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お四国遍路徒歩通し打ち体験者!コミュの巡礼中の心の変化を教えていただけますか?

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私は最初の頃はではただひたすら前に歩いていました。
般若心経はとなえるものの、寺内や自然に目を向ける余裕がなかったように思えます。日数や、一日の距離、何があっても全部歩くこと、お金にもこだわっていたように思えます。

半ばでは何かが違うと感じ始めました。般若心経の意味、執着、こだわりをもたず、菩提心をもつこと。スタンプラリー、マラソン競争的な遍路には意味がないと感じ、変なこだわりを捨てるようになりました。できるだけ、すべてを受け入れるようにし、すべてを自然の流れにゆだねるようになりました。四国に来た意味、人との出会いの意味、自然を感じ、お寺をゆっくり見て回り、早さや距離、歩くこと、宿泊の場所こだわることなく、車接待を受けたり、1日バイトをしたり、行き当たりばったりで野宿、通夜堂、民家に泊まり、人と自然との対話を大切にしながら大切にゆっくりと前に進もうと思いました。
そして、お寺の古さ、大きさ、歴史深さ、豪華さだけではなく、歩いて寺近くを歩くと、寺の周囲の檀家の信頼度、寺内に入っての足を入れた感覚、お供え物のかんじ、納経の人の雰囲気と、寺を感じる所が変わっていきました。また、寺はタダの通過点であり、寺と寺の間に大きな意味があることを感じました。体の悪い方も、お年寄りも一日数キロでも、何日かかろうが一生懸命歩いている方に会うごとに、健康なのに車で楽に、納経も人任せ、ツアーで来て外見だけで「この寺は素晴らしい」といい、みんなで歌のように合掌する俗世間の人たちを遠くの国の人のように感じました。

後半では心の余裕とともに、納経する意味、地図を持つ意味や全部廻りきるといきごんでいる意味がわからなくなりました。全部廻ったからどうなんだ?スタンプのような納経は何?すべては形でなく、自分自身の心に体に感じて得ていくものなのに‥でも、今の自分は「こだわりをもたない」ってことに執着しすぎてるのかなあ‥って感じたりしました。また、人間生きるには「最低限の水と食料、健康と気力、愛」があれば十分だと思いました。すべてを分ける二文法、ものさしではかる価値観、周りの批評を気にしての仕事、学校、行動、発言‥必要以上の車や店やビルや携帯にパソコン、テレビ‥便利さだけを追求し人間が作り上げた物すべてに違和感を感じていました。人間も微生物と変わらないただの生き物、動物である。大きくとらえると、草木とかわらない自然の一部。この地球、宇宙に人間が生息する時間も場所もほんの少し‥なんで、人間だけが自然にありのままに生きられないのかなあ‥って考えてました。

全体を通して、本当にいろんな出会いがあり、人間、人っていいなあ‥って感じました。ゆっくりと自然を感じることもできました。同時にあれ以後、普段の生活の中で身近な幸せ、日本文化を感じようとするようにしようって思いました。
今は遍路中考えていたことすべてが懐かしく思えます。あれからもうすぐ2年。忘れちゃってることは多いけど、あの体験は私にとって何よりも心と体に大きく染みついているようにおもえます。
みなさんはどうでしたか?基本的に一人歩き、通しで打つと、何人かで、区切りでうつのと考え方や気持ちの変化がよく見えると思います。こんな書き込みに簡単に書いてほしいっていうのも無理なことで、それこそ、こんなこと人に聞いたり、話したりしても意味があるのかわかりませんが、よければ少しだけでも、みなさんの感じたことを教えていただけたら‥と思います。

コメント(18)

私も、遍路をしてから2年が経過しました。
先日、残した気分で88番から1番まで歩きましたが、前回の歩き遍路とは、違う感想を持ちました。もちろん、条件が違うので当然と言えば当然です。
あの当時の歩き遍路の仲間の方からも応援を頂きました。
また、MIXIで知り合った会津の青年が同時期に出発して10kmくらいの距離まで近付きましたが会うことは出来ませんでした。今の生活で10kmなんて車で、数分の距離ですから、簡単な事なのですが、二人とも体力・精神力ともに精一杯で、その10kmが遠く感じました。
お四国と四国という世界がある。といわれました。
87番で88番で会った65歳の歩き遍路さんからは、後光が差していました。その方に、弘法大師に会った。と言われた時には、正直絶句しました。
ふらりと、87番に電車でおり立ち、妙な違和感を感じながらお参りの準備をしていた時に、会いました。鋭い剣がこちらに向いているような殺気すら感じました。自分の負い目のようなものが、気分にしたのでしょうか。12時過ぎ、八栗寺から歩いてきて、今から大窪寺まで歩いていく。5時間もあれば着くでしょう。あなたはどうされますか?はい、バスで行きます。
その方とは、八十窪の宿で再会して、夕食の時に少し話をしました。その後、女将さんに87番で弘法大師に会ったと言われたそうです。
その時の日記をお知らせします。
なんかとりとめがなくなったので、やめます。

http://st-takao.web.infoseek.co.jp/3hiarukihenro.htm
あかねさんの気持ちの変化、凄くよくわかります。
あまりにも似てたのでちょっとびっくりしました。
一言で気持ちの変化は?と言われたら難しいのですが・・・。
あかねさんはお遍路中の日記とかはつけてましたか?

http://blog.livedoor.jp/ayahenro/
takeoさんとアヤさんのHP見させて頂きました。
ありがとうございます。

なんか、いいですねえ。ここでは、私はこうだったなあ‥
あ!わかる!これは、あそこのベンチかなあ‥とか、同じような事を考え、感じたなあって思う点も多々ありました。

私は日記はつけてなかったんですよお〜。
今、とても後悔しています(>_<)
字や文章では残ってませんが、そのぶん、
お四国で感じたこと、忘れないように、一生心と身体に刻みこんでおくよう努力していくつもりです。。
京都、竜安寺のつくばいの文字で、吾唯足るを知る (われただたるをしる)
・・・に通ずるかと、かってに解釈しました。

朱音さん、すばらしいですね。感動しました。私は区切りで2年かけて取りあえず結願しましたが、とても朱音さんの心境まで達しませんでした。
ただただ急いで、スタンプラリーの如く(^_^)vお恥ずかしい限りです。

先日、遍路をテーマにした会で、如何に早く如何に安く廻ったかを自慢し合うような発言ばかりに、辟易してかえってきたばかりなので取り分け・・・あるがままに受け入れる・・・朱音さんの心境には共感すること大です。

この4月から3回目2巡目の遍路にでます。御大師様の眺めた空と海を、山頭火の心で歩くことが出来ればと思ってます。

明日間にあわ〜な iHasta man~ana!
http://www2.ttcn.ne.jp/~Hondkai/
http://honduras1.exblog.jp/
朱音さんのお遍路体験記、すごくいい体験されてるなーと思いました。

ただひとつだけ残念に思ったのは、ツアーで参加されてる方々のことを見下してるようなくだりがあったことです。

ツアー参加されてる人も、本当は歩きで巡りたかったかも知れないし、本人は元気そうでも家庭の事情があって、40日も遍路に費やせないなど、様々な事情があると思います。
読経をみんなで揃ってするのは、ツアーなら仕方ないでしょう。

辛口になりますが、歩きだと偉いわけでもないし、ツアーだと何も学べない(無意味)と言うわけではないと思いますよ。
通しで歩き遍路に出る旅ができた人は、時間的余裕、金銭面(野宿や極貧生活でしのいだとかではなく、1ヵ月以上働かないで過ごす上、自分のためだけにお金を使えると言う意味です)、体力、家族の理解など、環境の条件が整った恵まれた人だけです。
どれかひとつでも欠けたら、通しで歩き遍路するのは不可能です。

少なくとも、結願した人からそんな言葉が出てくるのは、少なからずのショックでした。

辛口ですみません。
sunさん

なんだか、私の書いたことが、遠回しに非難されたようでつらいです。
私は朱音さんを侮辱したいわけじゃないですし、体験自体はとても貴重なことだと思ってますよ。
ただ、ツアーへの方々へのくだりは余計だと思いました。
自分の親や身近な人に置き換えたら少しは感じられるんじゃないでしょうか?
ツアーでしか回れず、団体行動での限られた時間の中で、少しでも何かを得ようと建物の美しさや立派さに目が行き、それを口にしたっていいじゃないですか?
自分は歩いて結願できて幸せに思うなら、ツアーの人を可哀想に思いこそすれ、見下した発言はないんじゃないかなぁと思った次第です。
こんな言われ方をしたら、ツアー参加の方々が可哀想で切なくなります。涙が出てきます。
ツアーの方を見下すのではなく・・・。
私はツアーの方々より様々な面で恵まれたから、40日もの時間を四国遍路に費やすことが出来、且つ歩き続ける健康な体を持ち合わせたことに感謝しつつ、結願する。
それで良いと思います。

少々の不適切な言い回しぐらい、気にしない気にしない!みんな不完全な人間だからこそ、四国を旅して何かを掴みたいと思っているのだから、それで良いと思います。

目くじらを立てるより、潮噴く鯨に思いを寄せてひたすら歩きましょう。
人生ある程度いい加減に行きましょう(^_^)v
明日間にあわ〜なアスタマニア〜ナhasta man~ana!
 私は3年前に歩き遍路をしました。
振り返ってみて、心の変化があったような、なかったような..あせあせ
 歩くこと、山登り、神社仏閣好きってことで、気軽に始めたんですが、
接待を受けるにつれ、自分はたいそうなことをしてるんじゃないかと思ったりあせあせ(飛び散る汗)
なんで歩いてるんだろって思ったり..
 あのころって、毎日とにかく歩くのみ。
物欲とか感じることなくすごくシンプルに過ごせた。
だけどそれって、私自身が変わったというよりは、
環境がそうさせたと思う。
(その証拠に、実生活に戻ったとたん買い物熱全開..ふらふら
ただ、私の気持ちとは関係なく、接待してくれたり、応援してくれたりと 
私の好きで始めたことだけど、けっして一人でやり遂げれたわけではないと、
実感しております。

遍路を終えて何かを得たかと言われると、答えに困るけど
こんなにも愛のある場所に出会えて、触れる事ができて幸せだなと思います。


歩き遍路か?
ツアー遍路か?

面白い問題提起だと思います。

率直な感想、
きれい事だけでは、遍路道は歩けない!
遍路道は、きわどい!! (笑)

乞食遍路をしてみて、思ったこと。
生きてる人間が、そう簡単に、仏さんになって、たまるか!! (笑)

なぜだろう?どうしてだろう??
あれほどお世話になった遍路道のことを誰も心配しないのは???

台風12号、四国直撃、紀州方面も大雨による被害甚大。遍路道や、熊野古道の損壊が心配です。おそらく相当の被害が出ているはず。この先何年も通行不能の道が出てくるかも。この手の情報はメディアも殆ど無関心。一部の関係者のみの関心事に留まるのが通例。

湯浪から60番横峰寺への渓流沿いの遍路道の急坂はおそらくだめだろう。前回、あえぎながら登坂したときもその前の台風時の損傷を2,3年前に修復したばかりだった。階段状に敷いてある横木や、何度か渡る渓流上の木橋がまだ新しかったのを覚えている。

今後、
修復への費用や手間の苦労が忍ばれます。わずか5〜10キロ程度の荷物を持って上るだけでも大変な道です。倒木や大量の土砂に阻まれての遍路道の修復には想像以上の困難が伴うはずです。以前登ったときもその苦労に思い至るたび、何度か途中で手を合わせたものでした。おそらく、今回の豪雨の規模から見て、完全修復には10年単位の歳月を必要とされるはずです。

このような、
世間に注目されない修復事業に、我々遍路道や熊野古道愛好者が何らかの形で応援できないだろうか?それぞれの出来る範囲で、資金援助、労働力提供など。もはや地元の善意にのみ依存するだけでは限界があるような気がするのですが。

明日間にあわ〜な iHasta mañana!

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