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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの動員主義とスローガン主義 教会と労組の類似点

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2月11日は建国記念日であり旧紀元節ですが、この日になると「紀元節に反対する集会」が開かれて、末端労組員に動員がかかります。

若い世代は、そもそも「国の誕生日を祝って何が悪いのか」としか思っておらず、反対集会はするけど、具体的に祝日法改正の請願や議員ロビーはやっていません。

これは、左翼系用語で「行事主義」とか「動員主義」とか言うようで、要するに国民の支持が得られる見込みはないのですが、反対の拳を上げた以上やめるわけに行かないので、年に1回行事をやって動員をかけて活動したことにしておくということです。

この辺は、いわゆるリバイバルミッションと非常によく似ているように思うのです。

内輪で盛り上がって伝道したことにして、「神様のミココロを実践しました」ということのようですが、不毛な点では、紀元節反対集会とよく似ています。

コメント(34)

聖句とか教条文句をスローガンにするのも、労組と教会は似ています。

それも、おかしなことに、明治神宮の参道で「偶像を拝むな!」と喚くのは得意ですが、葬儀斎場に行って「キリストを信じるものは死んでも生きる」とは喚かないようです。

今は滅多にないですが、旧国鉄ストなんかは、完全にストが自己目的化していて、国民の迷惑などはお構いなしですから、潰されて当然。

教会も、集会に行くことが自己目的化しているとしか思えません。

そして、教会も労組も「連帯」が大好き。

アカ系教会は、沖縄問題や反原発団体との連帯が得意で、福音派はよく知りませんが、伝道のための連帯なら、聖霊派とでも野合しちゃうんだから同じことでしょう。

連帯の欺瞞性については、吉本隆明が大昔に書いているのですが

続きはあとで書きますが、自己目的化した活動なら、無駄な予算をかけずに必要最小限のことだけやっていればよろしく思います。
共同体は宗教が元々で、
労組運動なんかは、本来なら共同体になったら行けない。
労働環境向上の為の機能集団でなければいけない
(…まあ、多元的国家論というので、国家主権と労働運動を同列においた人も昔はいましたが)。

日本人は良く分かってないが、元々西洋というのは、体格や教養などが、階層に直結していた。
体格が立派で、頭も切れて、金を持っているヤツがブルジョアであり士官であって、
体格が貧相で(ろくな飯を食わないから)、教養もなく(教育を受けないから)、貧乏なヤツがプロレタリアで、兵士だった。
だから、「万国の労働者は団結せよ」というわけで、会田雄次も英軍の捕虜になったときにそういう状況を見て、
「なるほど、労働者は団結しなければ勝てないわけだ」と苦笑したわけです。

今は状況が違うし、いわゆる上層階層も巧みになっている。
今では貧困層の方がメタボ気味だし(ファーストフードばかり食べるから)、まあ、教育の面はともかくとしても、
下層階層ほど「自己責任」を真に受けて、互助的関係を切り捨てる思想的に立場に立っている。
実は、上層階層の方が、家事も夫も妻も同じぐらいやっているというデータが西洋の方ではある。
下層の方は、穿った見方をすれば、この時代に性差意識に固執させて男女間の連帯感を断ち切らせ、
「自己責任」の名の下に互助関係を断絶し、
雇用形態による階級制度と会社への帰属意識によって、たとえば産能毎の労働組合運動の成立を不可能にされている。
ものの見事にズタズタにされ、パンとサーカス(ネットやケータイなんざ今日日誰でも身近)は切らされない。
もし、これが意図されたものなら、上手いことやったとしか良いようがない。

労働運動が擬似共同体化した場合、それた産能別ではなく、会社ごと、雇用形態毎で組織されようものなら、
そりゃすぐに利害関係では話があわなくなるに決まってる。
トヨタと、その下請けの会社員が利害関係が一致するわけがない。
しかし、労組としては活動しなければならない。で、何で一致するか。
…政治運動しかないわけで。
で、労組が会社ごとの利害関係を代表してしまう以上、労使協調というヤツを重視せざるを得ない。
(一度で良いから、たとえばバス全路線無期限ストライキとか見てみたいものですが)
更に言えば、労組の幹部になる人間を出世させるという手を使う。
これは割合楽な手で、その幹部は労組から抜けるし、出世を指向する人間は組合内でも経営側との協調路線を意識する。
まあ、知人がまさにそれで出世しましたが、そうなると、残った側の労組の人間と対立関係になる。
「あいつは変わってしまった」というわけです。

実際には、個々がそれぞれ状況に応じてすぐに連帯し互助する方がよっぽど厄介ですが、
日本の場合は完全に擬似共同体化してしまった。
共同体の楽しみというのは確かにあって、僕も子供の頃は、組合の人たちや家族と共に、正月は餅つきをしたり、夏にはバーベキューをしたり、それなりに確かに楽しみの部分がある。
何より、人が社会的孤立を感じるときは、脳が実際に痛みを感じるのと同じ反応をして、
ちゃんとダメージを受けてしまう。
それを回避するのは集団の成員になるのがてっとり早いわけで。

宗教の信徒共同体が共同体なのは当然の話で、
共同体内でのヒエラルキー闘争などはありますが、凝集性が高く(利害の対立が少なく)、社会財の配分に預かり(これは名声と同時に異性もそう。男女の出会いが提供される事によるメリットもあります。
昔のアメリカの教会の青年会は、「お見合いクラブ」と揶揄されてたりします)、
そして、その共同体に反対する人がいれば、それだけ成員内で連帯感が強くなる。

キリスト教なんかまさにそんな状況で共同体が育成された宗教であって、
日本人の擬似共同体が真似するのもおこがましい。
つーか大人しくムラ社会を地域に築けば良いものを、地域の方は捨て去って、孤立と表裏一体な自由を求めて都市に出て、
そして「寂しさ」を感じて職場や労組をムラ社会にするのだから、始末に負えない。

日本人は地域に還るか、宗教共同体へ戻るべきですな。
何度も何度も書きますが、共同体というのは社会財を二重配分するという実際的な効果を持つので、
決して廃れません。

社会財が共同体毎に配分され、その共同体内部でヒエラルキーに基いて配分される(だから二重配分という)。
日本の企業は綺麗に二重配分になっています。

たとえば、利潤の労働者への分配率、すなわち労働分配率は、本来なら、某神の国アメリカのように、景気の良い時には多く配分され、景気が悪い時には少なく配分されるから、
景気の良い時には大きくなり、景気の悪い時には小さくなる。

ところが、日本企業の場合、景気が良い時には小さくなり、景気が良い時には大きくなる。
なぜなら、日本企業において人件費は固定費で、それは景気の悪い時には保証を意味するが、
景気の良い時には据え置きを意味するから
(で、残りは内部留保になる。実に分かりやすい話)。

アメリカは市場からの直接配分に近いが、日本の場合はまさに二重配分となっていて、企業が恩恵を受けて後に、慈悲あまねく経営者様…ではなく、これもまた逆説的ですが、共同体のルールに則って、共同体独自の論理で、その恵みが配分される(傾向にある)。

この企業の擬似共同体の尻尾にくっつく形で労組がつけば、
…そりゃ御用組合にならざるを得ません。
今でこそ、建前を建前として信じる<ゆとり様>が見えない規範を壊してくれてますが、
元来、日本の企業は結婚相手まで与えてくれる、まさに異性を含めた社会財の分配者でした。
女性は腰掛け、なんという言葉もありましたな。
その共同体色の強さは、たとえば社宅での奥様方のヒエラルキーが、夫の職階に比例するという形でも示されています。

つーわけで。

教会と労組が似ているのではなくて、
教会に、労組が似て来たわけで、しかも企業も同様なわけで、
はっきり言えば、半端な近代化で孤独化した日本人が寂しさの余り形成した集団群の功罪まで、
勝手に宗教共同体の信徒へ負わされてはたまったものではないです。

日本人はムラ社会で、民俗文化を守って、縁日とかを楽しんで、ケを楽しんでいれば良いのです。
会社や労働運動の時は、あくまでも利潤の追求と労働環境の改善という、合理目的性に従った、契約に基づく行動をするべきです。
今晩は失礼します。
私は長くユニオンショップの連合に所属してました。全員加盟ですからね。メーデーも何回か行きました。自民の単独時代が終わりお祭りムードになって着た頃からですね。村山首相とか間近で見ました。屋台とかで焼きそばとか食べました。
小学のころ、社会学習した?学生運動とか血のメーデー事件と大違いでした。
>>[009]

組合派を名乗る教会もあるからややこしいw
まあ、今は昔と違って、
総評と同盟で云々もないし(そもそも同盟は民社党系で、改憲賛成派だった)、
共産党のオルグ云々も(そんなに)ない…と…思う。
まあ、僕が少しだけ関わってた頃よりは少ないのはないかと思わないではない。

……

今の共産党のオルグは労組なんかより、目下宗教関係が実は多いという話も聞きますな。
浄土真宗大谷派とか、まあ、部外者なので良く知りませんが。
キリスト教関係は、どちらかというと韓国系の進出の方が……
韓国のキリスト教は大日本帝国が育成したようなものなので、皮肉な話です。

往々にして、ふつーの日本人は理論武装が苦手なので、
理論で固められて情に訴えられて力を示されると屈服します。
「感情移入した頭」ないし「論理的思考の心」に弱い。

ま、そういう特性を知っている日本人もいて、たとえば神社本庁が各地の教派神道を統制しようとしているという動きもあるとかないとか色々聞きますが
(宇佐神宮の宮司が解雇されてましたな)、
まー、とりあえずふつーの日本人の無防備さだけは凄いものです。
ま、もっとも、日本国の知性のトップレベルが、
安倍や経団連レベルなので、いまさら組合ばかり云々言っても仕方ない話ではありますが。
スタグフレーションを推進するようなバカ政府はなかなかない。

ところが、上には上がいるというか、下には下がいるというか、
愚劣さと強欲には限りがないというか、やはりホモ・サピエンスという種は進化に失敗した出来損ないというか。

アングロサクソンの片割れ、もとい、金魚の糞、もとい、盲腸の英では、ゼロ時間契約、すなわち待機労働制度という超目玉制度がありますな。
常に待機しなくてはならず、経営者の意向によっては休日無しで25日連続労働もあれば、
ほとんど仕事もないという月もあるという、さすが福音派の故郷イギリスの制度という感じです。

何でも、今の英の首相は、「ゼロ時間契約を拒否したら失業給付金を停止する」として、失業者に事実上強制させる事を考えているとか。
福音派も泣いて喜ぶ自由主義、レッセ・フェールの悪夢再び、ですな。
こりゃアメリカで資本論めいた本が売れるわけです。

アングロサクソンでさえそうなのだから、日本人…いや、これ以上は何も申しますまい。
全く、人類というヤツは…
今年だったか、スコットランドの独立の是非を決める住民投票があって、
まあ、恐らく独立ともなれば、北海油田をスコットランドが持っていく事になるだろうし、
そうなると、金融工学があーゆー状態になった今、イングランドがどうなるか興味深いです。

イングランドがアメリカ五十一番目の州になる日が近いかも
(日本は先を越されそうですな)。
>>[8]

>で、労組が会社ごとの利害関係を代表してしまう以上、労使協調というヤツを重視せざるを得ない。
>(一度で良いから、たとえばバス全路線無期限ストライキとか見てみたいものですが)

そうそう。ただまぁBCP(事業継続計画)を策定しておくのが当然になっている現在では、通勤者の足を確保する代替計画は必ずどこかで行われているし、ウチの会社も主任職以上は、会社支給の端末の持ち帰りが許されていて、出社不可能なときには自宅から会社の作業環境に繋いで指示は出せる。

1975年のスト権奪還ストでは、労組のほうは物流を止めて首都圏を大混乱に陥れるはずだったのが、政府が先手を打ってトラック協会に代替輸送を依頼しておいたので、トラック野郎の皆さんは「オレたちが首都圏の台所を守るぜ!」みたいな感じで張り切ったものだから、特に混乱はなし。


>元来、日本の企業は結婚相手まで与えてくれる、まさに異性を含めた社会財の分配者でした。

今でも、キャリア官僚なんかは、秘書課というところに政界財界大物の娘の写真が山のように持ち込まれて、カタログショッピングみたいにして結婚相手を選んでいるらしいです。

>>[15]

>物流

ま、政府も愚劣過ぎるほどの馬鹿ではないというか、労組と同じレベルの人々ですから、手は打つでしょうな。

>結婚

役所や省庁なんざ、企業以上に共同体性が強いですよ。
「追い越し」禁止なんて、あれは共同体のヒエラルキー形成での不文律そのものですからね。
機能集団であれば、別に事務次官の同期が平で残っていても良いのですから。

役所が共同体性を守ろうとする余り、追い出される同期たちの食い扶持確保の為に、
天下り先が用意される。
用意されなければ、最終的には、同期の内事務次官しか省庁で残らない人事では怨嗟を生む。

本末転倒なわけですな。
共同体色を排すれば良いだけの話なのですけど。
>>[7]

>労組運動なんかは、本来なら共同体になったら行けない。
>労働環境向上の為の機能集団でなければいけない

まったくそのとおり。でも、三池労組で歌われた歌は「♪みんな仲間だー 炭(すみ)掘る仲間ぁ〜」ですし、こんな歌を歌わねば団結とやらが維持できないのは、根本でどこかがおかしい。

ぶっちゃけ、「労働組合は社会主義の学校である」なんてことを組合綱領に書いてあるんですから、そんな連中と仲間になるのは真平ごめんです。

教会は、「キリストを信じる兄弟姉妹の群れ」と言われておりますが、実際には小〜中規模の教会は、擬似家族としての相互扶助もほとんどないまま、無理やり家族の一員にされて、大変迷惑。
>>[17]

>社会主義の学校

イデオロギー的な主張の受容を求めるだけで、経済学はおろか経済思想も教えないのだから、
日本社会は、どこもかしこも奴隷を求めているだけなのが良く分かります。
…まあ、教えても多分偏りがあるのは否めないですが。

>教会

民俗的にというか、歴史的には、日本の家族は共同体ではなくて機能集団だったので、
むしろふつーです。
日本人にとっての家族は元々働く場であって、それ以外の何物でもないです。

日本人が属していた共同体は地域共同体であって、ムラです。
日本の教会が共同体性を主張するなら、「家族」ではなくて、「キリスト村」とか言っていた方が多分日本人には分かりやすいでしょう。
前に、「金持ちほど健康で、貧困層ほど不健康」という社会的データがあることを書きましたが、
これは何も富裕層がアメリカの混合医療よろしく素晴らしい治療を受けるから、というわけではありません。

属しているムラの社会的凝集性の高さが、富裕層ほど強く、貧困層ほど低い。
下手をしたら、ほぼ孤立無援な状態の可能性もあります。

日本における擬似共同体は、パフォーマンス・サンクションがまともに働きません。
日本語で言えば信賞必罰ですな。
つまり、失敗すれば責任をとり、改善をなせば報酬が与えられる。
これは基本的に危機管理を軸とする考えです。

伝統やしきたりや不文律や規範を、所与の社会的事実として受容する状況だと、
改善なんかよけいな事だし、伝統規範に従った結果不具合があった、なんて事になった状況で責任を問うなんてことをしたら、伝統規範が崩壊してしまします。
だから、ムラなどの共同体では、集団自体の無謬性と「永遠の昨日」とも言うべき無変化が求められます。

…が、悪いことばかりではない。
成員は、凝集性が高ければ高いほど、何かあればお互いをかばい合い、自分も助けられるわけです。
ストレスに対するバッファ(緩衝材)としても機能するので、常にストレスにさらされている場合より健康な傾向にあります。

これは、同じく前に書いた、「宗教心の強い人ほど長生きで健康的」というデータと、実は全く矛盾してません。
宗教心の強い人は、宗教共同体に強いコミットメントをしてます。
機能集団としての家族を意識させるような某国はともかくとして、世界的に見れば、宗教共同体はまさに社会的凝集性の高い集団で、
ストレスや不平不満などによるルサンチマンに対するバッファとして機能する。

ところが豈図らんや、日本の下層は、下層になればなるほど、孤立し、「自己責任」を主張して、強者の論理に従います。
強者の論理は強者が使うから意味があるのであって、弱者が使えば野垂れ死ぬだけです。

「増大する社会福祉の財源として消費税増税」
「分かった」
「で、外資を誘致する為に/日本の企業を逃さない為に、法人税を下げようか」
「分かった」

…なんて事を肯定してしまう。
弱者は弱者として、前者には「景気が悪くなって消費が落ちるから拒否」、後者には「あれ? 財源は?」とか言って、聞き分けのない姿勢を示し、連帯するべきなのに、好んで孤立奮戦しようとする。
その結果、下層階層はどんどんバラバラになり、不健康(あくまでも傾向として)になり、選挙公約の対象から外され、どんどん疎外(誤用)されていく。

原子力ムラにしろお役所にしろ政治屋にしろ経団連にしろ、
日本で上層階層に位置する人々は、ほぼ全てムラを形成し、互助し合い、集団の無謬を主張し
(どこぞの政党の人間が、日本の政治家の質が低いのは有権者の質が低いからと責任転嫁してましたな。
教育やら意識改革やらに尽力しようとすれば出来る立場でそういうのだから、本当に典型的なムラの住民です)、

下層階層に下るに従って、建前を信じ、近代社会・法治国家の幻想を共有し、自己の責任ばかり追求され、孤立して生きるように求められ、事実そうしている。

アメリカの植民地たる日本の、いわゆる上層階層は、植民地人たる日本人を宗主国の為に働かす為の奴隷主として振舞っているのに、
ふつーの日本人庶民だけが、主権国家で法治国家、近代社会の日本という夢ばかり見てる。
年次改革要望書を出したのは、そして何故出したのか、加えて、誰がそれに従い行動しているのかを考えれば分かること。

そういうのはちゃんと根本から教育して意識改革をしない限り、
夢を見ている内に餓死するのがオチでしょうな。
まあ、日本の誰かなどは、宗主国で奴隷主たちのボスを、
「平和を構築する使者」とか言って拝み崇め奉っている状態なのだから、
何をか況や、ですな。

アメリカの産業保護の状態と、アメリカがTPPその他で求めていることのギャップすら、
まともに教育されないのでは仕方ない話です。
年次改革要望書で、アメリカからの対日要求の内、まだ実現されていない制度として挙げられるのが、ホワイトカラーエグゼンプション。
安倍が必死になって導入しようとし、今また残業代ゼロ制度として経団連と共に入れようとしているヤツですな。

アメリカの制度だと、アメリカのホワイトカラーエグゼンプション制度を適用するには、年収要件以外にも、
専門的な教育を受けたという事実などの客観的な根拠が求められ、
その要件を満たさないと労働関連の裁判で極めて不利となる、ということが労働省のガイドラインにあります。

同じく労働省が提示している専門的な教育の例としては、
管理職だと経営学修士(MBA)、経理専門職では公認会計士、
法務部門の管理職では州弁護士資格などなど。

日本の経団連の構想などでは、年収要件がなく、客観的な根拠の提示も必要なく、ほぼ無制限です。
そもそも論として、欧米ではインターバル規制(仕事が終わった後から11時間の間就業させてはならない、という規制。休養を確保するため)もないし、
残業の割増収入分は、日本では25%に対し、あのアメリカでさえ50%。

これに賛成するような人は、アメリカの奴隷はおろか、進んでアメリカ以下の制度に甘んじる、
奴隷の中の奴隷と言えるでしょうな。
☓ >欧米ではインターバル規制(…)もないし、
○ >欧米のようにインターバル規制(…)もないし、

賛成する人は、進んで奴隷になるのを好む、根っからの奴隷根性で、
しかもそれは抽象的な何かに仕えるのではなくて、
宗主国であり、平和の使者(笑)かつ神の国(爆笑)。

面白い国ですな。
宗主国さえ出してない要件を奴隷主が提示し、それを甘んじて受けようとする。

全く、どーにもなりませんな。

>>[24]

日本人は夢ばかり見て、事実を見ないから。
建前と本音の乖離に慣れすぎていて、建前だけを信じるのに疑問を持たなくなっているから、
本気で危機管理意識がなくなってます。

自分たちの不手際から原発が爆発したのに、少しも変わらずにこの有り様ですよ?
たとえ明日中国が攻めてきても、何も変わらないと思いますね。
多分、「想定外だった」とか言うだけでしょう。
>>[22]

>ホワイトカラーエグゼンプション

この件については、自分はいろいろ忸怩たる思いがありまして。

オフィスのIT化と表計算ソフト(エクセル)の高機能化に伴い、事務仕事のうち特に集計やデータ入力については、業者に委託してきちんとしたVBAを書かせれば、それまで手作業で8時間かかっていた業務が30分もかからずに終わるんですな。

ただ、それに「待った」をかけるのがだいたいにおいて「労組」でして、そもそも現在の労務管理における作業見積もりが、ドカタ系の作業(ハンマー一打○円☓10打=○○円 時間は30分とか)の見積もりを基準にしているので、ホワイトカラーと言っていいのかどうかわかりませんが、デスクワークにおけるタイム・イズ・マネーの現代にはそぐわない。

にもかかわらず労働の質的向上と労働者の高付加価値化といった方向にはいかず、合理化に反対するだけの老人脳になっています。
過労死に無関心な労組
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130730/waf13073007010000-n2.htm

かつての、自称「前衛様」にとってどうでもいい課題になっているようです。

自分も、組合脱退して、10人ぐらいで顧問弁護士を雇って顧問料を払ったほうがよかったと思っています。
ただ、第2組合に組織されることを極度に恐れる前衛様は、どう妨害してくるか見ものだったでしょう。

無関心といえば、「流産しました。」「障がい児が生まれました」などの、「どうして自分だけが」系の悩みについて、概して教会は無関心です。

「キリストを信じるものは死んでも生きる。」(まだ信じてません)
「神の御業が現れるためである。」(早く表してください)
「すべてが益になるようにしてくださいます。」(早く益にしてください)

この3つを言っても静まらないようなら、「来週から礼拝に来なさい」と言って追い払う。「先祖の因縁霊が」とかは言わない代わりに「水子供養」もしない。

問題の根源は「どうして自分だけが」ということなので、「サルビア会」とか「野の花会」とかいう互助団体に入れば、そのうち生き方を見つけるわけです。
>>[27]

労組とか労働者の側が効率化に反対している、というのは、共同体性と保身の故でしょう。
集団規範を、良い意味でさえ越えることを成員が拒絶するのは心理学の実験結果で如実に示されてます。
ただ、集団全体が効率化することには、日本人は両手を挙げて賛成する。

たとえば、工場などの自動化に賛成するのは日本人労働者だけだとか。
他だと、機械化されると仕事がなくなるから反対(インドとか良くそういう話を聞きますが)されるのですが、
日本だと何故か、その職場全体が「楽」になると思うらしい。

個人だけが効率化すると、「ずる」をしていると思われるようですな。
この心理は未だに本気で理解出来ませんが…
工場は工場で、なんか独特の文化がある感じなようですが(僕は工場で働いた事がないので分かりませんが)
>>[28]

共同体が関心を持つのは共同体そのものであって、成員のことではありません。
組織は組織になった瞬間から組織だけの為に動きます。

疎外(誤用)ですな。
まあ、元の意味でも、集団の一構成員、社会科学的現象の一要素、自然科学的現象の一変数になってしまえば、個人がどう考えようがどう動こうが、諸法則によって疎外される、という形で、
別にそれほど状態としては間違ってませんが。

僕も、聖書とかは最近もっぱらリビングバイブルばかり読んでます。
元が多少…結構…酷いので、新共同訳でも何でも、有難がって読むのが疲れるようになってしまって、
肩の力を抜いて読むような感じになってしまいました。
もっとも、リビングバイブルは別に馬鹿に出来ませんけどね。
細かい矛盾は潰しているし、おかしな記述は意味が通るように頑張っている。
まあ、意訳(?)が凄い事になっている所も無いではないですが、それはそれで面白いので悪くない。

共同体の究極的関心の一つである礼拝には使えませんけどね。
>ホワイトカラーエグゼンプション

ま、基本的に、僕がいる業界では、残業することを前提に段取り組んでたりしますからね。
「定時に帰る」とハッパかけて、ようやく少ない残業時間で帰れる状態ですが…
早く帰れるように早朝に来ていても、始業時間よりかなり前で、僕しかいない時にすら電話がかかってくる。
…僕がいなかったらこの人何がしたいんだろう、ぐらいにしか思わないですな。

まあ、最近では保育所や公園で子供が騒ぐとただちに年寄りや大人たちからクレームが来るようで、
自分たちが騒がずに育ってきたとでも言いたいのかと嘲りたいくらいですが、
多分本人にとって「他所の(共同体の)子供」なんてどうでも良くて、ただの邪魔にしか思わないのでしょうな。
社会全体が完全に利己的になってきている。

某公営放送でのドキュメント番組で、ある街に住んでいる老人が、「昔は、知っている子どもたちが騒いでいたから気にならなかったが、今は知らない子どもたちが騒いでいるので鬱陶しくなってきた」と言うような事を言っていて、
地域共同体の解体ぶりが、完全に日本人を利己的にしているという良い証左です。

恐らく、世界でも指折りの利己主義ではないですかね。
どこぞの海外のサイトで、「日本人は控えめで大人しい国民性だと評判が高いが、単に仮面を被っているだけで、親しくなって心を許し始めると、途端に無礼になる、他の国民と大して変わらない」とかいう評判が立ってましたな。

日本人の民度とやらを他の国民から分け隔つのは、その共同体性の強さだけ、なんでしょうな。
しかし、こういうご時世こそ、ゼネストでもやってくれたら面白いのですけどね。
山手線なんかが止まって、首都圏が完全停止なんかしたらどうなるんでしょうか。

ま、それはともかく、祖父はまだアメリカや財界と敵対してましたが、孫の方は本当に出来が悪い。
つーかアレが兄弟の中でもダントツで愚劣。
…とは言え、多分考える頭が無い人間に「考えろ」と言うのはイジメの類なんでしょうな。

やれやれ。
鳩山やら何やら、日本は本当に人材が豊富ですな。
そもそも、日本の年間自殺者数が三万人ぐらいで推移しているのは、
それ以上は行政解剖云々の処理能力を越えるから、…だという話も聞いたりしますな。
富士の樹海などに行くのは「行方不明者」であって自殺者としてカウントされてない。

これは交通事故とかも同じで、24時間以内に死亡した人間しか「交通事故死亡者」としてカウントしてない。

失業者もそう。
労働意欲喪失労働者をカウントしない、という事を盾にとって、「ハローワークに登録している失業者」しかカウントしてない。
ハローワークの機能の有効性は横に置かれてる
(つーか、僕なんかも、昔会社を辞めた後には転職サイトを使って転職していて、ハローワークを利用してない…)。

アベノミクス(失笑)とやらの株価上昇もそう。
上がる要素が日本経済に皆無なのに、ダウと日経が落ちた翌日に、日経が上がっている。
個人投資家が投資しまくりたいほど経済的に好調というわけでもなしに、そこにはやはり何らかの資金が投入された、「実体の無さ」があると訝しむのが、ふつーの人間の危機管理というもの
(好んでリスクを取る投機家はまた別)。

日本人は戦時中も戦前も統計に嘘をつき、また事実とデータに基づいた研究報告を承知の上でスルー(真珠湾前の夏に、東条内閣で対米戦のシミュレーションをして、「対米戦必敗」という結論が出て、東条以下、内閣の者は全てその報告を提示されている)した前科持ち。
今もそれをしないなんて信じられるほど、楽天的な要素は日本社会のどこをとってもない。
そもそも論として、日本人は嘘に対して寛容…というか、嘘も方便というか、
つーか中二病みたいな言説だが、「日本人は嘘つきだ!と日本人は言った」とパラドックスを起こしそうなぐらい、嘘が好きな民族。
政治家が公約を守るとむしろびっくりするような社会。

この虚構性がどこで破綻するか見ものと言えば見ものですな。
やしきたかじん(歌手。そう言ったらイスラエルの入国管理局の役人が爆笑したそうだが)が生前、
歌詞に「娼婦」の文字を入れようとしたら、役人が文句を言ってきたそうな。
「日本には公娼制度がないのだから、娼婦は存在しない」

…いる、というのに。
法制度上の娼婦が公式に許可されていないということと、
社会に娼婦がいる/いない、という事実とは何の関係もない。

とかく日本人は夢を見て、その夢を共有していることを前提に動く。
夢は所詮夢だから、砂上の楼閣は崩れ果てる運命で、原発は爆発するし、スパイは闊歩するし(何故かスパイという言葉が日本では陳腐化しているというこのボケ振り!)、
スタグフレーションに突き進んでいても、それでもやっぱり日本人は夢ばかり見てる。

いつか覚めると良いですな。

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