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エディット・ピアフの人生コミュの32,交通事故?

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この麻薬中毒に関しては、エディット自身も大きく後悔しており、麻薬に依存するようになった経緯や深みにはまりこんでいく様子、何度も入院して治療に当たった様子を自伝にくわしく述懐しています。
それによると、当初は事故の痛みをやわらげるためのモルヒネ投与に味をしめたエディットは、退院後もこの麻薬にふけるようになり、ジャニーヌという麻薬の運び屋を得てひと財産を使い果たすほどの金を麻薬につぎこんだようです。完全な中毒状態となり、麻薬を打ちながらも歌い続けた日々・・・。ひどいときには、いきなり衣服の上から消毒もしない注射針を打ちつけ、舞台では歌詞を間違えるほどになりました。
エディットはその後、麻薬依存を克服するため4年間に3度の入院をしたそうです。主治医のミゴー氏が、親身になって彼女の治療に協力し、エディット自身は禁断症状の中で狂いそうになりながら、ついに麻薬と手を切ることができた、と述べています。
この中毒状態のピークであったと思われるころの舞台の映像が、現在も残っています。1954年の4月にアルハンブラ劇場で行われたテレビ番組「La joie de vivre(生きる喜び)」の公開録画のシーンです。この中でエディットはいくつかの持ち歌を披露しています。髪がぼさぼさで濃い口紅が人目を引くものの、ふだんの力強い歌声は変わらず、マイクも使わずに(当時は舞台にマイクを埋め込んでいるパターンが主流でした。スタンド式のマイクは50年代中ごろからフランスでも少しずつ使われ始めたようです。)朗々と歌いこなし、とても麻薬中毒に苦しんでいたようには見えません。しかしこの録音の後、「スーパー・サーカス」一団とフランス全土の4ヶ月巡業に出ました。が、本人はこのときのツアーの状態をまったく覚えていないと言います。かくしてこの巡業後、エディットは即入院となり、その後しばらく休養しました。こうして、彼女は禁断症状をのりこえ、麻薬に別れを告げることができたということです。

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