−− ぼくは初めて彼のクラスをのぞいたときのことをよく覚えている。夜に開かれたクラスだったが、電気スタンド一つしかつけていないうす暗い部屋の奥に、彼は多くの生徒たちに囲まれて”雷神ユピテル”のように座って、八十歳を過ぎているとは信じられないくらい太く強い声で、生徒を怒鳴りつけていた。 噂にはきいていたが、その迫力に圧倒された。昔通っていた柔道の道場なんてものではなかった。緊張の極に達して、ほとんど何もできなくなっている生徒たちに業を煮やした彼は、やおら自らのチェロを弾き出す。そしてぼくに衝撃が走る。その音の美しさ、高貴さ、そしてフレーズの目の覚めるような確かさ。 「おれは信じられない!信じられないぞ!!(Just I can't belive this!!)くそったれ。お前は不感症で、お前の音は意味がないんだ。何回言ったらその糞みたいな弾き方をやめるんだ!!そうだ、お前、おれをからかっているんだろ!?(You are making fun of me, aren't you!?)だからそうやってわざと何回も同じことをしてみせるんだろう。そうだと答えろ。すぐにこの部屋から叩き出してやるから!!(I'll kick you out!!」 「すみません(I'm sorry.)」 と生徒が謝ると、 「謝るんじゃねえ!(Don't be sorry!)いいからこういうふうに弾いてみろ(Play like this!)」 そして彼が再びリウマチで異様な形になった指で楽器を引き出すと、優雅で確かな音楽が部屋中に溢れる。ぼくは不覚にも涙をこぼしそうになった。一体なんだ、この人は。痺れるような感動と、畏怖を伴った衝撃で、ただ呆然と立ちつくした。(82〜83ページ)