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入菩提行論コミュの第七章 精進の完成

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かように忍辱した者は、精進に身をゆだねるべきである。覚醒は精進に立脚するから。精進なくしては、実に功徳は得られない。それは、あたかも風なくしては運動がないに等しい。

精進とは何か。善に対する努力である。
その反対はなんと呼ばれるか。怠惰、汚らわしい悪になじむこと、落胆、自己への軽蔑である。

輪廻の苦しみを厭わないことから、(善への)不活動、楽への耽溺、惰眠(があり)、(それから)よりどころを渇望することによって、怠惰が生ずる。

煩悩という猟師にかぎつけられて、汝は生の網の中に入った。今に及んでなお、汝は死神の口の中にいることを知らないか。

汝は、同胞が順次に殺されているのを見ない。しかも汝は、屠殺業者によって(屠殺される運命にある)牛のように、惰眠をむさぼっている。

死神ヤマ天によって監視せられ、行く手の全てふさがれた汝に、どうして食の楽しみがあり、惰眠があり、恋愛がありうるか。

死は、準備を整えた後に、汝に襲いかかるであろう。その際に怠惰を捨てても、時ならざるときに、汝は何をなしうるか。

「これはまだ果たされていない」「はじめられたばかりである」「半分なされたままになっている」。それに、死が突然訪れてきた。ああ、私は滅ぼされる。――と考えつつ――激しい憂いに目ははれ、涙のために目の赤くなった親戚達が、絶望に沈んでいるのを眺めながら――ヤマの使者の顔を目の前にして、犯した罪の思い出にさいなまれ、地獄の叫びを耳にしながら、恐怖のためにもらした不浄物で身を汚し、取り乱した中で、汝は何をなすであろうか。

「私は(生簀に)生かされている魚に等しい」と、ここで汝がおそれを抱くのは当然である。まして悪を犯した汝が、激しい地獄の苦しみを恐れるのはしかるべきだ。

か弱きものよ。汝は熱湯に触れても痛傷を受ける。地獄のカルマを作りながら、どうしてかように安らかに座っておられるか。

励まないで果報を望む者よ。か弱くて、苦難の多い者よ。すでに死に飲まれながら、自ら不死だと思う者よ。ああ、不幸な者よ。汝は自滅の道をたどる。

人間という船を得たうえは、それで苦しみの大河を渡れ。おろかな者よ。惰眠をむさぼるときではない。この船は再び得がたい。

無限の喜びを生じ続ける最上の法の喜びを見捨てて、なぜ汝は苦しみの因であるざわつきや笑いこけることなどを喜ぶか。

不撓(ふとう)不屈(ふくつ)【ふとうふくつ】、軍隊、専心、自己支配、自他の平等視、および自他転換(――これらは怠惰を除く)。

「どうやったら覚醒が得られるというのだろうか」と考えて、懈怠(けたい)【けたい】に堕してはならない。なぜならば、真実を説く如来は、真実に次のごとく説きたもうたから。
すなわち、彼らは以前に虻、蚊、はえ、虫けらでありながら、努力によって、得がたい最上の覚醒を得た、と。

まして、私は生まれながら人として、徳と不徳とを知ることができる。全智者の規則を遵守(じゅんしゅ)【じゅんしゅ】すれば、どうして覚醒が得られないか。

「それには、自己の手足等を犠牲にしなければならない」と考え、私におそれが生ずるとすれば、それは反省の欠如から、軽重混同のおろかさに落ちることとなろう。

無数なる数千カルパの間、私はたびたび身体を断たれ、破られ、焼かれ、裂かれなければならない。しかも覚醒は達成されないであろう。

然るに、今この正覚の手段としての私の苦しみは限定せられている。あたかも体内に射込まれた矢の苦難を除くために、それを抜き取る苦しみにたとえられる。

また、全ての医師は、施術の苦しみによって病を癒す。それゆえ、多くの苦しみをなくするために、わずかな苦しみが忍ばれねばならぬ。

しかし、この適切な施術すらも、最良の医師(仏陀)は行なわない。大いなる傷病を優しい療法で癒す。

導師は、最初には野菜等を人に与えるように命ずる。それから、次第に進んで、後には自己の肉までも捨てるようにさせる。

自己の肉を野菜に等しとする智慧が生じたときに、彼が肉と骨を捨てるに、どういう困難があるか。

彼は罪悪を離れて苦しみなく、叡智を得て哀愁がない。なぜなら、心は妄分別によって、身は罪悪によって苦難を受けるから。

功徳によって身は楽しく、叡智によって心は楽しい。他人の利益のために、慈悲心によって輪廻界にとどまっている者が、何に悩まされるか。

菩提心の力によって、旧悪を滅ぼしながら、功徳の海を身に集めつつ、声聞【しょうもん】(小乗の行者)よりも、速やかに進む。

かくて、全ての苦悩と懈怠とを取り除く菩提心の車に乗って、一つの楽から楽の状態へと進むならば、心ある者の誰が落胆するか。

衆生の利益を成就するために、「善への決意」と「菩薩の誇り」と「善行の喜び」と「企てからの離脱」という四つの軍隊が必要である。苦しみを恐れ、また福利を幾度も観じて、「善への決意」を起こすべきである。

かくして、敵軍を根絶し、「善への決意」と、「菩薩の誇り」と、「善行の喜び」と、「捨て去ること」と、「専心」と、「自制」という軍隊を操って、努力の増大に励むべきである。

自他のために、私は無量の過ちを滅ぼさねばならない。しかも、その個々の過失を滅ぼすためにすら、カルパの海(無限の年数)を要する。

ところで、この過失を滅ぼす試みのわずかすらも、私に認められない。無量の苦難を受くべきに、何ゆえに私の胸は破裂しないか。

また自他のために、私は無量の徳を獲得しなければならない。ところで、その個々の徳を反復修習することさえ、カルパの海をもってして、なお達成できるかどうかである。

徳のごくわずかな一部分についてすら、それを反復修習することは、私において実現しなかった。かろうじて得られたこの稀有なる人生を、私はむなしく過ごした。

すなわち、世尊を供養する大祭典の楽しみを、私は経験しない。また、教えに対して礼拝せず、貧者の要望を満たさなかった。

恐怖しているものに安らぎを施さず、悩める者を楽しめる者となさなかった。私は、ただ苦しめるために、母胎に賊(ぞく)【ぞく】として入っただけである。

永い間、真理の法を求める熱意がなかったので、現在かような不幸の状態に生まれた。(これを知れば)誰が真理の法を求める熱意を捨て去るべきであるか。

また、「真理の法を求める熱意」は一切の善の根であると、聖者は唱えたもうた。そしてそれは、カルマの報いを繰り返し観ずることを根本としている。

悪をなす人々には、いろいろな苦しみ、激しい憂い、恐れ、失望が生ずる。

浄善を行なう人の希望は、何に向けられても、それぞれにおいて、その功徳の力によって、よき結果のもてなしによって供養される。

然るに、罪悪を行なう人の望みは、それが何に向けられても、それぞれにおいて、その罪悪のために苦しみの刃で滅ぼされる。

善行によって、広大な、薫り高い、涼しい蓮華の胎に入り、勝者の優しい音声に養われて、その輝きをいや増す。そして、聖者の光線によって蓮華が開くときに、正しい相を備えて現われ、スガタの前に、スガタの子として生まれる。
不善行によって、その全ての皮膚をヤマの従者に剥ぎ取られ、苦悩に叫びながら、その身体には熱火に溶けた赤銅を注がれ、燃える刀と矛の百の障害によって肉は細切れに刻まれ、灼熱の鉄の床に、幾たびも落ちる。

それゆえ、善への熱意を起こすべきである。それを恭しく修習した後に、「ヴァジュラドヴァジャ」の儀軌(ぎき)【ぎき】にしたがって、「誇り」に着手して修習すべきである。

まずはじめに、全ての条件を考察して、事に着手し、あるいは着手しないようにせよ。着手して事を中止するよりも、(最初から)着手しない方が勝っている。

来生においても、それが反復される。そして、悪のために苦しみが増大する。のみならず、他のことは無に帰し、なすべきことの時間は失われる。そしてそのことは完成せられない。

誇り(プライド)は、行為と小煩悩と能力の三事に適用せらるべきである。
「ただ私一人のみが、それをなすべきである」と考えるのが、行為におけるプライドである。

この世界は煩悩に支配せられ、(人々は)自己の(真の)利益を成就する力がない。そこで私は彼らのために、それをなさねばならぬ。私は人々のように無能力ではない。

私がそこにあるとき、どうして他の人が、卑しい行為をなすであろうか。もしもプライドのために私がそれをなさないなら、私のプライドは、むしろ滅びた方がよい。

死せるドゥンドゥバ(トカゲの一種)に対しては、カラスでさえその上に舞い降りて、金翅(こんじ)鳥(ちょう)【こんじちょう】のように振舞う。私の心が無力であれば、些細な過失でも、私を圧しひしぐ。

落胆して無活動となった者は、過失に陥りやすいではないか。しかし、常に心が奮い立ち、(菩薩の)プライドを持つ者は、大きな(誘惑)にも負かされない。

だから、堅固な心で過失を不運に陥れよう(すなわち、過失の侵入を防ごう)。もしも私が過失に打ち負かさるれば、三界を征服しようとの私の願いは、笑いの種となろう。

私は全てに勝たねばならない。何物にも負けてはならない。これが私の保つべきプライドである。なぜなら、私は獅子のごとき勝者(仏陀)の子であるから。

プライドに征服せられた衆生は、哀れむべきである。彼らはプライドを保つ者ではない。プライドを保つ者は、敵の支配に屈しない。然るに彼らは、プライドという敵に支配せられている。

プライドによって悪趣に導かれるばかりでなく、人に生を受けては、喜びなき者、他人の食を食う者、召使、愚者、醜い者、やせこけた者となる。

そして全てから軽蔑せられ、プライドに硬直して、哀れな者となる。もし彼らをプライドを保つ者の中に数えるとすれば、いかにそれが哀れなものであるか、それを言え。

プライドの敵に打ち勝つために、プライドを動かし、わななくプライドの敵を滅ぼして、思うままに人々に勝利の結果を明示する――かかる人々が、プライドを保つ人、勝利者であって、まさしく勇士である。

煩悩の朋党に取り巻かるれば、彼(誇りを持った菩薩)は千倍にも傲(ごう)然(ぜん)【ごうぜん】となろう。あたかも鹿の群れにライオンが負かされないように、彼は煩悩の群れに打ち負かされない。

非常の急迫に際しても、目が味を知覚することはありえない。それと同様に、彼は煩悩に支配されないであろう。

(覚醒のための)いかなる行為に携わろうとも、その行為に身をささげるであろう。彼はその行為に集中して、しかも飽くことを知らない。それはあたかも、競技の結果の楽しみに夢中になっているもののごとくである。

全ての行為は、楽しみを目的としてなされる。ただし、ある場合には楽しい結果が生じ、ある場合には生じない。しかし、行為そのものを楽しみとしている人において、行為をしないでどうして楽しさがありうるか。

かみそりの刃の上に塗られた蜜のように、輪廻界では欲望によって満足は得られない。
(同様に、)甘美な結果をもたらす吉祥な「功徳の甘露」によって、どうして満足が得られるか(かかる甘露を菩薩はあくまでも追求すべきである)。

それだから、一つの行為が終われば、彼は他の行為に没入するであろう。あたかも日中(の暑熱)に悩まされた象が、見当たった池にまず第一に没入するように。

しかし、力が尽きた場合には、改めてなすために、それを捨てるべきである。また、それがよく完了したときには、順次に次の行為をしようと熱望して、それを捨てるべきである。

煩悩の打撃に対して、身を守れよ。そして煩悩を強く打ちのめせ。あたかも訓練せられた敵と、剣の戦いをなす場合のように。

その際、剣を取り落とすことがあれば、恐れてすぐにそれを取り上げるように、正念の剣を落とした場合には、地獄(の苦しみ)を思い起こして、すぐに取り上げよ。

毒が血液に加われば体に回ってしまうように、過失は、隙を得れば心に流れ込む。

油のみなぎった鉢をささげ保っている者が、剣を手にした兵士に監督せられ、もし躓けば命を奪われることを恐れ、注意を集中するように、誓願を立てた者も、そのとおりにあるべきだ。

だから、ひざに蛇が這いよれば急いで立ち上がるように、惰眠と怠惰が生じたときには、同じく速やかに対抗すべきである。

道を踏み外した場合には、いちいちこれに強く心を悩まし、「再びかようなことが起こらないために、私はいかになすべきか」と熟考すべきである。

彼はすばらしき人々、あるいは師匠との交渉(支援)、あるいは彼らによって示された行為を探求するであろう。それによって、どうにかこれらの状態において、正念の反復が生じるようにと願うからである。

「不放逸に関する説法」を思い起こしつつ、作業に着手する前に準備を完了して、あらゆる場合に処しうるように、自身を軽快にすべきである。

綿くずが風の去来に従うように、精進の導くままに従うべきである。かようにして彼の神通力も増大する。



【解説】
■解説・入菩提行論(51)「精進の完成」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=177676018&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(52)「恐れずに進め」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=178387146&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(53)「菩提心の軍隊」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=178776345&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(54)「熱意」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=182709459&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(55)「プライド」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=182990521&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(56)「カルマ・ヨーガ」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=183980275&owner_id=535251

■解説・入菩提行論(57)「煩悩を強く打ちのめせ」
 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=184823691&owner_id=535251

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