ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

キリスト教(聖書)への素朴な疑問コミュの【これは】キリスト教はパクリでは?【どうなの?】

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
表題の通りの疑問点です。キリスト教が台頭する前からの他宗教の特徴とキリスト教の特徴を比較してみました。

他宗教はキリスト教側からみたら「神話・迷信・邪教」と言われる物ですが、この類似性はどうなんでしょうか?

とりあえず3つの宗教を挙げて比較してみましょう。他のも挙げたらきりがなくなるので…


【デュオニソス(ギリシャ神話)】
・主神 : ゼウスが最高神
・聖霊の存在 : ゼウスから生まれた神々は全て一体である
・メサイア : デュオニソスは馬小屋でセレナの太腿から生まれた
・天使の存在 : 天使と悪魔が対立する
・悪魔について : 悪魔はやがて消滅する
・天地創造 : 全ての物質がエネルギー状態であった「カオス」から「ガイア」が生まれた
・審判の日 : 言及なし
・救世主の誕生 : デュオニソスは冬に処女から生まれ、博士の迎えを受けた
・救世主の足跡 : デュオニソスは偉大な教師であった
・弟子達 : デュオニソスには12人の弟子がいた。最後の晩餐を行なった
・奇跡 : 水をワインに変えたり、死んだ人を生き返らせたりした
・三位一体 : 不完全(ゼウスとデュオニソスは一体とされてはいる)
・復活 : 死んで3日後に復活している
・救世主の性格 : アポロと共に善良なる牧者であり葡萄の神である
・救世主の力 : デュオニソスは真理であり命であり復活である
・祭日 : 日曜日に入教式と祭事を行なった
・起源 : BC800以前、ギリシャ


【ミトラ(太陽神)】
・主神 : 太陽神(ラー)は全知全能な唯一神
・聖霊の存在 : 言及なし
・メサイア : ミトラは12月25日に処女から生まれた
・天使の存在 : 天使と悪魔が対立する
・悪魔について : 悪魔はミトラによって滅ぼされる
・天地創造 : 太陽神ラーは唯一の造物主である
・審判の日 : 道であり、真理であり、命であり、光であるメサイヤ・ミトラを信仰すれば裁きを免れ、天国で安楽にすごせる
・救世主の誕生 : ミトラは12月25日に処女から生まれた
・救世主の足跡 : ミトラは放浪する偉大な教師であった
・弟子達 : ミトラには12人の弟子がいた
・奇跡 : ミトラは数々の奇跡を行なった
・三位一体 : 太陽神ラーとホルスとミトラによる三位一体
・復活 : 墓に葬られて3日後に復活した
・救世主の性格 : ミトラは善良なる牧者である
・救世主の力 : ミトラのみが道であり真理であり光である
・祭日 : 日曜日(Sunday)の起源とされている
・起源 : BC700以前、中東(エジプト)


【ゾロアスター(拝火教)】
・主神 : アフラマズダは全知全能な唯一神
・聖霊の存在 : スペンダーマイニューはアフラマズダの聖霊である
・メサイア : シャオサンスはアフラマズダの息子であり救世主である
・天使の存在 : 悪神アングラマインニュー(ダエーワ)と戦う天使がいる
・悪魔について : ダエーワ配下のサタンは創造を妨害する悪魔
・天地創造 : アフラマズダは天地を6段階に別けて創造した
・審判の日 : メサイヤ・シャオサンスを信じるものは救われ、光の世界に行ける。残りの人々は火による裁きを受ける。終末の日、メサイヤは再臨し、天国・煉獄・地獄では全ての人が復活する
・救世主の誕生 : メサイヤは冬に預言者の予言の通り処女から生まれた
・救世主の足跡 : シャオサンスは放浪する、真理の教師であった
・弟子達 : シャオサンスには12人の弟子がいた
・奇跡 : シャオサンスは数々の奇跡を行なった
・三位一体 : アフラマズダ、スペンダーマイニュー、シャオサンスの三位一体(アフラマズダと火の神ミスラと水の神ヴァルナとも言われる。これはスペンダーとシャオサンスの別解釈との説もあり、キリスト教で言うところのエロヒムとかと同様である)
・復活 : シャオサンスは死して3日後に復活し、天に登り、アフラマズダの右に座した
・救世主の性格 : シャオサンスは善良な牧者である
・救世主の力 : シャオサンスのみが救いの道であり、彼は真理を教えてくれる
・祭日 : 太陽が明るく照る日は聖日として火を拝した
・起源 : BC700以前、イラン北部


【キリスト教(YHWH)】
・主神 : YHWHは全知全能な唯一神
・聖霊の存在 : 聖霊はYHWHの霊である
・メサイア : イエスはYHWHの息子であり救世主である
・天使の存在 : サタン・ルシフェル・ベルゼバブと戦う天使がいる
・悪魔について : YHWHに敵対するルシファー・サタンなどの悪魔
・天地創造 : YHWHは天地を6段階(6日間)で創造し、7日目に安息した
・審判の日 : イエスを信じる者は救われ天国に行き、残った人々は火の地獄に投げ込まれる。終末の日メサイヤは再臨し、死んだ人間は復活し、最後の審判が行なわれる
・救世主の誕生 : メサイヤは冬に預言者の予言の通り処女から生まれた
・救世主の足跡 : イエスは放浪する教師であった
・弟子達 : イエスには12人の弟子がいた
・奇跡 : イエスは数々の奇跡を行なった
・三位一体 : YHWH・イエス・聖霊の三位一体
・復活 : イエスは死して3日後に復活し、天に登り、YHWHの右に座した
・救世主の性格 : イエスは善良な牧者である
・救世主の力 : イエスは道であり、真理であり、命である。イエスによらねば誰も天国には行けない
・祭日 : 日曜日が安息日(異教徒の風習、ユダヤ教は金曜日)
・起源 : AD40前後、パレスチナ



それぞれの宗教が「主張」する事を見比べると、なんでこれほど似通ってるのかが不思議な程。
最も新しい宗教「キリスト教」を信じるクリスチャンの皆様は、これをどの様に思われるので?
まさか、他のは「迷信」で自らのみが「真理」とかは言わないですよね…?

個人的には、現在のキリスト教理は「他宗教の良いところをパクって作り上げた虚構」であると思うのですが、如何なのもでしょうかね?

コメント(122)

> あしもさん

その通りですが、父祖をアダムに置かないと原罪という概念が成立しませんから、やはりアダムの子孫という位置付けからは逃れられないことになりますw
ぶっちゃけ、日本人に嫌われることばかり言ってきましたからね。

クリスチャンになったら、仏壇は処分してください、先祖供養などトンデモない。死んだ人は、最後の審判のときに蘇って裁かれる。

なんて言われたら、普通は引きますよ。

キリスト教は先祖供養も否定してんだ・・・・
それは知らなかったw

>死者を恐れる

キリスト教徒が行なう祭儀は「先祖を追悼する心です」と説明して、日本人の伝統的な祭儀だけが「死者を恐れる心理」だと区別できるものなのでしょうか。
「キリスト教徒は死者を恐れないので葬式なんかしないのです」と説明が続くのならば、納得できるかもしれないけど。


>>87  ユキチさん

公教会の場合には、「死者のためのミサ祈願」というのがありますし、仏壇(祭壇)も売っていますよ。あと、プロテスタントでも墓前礼拝とか、あるんじゃないでしょうか。

用語的に微妙なところで、「供養」なら仏教でいう追善供養であって、「追善」に重点が置かれるはずなのですが、「鎮魂」とかになると、さすがに違うかなと思います。

先祖の恩徳に感謝して、何か悪いのでしょうかねぇ


>>
アダムまで辿ったら、そこで満足しないで、もう一代遡れば偶像崇拝にならないんだけどねw

>>91
イヌワシ さん

>死者を恐れる思いは理解してあげた上で

先祖を敬う気持ちは理解する気はないみたい。

どうせ他宗教は否定するんだから理由なんてどうでもよいのかも。
縄文人と同じように迷信から死者を恐れているだけだと理解してあげましょうってか。

偶像崇拝しないなら物質的にこだわる事自体が可笑しい。
人のうちに仏壇を置きにくるとかは、物質的な面でなく迷惑行為だからダメだけど
創価は偶像崇拝者だから、物質的にこだわるのは当然だろう。
神社に近づけないとか、インチキオカルトなキモイ行動はそういうわけだからしょうがない
偶像が気になってしょうがないイスラームも、似たようなものだね。
まあ、それこそ、パクリでしかないので、本質が分からないところからそのような行動がでる。
洗脳目的の教会権力が偶像にこだわるのも、それは本来的な宗教とはいえないのだら仕方のないことで、従う必要は全くない。
洗脳目的と本当の伝道を見分けることが必要
いろんな意見が飛び交ってて 非常に興味深いですが、これ 他宗教ではどうなんでしょうかね。

仏教は「死んだら皆仏様」みたいな感じで、先祖を大事にするようなイメージがあるのですが。
これはこれで「輪廻転生」と矛盾してるような気もしますが…

イスラムやヒンズー、ブゥードゥー、ゾロアスターなどはどんな見解なんでしょう。
結構興味ありますね。

アフリカ辺りの土着信仰だと先祖の霊云々って伝承があるそうなので、そっちは元々が先祖信仰っぽいですが。

個人的には、自分のルーツを否定するのは道徳的な宗教とは言えない気がしますね。
存在が証明されてもいないアブラハムやノア、アダムが、自分を産んで育んでくれ、大事にしてくれた親や祖父・祖母より大事だとは爪の先ほども思えないです。

故人を偲ぶ行為を信仰に置き換えさせるような宗教など…(笑)
「死んだら皆仏」っていうと、小沢の宗教発言を思い出すけど、
彼の場合は、『皆死んでいれば面倒がなくて簡単でよいのに』という願望の現われでしかない。
仏=死人。要は自分が簡単に操れるからと言うことだ。

ヒンドゥもゾロアスタも現在は信者などほとんどいないから見解なんて伺えない

ムスリムなんてどこでもいるから、いろいろ質問してみればいい。
質問されたくないことが多すぎて、核心に迫ると、周囲に聞こえないように
声を潜める様に云われたりするけどね。隠したくてしょうがないんだよ。
確かに現代人として隠すべき恥ずかしい教えなんだからしょうがないけど。

その教義の核を隠していたことによって、繁殖して侵略してきた、宗教の皮を被った軍隊なんだからしょうがない。

自分のルーツを否定する/道徳的かどうか

   これは全然関係ない。


もし関係あるとするなら、それは己のうちに血族至上主義が根付いているからでしかない。


アブラハムやノア、アダムが大事なんて誰が言った??
前から思っていたけれどもなんか大きな勘違いをしているようだね、君は。



>故人を偲ぶ行為を信仰に置き換えさせるような宗教など…(笑)
自分の祖先が大事なのと何が違う?

どうなってんの?黙っておこうと思ったけれども、余りに支離滅裂だね、君は。

 
>その教義の核を隠していたことによって、繁殖して侵略してきた、宗教の皮を被った軍隊なんだからしょうがない

クルセイダー…(爆笑)

>>94 イヌワシさん

>たぶん、さなやんさんの説明がクリスチャンとしては一般的ではないでしょうかね?

(>>86)によると、「先祖供養などトンデモない」と教会は辞めさせていたということでしょうかね。
そんなことをやっていると嫌われるよと認識されるというところでしょうか。


---

日本人の「先祖崇拝」は「死人を恐れる心理」に由来して、キリスト教は祖霊祭祀を行ってますと。
どうやって区別しているのだろうという疑問は残りますが、気にならないなら別にいいや。
>>99

>Kazistさん

たぶん、クリスチャン限定なら2パターンあると思います。

「死人は死人に葬らせよ」という聖書の言葉に従って、死体遺棄にならない程度に御遺体を始末して、それっきり

という、 教派と

天国にいる祖先を追悼して礼拝やミサを行う

という、教派

になるのではないかしら。

ちなみに、追悼礼拝をするにしても、この世で生きている人のためにするわけです。

それが、祖先や死者の系譜につらなることでありましょう。
>>100 さなやんさん
ありがとうございます。

「それっきり」というのも面白いなと思いました。


---
もし墓に二度と行かないなら、墓は作るだけ無駄な気もします。
宗派によって違うのでしょうけど、検索すると、イースターに墓参りしたり、墓前礼拝するとありました。

そういう礼拝は死者を礼拝しているわけではない、という点が違うということなのでしょうけど。
死者礼拝につながるものとして、死者に供物を供えたりするようなものですね。
でも、花ぐらい供えるのではないかと。
墓に花を供えるだけならいいけど、家庭に仏壇のような祭壇があって、そこに供えるのでは違う、となったりするのかな。


「先祖崇拝」という語からすると、功績をなした祖先に関連した家の祭儀のようなものがあるということなのかと思います。
(1サムエル20:6-9)では、ダビデが全家の年祭に出ると言ってます。
たぶん家に祭壇があって、氏族の繁栄を祈願するのかな。先祖に与えられた祝福に与りましょうというようなものかな。
どんな祭りかよく分からないのですが、イメージ的にはこういう祭が「先祖崇拝」の一種なんではないかなと感じます。

どちらかというと氏族みたいなものが残っている方が先祖崇拝してそうです。先祖がどんな人かよく知らないというような人の先祖供養なんぞだと比較にならない気もする。

>.101

>もし墓に二度と行かないなら、墓は作るだけ無駄な気もします。

親鸞は、「自分が死んだら遺体は加茂川に入れて魚のエサにしろ」と言ったそうですよ。

そこまで徹底して浄土往生を説いたわけですが、弟子はちゃんと葬式やって、墓も作ったはず。

結局、本人が墓は要らないと言っても、遺族が困るので、遺族たちの「せめてもの慰め」に作るわけです。

ただ、「弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。」ともありますので、年中、酒をかっくらってムダな時間を費やすよりは、先祖供養に熱心になっているほうが、まだマシな生き方ではないかと思うわけです。

もちろん、うっかりすると霊感商法に騙されるわけですが(笑)
>>102
僕は信心が欠けているので、「ほったらかし」という話はいいのですが、このタイプはキリスト教にも行かない。宣教上はアピールの足しにもならないのではないかなと。
また先祖に関する行事は、親戚づきあいによって困った時の助け合いにつながるようなところもあると思う。
聖書だったら隣人を助けるのが義務みたいだけど、そうもいかないので、遠くても血縁者は頼りになるところもあるんじゃないかと。

「先祖崇拝系」が面倒かどうかも微妙なところ。
正月に初詣に行って10円ほど賽銭投げて一年無病息災。70年それを続けても700円。初詣に行かなかったからと言って文句を言われることもない。

>>103

>本人が墓は要らないと言っても、遺族が困るので

この場合は、合理的な人間ばかりではないので、遺族のためにちょっと霊感商法に騙されておくということですね。

そういう形式にも、何か人を癒すものがあるのかも知れませんが。
キリスト教だと、当然儀式のなかに意義があると考えるのでしょうけど。

聖書のなかにはたまに祭儀を重視しないようなスタンスも書かれたような。…聖書は複雑だ。

>遺族のためにちょっと霊感商法に騙されておくということですね。

葬儀屋と寺と石屋が結託して、霊感商法寸前のボッタクリ価格で商売していたわけですが、最近イオンの葬儀のような明朗会計格安系の葬儀プランが出ましたので、世の中、「不景気の恩恵」で、どんどん良くなっているようです。♪

墓は、早くネットでお参りできるサイバー墓ができればよいなと思います。

空き地がたくさんある地方都市に霊園作って遺骨を管理して、お参りはネット。これが一番でしょう。
世界の何大宗教の一つと言われる宗教は恐らくお互いの長所を良くしようとして結局はどの宗教も全く同じ事を教義にしているように思われます。
特にカトリックは宣教に腐心するあまりに各国の習慣、宗教まで容認し将来的にカトリック化しようとした政治的な手法を用いたのではなかろうかとが私のカトリック史観です。
キリスト教が他の宗教と違うのは創造主の神と「三位一体」なるイエス=キリストをあの世に置ける救世主ではなくこの世に置ける人間の罪の救世主としてイエス=キリストをを信じなさいと聖書は書いています。

聖書を信じるかどうかは個人の自由ですし、神は人間を愛するがあまりにその自由を与えたと私は聖書を理解します。
もし神が人間を神の意のままに従うように造りたかったのであればアダムとイブのままに置いておけばよかったのです。
しかし神は別の考えがあり、現在の我々が此処に居るのですね。

それすら信じなければクリスチャンの資格すらないのではないでしょうか?
ヨハネの福音書でイエスが造ったこの世のものは彼を受け入れなかったしかし彼を心のうちに受け入れた者には「神の子」となる力を与えたと書かれています。

それを信じるかどうか、又は、それをどのように理解するか個々人にかかってくることです。
たいがいの宗教にはオリジナリティは有りません。

亜流がたくさん湧くから、似たような話に溢れまるで有ったかのような錯覚に陥ります。

ほとんどの宗教にも当てはまる事です。

Tomさんの解釈に1票
この辺りを活かして、ミトラとキリスト教を論じようかと?
キリスト教にオリジナル無し。

まあ、だからこそ普遍的と言える。
>>[113]
まあ、その通りですが、どれが核心でどれが他宗教で、なぜ統合したかは学問の関心。


まあ、ミトラから受けたものをあなたがたに告げます。
主イエスは渡される夜、は間違いないが、パウロかそれ以前の弟子か?
>>[113]
リタジーにはオリジナルありませんが、それでも元になった事件はあります。
主の食事なら、ガリラヤ湖畔での給食、ついで最後の晩餐(別れの食事)、洗礼なら、ヨハネから合流した弟子たちの清め、いわば禊とか。
>>[115]

つーても、給食や聖別されたパン、つーのは旧約にあるネタだし、
新約時代のユダヤでは沐浴が流行してたし。
>>[114]

〉何故統合したか

教線拡大の為。

ヘレニズム世界で受けを狙った結果。
>>[114]

組織だって布教されていないミトラス教がユダヤ人のパウロやパレスチナのマルコ共同体に影響を与えたとは思えませんね。

キリキヤ州のユダヤ人たちがミトラス教に改宗していたとか、影響を受けていたというなんか当時の史料がありますか。

>>[118]
日本において儒教の朱子学解釈が戦前において優勢であったのと類似しているかもしれませんね。
余り良いとは言えませんが、参考文献は参考になります
http://mithra.world.coocan.jp/Mihrijja_Mithra_and_Christ.html
>>[119]

北イスラエルの子牛信仰や南ユダの堕落を批判的に捉える捕囚の信仰が、異教を受け入れるものでしょうかね.

これが捕囚前の状態のパレスチナならまだしも、自分たちの不信心によって神に捨てられこうなったという精神状態のユダヤ人たちが、ここで書かれているように受け入れたとは考え難いですね。ヘレニズム時代にはセレウコス朝に対する反発もありますから。

単に似ている(と見えた)二つのものを並列し、後付けに見えますね。

特に共観福音書やパウロについては何も根拠がないですね。


ま、どっちがどっちの元ネタかはともかく、
たかが人間の考える事だから、
儀式や様式の想像力が似ててもおかしくないですな。

ユダヤも安息日のアイディアをバビロニアからパクったわけだし。
まあ、核心に信仰があり→歴史の把握
歴史の事実→信仰
の違いがあり、お互いなるほどと思うしかないと思います。

ログインすると、残り91件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

キリスト教(聖書)への素朴な疑問 更新情報

キリスト教(聖書)への素朴な疑問のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング