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MY times  良い話集合コミュの嬉しい一言

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落ち込んでいたときの励ましの言葉。
沈んでいた時の慰めの言葉。
迷っていた時の一言。
笑っちゃったけど、吹っ切れるチャンスになった言葉、、、

そんな嬉しかった言葉のエピソードをお書きください。
あなたの文が、読んでいる誰かを励ます一言になるかも知れません。

コメント(8)

数年前、当時務めていた会社で大幅リストラがあり、残った者は毎日残業で、家には寝にだけ帰っているような日々が続いていた。

遅い夕食をとっていると、小学生の娘がお休みを言いにやって来た。
こちらは「お休み」と返しただけで、話す気力もないが愚痴だけはこぼした。
「やだなあ。こんな生活。家に帰って、食べて、寝て、明日もまた早くから出勤。
これがお母さんの人生なのかしら?」
すると娘がニコニコと言った。
「食べるのも、寝るのも、どっちもお母さんの好きなことでしょう?いい人生じゃない!」

苦笑ものだが、そういう考え方もあるか、と、娘の言葉に救われた。
以前の会社で、新しい仕事を言い付かった。
PCに疎い私が翌日の現場の動きを計画し、その表を作成するというもの。
PC入力だけでも頭が痛いのに、計画が失敗すれば当日の現場が混乱する。
「来週からお願いする」
会社を辞めたくなった。辞退しようか。

その夜、友人に電話をした。
その時の友人の言葉。
「人がすでにやってることで、自分に出来ないことはない。
これは私が新しい仕事を前に、今のあなたと同じ気持ちでいたときに父から言われた言葉。そっくりそのままあなたにあげます」

そうか、現にその仕事をすでにしている人がいる。
私より脳は若いけど、たいした違いはあるまい。
やることにした。案ずるより産むが安し、だった。
友の後押しに感謝。
過日の夕方、自宅のファクシミリ用紙が
受信中に用紙切れになった。
芯を手に近くの電器店に行き
「これと同じもの」と頼むが
その商品はなかった。
どれが合うのか皆目分からない。
とりあえず、芯径2分の1インチの
もの(3本セットの包装紙入り)を
買うことになった。
そこで初老の店主が
「合わなかったら困るでしょうから
1本だけお持ちなさい」

これは、商売より
お客のことを考える
善人だな、と小生はうれしかった。

買った用紙はぴったりだった。
今度、その店を通りかかったら
残りの2本も買おうと
思っている。
旅人宗匠さんのお話から思い出したことがあった。

昨年の夏。
まだ冷房も取り付け直してない、暑いある土曜日に冷蔵庫が壊れた。
出勤前に気付き、急いでお隣に冷凍室を貸してくれないかとだけ頼んで、後は子供達に託して家を出た。

夜帰宅して、子供達からの報告。
「お隣のおじさんとこは冷凍室が一杯らしく、大型クーラーを持って来てくれたので、大抵の冷蔵物はその中。捨てたのもある」
「冷凍物は斜め向かいの〇〇さんとこの冷凍室の中」

先ずここで、ご近所さんに感謝である。

翌日、日曜日と言うことで、何箇所かかけたハンディマン(家電や水回りの修理をしてくれる便利屋さん)は日曜日は仕事をしないという。
もう1日クーラーや冷凍室を借りることになったご近所に連絡にいくと、お隣のおじさんは
「買って10年以上経った冷蔵庫なら、修理するより中古を買ったほうが安い」といって、中古家電屋さんを紹介してくれた。そこも日曜日は休み。

翌日、仕事帰りに寄ってみた。
なるほど、昨日電話でもらった大まかな見積もりと同額で中古が買えそうだ。
そのことをお店の人にいうと、いろいろ質問され、私の冷蔵庫は造りがいいので、直せるなら直して使った方が良いという。
しかも実際かかる値段は見てから決めるが、といいながら他のハンディマンより安い見積もり。

「では、今から来てもらえますか?」
「行くだけでも30ドルはとるよ。もちろん修理するならそれから差し引くが」
「いいです」
「その前に、まずコードを別のコンセントに差し込んでご覧。意外と、コンセント側がいかれている場合もあるからね。他のコンセントで動くようになったら出張代が無駄になるよ。それでもダメなら電話してくれれば行くから」
と、とても親切。

帰宅し、大きな冷蔵庫を息子に動かしてもらい他の差込で試したがやっぱり動かない。
電話すると直ぐきてくれ、冷房の無い暑い家の中で汗だくになりながら直してくれた。修理代も他のハンディマンの半額。
その上、切れていた冷蔵庫の中の電球まで取り替えてくれた。

昨年の冷蔵庫の故障では
「いつでもどうそ」と言ってくれたご近所の方、
「先ず試してご覧」と、商売抜きでこちらが無駄の出費をしないようアドバイスくれたお店の方、、と、
出費以上の貴重な何かを得た思いだった。


ふしぎな出会いだった。
「ラジオ記者、走る」(清水克彦)という本を買ったのは昨年の春ごろだった。新聞の書評欄で見かけ、面白そうなので梅田の書店で買い求めた。筆者は文化放送の現役プロデューサー。経歴を見ると、私と同じ愛媛県出身で年齢は一つ下の44歳、アメリカ留学のあと湾岸戦争の取材にも行ったとあった。阪急の電車内で読み進むうち、ある一文に目がとまった。「小学4年生のとき、愛媛県で集中豪雨に遭った経験が、95年の阪神大震災の取材で生きた」うんぬん。「もしかしてあの集中豪雨? 越智郡一帯が鉄砲水にやられてわが町でも死者が数人出た……」

私は一面識もない清水さんに手紙を書いてみることにした。「本を拝見しました。もしかして私の郷里の近くのご出身では?」と。
ほどなく清水さんから丁寧なメールが来た。
「私も越智さんと同じ今治西高校の出身です。故郷は越智さんのご実家の隣の町です」
私はうれしくなり、すぐ返信を出した。「私は今、甲子園球場のある西宮市に住んでいます。もし今治西が甲子園に出るようなことがあったら、ぜひお越しください。一緒に応援して勝ち、校歌を一緒に歌いましょう」

その夏、母校が県大会で優勝し、この提案は本当に実現することになった。
8月上旬。待ち合わせ場所は携帯メールで相談した。「球場正面、代表校の校旗を飾ってあるところにいます。初対面でも分かるように黄色いワイシャツに黄色いネクタイをして立っています」と私。京都旅行帰りの清水さんとかわいらしい奥様、真帆さんという聡明そうな小学3年生の娘さんが一緒に来てくれた。清水さんはバスケットボールをしていたというだけあって長身だったが、声は優しい人だった。私は「やっぱり同郷の人だから間違いなかったなあ」と思った。
その日、清水さんはラジオの仕事の関係で試合を最後まで見られなかった。「春のセンバツに出られたらまた来てくださいよ」。清水さん一家にこう言って別れたあと、母校は勝利し、私は一人、直立不動で校歌を歌った。

翌春、センバツにも出られることになり、半年ぶりの再会が実現することになる。春休みを使って3人でまた応援に来てくれた。残念ながら試合の方はどう見ても負け試合だった。小雨交じりのバックネット裏。母校は打てず守れず。「きょうはたぶん駄目ですね」。同点にされたあと逆転を許し、清水さんの声も沈んでいった。ところが、である。8回裏ひょんな相手エラーから再逆転の適時打が飛び出した。涙の敗戦がわずか15分ほどで歓喜の勝利へと大化け。気が付くと私は清水さんと二人で校歌を合唱していた。

試合後、球場内の売店で母校の名前入りグッズを買い込んだ後、一緒に写真におさまり、球場前のノボテル甲子園でランチをともにした。私たちは上機嫌だった。「1回勝てばもう十分です。思い残すことはない」と私が言うと、清水さんは「生きている間に一度でいいから全国優勝するのを見たいと言っていたのは越智さんじゃなかったですか」とつっこみを入れた。奥様も「試合に勝てて主人の機嫌が悪くならず、本当に良かったです」と言った。娘さんは寝不足のせいか鼻血が出てきて、奥様がさかんに拭いていた。

食事のあとのレジでは「きょうのところは私がもちましょう。高校の1年先輩ですから。それより今度は夏ですよ」と私。お互い興奮さめやらぬまま阪神電車で別れた。

数日後、埼玉県の百貨店から我が家に草加せんべいが届いた。清水さんからだった。あの食事代のお礼に私の大好きなせんべいを送ってくれたんだなとピンときた。包みを開けてみると、白い小さな二つ折りのカードが出てきた。「おやっ?」と思った。鉛筆書きだった。たどたどしいけれども一字一字しっかりとした字でしたためてあった。

「このあいだはおいしいおしょくじをありがとうございました。あのあとのしあいでは、まけてしまいましたが、あの日はかててよかったですね。またこうしえんに応えんにいきたいとおもいます。これからも父をよろしくおねがいします。清水真帆」


親の離婚 自分の駆け落ち(歌の神田川みたいな生活) 婚約 
婚約解消 遠距離恋愛 転職 結婚 離婚 友達に騙され借金地獄 などなど・・・

お恥ずかしい限りですが、まだまだ書き入れない程いろいろあります。 何かあるだびに友達や周りの人に助けられ支えられてきました。 本当に感謝しています。

その時も私に何かあったときでした。

親友の一人が言いました

「こんなんゆうたらアカンねんやろうけど・・・
 ○○ちゃんの人生って おもしろいよなぁ〜」

周りの友達も「ほんまやなぁ〜」

みんなで笑いました。

バカにされているのではありません。

本当の友達だからこそ言えたんじゃないでしょうか。

いろんな経験が出来てすごくいい人生だと思えます。

考え方 捕らえ方で辛いことも幸せに変えることができると
私は思います。

最後は笑って 関白宣言の歌詞じゃないけど
「いい人生だった」と言いたいです。
私もくうかさんのような事を言われたことがある。

「ともこさんの人生って、ジェットコースターに乗っているようでスリリングだよね。平坦な道ばかり歩いている私から見ると、大変だろうけど、羨ましい気もする」と。

「ジェットコースターか。そうだとしたら乗ってる私は息つく暇がないよ。頭うつかもしれないけど、シートベルト外して飛び降りたい気分」
「いや、そういう人生は大変だけど、10人分くらい生きているって」

悩んだり、沈んだりしたときに、帰宅する時間が一緒になると地下鉄やバスでいつも話を聞いてくれていた大切な友である。
昨日、同僚が彼女の子供の写真を見せてくれた。
生後五ヶ月。
どの写真もニコニコと笑っている。

「可愛いわね。しかも良い笑顔。こんなに笑って『幸せベイビー』ね」
というと、彼女もニコニコし、
「それが私の仕事だもの」
続けて再び
「この子を幸せにするのが私の仕事だもの」

「あなた達の世話をするのが私の仕事」
「あなた達が自立できるのを手伝うのが私の仕事」
とはよく言う私。

「子供の幸せを願っている」のはどの親も同じだが、
「幸せにするのが仕事」という言葉は発したことがなかった私にガツンときた言葉だった。

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