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エディット・ピアフの人生コミュの60、最後の舞台?

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 エディット・ピアフとテオ・サラポは、1962年10月9日(オランピア公演の休演日)にパリ市16区区役所にて結婚しました。大勢の観衆が彼らを取り囲み、結婚は大騒ぎ、大変なニュースになりました。そんななか、彼らは粛々と式を行い、晴れて夫婦となりました。(写真左・中)

 オランピア62公演は、盛況のうちに幕を閉じました。
 ちょうどこの頃から、主治医であった医師より派遣された看護師の女性がエディットの世話にあたるようになりました。
 名前をシモーヌ・マルガンタンと言い、年齢はエディットとほぼ同年代。エディットが息を引き取るまでの約1年を献身的に見守る大事な存在となります。

 シモーヌ自身はずっと臨床の現場に携わっていたことから、芸能界周辺の事情には全く知識がなかったようで、エディットの破天荒な生活ぶりに目を丸くする一方、エディットにとっても余りに四角四面な健康第一のシモーヌの考え方に当初は辟易したようでしたが、やがてこの二人の女性は次第に大切な友人となっていったのでした。

 この頃撮影された貴重なライブビデオが1990年頃見つかっています。
 オランダのナイメーヘンの町の劇場でのステージの様子が映し出されています。演目は、オランピア劇場の内容とほぼ変わらずに、この頃のレパートリーが歌われています。
 カメラを数台使って多角的に撮られたもので、エディット・ピアフのリサイタルの完全映像記録としてはこれが唯一のものです。

 テオのデビューが無事終わったところで、エディットは彼の本格的な一本立ちを企画していました。
 オランピアが終わってまもなく、63年の2月にはボビノ座での公演が決まりました。
 このためエディットは自分のみならず、テオの為の新曲発掘にも余念がありませんでした。エディットは彼のために作家陣に声をかけて作品を求め、また彼女自身も作詞した曲を提供しました。
 しかし一方で、彼女の体調は低下をたどり、オランピア後のフランス北部の巡業公演(写真右は12月ニースでのリハーサル風景)でも体力を維持するのがやっとで、毎晩毎晩のステージのあとは、回復するまでに何時間もかかるほど彼女の身体は悪くなる一方でした。
 こうしたなかでボビノ座の公演に向けた取り組みが始まりました。
 

コメント(2)

いよいよ最終ステージに近づいてまいりましたね。
これからの章は特に心して読むことになりそうです。
>この頃撮影された貴重なライブビデオが1990年頃見つかっています。
ところで、これは日本では発売されているのでしょうか?
>ジバゴさん
いつもありがとうございます。
大変励みになります。
いよいよ大詰めに近づきました。
ライブビデオの件は、日本では発売されていないようです。
ただ、いまではYOU TUBEで、一部の場面が見られます。「ミロール」や「水に流して」など後期の曲を検索すると、出てくるようです。

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