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日本の歴史を語るコミュの弥生時代

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日本列島に本格的な農耕文化が根付いた時代を弥生時代と言っています。弥生時代は紀元前4世紀頃〜紀元後3世紀中頃までの時代のこと。約1万年も続いた縄文時代と比べると極めて短い期間と言えます。みんなも知っている女性の歴史的有名人もあらわれます。

コメント(35)

ある日突然、縄文時代が始まったわけでも、弥生時代が始まったわけでもありません。あくまでも後世の人間が古代文化の変化を見て、大体こんな感じで区分できるなと考えたものでバシッと線引きが出来るわけではないのです。
大体の線引きのラインは
人によっても変わって来ますので
そこはアバウトに。
弥生時代は
縄文時代の後晩期に渡ってきた
『海の民』と
弥生時代前半に渡ってきた
漂着民によっておおいに栄えます。
海の民は古代史の中で
最も謎に包まれたうちの1つです。 彼らについては
ほとんど何も分かっていません。
朝鮮半島南部から渡ってきたと
言われています。
漂着民は恐らく周や晋の
君公子たちを引き連れて
中国からやってきた
『徐福』の集団だったのではと
言われている。
徐福は
夏王朝・禹王に仕えた萬正氏の
子孫であり
その48代の末裔である徐氏は
周の武王に仕えていた。
なので徐福が
不老不死のクスリを探すと言って
日本を選んだのも
周の君公子たちを引き連れてきたのも
意図的だったのかも。
徐福に限らずこの時代は
戦乱の世を避けるためや
様々な理由で
日本列島にやってきた人々が
多かったと考えられます。
徐福一行のなかに
卑弥呼の祖母にあたる人物も
いました。
卑弥呼の祖母は朝鮮半島の王が
中国の歴代王朝に献上していた
貢女のひとりだったとも
伝えられています。
秦の始皇帝から逃げてきた
徐福は
日本に稲作をもたらし
医薬を伝えたと
信じられています。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡は
弥生時代の日本における
国家形成期の「クニ」の全貌がわかる
遺跡である。
現在はほぼ全域が史跡公園となり
国の特別史跡に指定されている。
個人的に、その初代は
徐福の曽祖父あたりにあたる
人物ではないかと夢想している。
徐福は1度日本に渡ってきて
再び秦に帰っています。

そして日本はとても豊かな国で
不老不死に繋がる資源が
たくさんあると伝えて
前回にもまさる大金と
沢山の捕鯨船と
100人以上の専門職についた技術者、
そして500とも800とも言われる
男女の若者を
始皇帝に用意させたのです。

この時代の日本は
金・銅・朱・水銀・硫黄の
宝庫でした。

特に朱は金よりも高価な時代です。
始皇帝がお金を投資するには
じゅうぶんでした。

そして
そのまま徐福は日本で
「クニ」を築いて
中国には帰らなかったそうです。
日本各地に
徐福伝説が残されている。
それは
金・銅・朱などの発掘隊が
それぞれの地域に
居留したためではないのだろうか?
労働者が増えれば
食料もたくさん必要になってくる。
弥生時代に日本各地で
稲作がいっきに広がったのも
なんとなく納得できる。
私は三内丸山遺跡の
津軽古代王国でも
すでに稲作はしていたと思う。
だが
こんなにもいっきに広がったのは
弥生時代。
広がらなきゃならない理由が
あったと考える方が
正しい気がする。
稲作がさかんになると
あちらこちらに小さな国ができ
人々を支配する王や
豪族たちが出現しだしました。
たくさんの小さい国が出来てから
戦争が絶えませんでした。

そんなときに
彗星のごとく現れたのが
邪馬台国の女王「卑弥呼」です。

「魏志倭人伝」には
男の王が70〜80年も続いていたが
女である卑弥呼を王にしたところ
平和になったと書かれています。
卑弥呼は
邪馬台国の女王とみんなが知る
歴史です。

しかしながら「魏志倭人伝」には
そんなことはいっさい
書かれていなかったりします。
卑弥呼は
「倭国の女王」としか
書かれていないんですよね。

それが何故?
邪馬台国になったのかは
語り部たちからの
語り継ぎから。
おそらく卑弥呼が
邪馬台国を中心とした
連合国家の女王であったのは
間違いではない。

卑弥呼が王になる前の倭国は
男の王たちが支配しており
物資や食料・領地の奪いあいで
長年争いが絶えなかった。
そのせいで
人々は戦いに疲れ果ていた。

平和への期待を込めて
卑弥呼を女王に
選んだのではないかと推察されます。

不思議と
卑弥呼が倭王になって以降
大きな戦乱はなかったらしい。
卑弥呼は
女王となってからほとんど
人前に
姿を見せなかったとされています。

彼女が住む場所は柵が張り巡らされ
兵士らによって守られ
1000人もの女性の召し使いがいた。

卑弥呼に直接会える男は
弟だけだったと考えられる。

卑弥呼は事える巫女
(神託を告げる聖職)で
政治は弟に任せていた。

女王は権威の象徴で
権力は弟に託した“政教分離“の形を
とっていたみたいです。
卑弥呼は
徐福の道教をベースにした
宗教体系を持っていたのではないかと
思っています。
古代日本で麻薬性のある大麻を
栽培していたとする説があります。

巫女が「神がかり」状態に成るには
神が降臨する為の呪詛行為を行ない
神がかり状態を
誘導しなければならなかった。
弥生時代から古墳時代までの間
日本列島は縄文原住民族と
渡来した多くの他民族
他部族が混在する
人種のるつぼでした。

そんな部族間の争い事に対処する
もっとも有効な呪術は
次代が混血する為の性交に拠る
人種的和合の
「誓約儀式」だったとも
言われている。
日本には
歩き巫女という集団がいた。

歩き巫女の始まりは
定かではありませんが
卑弥呼の時代に出てきた説が
残っています。

旅をして全国をさすらい歩き
依頼があれば祈祷や
占術や神降ろし
そして春をひさぐこともした。

それは戦国時代にも続いていて
合戦場を訪れ武士たちに春をひさぎ
そして合戦後は死者の慰霊を行い
死化粧までを行なったほど
生と死の両方を司る女たちが
存在していたということ。

卑弥呼の千人とも言われる
多すぎる侍女たちは
このような役割を
与えられていたのかも知れない。
卑弥呼の時代は
まだ日本には鉄というものが
ありませんでした。

3世紀の中国の歴史書
「魏志東夷伝弁辰条」には
鉄を求めて
弥生人がさかんに
朝鮮半島に出かけていった様子が
描かれています。
中期に鉄が伝来すると
鋤や鍬の刃が
鉄製に進化していきます。
鉄斧や小刀なども登場し
強度が必要な道具には
すべからず鉄が用いられるように
なっていきます。

しかし弥生時代に
製鉄を行った痕跡は
発掘されておらず
鉄材は朝鮮半島から取り寄せていたと
考えられています。
何代目かの卑弥呼が君臨していた頃
北九州では
高句麗から南下した奴国の勢力が
進出してきていました。
実は日本には
卑弥呼に比定される女性が
何人もいます。

天照大御神、神功皇后、倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)、倭姫(ヤマトヒメ)等々。その他、九州にも甕依姫(ミカヨリヒメ)など何人もの候補がいます。

その上、初代、二代と続いていくので
さっぱりです。

なので卑弥呼は
永遠の古代史の謎であり
ロマンとなってしまったのです。
長年にわたり
論争となってきた邪馬台国の所在地。
考古学では
纒向遺跡の発掘により
畿内説で決着したとされるが
歴史学の文献研究では
『魏志倭人伝』の記載から
まだまだ九州説の方が
支持されていたりする。
私は
もともとは九州にいたが
地震や大雨、津波などの天災よって
畿内に移動してきたのではないかと
思っています。
邪馬台国が九州から移動して
奈良で新たな邪馬台国を築いて
落ち着いたころ
高句麗から南下した奴国の勢力
のちのヤマト政権が
九州に流れ着いたのでは
ないでしょうか?
全部
私の妄想による
まとめでしかないんだけど
どちらも
邪馬台国のような気がします。
徐福の時代から
日本列島全域に仲間は
広がって生活しています。
なので天災になったときに
差し伸べる手も
あったのではないかな。
そんな弥生時代も
ヤマト政権が現れたことにより
古墳時代に突入していきます。
弥生時代3世紀初頭に
卑弥呼を王に立てて新設された
連合国家・邪馬台が
広い意味での日本という国の
始まりになったのではないかな。
ここで

邪馬台国が出来る前に
縄文人の巨大国家
出雲王国があったことを書くのを
忘れていました。

大和地域を含め
東は信濃までとも言われる
広大な領土を獲得していた王国を
交渉を何度も重ねた結果
一時は緊迫して
戦争に突入する場面もありましたが
縄文時代は
争いを好まない民の集まりなので
国譲りは成功するのです。

形の上では諸国連合という
並立な関係ではありましたが
邪馬台国は
出雲王国の勢力を全て
支配下におさめ
北九州から中国地方から
四国、近畿、北陸、東海、信濃
あたりまでを邪馬台国の領土として
獲得していたのです。

北九州も奈良も
邪馬台国と言えば邪馬台国ですが
もともとは
出雲の領地です。
邪馬台国の女王・卑弥呼の力が
あとかたもなく消えてしまったあとは
出雲王国vsヤマト政権の戦いに
突入していきます。
縄文時代弥生時代は
内戦が少なく
あっても小規模で
敗者を殺戮することが
あまりなかった。

王権そのものに対しての
反乱が少ないことも特徴として
挙げられる。

海外の人からみたら
巨大国家が
話し合いでスムーズに
国譲りを済ませるなんて
領地争いなんかあるの?
ってビックリされちゃいますよね。

日本神話に残されているぐらいだから
きっと
戦って死者をだすより良い。
邪馬台国は悪者でもなさそう。
なんて
そうゆうのがあったんでしょうね。

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