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日本の歴史を語るコミュの飛鳥時代

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仏教の伝来や豪族間の権力闘争などを経て、朝廷を核とする中央集権化が進んだのが「飛鳥時代」。歴史は神話から史実へ。空想と伝承の世界から文字と遺跡の時代へ大きく移り変わります。

コメント(42)

飛鳥時代で有名な人物と言えば
「聖徳太子」。
聖徳太子の父方の伯母に当たる
推古天皇は当時33歳。
女性初の天皇として即位しました。
20歳になっていた聖徳太子は
蘇我馬子と
推古天皇からの厚い信頼によって
摂政となり
仏法興隆、氏族間の協調、
大陸との交流など、
さまざまな政治課題を
果たしていきます。
推古天皇は
宗教的な支配力を持つ蘇我馬子の
傀儡になるのは嫌だ
天皇中心の政治を取り戻したいと
強く願っていました。

そこで幼少期から
頭が良いと評判だった
甥の聖徳太子を摂政にとりあげ
委せることにしたのです。
聖徳太子は
推古天皇の下にいたから
摂政として活躍できたのだろうと
思う。

はじめは単なるお飾りの天皇だった
推古天皇。

蘇我馬子の専横を抑えるために
聖徳太子を摂政に取り立て
蘇我馬子との「二頭政治」を
行わせます。

蘇我馬子の力を利用しつつも
好き勝手にはさせず
天皇中心の中央集権国家を
実現させたのです。

聖徳太子も賢いが
推古天皇もなかなかなもんです。
もともと繋ぎ役で即位したはずの
推古天皇。

聖徳太子が早くに亡くなった時点で
もはや繋ぎ役としての役目は
崩壊してしまいました。

結局、幸か不幸か
繋ぎ役であるにも関わらず
35年という長期政権を築きます。
結局、推古天皇は
次期天皇について遺言などを
残すこともなく
皇位継承問題を未解決ままにして
亡くなってしまいます。
思いの外
長生きした蘇我馬子。

推古天皇が亡くなったあと
もはや
強大な権力を振るう蘇我馬子を
コントロール出来る人物は
いませんでした。

蘇我馬子が亡くなったあとも
5代あとの
天智天皇があらわれるまで
その息子である蘇我蝦夷と
蘇我入鹿親子の
思いのままになっていきます
その後
蘇我氏打倒に始まる内政改革。
大化の改新が始まる。
天智天皇(中大兄皇子)や
藤原鎌足(中臣鎌子)らを中核にした
クーデターが成功し
権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿
父子が打倒される。
天智天皇が
蘇我入鹿をやっつけたシーン。
天智天皇。
凄い人物です。

蘇我馬子は
強大な権力を持つ物部勢力に
立ち向かっていき

天智天皇は物部敗退後
凄まじい権力を手にした
蘇我氏に立ち向かっていった。

良し悪しは別にして
126代まで続く天皇のなかで
教科書に載って
みんなから覚えられるぐらいですから
凄い人物だったんだと
私は思います。
こうゆう結末で仲良くなるのも
見てみたかった気がする。
大化の改新後
天皇を中心とする国づくりとは
どのようなものだったのでしょう。

生き残った有力な豪族は
「貴族」という位の高い役人となり
政治に参加する仕組みが
つくられました。
これが、貴族の始まりです。

これにより
豪族が支配していた土地や人々は
国が直接支配することになりました。

地方は国や郡に分けられ
都から役人を派遣。
中央の政治が
すみずみまで行きわたるように
したのです。
しかし
安定した世は
長くは続きませんでした。

当時の皇位継承については
親子よりも兄弟が
最優先されていたのにも関わらず
天智天皇は
個人的な愛情により
息子の大友皇子へ
皇位継承権を
渡してしまったからです。
天智天皇は
弟の大海人皇子の出方によっては
息子を守るため
殺害も頭に入れていましたが
大海人皇子は
身の危険を察知して出家し
吉野へ逃れて
挙兵の準備をしたとされています。
さぞかし
周囲はビックリしたであろう。

当時の慣例によれば
皇位継承は親子より
兄弟が優先され
誰しもが
天智天皇の後継者は
弟の大海人皇子と見なしていた。

長きにわたり
兄をサポートしてきた大海人皇子には
それだけの信望と実力があった。
大友皇子は
いずれおじさんとの戦いは
避けられないと考えて
都の周辺で
兵を集めるなどの根回しを
進めていた。
これを知った
おじさんは大激怒。

天智天皇の死後半年ほどで
甥の大友皇子を
自害に追い込んでしまう。

勢力争いまでいくと
もはや個人の戦いではなくなる。
生きるか死ぬかの世界です。
生き残りたければ
勝たなくてはならない。

こうして
大海人皇子は天武天皇になった。
天武天皇は基本的には
兄の政治路線を引き継いだと
されています。

氏姓制度を改編したり
新たに法令を定める
大事業にとりかかったりしました。

存命中は大臣を一人もおかず
皇族を要職につけ
自ら政務を行った人物としても
有名です。

身分は高くなくても
優秀な人間を役職に就けたり
出仕を認めたようである。

このころ
『古事記』や『日本書紀』の
編纂を命じたのも
天武天皇とされています。
大海人皇子は
大友皇子を可愛がったと
言われています。

中大兄皇子さえ気をつけていたら
こんな悲惨は歴史は
訪れなかったのかも知れませんね。
天智天皇の後継の座を巡って
大海人皇子と大友皇子が争った
「壬申の乱」は
古代最大の内乱と言われてます。
天武天皇は
絶大な権力で国家運営を行います。

天武天皇が崩御すると
皇后の持統天皇が即位し
日本最初の都城である藤原京を
完成させます

都城とは
天皇が住む内裏と
政治を執る大極殿を中心に
真北を基準とした
碁盤の目状に街を造る
構造の都市です。

天武天皇が力をそそいできたが
志しなかばで病死。
その夢を妻である持統天皇が
叶えたってことです。
この頃
国家を統治する
古代の法である律令は
藤原不比等らの主導で完成します。

唐の律令を
日本の実情に合わせて作った
大宝律令ですが
それが合わないとなると
大宝律令を踏襲しながら
改定した養老律令が制定されます。
そして
時代は持統天皇の孫である
文武天皇の時代に
移り変わります。

持統天皇の息子は
若くして亡くなっていたので
孫に引き継ぐために
頑張って生きた女性の天皇でした。
文武天皇は
当時としては異例の
14歳の若さで即位しました。

母親の持統天皇や
藤原不比等の支えを受け
善政を行った天皇でしたが
25歳の若さで崩御。

これは近親相姦による
虚弱体質によるものとされています。

本当なのでしょうか。

近親相姦は
短命まではいかないとしても
病弱であった記録があります。
そして
文武が亡くなったあと
静かに飛鳥時代は終わり
次の時代へ入っていくのです。
私は和歌山県塩屋へ出向くことが
多々あるのだが
36代孝徳天皇の時代は
間違いが大きいような気がする。
書籍と現地の温度差がデカイ。
かなり大規模な
歴史の隠蔽があったのではと
思われる。
阿倍内麻呂と塩屋鯯魚のことを
もっともっと知りたい。
彼らを知る事が紐解きになるような
気がする。
まずは塩屋連の本拠地
和歌山県御坊市塩屋町北塩屋にある
塩屋王子神社から
調べていこうと思います。
私は人質として来日していた
百済王子・豊璋が
中臣(藤原)鎌足という説が
真実なのでは?と考えています。
豊璋が
衰退していく百済を救うため
邪魔になった蘇我氏を
滅ぼそうと考えたことから
大化の改新が実行されたのだと。
証拠はないので想像ですが・・・
中臣塩屋連枚夫(ひらぶ)は
じつは
藤原鎌足だったのではという疑問。
百済王子であった豊璋が
生き延びるためにところどころで
偽名を使って
生活していたのだとしたらと
考えてしまう。
中臣塩屋連枚夫の子供が
塩屋連鯯魚。

中臣塩屋連枚夫が
藤原鎌足だとしたら
のちに鯯魚は
年有間皇子の謀反事件に連座して
捕らえられ
父親に殺されたということになる。
塩屋鯯魚は
誅殺されるに当たって
推古期の謂れを語って命乞いをする。

もし中臣塩屋連枚夫が
藤原鎌足で父親なら
このような命乞いもわからなくも
ない。

そして藤原鎌足の養子になった
娘・藤原宮子の父親が
この塩屋連鯯魚だったのでは
ないだろうか。
蘇我の稲目、馬子、蝦夷の
三代は
日本のために尽くしてきた ...。
この時代
唐と倭国の外交はおそらく
新羅の金春秋を通じて
行っていたとおもうのだが
私にはどうも金春秋が
たまに中大兄皇子にみえてくるから
不思議だ。
持統・文武朝で高官に昇り
晩年には右大臣として
太政官の筆頭に至った阿倍御主人も
どうも引っ掛かる。

阿倍御主人といえば
竹取物語のなかで、かぐや姫から
火鼠の皮衣を所望された人物。

この火鼠の皮衣
火に投じると
布の鼠色の部分だけが燃えて
真っ白にきれいになる布とのこと。

それと同じような布が
周(紀元前1046年-256年頃)の時代に
征服した西戎からの貢ぎ物として
日本へ入って来ていたらしい。

炎に包まれても
火傷をしない火浣布とも呼ばれ
とても珍重されていたとか。

竹取物語の作者は謎ですが
火浣布を知っているあたり
日本人は渡来系民族の寄せ集めだと
思わずにはいられない。
乙巳の変・大化の改新のヒーローである38代天智天皇(中大兄皇子)って、あくまでも私のなかでは、ずっと孤独に我が道を走り続けた…どちらかといえば可哀想で報われない人のようなイメージがある。
ただ、母親から愛されることに人一倍貪欲だっただけの人。頑張っても頑張っても弟のほうが無条件に愛される。たまに、そのつらみの部分がブワッと前にでてきて、冷酷になるような…。
古墳・飛鳥時代の謎に近づけば
キトラ古墳の謎にも近づけるはずなのに
歴史は手強いね。

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