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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの魔女狩りとフェミニズムについて。

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実は、13世紀から15世紀のヨーロッパでは、
女性が様々な職業に就くことが出来ました。
ペストによって激減した労働人口の穴埋めとして女性の活用がはかられ、
賃金労働者どころか、ギルドの親方、市参事会による商業の監督官に任命された女性がいました。

しかし、これが一変する出来事が発生します。
宗教改革です。

聖書のパウロ書簡にある教えは、それが後世の改竄との可能性が高いとしても、基本的に、
「女は黙っていなさい」です。
聖書が読まれるにつれ、このような考えがヨーロッパに逆に浸透しました。
カルヴァンは、妻が夫に服従すれことは、男女両性が神の権威に服従することを保証するものだと考えました。

従って、独立して生計を立てている女性は、神の権威に反する存在であると怪しまれたのです。

中世では、女性は結婚持参金を自由に譲渡でき、相手が女性でも良かったのですが、
16世紀にはその権利が制限され、男性相続人以外に譲渡出来なくなります。
また、女性は遺言で自由に教会や修道院に寄付できましたが、17世紀には制限されます。

職工に就くことは出来なくなり、
女性が小売業や慈善活動を行う事が、
世間から咎められる行為に変わりました。

また、プロテスタントは売春を厳しく制限するようになり、公娼館は姿を消していきました。

背景として、近世になって再び人口が増加し、男性の失業者や貧困層が増え、
女性労働者と競合したことにあります。

日本でも、近世において金持ちになった農家などは「狐憑き」として迫害されましたが、
それと同じ事がヨーロッパでも起きたわけです。

皆さんは、新約聖書の教えである家父長制を、どう捉えてますか。

駄々漏れ(へとへと)さんと福宮さんは参加しないで下さい。

コメント(7)

今、いわゆる日本語のネット空間では、理不尽な女性叩きが、魔女狩りのように存在しています。

背景は、日本の貧困化で、若年の非熟練労働者が、
女性労働者と競合してることにあります。
女性を叩いて、女性がおとなしく家庭に戻れば、
自分たちは、昭和時代のように(これはデータとしては幻想で、
戦前には女性のタクシー運転手すらいた)、
中流階級の良き夫としての地位に復帰出来ると考えている為です。

すなわち、近世の魔女狩りが横行したヨーロッパ同様、
日本の彼らにとって、独立生計を立てる女性は「諸悪の根源」扱いなわけです。

日本には、歴史的には、アジアでは女性の地位が高かった国ですが、
家父長制度のナポレオン法典を継受した結果、
魔女狩りの精神性も受け継いだわけです。

ナポレオン法典では、女性はほぼ禁治産者扱いです。
「女性は黙っていなさい」が到達した先は父親や夫への完全な従属だったわけです。

さて、キリスト教精神から程遠いノンクリ日本人社会の、
日本語ネット空間で、
独立生計を立てている女性に対するバッシングがあるならば、
宗教改革の結果、新約聖書を読めるようになった近世のヨーロッパ人の反応は自明でしょう。

中世末期の魔女狩り発症の地はスイスで、
これはワルド派との関係が指摘されてますが、
近世以降は、カルヴァン主義のスコットランド、ルター派のメクレンブルクやポンメルン、
カトリック地域の南ドイツやフランスで魔女狩りが強まりました。

特にスイス、ベルン市の支配下にあった、カルヴァン主義のヴォー州の魔女狩りは特に激しく、
プロテスタントによる魔女狩りでは最悪のものと言われてます。
いわゆる水審判、つまり、魔女容疑者の身体を縛って川に突き落とし、
浮かんできたら魔女として処刑、
沈んで死んだら無実だという、
無茶苦茶な判定は、
古代バビロニアで行われたもので、
実は1215年の、第4ラテラノ公会議で禁止されています。

しかし、16世紀にはなし崩し的に復活し、イギリスを筆頭に、ヨーロッパ各地で行われました。

ルターは中世的な人物で、夫婦の不和を魔女のせいと考えたりした人物ですが、
近世的な魔女狩りとは無縁でした。
しかし、カルヴァンは1545年、ジュネーブで起こった魔女裁判に参加していて、同裁判では、
「疫病を広める妖術」を使ったとされ、十数人が拷問を受け処刑されました。
ポーランドは、元々宗教的に寛容な国で、ユダヤ人たちとも共存してた国ですが、
イエズス会による対抗宗教改革が成功すると一転し、
東欧でも最も激しく魔女狩りを行い、1650年代から、70年代にかけてピークを迎えました。

オスマン帝国支配下のワラキア、モルダヴィア、トランシルバニアは魔女狩りが比較的抑制されてましたが、
ハンガリーでは魔女狩りが激しく生じました。

北欧では魔女狩りは少なかったのですが、
原因としては、地理的な理由で、魔女狩りを正当化する悪魔学理論があまり受容されていなかった為です。
それでも
デンマークでは魔女狩りが激しい時代があり、スウェーデンでも、17世紀後半には生じました。
魔女狩りは、啓蒙思想・人道思想が広まると共に終息していきます。

魔女のせいにされた事態が、自然現象で説明されるようになったこと、
いかなる理由でも、クリスチャンは拷問をすべきではないという思想の広まり、
また、拷問による自白は証拠足り得ないという、司法のデュープロセスの確立で、
劇的に減少していきます。

イギリスでは、1736年に魔術法令が廃止、
ハプスブルグ帝国では1766年に、詐欺や精神病に由来する魔女告発の禁止令が出され、
ポーランドでは1776年、スウェーデンでは1779年に、魔女の告発が禁止されます。
プロイセンにおいて、魔女裁判で死刑の適用が廃止されたのは1721年のことでした。
とは言え、魔女狩りは、姿を変え、形態を変貌させて、
例えば極東の島国に残っています。

何かの原因を、薄弱な理由で誰かに帰せ、
スケープゴートとすること。

いわゆる女性叩きもその類でしょう。

果たして、新約聖書の教えは、この島国の男女平等思想を弱める事になるでしょうか。
それとも否か。
マルクスではないが、
豊かさによる余裕が、社会問題を意図せずに解決することがあります。
逆もまた然り。

実は、魔女狩りが激しかった年代は、
小氷期に基づく異常気象が多発し、農産物の不作が目立った年代と相関性があります。

端的に言えば、18世紀以降のヨーロッパは豊かになっていたとも言えるわけです。

その事を鑑みるに、
デフレ脱却どころかスタグフレーションに突入し、ますます貧しく、余裕もなく、少ないパイを争い、未来に対する展望が絶望的な日本では、
魔女狩り的な精神性は悪化こそはあっても、決して良くなる事はないでしょう。

日本の為政者、大本営発表による自縄自縛で消費税を上げて、日本経済にトドメを刺そうとしており、
また、奇跡的な無能揃いの、不正と粉飾だらけの企業群は、
技術でも人材確保でも中韓に敗れる事が明らかで、
決して事態が良くなる事はありません。

魔女狩りを行った精神性の嫡子、
まさに正統的な継承者はジャパニーズだ、とか言われる日が、来なければ良いですが。

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