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セワポロロコミュのセワに関する諸々を

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「手に入れてしまいました!!」以来のトピック立ち上げです。

北方民族博物館で様々なセワを実見してきたので、またセワについて書いてみたくなりました。

このトピックがウィルタのセワの基本資料になるように頑張って書きたいと思いますので宜しくお願い致しますexclamation

まず、主にセワに関するものとして和田完さん(小樽商科大学→北海道文教大学。故人)の研究報告が有名ですが、一般の方々が目に通すものではないと思いますので、この方がまず書いたことを簡単に書いてみます。

まず、ウィルタでは木で作った偶像全般をセワというそうです。

そのセワなどの樺太の木の偶像を和田さんは3種類に分類しました。

1:シャーマンの持っている偶像
2:双子のタイプの偶像
3:病気に対するお守りとしての偶像

写真はその3分類にのっとり左から順に1(多分)・2・3の分類別に載せてみました。
この他にも土産物屋さんで販売されていたセワ(あるいはポロロ、オロッコ人形)などもありますので、現在は4分類できるのかもしれません。

これらのセワについて、これから小出し小出しに書いてみたいと思います。

コメント(26)

先に土産物屋さんで販売されていたセワについて書きます。

土産物だったセワは台座がついているか、いないかで分類されると以前聞きました。

でも博物館で観察してみたら、意外と台座のあるセワが多かったように見受けられました。
この辺は学芸員さんをつかまえて聞き出せばよかった・・・ちょっと後悔しているところです。

網走では、ウイルタの方が民芸品を製作されていました。
北川ゴルゴロさん(ゴロゴロさんとも表記されています)や
ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさん(日本名:北川源太郎さん)です。

以前の記憶で曖昧なところもありますが、網走の郷土史家・米村喜男衛さん(網走郷土博物館館長。故人)の尽力で土産物として販売するようになったものと思います。

現在はご存知のようにウイルタを名乗られている方がいなくなりました。
しかし、ウイルタの方ではないようですが「大広民芸店」で製作されています。

大広民芸店朔峰の店:http://www2.ocn.ne.jp/~a.oohiro/sub1.html

写真
左が以前私が某オークションで落札した2体のセワ(後にウイルタ協会に寄贈)。
右が網走の特別展に展示されていた土産物のセワ(ポロロと表記)。
シャーマンの持っている偶像

シャーマンの所有しているセワについてです。

そのセワはシャーマンの守護霊をかたどっています。
シャーマニズム的な儀礼を行う際に働いてくれる精霊なのだそうです。
山の神のボート(男性)と海の神のマギ(女性)という精霊がいるそうです。

北川ゴルゴロさん(日本名:北川五郎さん)はシャーマンだったので(ウィルタではサマと言います)、その像を持っていました。
そのセワに関してはサマに指名された時に作られるそうで、そのゴルゴロさんはマギの像を作られたそうです。
つまり、マギがゴルゴロさんの守護霊だったというわけです。

マギは海の神だけあって海獣(アザラシなど)に乗った像も昔はあったようです。


そのゴルゴロさんのマギのエピソードとして、こんなお話があります。

ゴルゴロさんが亡くなられた際、遺言としてマギのセワは網走郷土博物館に寄贈されました。
ところが、このマギが夜中にさまようという噂がウィルタの方々で広まりました。
博物館サイドはウィルタの方の指示に従って、像に漁網をかぶせたそうです。

どうしてそのような噂がたったのか、と言いますとサマが亡くなるとその守護霊にしてみれば主人を失ってしまったのと同様でして、新たな後継者を探さなければいけないのです。
だから「マギが新しいサマを見つけようとさまよっている」と心配したのでしょう。

この話でもお解かりのようにサマは世襲制ではなく、神から指名を受けるというものなのだそうです。
サマの指名はこんな感じのようです。
普通に生活していたある日突然意識を失い、数日間無意識の世界をさまよって、再び意識を取り戻した時、神通力が現れているようです。
それから先輩シャーマンと2、3年過ごし、サマに成長していくそうです。

とにかく、シャーマンが持っていたセワというものはパワーのあるものだったようです。
北方民族博物館で撮らせていただいた中のセワに果たしてボートとマギの精霊が込められていたセワがいたのでしょうか?

写真
シャーマンの所有していたセワ。左の4、5番がボートとマギらしいです。
(金田一京助・杉山寿栄男『アイヌ藝術 木工篇』1942より)
網走郷土博物館にマギが展示してあったかも知れないと思うと、見に行けなくて残念です。
こちらの写真がゴルゴロさんのセワ、マギ(海の神、女性)です。
独特の雰囲気があります。

首には日本の刀の鍔が飾られています。
首に巻かれているの白いものは木を削った「削り掛け」でアイヌと同様に「神様の木」と言われていたヤナギだと思われます。

セワは主にヤナギやエゾノウワミズザクラ、シラカバで作られるようですが、マギやボートはエゾ松で作られていたようです。

もっとも、像の素材については占いで決めていたとも和田さんの報告に書かれています。

あと気になるのは頭についている“角のようなもの”ですね。
昔の髪型を表現したのか・・・あるいは製作者による違いなのか・・・。
調べているのですが、よく分かりません。
何か書かれているものがあり次第、報告することにします。
双子のタイプの偶像

ウィルタ語で双子を「アダウ」と言いまして、家で双子(特に同姓の)を授かったら狩りや漁に恵まれると言われていたそうです。
ウィルタに限らず、ニヴフや樺太アイヌでもそのような崇拝がされていました(双生児崇拝と言います)。

なぜ双子がそのように大事にされていたのかと言いますと、その双子は動物の化身だと信じられていたようです。
双子が珍しいという意味もあって、それにより動物がやって来ると考えられていたのでしょう。


その双子が亡くなったら、その家で双子のタイプのセワ、アダウのセワを作り祀っていました。
アダウのセワを作るきっかけはいっぺんに亡くなってしまうことはあまり起こらないと思うので、双子のうちのどちらか一方が、亡くなった時に作ったと思われます。

写真の右の像がアダウのセワですが、ヤナギの削り掛けで包まれて大事にされていたようです。
このアダウのセワも北川ゴルゴロさんが持っていたもののようですので、ゴルゴロさんの家系で双子がいたのでしょう。

昔は三つ子のセワもあったと報告されています。

病気に対するお守りとしての偶像

こちらのタイプのセワはたくさん種類があります。
あり過ぎてなかなか全部説明できないかも知れません。

ただ、このように言うことができます。
病気用のセワは体内の病魔を追い出し、そのセワの中にとじ込めたり、シャーマンによって体内から追い出された病魔を一時的にセワに留まらせるようにしたそうです。

心臓病に効くという心臓の形をしたセワもあれば、腰を屈めていかにも腰痛の人用のセワだ、と言えるセワもあります。

左の写真、4種類のセワがありますが・・・どれに効くセワがちょっと検討がついていません。
真ん中のセワだけ、「ソソイボッコセワ」だと判りました。
ソソイボッコセワ:下痢の時に用いるセワ。肛門から頸部まで穴が貫通しているようです。
あとのセワは判り次第お伝えします。

右の写真は「ドゥーセ」です。
ドゥーセ:海底を歩く虎に似た架空の動物だそうです。
池上二良さんのウイルタ語辞典ではただ虎と書かれていました。
澗潟久治さんのウイルタ語辞典では虎の他に山の神とも書かれています。
海底を歩く虎に似た動物と山の神・・・うーん何だか意味がバラバラですね(汗)

このセワは佐藤チヨさん(ナプカさん)が持っていたものです。
チヨさんは子どもを出産した3ヶ月後に下半身がしびれて動けなくなりました。
サマに話をうかがったところ「ドゥーセが腰に巻きついている」と言われたので、このセワを作ったそうです。
そしたら、身体が良くなったと報告されています。

まだ色々な病気に対するセワがありますが、取りあえずこのくらいにしておきます。
セワの取り扱い方(このように書くと何だか軽い感じですねあせあせ(飛び散る汗))

上で書いたように様々な形のセワが存在していました。
台座が無いセワは立てかけたり、吊るしたりして祀ったそうです。
台座がついてからのセワはジャッカ・ドフニでしか見ていませんが、その建物の上座と思しきところに並んで祀られていましたね。

あと病気に対するセワには行っていなかったようですが、口にお米など食べ物を塗る習慣がありました。
毎日行っていたか、毎月だったか忘れましたが、北川アイ子さん(日本でウィルタを名乗られていた最後の方)もセワにご飯をあげていたようです。

それとプッキチュリという儀式がありました。
イソツツジやエゾ松の葉っぱを燃やして煙をセワに燻らすという儀式です。
ただ燻らすということですが、その際に占いも行うこともあるようです。
例えていうならば、コックリさんのような感じでしょうかね。
ひもで吊るして煙の上でぶら下げてゆらゆら動くそうです。
ゆらゆら動いているのはセワが喜んでいるという意味のようです。
プッキチュリなどセワの取り扱いについて追記(というか訂正?)です。

笹倉いる美さん(北方民族博物館)が北川アイ子さんとの聞き書きを行っていました。
それによると、プッキチュリはジャッカ・ドフニで春に開館する時と秋に閉館する時と年2回行っていました。
あと、ご飯をあげることもこのプッキチュリの時に行うとのこと。

プッキチュリの手順
1、セワに巻いてある削り掛けを新しいものに取り替え、白く細い布で縛ります。
2、口元につけたごはん粒を取り、新しいごはんをつけます。
3、板の上に土を盛り、その上にイソツツジの乾いた葉とエゾ松の葉を置きます。
4、シラカバの皮で火をつけます。
5、煙が出るとセワがその煙に当たるようにして持ちます。

占い(セワンジ パンガッチュリ)はこのように行うそうです。
1、プッキチュリと同様のセッティングを行います。
2、削り掛けを巻いた布を持ってセワをぶら下げるような格好で煙にあて、占います。
3、セワが勝手に前後にゆれはじめるそうです(喜んでいるそうです)。
※実はコメント4で書いた占いもこのような占いでした。
以上、だいたい私のわかる範囲でセワについて書かせて頂きました。

まぁ、大半は持っている論文などから抜き書きしたものばかりですがあせあせ

引用した文献について載せておきます。

【引用参考文献一覧】
池上二良『ウイルタ語辞典』1997
ウイルタ協会資料館運営委員会『北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ展示作品集〔改訂版〕』2002
金田一京助・杉山寿栄男『アイヌ藝術 木工篇』1942(復刻 1972)
笹倉いる美「ウイルタ文化聞き書きノート2」『北海道立北方民族博物館研究紀要』8 1999
北海道教育庁振興部文化課『オロッコ・ギリヤーク民俗調査報告書』1974
澗潟久治『ウイルタ語辞典』1981
山田祥子・笹倉いる美「北海道立北方民族博物館所蔵のウイルタ資料?-対応する北方言の語彙を中心に(1)-」『北海道立北方民族博物館研究紀要』19 2010
和田完「南樺太土着民における偶像」『北方文化研究報告』13 1958
   「樺太アイヌの偶像」『北方文化研究報告』14 1959(『サハリン・アイヌの熊祭』1999にて「サハリン・アイヌの偶像」として採録)
   「オロッコ族の病気に対する呪符」『国立民族学博物館研究報告』3-4 1978
   「ウイルタ族のシャマニズム的偶像」『ウイルタ族言語文化調査研究報告』1 1980


何か質問などがありましたら、できる限りお答えします。
   
【補足】

セワはサマのみが作ることができるようです。

北川ゴルゴロさんはサマをコメント3の状態で継承して、サマを彫ることになりました。

ではダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんが彫れることになったのはなぜでしょうか。
この方は特にサマになる一連の症状など継承する出来事はありませんでした。

それは、サマであったゴルゴロさんがご高齢になってセワが作れなくなったので、
ゴルゴロさんが作ることを許してくれたそうです。
「セワを作ること、ヂイちゃん(ゴルゴロさん)、許してくれました」と喜んでいたそうです。

それを考えると・・・
マギが新たなサマを探しているというエピソードは・・・
何だか納得するというか何というか・・・あせあせ(飛び散る汗)

ゲンダーヌさん亡き後(1984年死去)、お兄さんの北川ヒラナカさん(日本名:平吉さん)も作っておられましたが2年後の1986年に亡くなられたため、本来のセワを作ることのできるウィルタの方がいなくなってしまいました。

今製作されているセワに関する作品の数々はサマを介して作られているものではありません。
しかし、その偶像を『リスペクト』するという意味で大変意義のあるものだと私は思います。
もしかすると、セワも様々なバリエーションに変化したいと望んでおられるのかも知れません。


【引用参考文献】
田中了『サハリン北緯50度線―続・ゲンダーヌ』1993
ウイルタ協会資料館運営委員会『北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ展示作品集〔改訂版〕』2002
またセワについて思いつくことがあったら書いていきたいと思います。

セワが樺太アイヌの「ニポポ」や北海道アイヌの「コロポックル」の原型だという説がネットに書かれているそうです。

どなたかこの説に関してお詳しい方いらっしゃいませんか??
私の尊敬している民族学者の大林太良先生がこのような論文を書かれてました。

「シベリアのオンゴンからみた縄文土偶」『北の人・文化と宗教』1997

『北奥古代文化』21 1991と『月刊健康』381 1992で執筆したものを合わせた内容です。
セワ云々と記載が無かったので見落としておりました。
シベリア〜東北に見られる木偶(総称してオンゴンという)が縄文時代の土偶と同じ役割、つまりオンゴンは縄文土偶の子孫ではないか、との事です。

これからもセワを知るためにその地域をもう少し勉強したいですね。
>>[13]
追記;オンゴンは「精霊」という意味だそうです。
今日当コミュニティ管理人のイチローさんとお話していて、樺太アイヌのニポポの話題になったので、なぜニポポが網走のお土産品になったのか判りましたので、ご報告。

和田完さんの本『サハリン・アイヌの熊祭』のあとがきにこのような事が書かれてました。

「私がサハリン先住民の偶像の調査を始めた契機というのは、父文治郎が終戦直前に新問の廃屋で偶々発見した三体の木偶を先に引揚げてきた樺太医学専門学校の学生に頼んだりして持ち帰っていたことにある。その一体は網走の郷土博物館の館長であった米村喜男衛氏にお貸ししたところ、網走で今日でも売られている「ニポポ」人形のモデルにされ(以下略)」

つまりセワポロロ同様、ニポポも米村喜男衛氏の手によって土産物になったようです。
加藤九祚先生の本を読みましたところ、セワに関しての最初の記録者は松浦武四郎でした。

仕事から帰ったら、詳しい話をこちらに書かせて頂きます。
帰宅してひと息ついたところで、予告通り更新しますね。

加藤九祚さんの名著『北東アジア民族学史の研究』(1986 恒文社)に書いてあった松浦武四郎が記録したセワの項目です。
自分なりに改変して記載している項目もあるので、正確に知りたい方は図書館等で御覧下さい。

松浦武四郎は1856年(安政3年)6月の樺太旅行でウィルタの住居に安置された精霊像を見て図に描いている(写真参照)。
「その家の角を見ると、イッラウを立て、上の図のような神霊を祀っていた。
また、その上にはエゾ語セルタという首に玉のような物も掛かっていた。
なぜこのような物を掛けているのか聞いてみると、病人がいる時は必ずこの神様を祀るとのこと。
玉のような金属物はアイヌの持っている物よりはすごく上品なものである」


今回載せた写真は加藤九祚さんの論文の中よりもよく映りそうな『ウイルタ古画集録』(1979 北海道教育委員会)を添付しました。

ちなみにこちらにも加藤さんとほぼ似た説明がウィルタ語の権威、池上二良先生によって書かれております。
セルタはウィルタ語で「首に掛け胸に垂らす飾り」と池上さんは書いておられます。
そういうことですのでセルタはアイヌ民族でいうところのタマサイやシトキにあたるものでしょう。

更に写真の下に画に記載されている説明も書き下されてあるので、そのセワについてだけ説明します。

セワの図
木の削りかけ也(木の削りしもの也)
熊の皮をま??(熊の皮を被す、熊の皮にて包む)

削りかけ(イッラウ)が首に巻かれてあるということは、ほぼ原型は今と変わりありませんね。
しかし、北方民族博物館で撮影したトピック11の2体のセワがまとっている着物が松浦武四郎が記録した時代はクマ皮だった事が分かりましたね。
セワについて加藤九祚さんの紹介・考察によると…

ツィンツィウスが編纂した『ツングース・満州語比較辞典』(全2巻 1975 1977)を引用しました。
※この辞書に関して池上二良さん、津曲敏郎さん(現北大総合博物館館長)が検討を行っており、約6000語のウィルタの単語が収録されているとか(手元にあるのは津曲氏の考察のみ)。

そこではセワは「セヴェン」と表記されています。
意味は�.轡礇泪鵑諒篏�(霊)��偶像(ロシア語でイドル)と2つの意味が載っております。
さらに「セヴェキ」という単語も収録されていて、「(最高の衣服と神像を運ぶための)トナカイ」という意味があてられているそうです。
アムール川流域のナナイ(ナーナイ)においてもセヴェンは補助霊という意味だそうです。

アムール地方の諸民族の観念によれば、霊は万能の力を持ち、空間的に容易に移動することができ、その姿も動物・人間・物などに変わる事ができました。
これら霊はセヴェン(あるいはブセウ)と呼ばれましたが、多くは意地悪・ずる賢かったとか。
そして人間の傍にいることを好んだそうです。
なぜ人間の傍かというと、人間と同じく飢えを感じるからです。
だから霊は人間から「食わせてもらう」事を好んでいたからとか(主食をセワの口に付ける方法がある)。

そして人間がこれらの霊に対して敬意を示さず、供物を捧げなければ飢えて憎しみを抱いた霊が人間の中に入り、苦しめ、苛み、時には人間の魂を奪って遠くへ運び去ったそうです。

セヴェン個々の数は膨大に存在し、到底普通の人間が面倒を見る事ができません。
そこで、セヴェンとの交渉を専門にする人が現れた…これがシャマンだという話です。


取り敢えずセワに関する加藤氏の本からの引用は以上です。
〔13〕の補足。

オンゴンの説明で東北〜シベリアの木偶と書きましたが、東北の木偶は「オシラサマ」です。

しかし、北海道アイヌは「偶像を作る事はタブー」となっていて、しいて挙げるならば、長万部の「ポンフンペノカ(オットセイ・形)」と余市の「カムイギリ(神・ひと集まり)」が記録されているのみ。
前者はオットセイが10頭獲れた時に目印として1体作る、後者は沖の神であるシャチの木偶をもって豊漁を祈願したその象徴的な物だったそうです。
サパンペやイナウルと呼ばれるアイヌの男性が儀式の際にかぶる冠にもクマやキツネを彫り込んだものがありました。

あとは伝染病が蔓延する時に「ノヤイモシ(ヨモギ・呪術)」というエゾヨモギの人形やイケマという植物の根を使った人形を組み立てた「ペヌプカムイ(イケマ神)」が臨時で作られてました(伝染病が収束すると、神の世界へ返す=感謝を唱えて燃やす)。

かろうじて「ノヤイモシ」と「ペヌプカムイ」にオンゴンの名残りを見ますが、オシラサマや、セワ、ニポポ、チカイ(ニヴフの木偶)のようなものではありませんでした。

過去には古代オホーツク文化にて、海獣の牙や土などを使って偶像を作っていた時代があったのですがね。

ちなみに、お土産用に販売されている「コタンコロクル」と呼ばれる2体のアイヌ夫婦像は近年になってからのもの。
クマの木彫りは大正時代に道南の八雲で徳川農場を営んでいた徳川義親公がスイス土産に熊の木彫りを購入し、八雲でも製作するよう奨励した事が始まりです。
〔19〕に書いたコメントにまつわる参考文献はこちらです。

知里真志保『分類アイヌ語辞典第一巻植物篇』1953(知里真志保著作集別館1巻収録)
N・G・マンロー『AINU CREED AND CULT』1968(小松哲郎『AINUの信仰とその儀礼』2002翻訳)
久保寺逸彦「沙流アイヌのイナウ」『金田一京助博士米寿記念論集』1971(『久保寺逸彦著作集』2001収録)
更科源蔵・更科光『コタン生物記』�玉扈叩Τそ叩Φ�族篇 1976
藤村久和『アイヌの霊の世界』1982
萱野茂『アイヌの民具』1978 『五つの心臓を持った神』2003
難波琢雄・青木信弘「沖の神(シャチ)とカムイギリ」『北海道の文化』72 2000
斎藤玲子「アイヌ工芸の過去と現在 200年のメッセージ」『アイヌからのメッセージ2007』2007
太田尚宏「徳川義親の熊狩と八雲「熊彫」の誕生」『アイヌー美を求める心』2010
こんばんわ。20年前に読んだゲンダーヌを突然思い出し(きっかけは新書の「アイヌ学入門」の中でウィルタ・ニフブの方の写真を見たことです)ウィルタのことを調べ始めた者です。
ジャッカドフニの閉館は本当に残念です。かけがえのない、本当の宝、よりどころ。せめて跡地と、慰霊碑に行ってみたいと思っています。
 セワのことで発見したことがあります。
 名古屋大学の先生が、弦巻先生、アイ子さんの刺繍のお弟子の川田さんをお招きして行った、アイ子さんを記念する鼎談がネットで公開されています。

http://www2.ngu.ac.jp/uri/dp/pdf/dp092.pdf#search=%27%E5%8C%97%E5%B7%9D%E3%82%A2%E3%82%A4%E5%AD%90%27

 この中で弦巻先生が言っているのですが、アイ子さんは双子として生まれ、片割れの姉妹は生後数か月で亡くなったそうです。
 このスレッド〔5〕の、ゴルゴロ翁の家系の双子とは、我が子であるアイ子さんとその片割れ、と見ていいようです。アイ子さんがご飯をあげていたセワは、自身の双子の片割れでした。
 
 今度の夏にでも網走に行きたいものです。
>>[21]
ご紹介頂きありがとうございます。先程拝見しました。
名古屋学院の先生のレポートでして、これ以外にも2つ程公開されていたように思われます。
ただ、学生の授業を終えた後の感想に深い憤りを感じました。
2講にも渡って受講しながら一体お前らは何を聞いて観ていたんだと。

弦巻先生は電話で交流した事が1度だけありましたが、まだお会いできていなくて。
川村さんは恐らく長年ジャッカドフニの受付や民具紹介をされていた方ではないか、と思います。
こちらの方は毎回訪問する度にお話を伺っていました。優しそうなおば様でした。

アイ子さんが双子だった話は初めて聞きました。
今それとなくジャッカドフニ旧蔵資料と〔5〕の左のセワ2体を比較してみましたがほぼ一致しました。
南樺太最後のサマ、ゴルゴロ翁が製作されたセワです。
まだジャッカドフニ旧蔵資料は展示されていない・・・そんな事をこの当時思っていたので、当方かなり驚いてます。

とにもかくにもアイ子さん、妹のセワを一時退院してまで毎月して大事にしていたのですね。
笹倉さんの報告ではババチュリ([7・8]表記の儀礼)は年2回と書いてあったので少々困惑しております。

ちなみにジャッカドフニ跡地の網走大曲には他者のTwitterで【ジャッカドフニ入口】という木の標柱がまだ雪に埋もれながら残っている事が確認されております!

是非網走に大曲に足をお運び下さい!!
私もできれば伺いたいし、もうそこでその柱を抱きしめながら泣いてしまいたい気持ちでいっぱいです。
ネット上の写真で見るばかりの、アイ子さんが皮を剥がした痕のある白樺の木は健在でしょうか。
フィンランドの白樺細工文化を見ますと、共通の隣人と言えた人たちをあたら失ってしまった。和人である自分と向き合うのもしんどいことですね。

「削りかけ」ってそういえば御幣にそっくりじゃないか!と今日思いついて色めき立ちました。やはり研究されているようですねー。
3月に大阪の民族博物館に行ってきました。戦前・戦中のウィルタの資料もまとまってあるようなので展示もあるはずなのですが、ウィルタを思い出す前で、また当日疲労困憊していてろくに写真も撮らなかったのが悔やまれます。
夏の網走計画をそろそろ本腰入れなきゃー。
>>[23]

今頃こちらの書き込みを発見しました。スミマセン。

解体したのは、恐らく資料館本体だけだと思います。ですから白樺を剥いだ跡は残っている筈です。
入口辺りにルピナスが咲き乱れ、木皮を剥がされた白樺が所々にある・・・これが網走の思い出です。
色々思う所はありますが、是非足をお運び下さい。
そして、北方民族博物館も郷土博物館もモヨロ貝塚、少し離れた常呂の資料館も足を運んでみて下さい。
きっと何か得られる旅になるだろうと、確信します!!

近年の「削り掛けの研究」はアイヌ民族全般を北大の樺太アイヌ出身の北原次郎太さん、東北以南については東京文化財研究所の今石みぎわさんが研究しております。
北原さんの研究は『アイヌの祭具 イナウの研究』として昨年発売され、只今熟読中です(やや高額)。
今石さんは、未だ本にはなっておりませんが、「花とイナウを読む」や「本州以南のイナウ状祭具とその習俗」という報告が小出し小出しに行われています。

古くは名取武光という研究者がアイヌ(北海道・樺太・千島)、ウィルタ、ニヴフの削り掛けを研究してましたし、北方民族博物館初代館長の大林太良先生もイナウを世界の民族の棒状祭具と比較研究をやってらっしゃいました。

3月に民博に行かれたのですかぁ〜、羨ましいです。
>>[23]
削り掛けの話を書いていらしたので、セワに関する諸々に軌道を戻すついでにコメントしますね。

北原次郎太さんの『アイヌの祭具 イナウの研究』を読んでいて、セワの研究に関わるであろう章があったので紹介しますね。
元々は名取武光氏や河野広道氏が報告していた話でしたが、人面が刻印されている削り掛け(ほぼアイヌのイナウに類似)があります。

写真を添付(初出は名取武光)しましたが、右側がボヤけてしまい申し訳ございません(汗)。

この人面刻印の削り掛けはウィルタ語でイッラウと言いますが、この人面刻印のものに〔8〕で書いたようなプッキチュリのように口元に酒や食物を日常的に与えていたそうです。

次郎太さんは削り掛けと偶像の融合があり、アイヌの削り掛けであるイナウは樺太アイヌ・ウィルタ・ニヴフ、東北地方(オシラサマ)の偶像と同じ役割も兼ね備えているような事を考えているようです。

確かに〔13・19〕でオンゴン(偶像的精霊)が北海道アイヌではノヤイモシ(エゾヨモギの偶像)、ペヌプカムイ(イケマの偶像)を緊急時に作る位しか伝統的な像はありませんでした。
樺太や東北地方にあるのに、北海道に偶像作成が希薄だったのは長年疑問でしたが、その役割をイナウが取り込んだと考えるのが自然かも知れません。

以上、まとまりのない報告でした。
東京国立博物館のアイヌ展示ブースにて、ウィルタのセワの展示が行われているそうです。
数年前の三軒茶屋のイベント以来のセワ、早く拝みに伺いたいところです。

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