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論語の言葉コミュの(徳が上、知が下)人間の本質に二つある。自分を磨く。

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(徳が上、知が下)人間の本質に二つある。自分を磨く。

 昭和の東洋哲学の偉人、安岡正篤先生の著書「人間学のすすめ」に一説に、幕末の名君二人、薩摩の島津斉彬公と福井の松平春嶽公のお国自慢の会話が載っていました。

(本文より)
 斉彬公が、「わたしのところにはちょっと各藩を見渡しても得がたい偉い人物が家来に居る」と言われた。
 すると俊嶽公が、「何家といわれる者の出身か?」と聞いた。
 斉彬公は「そんな身分のものでなく、軽輩です。」と答えた。
 すると春嶽公が、「よっぽどい非凡な才能や技芸の者か」と聞かれた。
 斉彬公は、「別にこれという才能もありません。それは、偉大な仁者である」と答えた。

とありました。人物を見抜く、斉彬公もまた偉大な名君と思います。

 西郷隆盛や楠正成という人物は、先端技術もしらず、あまり秀才でもなかったのですが、非凡といえば、「徳(徳性)」を体現していた人物と思います。

 人間には、二つの内容(要素)があります。

 一つは、知識だとか、技術だとか、あればあるほど結構ですが、しかし無くても人間として差しつかえなく生きることができます。

 もう一つは、徳(仁)とか徳性とかです。これは、人が人を愛する、人に尽くす、人に報いる、あるいはは清いとか、真面目とかです。質実である。反対は、愛さない、報いることを知らない、不潔、不真面目では、人間ではなくなります。
 
 この仁(徳)をどうしたら、身に付けることができるか、論語にその実践の教示が載っていました。

(本文、転載)
顔淵、仁を問う。子曰わく、己に克ちて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して人に由らんや。顔淵曰く、請う、其の目を問わん。子曰わく、礼に非(あら)ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くことなかれ、礼に非ざれば言うこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。

(解説)
 顔淵が、仁の意義をたずねた。
「私利私欲に打ち勝って、社会の秩序と調和を保つ礼に立ち戻るのが仁である。たとえ一日でも己に克って礼に帰れば、天下の人も自ずから仁になっていく。その仁を行うのは、自らの意志によるべきで、他人の助けによるべきでない。」
顔淵が更に、たずねた。
「礼にはずれたことは視ないように、礼にはずれたことは聴かないように、礼にはずれたことは言わないように、礼にはずれたことは行わないようにすることだ」

(感想)
 日々、生きていると仕事にかまけて、約束を忘れたりすることがあります。目の前のことで、一生懸命で、安易に約束をして、行けなかったりしたります。誠の恥ずかしいことですが、そんな時に心は動揺します。

 仁者は、常に平常心を保ち、相手を思いやるゆとりがあるように思います。「愛し、尽くし、報いる。」なかなか出来ないのが、一般人ですが、今日の気付きを忘れないように、顔淵が、この問答の最後に語る言葉に、「この教えを、一生をかけて実行して行きたい。」と孔子に誓っています。

 論語読みの論語知らずと言われないように、少しでも仁の心を忘れずに、日々反省をしつつ、実践していくことが大事と思います。

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