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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュのヤコブの生涯を振り返る

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アブラハムの息子イサクは40歳の時、美しいリベカと結婚した。リベカにはしばらく子供ができなかったが、イサクが妻のために主に祈ると、間もなくリベカは双子を身ごもった。
先に出てきたのは全身、毛皮の衣のような兄エサウ。後から出てきたのは兄のかかとをつかんできた弟ヤコブ。
父アブラハムは60歳になっていた。
成長するとエサウは巧みな狩人となり、ヤコブは穏やかで天幕の周りで働くのを常とした。
狩りの獲物が好物だった父アブラハムはエサウを愛した。母リベカはヤコブを愛した。・・・・

コメント(68)

川の妖精ですね。また、心の中のエサウという正当な線もあります
>>[25]

神と人と闘うというのは、神についても、人についても、よく取っ組み合って考えて、決して安易に結論を出したり、安易に従属したりしない、という意味でしょうか。
>>[25]

>32:32 そのため、イスラエルの子らは今日まで、もものつがいの上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブのもものつがい、すなわち腰の筋にさわったからである。


新共同訳では最後の所が「打ったからである」とされていて、それでなぜ腰の筋を食べないのかよくわかりませんでした。
神がさわった部分だから、畏れ多くて食べないのですね!
>>[27]

>12:創世記/ 18章 12節
サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。


ここで楽しみと訳されている言葉は原典では性愛を指しているのでしょうか。
>>[31]
主の平和!
今日はイースターで、聖餐当番してから、後から愛餐会がありました。持ちより重箱の食事ですね。私も重箱にと書きたいところですが、昨日はゴルフ付き合いがあり野外での席作りだけ手伝いました。
***
>神がさわった部分だから、畏れ多くて食べないのですね!
イイネ!
*
教派によってはユダヤ教の先生がかいた文化学的な歴史批判はタブーのようですが、私のところは自由主義なのでレスしてます(宗教の違いより、保守か自由かの違いの方が差が大きい)。
*
正統的には触ったというか、神が負けそうになったので急所を打って逃げたということです。反則技ですね。
まあ、触ったという解釈だと、かなり昔の女性神の時代の話になります。元々はそういう話だったかもしれません。

いずれにしても、神と人の交わり、神のヤコブの祝福です(^^;。
>>[31]

こうした箇所の扱いは結構、重要なのに関わらず、保守派と自由派ではかなり違います。大人になってもさっぱりという信徒はかなりいます。

この辺のタブーへの適用は少しこじつけになってます。
>もものつがいの上にある腰の筋
と云えば、読んだ通り追えば、男性器になります。
古代において初子の奉献と同じく、戦闘の勝者の男性器食は宗教的な慣習としてあった(る)ようです。
この辺は比較宗教学のサイトを見てください。
http://www.geocities.jp/studia_patristica/comp0501.htm
二ページ目にあります。
禁止した訳です。
まあ、日本人は人間のは食べませんが、動物や魚のはかなり好きだと思われますが?
>>[34]

それじゃヤコブ

チンコ外れたことになっちゃいますでしょ(笑)

読んだ通り、腰や股関節周りの筋や筋肉とするのが一般的でしょう。

まぁ。Evangelist当たりの“霊的自我”なんて戯言ではあり得ないでしょうけど。

>>[34]

>正統的には触ったというか、神が負けそうになったので急所を打って逃げたということです。反則技ですね。  >もものつがいの上にある腰の筋と云えば、読んだ通り追えば、男性器になります。古代において初子の奉献と同じく、戦闘の勝者の男性器食は宗教的な慣習としてあった(る)ようです。


なるほど〜。どうもありがとうございます。
「七十人訳ギリシャ語聖書�義論さ�」(秦剛平訳 河出書房新社)

“そして(その者は)彼にかなわないと見てとるや、彼の股関節を触った。組み打ちの最中、ヤコブの股関節が麻痺した。”

“このため、今日まで、イスラエルの子らは股関節の上にあって、(その者が)麻痺させた筋を食べない。なぜなら(その者は)ヤコブの股関節、(すなわち)筋を触り、麻痺させたからである。”

ヤコブ改めイスラエルの年寄り子ヨセフはよく夢を見る子で、しかもその見た夢を兄たちに話しては兄たちの反感を招いていますね。
兄たちだって夢を見ているのかもしれないし、見ていないのかもしれない。見たのに目が醒めた途端に忘れてしまうのかもしれない。
兄たちはヨセフの夢の話でヨセフを妬むばかりだったが、父イスラエルはその夢の中で自分までもヨセフにひれ伏すと暗示されているのを聞いて叱りはしたが、
さすが自分も夢で重要なお告げを受けて来た身、ひそかにわが子ヨセフの夢を心にとどめましたね。
>>[39]
主の平和!
今晩は失礼します。
他のスレにドイツの色んな進んだ研究をしている学派が出てましたが、歴史批判、研究というのは曽野綾子のや三浦綾子の歴史小説を読むのとは違います。
学びの前に、自分の信仰を確認しなければなりません。信仰を問われるのはリューデマンの「イエスの復活」だけではないわけです。
読んでみて思うのは、では問題、疑問はある意味で解決したとして、では現代の我々にどう関係あるの?だと思います。
良く聖書協会の聖書の始めに書かれてますが、それは数千年に渡る神と人の関係の「歴史」で、聖書の編纂は終わったけれど、それは続いているということです。書かれている表現は時代の文化によって違うけど、真理はひとつです。私が良く判ったのは、ハガルと息子イシュマエルの追放の話からです。ひとつ解れば、全聖書が解ります。夏の暑い日、いつものようにコーラを飲もうとすると、100円毛ない。資本主義社会ではお金がないと、生活できないんだ。神公のやつ、酷いやつだ、と振り返ると500円が。更に前のパチンコ屋に入ると、777が(^^;。当時、制限はなかったので5千円と缶詰に洗濯石鹸に魚沼コシヒカリに。
それ以上に「求めよ、さらば与えられん」、「ハガルが振り返ると」
解った、ドイツの学派を超えたぞ。あいつらは高給公務員だから解らないんだ(^^;。
私も富裕層で分かりませんでした(^^;。

ヤコブの話に戻りますが、漆黒のヨルダン川はヤコブにとって心の闇と言えたわけです。
エサウとの再会は、恐れでもありました。エサウの軍隊、いや兵は強い。もしかすると殺られるかもしれない。そうだ、エサウは俺を捧げものに。
先発は帰ってこないなあ。皆殺しかな(^^;。
>>[34]

LXX ではκαὶ ἐνάρκησε τὸ πλάτος τοῦ μηροῦ Ἰακὼβ

腿の平らな部分

>>[40]

>ひとつ解れば全聖書が解ります。夏の暑い日、いつものようにコーラを飲もうとすると100円もない。資本主義社会ではお金がないと生活できないんだ。神公のやつ酷いやつだ、と振り返ると500円が。更に前のパチンコ屋に入ると777が(^^; 。当時、制限はなかったので5千円と缶詰に洗濯石鹸に魚沼コシヒカリに。
それ以上に「求めよ、さらば与えられん」、「ハガルが振り返ると」・・ 解った!ドイツの学派を超えたぞ。あいつらは高給公務員だから解らないんだ(^^;。


確かにそういう所から聖書全体がわかってしまう人やドイツの何とか学派を超えてしまう人もいらっしゃるのかもしれませんが、
もっと別の人生上の苦しみ、悩みをどうしてもはらうことのできずにいた人が、聖書というこのとんでもない物語を何とか理解したいと思う中で、突然、言葉や論理的思考を超えた所に心が明け開かれて新しい境地を得るという人たちも多いでしょうね。
>>[34]

ヨセフスもユダヤ古代誌の中で

περὶ  τὸ  νεῦρον  τὸ  πλατὺ

周り 腱の 広い・太い・フラット

秦剛平訳「ユダヤ古代誌」1巻(p.128)では"太い腱のあたりに"と訳されていますね。

BC3〜BC2ごろに訳されたLXXやAD1の歴史家ヨセフスなどの記述はともに、生殖器ではありませんし、Tanakhのようなその湾曲表現も取られていませんね。

>>[44]
医学的に股関節を外されたら、救急車、いや担架でないと動けないと思いますが。ヤコブはその後、渡川してますし。
日本で良くいう下半身みたいなものと思います。
一解釈ですが。
>>[45]

それは野に暮らしている遊牧のヤコブにまったく治療などの知識もない場合ですが、現代社会の人間ならいざ知らず、古代の牧畜を生業としていた人間が、非常の際の手当ても知らないという方が無理があるでしょうね。今みたいに携帯で助けをすぐ呼べるような時代じゃないですし、何キロも離れたところに家畜を一人で連れて行くんですから。

また、股関節外されてそれなら、なおさら生殖器なんて外れませんでしょう。

神の奇跡や癒しでどうにかなったと誰も言わない所が興味深いですなあ。
旧約聖書を幼い時から何度も繰り返し読み、かつ身近な大人たち、先輩、ラビなどによってさまざまに教えられる機会もあるユダヤ人は、きっと早いうちから人間や人間社会についての知識も豊かなものとなるでしょうね。
男女の関係や家族の確執、親戚とのいさかいなど、本当によく語られている。
旧約聖書は性教育の役目も果たす。男たちは女たちに「入り」、娘が父から子種をもらうケースや死んだ兄の代わりに兄嫁に「入る」よう父に言われるケースもある。
オナンは兄エルが主の意に反して殺されたため、父ユダから兄嫁に「入って」兄のために子孫を残してやれと言われる。
しかしオナンは、どうせその子孫が自分のものとはならないことを知っていたので、兄に子孫など与えるものかと、兄嫁に何度も「入り」ながら子種だけは外に出した。
これは主の意に反することであり、オナンもまた殺されてしまう。
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と闘って勝ったからだ。」
(創世記32‐29)

イスラエルという言葉には、神と闘って勝ったという意味があるのでしょうか。
>>[50]

おお、ググレカスという方がいらっしゃったのですね。
お優しいご教示、どうもありがとうございます。
>>[51]

http://dic.pixiv.net/a/ggrks

"「他人に聞く前に検索サイト・グーグル(Google)を使い、自分で調べろ、このカスが!」という意味の「ネットスラング」。

・・・

画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」などで、面白い画像、エッチな画像などを「うp」しろとの意味で 「ウプレカス」という言い回しと、それを元にした「アスキーアート(AA)」に「無蝕童帝ウプレカス」があり、これの改変で「ググレカス」(gugurecus)のAAも2006年春に登場。「2ちゃんねる」をはじめネットで広く使われるようになり、2008年度版『現代用語の基礎知識』にも掲載され話題となった。

・・・"

>>[49]
主の平和!
今日は失礼します。

イスラエルはヘブライ語です。
イスラ−エル
エルがいわゆる主格か対格ともとれます。
イスラ「闘う、支配する」、エル「神」
神が闘う、神が支配するか、神と闘うですが、上記の文脈からいって「神と闘うもの」
>>[53]、どうもありがとうございます。
あくまでも創世記の記述によるならば、神が闘うというよりも、神と闘うという人に注目した言葉のように原語の知識のない僕には思えます。
さらに言うなら、闘うだけでなく、勝ったということもイスラエルは含意しているのだというふうに聖書からは受け取れます。

考えてみれば、このイスラエルという名辞はとても意味深ですね。
イスラエル人というのは神と取っ組み合う者でなければならない。
ただ最初から神に隷従するのはイスラエルにふさわしくない。
真っ暗闇の川岸で、よくわからないこの相手と向き合い、本気で取っ組み合って、決して安易に背中を向けたり、闘うことをやめて頭を下げたりはしない。
神と取っ組み合ってこそイスラエルだ。

この「ヤコブの階段」を伝承したヤコブなる人物(古代イスラエルの誰かということですが)の原体験は多分、上記のような朝の東雲から刺した朝日だったのではないかと思います。その朝日からその土地が神の土地、神の家であることを霊感したというわけです。古代パレスチナには何らの人影もなく、見渡す限りの荒涼とした土地に刺す陽射しというわけです。

ヤコブの階段、「ジャイエコブスラダー」というとベトナム後遺症を問題にしたサスペンス映画がありました。ベトナムが現実で、アメリカが夢という映画だったと思います。

戦争の現実が描かれてます。

https://www.youtube.com/watch?v=GID0N9m0T2A
wikiの解説が良くできてます(あまりネタを明かさないが・・)。
>>[49]
「ヤコブの階段」の良い話がありました。
ベテルの地名の由来をヤコブの物語の中に描いた、つまり物語を作ったという説明ですが、私はだれかが経験した霊的な体験の伝承を用いたと思います。物語がリアリティーを持つには中心には事実が不可欠だと思うからです。だからこそ、何千年たっても心に訴える何かがあるわけです。
http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message071118ef.htm
>>[56]

僕はヤコブの天地をつなぐ階段は、雲間から射した日差しだったろうというよりも、
この世の物事のありようを深く考えたヤコブの思考が、寝てる間にあらゆるものは何物も抜け落ちることのない階層構造をなしているという夢となって表れたのだと思っています。
>>[58]

旧約聖書を読んでいると、話がこんがらがらないように、ついつい自分で家系図を書いて確かめてしまいますよね。
>>[59]
主の平和!
今晩は、失礼します。
どうやら心理学的な読みに関心があるようですね。
良くされています。映画「ジェイコブスラダー」はベトナム後のアメリカにおけるヤコブ物語の解釈です。
ヤコブは心に後遺症を追い、荒野をさまよっていたという歴史批判も可能です。
エサウとヤコブは物語上は二人ですが、実際は氏族同どうしで北ベトナムと南ベトナムのような関係だったかもしれません。
それはイザクの言葉とそのあとのエサウの言葉に暗示されています。
*
創世記/ 27章 40〜41節
お前は剣に頼って生きていく。しかしお前は弟に仕える。いつの日にかお前は反抗を企て/自分の首から軛を振り落とす。」
41:エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」
*
リベカの助言でヤコブは逃亡したわけです。あるいは敗走したのかも知れません。


創世記/ 28章 11節
11:とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。

12:すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

13:見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

14:あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

15:見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」

16:ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」

17:そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

18:ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、

19:その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。

>>[59]
先程、北ベトナムと南ベトナムの関係と書きましたが 、古代のイスラエルにおける北イスラエルと南のユダ王国の関係がエサウとヤコブの物語に反映しているかも知れません。
*
こうした物語は南北戦争を舞台とした「ジェイコブスラダー」が、映画「ジェイコブスラダー」ではベトナム戦争に置き換えられたように時代によって解釈される訳です。
旧約を読むとき、考えなくてはいけないのは「分裂後の60年間は南北王国の間でたびたび戦いが繰り返された」ことです。
http://mh.rgr.jp/memo/hi0019.htm
文字どおり、骨肉の争いです。
>>[63]

なるほど〜。兄弟でありながら争うという関係ですね。その関係をより深く理解しようとして創世記のエサウとヤコブの争いが描かれ、兄弟どうしの争いというものが根本的に考察され、また解決の道筋も深く考察されたのかもしれないというわけですね。
いやあ、考えさせられます。
>>[65]
映画「ヤコブズラダー」は兄弟の憎しみというより、ベトナム後遺症が書かれている訳ですが、日本でも少し前の震災といったことをあげられると思います。ベトナム戦が1970年として、映画は1990年ですから20年経ってやっと回顧できる訳です。
日本の少し前の震災というのは1995年のことを言ってます。自分の経験のお陰でよくわかる訳ですが

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