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玉電コミュの【調査】砧線

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砧線は色々調べるものが多そうです。
遺構ではなく新規調査、継続調査ものについてはこちらで
お願いします。
・・・っと言っても私ばかり書き込んですみませんあせあせ(飛び散る汗)

コメント(15)

>ひぐらしさん
砧本村の資料を整理していましたらなんと売店の横に
トイレがありました・・・
「玉電が走った街今昔」P.105にトイレ写ってました。
ご存じでデフォルメされていたなら失礼しました。

大まかな寸法は分かりますのでメールを頂ければ・・・
え〜、そりゃ知りませんでした。
当該本は所持しておりますので、確認してみます。
あのモジュールは松の木も無いし、売店の売り物も無いし、あの段階で出しちまうのはちょっと恥ずかしい代物ではあるのですが。
>ひぐらしさん
二子より上家の切れ目には乗務員詰所もあるみたいですが、
あんまりゴチャゴチャ施設があると、作品の持ってる味がなく
なりますね。
あれはかなり完成度が高いと思いますよ。アイスの冷蔵庫は
ありますし。私もジャムとかで撮影した写真がかなりあり
個人的にも気に入ってます。
>ミズトリさま
砧線行かれたんですね!!
吉沢橋は未来永劫変わるものでは無い事は分かっていましたが、こんな時期に突然架け替えられるとは・・・残念です。
ご老人に聞かれたんですか(^^)

「伊勢宮河原」は私も三角公園を睨んでいるんですが、先日の調査で、実は「土地台帳が存在しない」ということで調査が行き詰まってます。
あの公園付近で地番が二つに跨り枝番をあわせると30以上の謄本を追いかけなければならず、かなり難航しそうです・・・というか、ちょっと不可能かもしれません。

確かに、砂利取り場はかなりの数があったようです。

>手お上げると、電車が駅で待っていてくれたと皆さんが、微笑ましい光景だなと思いました
こういう話が聞けるのが一番ですね。

現地調査お疲れさまでした!


>ミズトリさん
はじめまして。
砧線散策をされたんですね。
揚げ足を取るようで大変恐縮なんですが、ミズドリさんの記事の2枚目の写真は砧線跡ではありません。
二子玉川方面からだと、砧下浄水場バス停の先にある、Y字交差点で間違えてしまいそうになります。
写真1枚目の交差点です。砧線跡は右側の道です。
大分道沿いの建物も建て替わったり、マンションになったりしてますが、ところどころに万年壁が残っています。

また、砧本村でバス停として移築された屋根ですが、何度か整備されているようですね。
写真2枚目は、2003年7月に撮影したものです。
3枚目が、2006年12月に撮影したものです。
2枚目は落書きや、壁に穴まで開いてしまっていますが、3枚目では綺麗になっています。
まぁ木ですからそんなにもちませんよね…。

伊勢宮河原ですが、私も大勝庵のご主人から場所などを聞きました。
また、知り合いの方から昭和7年の地図や昭和16年の市電系統案内図も見せてもらい、そこにも記載されていました。

砧線は本当に謎だらけですよね。
私も自分のサイトで砧線廃線跡を紹介しています。
吉澤橋の架け替えは対比写真がいくつかあります。
東京を離れてからなので、間隔があいてしまっていますが…。
また河川工事も終わってから1度だけ行ったのですが、多摩川花火大会の1週間前で欄干には工事用フェンスが並んでいて、オブジェに近づけませんでした。
それにしても皆さん大変詳しく調べていられるので頭が下がります。

長くなりましたが、これで失礼します。
どうもあの上屋は砧本村駅のものではないらしいという話。
写真で見ると2スパンで柱3本なのですが、現存するものは1スパン柱2本。

これ、実は廃止後数年間上屋が残存していた中耕地から運んできたらしいとかいうウワサです。

人力で担いで持ってきたとかいう胡散臭い話もありますが、これはまぁ都市伝説でしょうな。

以上、あくまでウワサですので、あしからず。
ミズドリさん
実はわたしも初めて砧線を訪問したとき、あの交差点で迷いました。
砧本村駅跡の対比(今は公園の砂場辺り)で、JTBの「玉電が走った街今昔」を片手にうろうろしました…。
この本は、大きさもA5版なんでガイドブックとして廃線跡をたどったりするときにはちょうどいいですね。故林順信さんは写真や資料の解説とずれた内容の文章もありますが、地図や資料など充実していて参考になります。

ひぐらしさん
初めまして。
砧本村の屋根ですが、私は半分にして移設したように思います。
奥の柱の数を数えるとちょうど半分になっていたと思います。
あと下の方も切られていますよね。

砧本村のCGを描いていたころ、「玉電が走った街今昔」などの書籍の写真と現在の屋根の写真を睨めっこして描いていました…。
学生のころが懐かしいです。

それでは失礼します。
しろきマイクさん
なるほど。ただ、そう考えるにはスパンが長くないですか?
あと梁などを切断した痕跡があるはずですし。単純に切断したのであれば切り口が結構不自然な状態になるはずです。
砧本村のものだとして可能性があれば、一旦バラバラにして、梁を長いものに交換した上で組みなおしたというのはあり得るかと思います。
ただ、砧本村の上屋は廃止後間もなく姿を消しているようです。問題はあの場所にいつあの上屋が建ったか、なのですが。

kondouraさんのブログから。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53426/2616671#2616671
ここに写っている中耕地の上屋の廃墟、
http://img.doblog.com/54000/u53426/2000/FI2616671_3E.jpg
実に昭和50年頃なのだそうです。

さて、真相は??
それはそうと、林順信さんてお亡くなりになったんですか??
体調を崩されているらしいとは聞いているものの、それはちょっと初耳でびっくりなのですが。

事実とすれば、今年は鉄道趣味人の重鎮に何と訃報の多いことかと思います。
ひぐらしさん
仰るとおりです。見れば見るほど怪しいですね。
去年、砧線散策のオフ会でも参加者の方々が、「なんか違うなぁ」なんて言っていまして…。

さて、砧本村の屋根ですが昭和49年の航空写真では、屋根があることを確認できました。駅跡がすっぽりと空き地になっているように見えます…。
こちらのサイトの航空写真はご存知かと思います。
砧本村周辺
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-15/c35/ckt-74-15_c35_20.jpg
二子玉川園駅周辺
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-15/c35/ckt-74-15_c35_21.jpg


ご紹介のブログ、なかなか貴重な写真ですね。
中耕地や吉沢の写真は少ないですよね。
(既存の書籍でも場所と時代を絞るとどこも数は少ないですが…)
以前、大勝庵のご主人も昭和50年近くまで、現在の緑道のあたりはそのままだったと仰っていましたし、時代的にはちょうどあっていると思います。
ただ先ほどの航空写真では、ちょうど整備が始まったころでしょうか?
廃線跡は路盤も撤去され、綺麗になっています。
ということは中耕地の屋根も遅くても49年ごろまで残っていた可能性があり、砧本村の屋根も49年ごろにはあったことになります。

玉電廃止後から昭和50年代にかけて、世田谷線も含めて写真は少ないですよね。

「世田谷のちんちん電車 玉電今昔」でも廃止後は砧本村のホームから吉沢方面を望んだ写真はありますが、屋根に関してはあまり触れていないですね。

先日発売された、荻原さんの8mm映像や、路面電車の響きなどで中耕地の屋根の様子を調べてみます。

>林順信さんの訃報
私は、知り合いの方の掲示板で知りました。
残念でなりません。

長文になりましたがこれで失礼します。
かぷちーのさん
>砧本村の線路に耳をあてて
僕もこういうのやってみたかったです。


ひぐらしさん、しろきマイクさん

こんにちは。
上家は妻壁の形状から砧本村のものでは無い様に思えます。
中耕地のをバラしてきたのでしょうかね?
この上家おそらく設計が標準仕様的で、何を作ってもこの形状
になるみたいで新規製作とも考えられます。

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