中での生活でしたが、このジャックの献身的な支えにより、エディットは麻薬依存から立ち直る事ができました。
 こうして、エディットは53〜54年あたりは治療と並行させながら、歌手活動を行なっていました。新しい曲づくりや、新人作家の発掘なども怠りませんでしたが、国外での活動も多く、ピアフはアメリカでコカ・コーラを飲みすぎて太ったなどという噂も流れたりしました。が、実際には麻薬による症状で顔がむくんだ、いわゆるムーンフェイス状態の時もあったのでした。しかしその活動ぶりは健在で、53年に日本から渡仏した越路吹雪さんが、生のエディット・ピアフのステージに衝撃を受け、打ちのめされたというエピソードは有名です。
 また54年には映画2本に出演しました。
 サッシャ・ギトリ監督の「もしヴェルサイユが語られていたら」。エディットはこの映画で主題歌の「La "Ca ira"(さあやっつけろ)」を歌いました。ジャン・ルノワール監督の「フレンチ・カンカン」にもゲストで出演(写真中)。前述の「Serenade du pave(舗道のセレナーデ)」を披露しました。



そして、エディットは55年にシャンソンの殿堂とも言われるパリ、キャプシーヌ通りのオランピア劇場に初登場します。

 オランピア劇場の誕生は1893年。ムーラン・ルージュの創設者であるジョゼフ・オレによって開館。初めはミュージック・ホールとして、エディットの先輩にあたるダミアなどが、華ばなしく舞台を飾りましたが、1929年に映画館に代わり、しばらく映画を配給していました。
 再びシャンソンの劇場として返り咲いたのが1954年。このホールを生き返らせ、その後もずっと一流の劇場として君臨させたのは、ひとえに名支配人のブルーノ・コカトリクスの采配ぶりにあります。54年のリニューアルオープンの際には、建物を新しく八角形にしつらえ(『オランピア』の『O』の字を八角形にデザインしています)、冒険的な演出をこころみました。
 前述しましたが、再開間もないこの劇場にジルベール・ベコーが出演した時には、あまりに熱狂した若いファン達が興奮して、劇場内の椅子やガラスを破壊したというエピソードは有名です。オランピアの赤い緞帳から現れるのはスターとしての、まさにステイタスでした。
 何人もの歌手がこぞってこの劇場に出たがりました。

 当時のフランスシャンソン界におけるコンサート形式は、トゥール・ドゥ・シャン(歌謡ショー)というのが一般的で、前座の歌手や芸人が何人か出た後で、第一部のトリであるヴデット・アメリケーヌ(アメリカンスター、つまり二番手)が出演。そしていよいよ第二部にグラン・ヴデットつまり主役の登場となるわけです。 この劇場において脚光を浴びていった歌手や、大成功を収めた歌手も数限りなく存在します。
 オランピア劇場は2000年代に入ったいまでも、名のあるホールとして活躍しています。
 ちなみに、名支配人だったブルーノ・コカトリクスは1979年に逝去し、その後もジャン・ミシェル・ボリスがブルーノの夫人であるポーレット・コカトリクスと経営に当たり、劇場の維持に務めました。93年には取り壊しが報じられましたが、アーティストたち、特にジルベール・ベコーが主となり、反対運動が巻き起こりました。こうした経過を経て劇場は1997年に改装され、新しく生まれ変わりました。その後もポーレットの娘パトリシアによるボリスの追放や、01年にはメディア・音楽産業の大手ヴィヴェンディ・ユニヴァーサル社が買い取ったことなど、経営の面ではいろいろなニュースもありますが、ひとまずパリでの屈指の劇場という体面は保っているようです(写真右)。


 さて、エディットがオランピア劇場に初出演したのは1955年の1月でした。もともと支配人のコカトリクスとは知り合いだった彼女は快く、出演依頼を引き受けました。
 のちに、エディット・ピアフとオランピア劇場は切っても切れないほどの関係となりますが、55年当時のエディットの体調はようやく暗かった時代を脱し、再びシャンソン界に返り咲きを狙う時期でもありました。実際に53〜55年は活動内容も極端に減っており、さまざまな治療に制約され、活動の自粛を余儀なくされていました。そういった状況の中でのコンサートは久々の復帰であり、再び第一線に上がれるかどうかという大事な舞台でした。
 幸いにこのステージでエディットは本領を発揮。馴染みの持ち歌から新曲まで披露し、拍手喝采を浴び、大いに世間を沸かせました。エディットはこのオランピアで1月27日から2月15日までの公演を務めました。




コメント(5)

Olympia とPiafのChronology有難うございます。沢山の好きな歌手がここで歌っているので大変勉強になりました。たまたまPiafのポスターを見掛けました
のでUproad します。
マリオン・コティヤール、『エディット・ピアフ〜愛の讃歌』

オスカー、ゲットッォォォォオオ!

よかったぴー

ジャパンでもエディット・ピアフが注目されると期待されますかも

授賞式、La Vie En Rose が流れてました。

皆様コメントありがとうございます。


>lionkenさん
オランピア劇場もいろんな歌手が出ていますから、それぞれの方に思い出は尽きないことと思います。
ちなみに私は個人的には、ジャック・ブレルの出演も印象が強いです。


>rabbitさん
ありがとうございます。これから、ピアフとオランピアの関係がますます深まっていく様子を、のちに書いていきたいと思いますので、お楽しみに。


>ジバゴさん
ピアフを演じたマリオン・コティヤールさんがアカデミー賞主演女優賞を獲得しましたね。フランス語の映画で、主演女優賞というのは初めてだとか。それも快挙ですね。
よかったです。
これでピアフの名がまた一段と輝き、彼女の人生が多くの人に語り継がれていくことでしょう。

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