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キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの神の似姿 とはいかなることか

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創世記では、神は人間を自分に似せて作ったと書かれています。

しかし、旧約聖書で人間のような姿をした神を見たものはおらず、登場してお名前を伺ってみたら「私はある」というものですというお返事です。

さて、いくつかの説教でこの件についていろいろな解説を聞きました。

似姿とは「モノを創造することができる」という意味であるという話を聞きました。これは進化論を補強する考えと言えなくもありません。

片や、「神の似姿」とは、要するに神がなすはずのことを自らする存在であるという説を聞きました。

遠藤周作の表現で言えば「神は自分の言葉や行動を通して雄弁に語っていた」

さて、似姿とはいかなることでしょう。

コメント(30)

絶対的な隔たりのある存在である、神と人間が似ているってなんでしょう。

ちなみに、戦時中に特高に捕まって尋問を受けた耶蘇信者が「貴様は天皇も罪人だと言うか」と聞かれて「天皇も被造物である以上、罪は免れない」と馬鹿正直に答えてヒドイ目にあったとのことですが、これはモノは言いよう。

「天皇陛下は神様と同じ姿をしていて、神の子であらせられます。(イエスの十字架の御業ゆえの和解とかいう面倒な教理は言わないでおく)ゆえに罪(Crime)はありません。耶蘇教ではそのように教えております。一方、世間では進化論という学説が幅を利かせており、人間はサルの子孫だと云いますが、それだと天皇陛下もサルの子孫だということになります。耶蘇教では陛下がサルの子孫だとは教えておりませんが、日本の学校では進化論を教えております。私達はそのようなことを信じておりません」

とやってはどうかという、これは山本七平の意見。
イエスは、人間として生まれ、自ら「人の子」と称し、弟子から「あなたは生ける神の子」と呼ばせています。

私を見たものは神を見たのですと言っているので、あのような姿なのでしょうが、ユダヤ教へのプロテストを行ったイエスを、ユダヤ人たちは神の似姿と思ったでしょうか。

それとも、神の似姿というのは、モノを創造して、性欲を満足させて、律法守れば世俗法はクソクラエなのでしょうか。
大天使ミカエルの名前の意味は、

『神とは誰か?』

『誰が神のようになれようか』

『神に似た者』


創世記では、大洪水を起こした神が、自分のしでかした事を悲しみ、二度と洪水で人類を滅ぼさない誓いとして、虹を創ったとあります。


『弱者を労る心、困窮している者を放って置けない憐れむ心』


そんな属性が、神に似せて創られた・・と言う事だと理解してます。

集合的無意識(社会的無意識)じゃないですかね?
啓蒙思想家が何を言おうと、生得的に知っているとしか思えないような事(笑顔の表情の意味とか)はあります。
そういうのは進化の過程なり何なりで、蓄積された、感情や論理を通さない神経回路という形、
アウグスティヌス流に言えば、集団的記憶の中に、イデアとして真善美というのが人間に分有されている。

ただ、表層として現れたら所詮人間の身、旧約の啓示のように引いてしまうような愛のかたちや、
福音書のように理想的過ぎるような言葉として出てしまう、というだけで、
誰にでも、「三位一体の痕跡」たる「神の似姿」と呼ばれるべき元型は無意識の中に持っているのではないかと思われます。
>福音書のように

これはイエス・キリストの言葉が、という意味ではなくて(ナザレのイエスが本当は何を言ったか僕は知らない)、
マルコなりマタイなりルカなりヨハネなりと呼ばれている福音記者たちの感性に依るもののことです。
>>[1]

日本流では、そんな事を言えば、
「屁理屈を云うな、屁理屈を!」と怒鳴られて殴られて終わりですな。

体罰や管理教育で教師の横暴が広がれば、
生徒の親が「暴力教師!」とラベリングして抗議する。
それを巷ではモンスターペアレントと云うんだ、と、今はそのモンスターペアレントというラベリングを教師が多用して、
これに生徒の親が萎縮する、という、馬鹿みたいな話もありますが、
それと同じで、「天皇を悪く言った=非国民」とラベリングしたかっただけの当時の特高に、理屈なんかありません。
今でも「憲法改正論者=右翼!」とか、「日本を悪く言った=反日!」とか、
幼稚園児のお遊戯レベルの話が巷に溢れています。
一々付き合っていたら疲れるだけなので、当時取るべき態度は「天皇陛下は現人神」とか言って、帰宅してから主に懺悔ですな。
>>[7]

>それを巷ではモンスターペアレントと云うんだ、と、今はそのモンスターペアレントという
>ラベリングを教師が多用して、
>これに生徒の親が萎縮する、という、馬鹿みたいな話もありますが、

医者の暴言に対して、「ドクターハラスメント」と抗議したら「モンスターペイシェント」と言い返されるみたいな構図ですね。

学生運動流行時には気に入らんヤツを「反動!」の一言で片付けていたし、まぁレッテル貼りして単純化するのは日本人の得意技なのでしょう。
>>[9]

>得意技

というか、それしか出来ないのでしょう。
論理的思考能力が稀有。

仏教だろうがキリスト教だろうが儒教だろうが、
マルクス主義だろうが啓蒙思想だろうが、
日本に入った途端、理論体系が失われて、単なるラベルになります。
「あいつはあーゆーヤツだ」でしか人を理解できない。
他者ないし絶対他者という概念を持たないからです。
一応、両方共好きな神学者ですが、
北森の方は「痛みを共感する神」を感じ、
バルトの方は「痛みなき神」を“神学”した(この用語はバルト独特のものですが、哲学する、とか、科学する、みたいな程度の意味ぐらいだと思われます)。

前者はプロセス神学と同様、感受性を人間と共有する神ということで、
遠藤周作をはじめ、割りとその手の「家族的恭順」ないしピエテート、又は「甘え」のある世界観です。

これに対して、バルトの場合は、感受性の共有を断ち切った、ファザーイメージの神が軸の世界観。
キリスト教圏でピエテートは、カトリックなどでの聖母マリアが象徴となっているので、父性だけが綺麗に軸に残る。

これが、神なき時代の法意識になると顕著で、
西洋人は裁判規範とか、自然法とか、普遍・偏在する、一種の父親代位物として捉え、
日本人(東洋人一般ではない)は、法を母親代位物として捉える。
たとえば、「労働基準法をちゃんと守っていたら企業はやっていけない(だから守らなくて良い)」というのは、
それこそ「経営者の自己責任」な話なわけで、「食っていけないから人から不当に奪った」と言っているのと同義ですが、
条文がちゃんとあるのにも拘らず、日本企業は「甘え」ているわけです。

神の似姿というのがイメージされるのならば、
西洋人のそれは「厳格な父親」だが、日本のそれは天照大御神のような女神か観音菩薩みたいなのを考える。
(人種論ではなく、前述した通り、西洋でのマザーイメージは、大地母神と習合した聖母マリアという<人間>が担って分化しただけの話)

こうして考えると、ロジカルシンキングなんてのは日本人の精神の根っこで相容れない概念だと言えないこともない。
ロジックはピエテートの入る余地がない。受容するかしないか。自由自在に「テキストを自由解釈すれば良いだろう」とばかりに解釈を広げる隙間がないわけで
(日本で、法律の条文にない時は「慣習法」を準則にする事が許されているが、
これは明治初年の「太政官布告」に依る。
ドイツの場合は、「法律感情」や「国民的感覚」とか「正義の感情」「法の理性」という言葉を使う場合があるが、
日本の裁判でこれが出てきたら恐らく袋叩きでしょう)、
つまり「運用の妙」というのが大切にされる。
肯定的な意味で捉えられることもありますが、よーするに「建前」と「本音」の二元社会の是認です。

だから、もし日本人に神の似姿があるのなら、女神と夜叉のヤヌスの鏡でしょうなあ…
>>[11]

今も大して変わりませんよ。
「皆が残業しているのだから、(お前が普段どう苦労しようが知らないが)お前も残業しろ」と平気で言ってくるのですから。

明治政府ですら直しきれなかった日本人の精神性、
東日本大震災とフクイチですら何も変わらない心性が、
高々戦争に一回負けたくらいで治るわけもないです。
どこかの漫画で、「種そのものが嫉妬深い」とかいう生物種の話があったのですが、
日本人の場合は、それこそ日本“教徒”自体が嫉妬深いのかもしれません。

他人と同じ幸せの高みに登るより、
他人を自分と同じ深みに引きずり降ろそうとする事を好む傾向が顕著に見られる感じですし
(違う人もいるかもしれませんが、少なくとも僕が見てきた日本人は大抵そうでした。
これは経験則ということで)
>>[009]

レッテル貼りして単純化するのは、クリスチャンの得意技でもあるんだがw
>>[006]

原型が夫婦神であれば、その似姿も必然的に男女一対になりますよ♪
>>[15]

そうそう。
それで必死になって動き回って、クライアントの無茶な要求にも応じて段取り組んで、
頭を下げたり後始末や準備をしているのはこっちなのに、
先輩というだけで「私を立てろ」みたいな態度(実際には手足となって考えずに作業するしか能のない人)を取ってくるのだから、
儒教と日本的労働観の融合は最悪だと思いますね。
給料体系に差があるわけでも手当がこっちに付くわけでもないし。

先輩として「立てられ」たいのなら、それなりの振る舞いをしろ、とか思うのですが、
どうにもならないのでしょうな。
日本人は永遠にこのままでしょう。

残業して汗を流している姿さえ見せれば、高く評価して、
トラブルが起これば全部こっちが動いてどうにかしているにも拘らず、残業を出来るだけ少なくしているこっちは陰口を叩かれるのだから、
もう近代社会として終わっているのでしょうな。
>>[18]

だから、日本人クリスチャンでも、本当に日本教徒的な人、多いですよ。
辟易します。
だから、日本人は自分たちが合理的とか科学的とか論理的だとか信じ込むような妄想を抱くのはやめて、
ちゃんと自分たちの宗教感覚に自覚的になって欲しいものです。

プロテスタントやら何やらとは、宗教感覚が違うのだという、他者の存在の是認をきちんと認識しないと。
日本人は日本人というだけで、何故か「皆同じ感覚・精神性・振る舞い・言動」をするのが当たり前で、違う振る舞いをするのは「知っていて“わざと”やっているんだ、嫌がらせだ、何てヤツだ」と、
イカれた、…もとい、妙な感覚で生きるのは止めて欲しいものです。

残業を一時間か二時間で切り上げて帰っているだけで、
「お前は職場の全員が嫌いだろ」と面頭向かって言われた時は、「何を言っているんだコイツ」としか思わなかったですなあ(実際には、そこまでコミットメントする気もなければ興味もない)。
>>[11]

なにしろ出征するときに言う定番のセリフはお国のために死んできますですからね。戦ってきますじゃない。

横井さんでしたっけ、ジャングルで見つかって帰国したときに、「恥ずかしながら(生きて)帰って参りました。」と言っていたので、やっぱり「死んでくる」のが基本だったんだなと思いました。

そのあとの小野田さんは、「繁栄した日本」を見て、ブラジルに移住しちゃいましたし、死して護国の神となるどころか、生きる価値もない国(国体)だったと思ったんでしょう。

>>[18]

ムリムリ(笑)

神が望むことより自分が望むことに夢中やからね♪
>>[025]

だって、奥さん居ないと子供造れないでしょw

産んでくれた母があってこその父親だよw

二人は一体なので父と呼べば母もついて来るのです♪

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