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高木 竜馬:RYOMA TAKAGIコミュの1月25日 幕張ベイタウンコアホール リサイタルの楽曲解説

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     高木 竜馬 & 薫子 ピアノリサイタル

    2009年1月25日(日)午後2時 開演
      幕張ベイタウン コアホール


          プログラム
         
           高木 薫子
   ミリー・アレクセイエヴィチ・バラキレフ
 (1837年 ロシア ノヴゴロト〜1910年 ペテルブルグ) 
           ひ ば り
 ロシア音楽の父 ミハイル・グリンカの歌曲歌曲集「ペテルスブルグとの別れ」の中で、しばしば単独で歌われる有名な第10曲『ひばり』をピアノ独奏曲に編曲したものです。ロシアの大地を思わせる情感溢れる美しいメロディーはバラキレフの手によって高度な技巧の華やかなピアノ曲に生まれ変わりました。

    ローベルト・アレクサンダー・シューマン
  (1810年 ドイツ ザクセン 〜 1856年 ドイツ ボン近郊) 
      アベッグの名による変奏曲 Op.1
 シューマンはしばしば小さな動機を「モットー」として取り上げて曲全体に関連性の精緻な糸を張りめぐらし楽曲構成の基礎にしました。リヒャルト・ワーグナーの「劇」の中へ音楽とともに分け入る芸術手法に対し、シューマンは人名や地名等の言葉を音名で表す事により「詩」の名のもとでの諸芸術の統合を目指しました。

 架空の伯爵令嬢パウリーネ・フォン・アベッグに献呈されたこの曲はシューマン20歳の1830年に書かれた記念すべき処女作品です。このアベッグというこの名の綴り( ABEGG )を音名に当てはめテーマを導き出しています。4年後に書かれた「謝肉祭」でも全く同様の技法が用いられます。

           
           高木 竜馬
     ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
 (1770年 ドイツ ボン 〜 1827年 オーストリア ヴィーン)
    ピアノソナタ 第23番 ヘ短調 Op. 57 “ 熱 情 ”  
 この “熱情” ソナタは、第21番 ハ長調 “ヴァルトシュタイン” と並び、楽聖ベートーヴェン全作品の最高峰に数えられるばかりでなく、今日までに作曲されたすべての音楽作品の中でも屈指の傑作と賞賛されています。 “傑作の森” と呼ばれるベートーヴェン中期傑作群の交響曲 第5番 “運命” のとても有名な『ジャジャジャ、ジャーン』というモティーフが、このソナタでも多く用いられています。かの「ハイリゲンシュタットの遺書」から2年後のベートーヴェン34歳の時、聴覚がほぼ完全に失われつつある 時期に着手されました。堪え難い絶望の彼方に、実音のない世界で作曲のみに人生のすべてを捧げようと決意したベートーヴェンの情熱のまぶしい光が、確かな手応えをもって伝わってくる偉大な作品です。
 循環形式によって、2つのモティーフが全三楽章をつかさどり、作曲理論上の有機性は完璧の域に達しています。と同時にこれまで「幻想ソナタ」等を通じて養ってきた自由性=ファンタジーとの矛盾、『論理的形式と自由性の二律背反』が見事に調和され達成されており、芸術の一つの最終的な目標がここに実現されています。またこのソナタは、これまでは使われていなかった増六度の響きなどにより19世紀の扉を大きく押し開き、シューマンたちのロマン派音楽の盛隆の礎を築いた革命的な作品でもあります。


      ローベルト・アレクサンダー・シューマン
   (1810年 ドイツ ザクセン 〜 1856年 ドイツ ボン近郊)
    謝肉祭 Carnaval Op. 9 「4つの音符による愉しい情景」 
 シューマン初期の傑作として有名なこの大曲は、“クライスレリアーナ” や “子供の情景” と並ぶ代表的作品です。演奏効果が特に高く、シューマン独自の詩的情緒やドイツロマンティークの時代の香りにあふれています。名教師フリードリヒ・ヴィークのもとで、共にピアノを学んでいた聡明で清純な17歳の少女  エルネスティーネ・フォン・フリッケンと恋に落ちた24歳の時の作品で、彼女の故郷アッシュ(ASCH)と自らのスペル(SCH-umann)の A=イ、Es(S)=変ホ、C=ハ、H=ロ をモットーとして多用しこの曲の骨格を作り上げています。しかしこの恋は彼女の父フォン・フリッケン男爵の反対に遭い破れます。その後この作品は別の人物に献呈されリストによって初演されました。それぞれに表題が付いた全部で20の小曲によって謝肉祭の模様が描かれています。この曲を書き始めた頃から10年間、シューマンは音楽批評の仕事をしており、「音楽新報」という雑誌を創刊して当時の保守的で常とう的な音楽を非難し自由で新しいロマン派音楽を賛美しました。この「謝肉祭」に出てくる意味不明の題名「フロレスタン」「オイゼビウス」は、彼の批評家としてのペンネームです。また終曲の「フィリスティン」は保守的なグループを指し、「ダヴィッド同盟」はシューマンに賛同するグループの名称です。しかしこれらは、シューマンの精神分裂的な妄想世界の始まりを示すもので、徐々にシューマンの精神的錯乱の病は進んで行きます。 

 1.「前口上」 いよいよ謝肉祭の開幕です。輝かしい和音の連続の後、幻想曲風に気分が高揚していきます。
 2.「ピエロ」 性格俳優的な道化師を描写した曲です。あの4つの音を組み込みながらモデラートで淡々と進みます。
 3.「アルルカン」 アルルカンは、イタリア古典喜劇コメディア・デル・アルテの道化役者。ぎこちないワルツのリズムが諧謔的です。
 4.「優雅なワルツ」 アルルカンとは対照的に、優雅で 美しいワルツです。シューマン自身がもつ耽美的なまでの優しさが感じられます。
 5.「オイゼビウス」 シューマンの分身。瞑想的な詩人としての側面が描かれています。ためらうような音の動きがその性格を 表現しています。
  6.「フロレスタン」 シューマンのもう一人の分身です。激情的な行動者としての側面を描いています。シンコペーションの強いアクセントによって、その情熱と自負心が表現されています。 
 7.「コケット」 跳ねるような軽妙さで周囲に魅力をふりまく女性の、心の移ろいが表現されています。
 8.「返事」 女性とそれに対する男性の控えめな応答です。この曲の後に「スフィンクス」と題された低音の4つの音(ASCH)からなる不可思議な3つの音列が示されていますが、通常は演奏されません。
  9.「蝶」 細かい音の動きを持ち、急速なテンポで演奏されます。
  10.「踊る文字」(ASCH - SCHA) その名のとおり ASCH - SCHA の音列が 軽快に並びます。
 11.「キアリーナ」 表題は6年の後に結婚する師の娘クララ・ヴィークのイタリア風の読み方で、ダヴィッド同盟における彼女の呼名です。当時まだシューマンはクララに対し恋愛の感情は持っておらず、クララの音楽的才能に対する尊敬と憧れの念が描かれています。
  12.「ショパン」 シューマンが評論家として「諸君。脱帽したまえ、天才だ!」とショパンを紹介した逸話はあまりにも有名です。この曲だけはASCH のモットーは使われていません。
  13.「エストレラ」 愛するエルネスティーネのイタリア風の読み方で、短い曲に燃えるような情熱が込められています。
  14.「再会」 謝肉祭の間、仮面舞踏会は何度も行われます。「またお会いしましたね」という楽しい曲です。中間部は恋人との再会の場面です。
 15.「パンタロンとコロンビーヌ」 二人の道化役者の登場で、道化のもつ陽と陰が描かれます。最後に二人に天から祝福が与えられます。
 16.「ドイツ風ワルツ;パガニーニ」 ASCH の音ではじまる優雅なワルツです。中間部は当時一世を風靡した伝説的名ヴァイオリニスト パガニーニの登場で超絶技巧のきらびやかな音が続き、ドイツ風ワルツが繰り返されます。
 17.「告白」 エルネスティーネ からの愛の告白です。その情熱は清楚な心の内に秘められています。
  18.「散歩」 謝肉祭の喧噪から離れ一人散策するシューマンの胸には、理想の音楽に対する憧れがふくらみます。
  19.「休息」 表題とは正反対に突然低音から上昇するメロディが湧き出て第1曲「前口上」の回顧になりそのまま終曲に入ります。
  20.「フィリスティンたちを討つダビッド同盟員の行進」 フィリスティン(旧約聖書のフェリシテ人)と名付けた19世紀ドイツの俗物芸術家たちを討とうとするシューマンを中心とした新芸術集団による正義の3拍子の行進曲です。ダヴィッド(ダビデ)は旧約聖書の英雄でシューマン自身を擬しています。次第に高揚し、勝利の輝かしい和音は曲の終わりを告げます。

        
        休 憩 20分間

      モーリス・ジョゼフ・ラヴェル
 (1875年 フランス シブール 〜 1937年 モンフォール)
         夜のガスパール
 「アロイジュス・ベルトランによるピアノのための3つの音詩」
        第1曲 水の精 
        第2曲 絞首台 
        第3曲 スカルボ
 『夜のガスパール ― レンブラント、カロー風の幻想曲』は、貧困と病のうちに無名のまま34歳で夭折したフランスの詩人ルイ・アロイジウス・ベルトランの64編からなる散文詩集です。ガスパールは、新約聖書でベツレヘムに誕生したばかりのイエスを訪れる東方三博士の一人ですが、実は悪魔の使者であったとベルトランは気付いたとされています。
 生前には出版には至らず全く埋もれていましたが、フランス近代詩の父ボードレールの手により、韻文詩から散文詩に大きく世界を広げたこの歴史的名作は世に送り出され、それ以降のランボー、ヴェルレーヌ、マラメルに大きな影響を与えるに至ります。

 創作の絶頂期を迎えた33歳のラヴェルはこの詩集より3編を選び、独自ですが形式的には三楽章構成のソナタとしてこの傑作を作曲しました。硝子細工のような極めて精緻な技巧を駆使して、フランス古典派の伝統である感情の表出によらない、非ロマン的で極めて客観的で描写的な手法による「ピアノによる言葉をもたない詩」と評される作品です。以下に、ベルトランの不朽の名作『夜のガスパール ― レンブラント、カロー風の幻想曲』よりこの曲の表題作3編の抄訳を掲げます。

         オンディーヌ
 私を眠りへと誘なう美しい調べを聞いた / それは誰かのささやきのようでもあった / しかし、その歌はやさしく悲しい声に乱された / --- シャルル ブルニュ「ふたつの聖霊」より  
 聞いて、聞いて / 私よ、オンディーヌよ / やさしい月の光がさす窓を / 月光に輝く飾り硝子を / 夜露のようにそっとたたくのは私  
 私こそは / 白絹のようなしぶきに身をつつみ / 美しい星空を映した静かな湖を統べる / 水の乙女  
 たち騒ぐ波は水の精 / すべての流れは私の王宮への径 / 私の王宮は / 火と土と風のはざま / 湖底にかくされた秘密       
 聞いて、聞いて / 私の父は榛の若木の枝で水を従えるのよ / 姉さまたちは白い波で / 水蓮やグラジオラスが咲きみだれる / 緑の小島をやさしく包み / 釣人のように枝を垂れた / 柳じいさんをからかっているわ  
 そしてオンディーヌは指輪を差しだした / この私に彼女の夫となるべく / 水の宮殿で湖の王となるべく  
 しかし私は / 限りある命の乙女を / 愛していることを告げた / オンディーヌは / 恨みがましく涙を流したかと思うと / 嘲笑を私に浴びせかけた / そして水のなかへと / 帰っていった / オンディーヌのたてたしぶきが / 青硝子に白い跡を残した        

          絞首台
 絞首台のあたりでうごめいているものは何だ? ---「ファウスト」より
 これは夜陰に吹きすさぶ北風か / それとも、吊るされた罪びとの溜息か  あるいは苔に隠れて鳴くこおろぎか / それとも、木蔦を揺らすむなしい風か   
 死者の耳もとで / 獲物を求めて飛びまわる蝿の羽音か  
 しゃれこうべにしがみついて / 血のこびりついた髪に絡みつく甲虫か   それとも縊れた首のまわりに / 純白のスカーフを編む蜘蛛か   
 かなたの城壁から鐘をうつ音が響き / 罪びとの亡きがらは / 夕日のなかで / ゆらりと揺れた

          スカルボ
 ベッドの上にも、暖炉の上にも、 / そして飾り棚の上にも姿はなかった / あのものは何処から忍び込んだのか / そして何処へ逃れたのか  ---「ホフマン夜話」より
 幾度となく私は見た、やつ、スカルボを / 金の蜜蜂を縫いとった瀝青色の旗印の / 銀色の紋章のように月が輝く夜に  
 幾度となく私は聞いた / 壁の暗がりでやつが漏らすあざけりの声を / ベッドのカーテンに爪をたてる音を  
 私は見た / やつが天井からするすると降りてきては / 魔女の糸巻きさながら / 一本足でくるくると / 部屋の中を踊りまわるのを  
 やつは何処へ失せたのか / 突然、あやしい小鬼がゴチックの鐘楼のように / 月と私のあいだに立ちふさがった / 金色の鐘がやつのとんがり帽子で揺れている  
 し かし、すぐにそいつの身体は蒼白に変った / 不気味なろうそくの よ う に / 頭 は 燃 え つ き た ろ う そく の よ う に / 溶 け て 流 れ た / そ し て 冷 た く 動 か な く な っ た
( 訳者注;スカルボとはベルトランの作品に頻出する、蜘蛛のようなイメージの悪魔 )        
      Leaves of Tales 庄野 健 氏 抄訳
     http://hw001.gate01.com/leavesoftales

    

    モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキー
   (1839年 ロシアカレヴォ〜1881年 ペテルブルグ)
    組 曲 “ 展覧会の絵 ” ムソルグスキー 原典版
 画家で建築家の畏友ヴィクトル・ガルトマンの急死に接したムソルグスキーの落胆は、常軌を逸するほどに深いものでした。残された手紙からは、ガルトマンの体の異常に気づきながら友人としてなすべきことをしていなかったと強い自責の念にかられている様子さえうかがえます。この二人の芸術家を保護した芸術史家で評論家のウラディーミル・スターソフは、ガルトマンの母校のペテルブルク美術アカデミーにおいて400点を集め遺作展を大々的に開催します。
 その展覧会から半年後の1874年、ムソルグスキーはまるで何かに取り憑かれたかのようにガルトマンの10枚の絵画に曲を付け、さらに前奏曲と間奏曲として5曲の『プロムナード』と『死者とともに死者の言葉で』を加えて、組曲『展覧会の絵』を完成させ亡きガルトマンに捧げます。『カタコンベ』の自筆譜には次のように鉛筆で書き足されています。「亡きガルトマンの創造的な魂が私を頭蓋骨へと導き彼らに呼びかける。やがて頭蓋骨たちは静かに光を放ち始めた。」この名曲は出版も公式な初演さえもされず、ムソルグスキーは下り坂を転げ落ちるように酒に溺れ始め、わずか7年後の42歳の若さでこの世を去ります。 

 1. プロムナード [1]「ロシア風に」:フランス語 5曲のプロムナードは、ムソルグスキーのそれぞれの心の自画像ですが、これは展覧会場を訪れゆっくりと絵に向かって歩いて行く場面です。友の遺作にまさに接しようとする気持ちの高揚感と緊張や、今は亡き畏友の遺作展がかくも盛大に開催された誇りが感じられます。
 2.グノームス :ラテン語 「グノームス」とは、ロシアの民話に出てくる「地底に住み、地の宝を守る小人の妖精」です。スターソフの手紙には「胡桃割人形のようなもの」と書かれていますが、ガルトマンの遺作展のカタログに「グノームス、子供の玩具のデッサン、クリスマスツリーの飾り」という作品があり、子供のような愛嬌をもって仕切飾りから伸び上がってこちらを覗いています。重々しく書かれた曲ですが、グノームスは足を引きずるようにして歩くユーモラスで愛すべき妖精です。
 3.プロムナード [2]  友の絵画に囲まれ冒頭の気持ちの高まりは落ち着き、穏やかで回想的な気分に満たされます。
  4.古 城 :イタリア語 オペラ「ルスランとリュドミラ」の舞台大道具のために描かれたイタリアの「テェルノモールの城」がモティーフです。スターソフは、「中世の城。その前では吟遊詩人が歌っている。」と書いています。絵の左下にはインド密教の曼荼羅図が描かれており想像上の古城です。誰一人聞く者のない夕闇迫る城の麓で、吟遊詩人は一人、この城とこの国の在りし日の栄華を語ります。
 5. プロムナード [3]  自らの幸福に満ちた少年時代の想い出を重ねたかのようなノスタルジーから我に返り、ムソルグスキーは筆を進めます。
 6. テュイルリーの庭 ― 遊びの後の子供たちの喧嘩  :フランス語 ガルトマンはその他にもパリの街角の子供たちの絵を多く残していますが、この曲はパリのテュイルリー公園で遊ぶ子供たちの喧噪をモチーフにした作品です。自筆譜のファクシミリには「遊び疲れた子供たちの喧嘩」という鉛筆書きが残されています。
 7.サンドミュシュのブィードウォ :ポーランド語 ブィードウォとは、役畜、特に役牛のことです。ロシアでは、この曲はレーピンの『ヴォルガの船曵き』の影響を受け、ガルトマンの絵にはない重たい牛車をポーランドの農民が苦しみながら前に進める様子をモティーフに作曲したと考えられてきました。実際に、リムスキー=コルサコフ版ピアノ譜や有名なラベル編曲のオーケストラ版では、牛車が近づいてきて遠ざかる様子を、クレッシェンドとディミニエンドにより、やや傍観者的に表現しています。しかし原点版は激しいフォルテシモで始まっており、描く者と描かれる者の間に距離感は全くありません。近年では、ブィードウォというポーランド語には「家畜のように虐げられた人々」という意味もあり、当時のロシアの圧政に苦しむポーランドの人々の苦悩を表しているという解釈が有力です。スターソフに宛てた手紙の「勿論、題名には牛車とは書きません。」という一文からも、教会の前に人々が集まりこれから絞首刑を行おうとしているところを描いたガルトマンの「ポーランドの反乱」と関連があると考えられます。ゴルゴダの丘を登るイエスの如く、処刑台へ向かうポーランドの勇者への葬送行進曲です。
  8.プロムナード [4] ブィードウォの陰鬱を受けて、かつてロシア陸軍士官として輝かしい青春期を送った貴族出身のムソルグスキーの祖国ロシアを愛する心との間にある複雑な葛藤が表現されています。
  9. 殻をつけたひなのバレエ :ロシア語 モティーフはペテルブルグでバレエ「トレルビ」のために描かれた衣装デザイン画です。卵の殻の衣装に子供たちが入って、手足を動かしたり飛び跳ねたり回ったりするコミカルなバレエ音楽です。ひなどりの餌を求める鳴き声と小刻みで愛らしい動きをリアルに描写しています。
 10. ザムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ :ドイツ語 ガルトマンがポーランドでスケッチしたユダヤ人を描いた二幅別々の絵がモティーフです。金持ちで傲慢なザムエル・ゴールデンベルクが力強く話しを始め、それに対して貧しく卑屈なシュムイレが甲高い声で小言とも嘆きともとれる言葉を繰り返します。ムソルグスキーは、当時世界中で虐げられていたユダヤ人に対して同情的な立場をとっており、ヘブライの旋法の造詣も深くシュムイレのアルトの旋律には現在でもシナゴーグで歌われているユダヤの聖歌が使われています。この二幅の絵はムソルグスキーに贈呈されています。
 11. プロムナード [5] ガルトマンの絵には関連がなく、冒頭のプロムナードの変奏曲として書かれた完全なインテルメッツォ ― 間奏曲です。 
 12. リモージュ、市場 ― 大ニュース :フランス語 フランス中部の都市リモージュの賑やかな市場をモティーフとした明るい曲です。この街で描かれたハルトマンのスケッチが数多く残されていますが、絵は特定されていません。自筆譜には「女たちが喧嘩をしている。激しく興奮してつかみかからんばかりに」との鉛筆書きがあり、市場で言い争いをしている女性たちの様子がコメディカルに描かれています。しかし、突然隣の『カタコンブ』に目が移りムソルグスキーの心境は一変します。
 13. カタコンベ ― ローマ時代の墓 :ラテン語 古代ローマ時代のキリスト教徒の墓です。その時代キリスト教徒は迫害を受けており、地上に墓を作ることが出来ず地下に遺体を安置し白骨化した骨を壁沿いに積み上げていきました。絵のパリのカタコンベに描かれている人物はガルトマン本人と友人ケネスと墓守です。右側の壁には頭蓋骨がうず高く積み上げられています。この絵からムソルグスキーが受けた衝撃は大きくやがて『展覧会の絵』の作曲へとムソルグスキーを駆り立てていきます。
 14. 死者とともに死者の言葉で :ラテン語 曲の構成上では6番目のプロムナードですが、『カタコンべ』の前で立ち尽くしているムソルグスキーの激しい心の嗚咽が表現されています。しかしやがて哀しみは聖なる諦めに変容します。
 15. 鶏の足の上に建つ小屋 ― バーバ・ヤガー :ロシア語 バーバ・ヤガーとはロシアの伝説に登場する妖婆です。深い森の奥の人骨の柵に囲まれた空き地にある鶏の足の上に建つ小屋に住んでいて、うすに乗りきねでこぎ、ほうきで跡を消しながら現れます。モティーフとなった絵はバーバ・ヤガーの小屋をイメージした「置き時計」のデザイン画でバーバ・ヤガー自身は描かれていませんが、曲は激しく叩きつけるような動機で始まり、バーバ・ヤガーが巨大に膨れ上がり猛スピードで駆け巡るさまを描いています。小屋の屋根の上から獲物を狙うというバーバ・ヤガーのいかがわしいまでのおぞましさを伝えています。
 16. ボガトゥィーリの門 :ロシア語 9世紀中ごろから13世紀半ばまで、キエフはロシア文化と政治の中心でした。ロシアは国家の成立が遅くそれ以前は神代の時代、すなわちグノームスやバーバ・ヤガー が跳梁跋扈する時代でした。組曲の最後にこの2曲が続けて演奏されるように配置されているのは、自国の歴史を大切にする心と、ロシア人の心象の原風景である「栄光の強きロシア・キエフ時代」を讃える心情とからです。東方より来襲したチンギス汗の孫のバトゥによって成立したキプチャク汗国により、古き佳きキエフ・ロシア時代は終焉を迎え、その後250年間の永きにわたりロシア文化を都市を蹂躙し尽した「タタールのくびき」が始まります。
 1869年に現在はウクライナの首都であるキエフで、最終的には実現しませんでしたが、キエフ時代の英雄的列侯を讃える新凱旋門を建設する計画が持ち上がりました。キエフ市が募集したデザインのコンペティションに、ガルトマンが提出したデザイン画がこの曲のモティーフです。東方ロシア正教会の特徴であるネギ坊主型の丸屋根をもち、カリヨン3基が備えられた壮麗で美しい凱旋門です。
 
 この終曲にだけプロムナードの旋律が使われており、ムソルグスキーの心の自画像とガルトマンの絵画とはこの終曲を通じて最後に一つになったことが象徴的に表現されています。鎮魂のコラーレとコーダは何度も繰り返され、ロシア文化の象徴である巨大な鐘の荘厳な響きにのせて畏友ガルトマンの魂は天の祝福を受け天に昇ります。かつてムソルグスキーとガルトマンが共に語り明かし、そして志した理想の芸術の未来は確かなものとして見事に描かれ、この長大な組曲は大団円を迎えます。

※ 本楽曲解説の中で、誤りや勉強不足の点ご意見等がありましたら、どうかご指導下さいますようお願い申し上げます。            高木 竜馬

コメント(2)


 ○ さんた さん

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
 冬休みということもあって、夜遅くまで色々調べておりました。特に「展覧会の絵」には様々な解釈があるようですが、当日プログラムではこれだと思われる絵を観て頂きながら、演奏を聴いて頂く計画だそうです。
 チケットは、すみません少し遅れて、来週中頃までに郵送出来ると思います。自由席でございますので、少しお早めにお越し下さいませ。

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