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文芸冬夏コミュの読み切り『指輪の向こう・後編』著:幽一

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□後編□

「どうかしたのか?何かあったのか?」
「うう、分かんない」
 夕希は泣き出した。
「落ち着いて。いったい何があったのか説明してごらん」
「き、昨日お母さんと買い物をしにスーパーに行ったの」
 あの時の事だ、と僕は思い出す。
 夕希は震えながらその時の状況を説明する。
 彼女は母がまたも婦人服売り場で長い時間徘徊していたので、あの書店に立ち読みをしに行った。五時半くらいに、母から携帯に駐車場に来るように言われたので適当な本を買って駐車場に向かった。
 そしてスーパーを出た瞬間すぐに後ろから口にハンカチを当てられ,気を失った。そして気がついたら暗い場所に閉じこめられていた。
「そこが何処だが分かるかい?」
「わからない。手足を縛られてるし,目隠しされてるの…」
 そして,怖いよう,と再び泣き出す。
「ねえ,今指輪は何処に持ってる?」
「…胸ポケットだけど…」
「犯人は近くにはいないね?」
「うん。真っ暗だけど,声が響くの。広い場所みたいだけど,犯人はいないみたい。ねえ,私どうなるの…」
 不安をはらんだ彼女の声が,冷たい液体を耳から流し込まれるかのように僕の身体に染み渡っていく。それはやがて後悔の念へと変わっていく。後悔などしたのは一体何年ぶりのことだった。
 どうしてあの時,声をかけておかなかったのだろう。あの時,名乗り出て一緒に帰っていれば彼女は犯人に攫われることは無かったかも知れない。
 僕は立ち上がり,上着を掴むと家を飛び出した。
「大丈夫だ。必ず、助け出してあげる」
 そう答えた。



 彼女は一体,どこに監禁されているのだろうか。まず最初にそれを考えた。
 この辺りで監禁ができそうな場所には心当たりがない。もちろん,彼女が攫われたのが昨日だったので車を使ったと考えれば,どこか遠く離れた場所に監禁されている可能性が無いわけでもない。
 だが,彼女は数日前から不審者の視線を感じていたことから,犯人は彼女のことを知っている人物だろう。おそらく,計画的な犯行を企てていたのかもしれない。なのでこの近辺に住んでいる可能性の方が高いわけだ。
 となれば彼女は行動範囲が少ないので,犯人の目に止まる場所も限られてくる。彼女は不登校でほとんど外出はしない。無理矢理母親に買い物に連れて行かれる場合を除いて,彼女は二十四時間家に居る。
 となればあのスーパーに犯人は居たことになる。それならますます近所の可能性が高くなった。あの時間帯なので犯人は夕食の買い出しに来ていた可能性が高い。
 問題は何処に閉じこめられているか,だ。
 僕は取りあえず,彼女がよく行く書店へと向かった。朝なので客は少なかった。
「やあ,こんにちは」
 書店の青年がにっこり笑って挨拶した。僕も人間の礼儀として彼に挨拶を返す。
「めずらしいですね。こんな朝早くに」
「いいえ」
 適当に受け答えして,なるべくさり気なく彼女の事を聞いてみる。
「昨日もあの,例の彼女は来ましたか?」
「ええ,五時半ごろまで居ましたけど,その後携帯に電話がかかってきたらしくてその後返りましたよ」
 母親からの連絡だ。
「服装はどうでした?」
「白いジャージだったような気がしますけどね。えっと良く覚えてるんですよ,いつもは黒いジャージ来てますから」
 と言うことは彼女は機嫌が良かったのだろうか。僕はよく覚えていなかった。咄嗟の記憶力が弱く,どうも曖昧な記憶しか頭に残っていない。
 青年はすこし不思議そうな顔をして「どうしてそんなこと聞くんですか?」と問うてきた。
「いや,何となくです。あ,これください」
 適当に漫画を買うと,婦人服売り場に向かった。
 

「大丈夫かい」
 時刻が十二時を回って,一旦彼女の無事を確認する。彼女の小さな返答が返ってきた。大分憔悴している様子だ。
「あれから犯人は戻ってきた?」
「ううん,ずっとこのまま」
 そしてお腹空いたよう,と力なく言う。どうやら犯人は彼女に食事も与えていないらしい。なぜか犯人に対してもの凄く腹が立った。
「ねえ,私のいる所分かった?」
 夕希は不安そうに聞いてくる。
「大丈夫。絶対見つける。そして助けるから」
 僕は彼女を励ます。絶対,なんて言葉を自分が使うなんて夢にも思っていなかった。他人でしかない彼女にこれだけこ事をいう自分に,なにかもどかしいものを感じずにはいられない。人間不信でしかなかった僕が彼女だけなら信じられる。それが不思議だ。そして彼女も僕のことを信じている。
 正直これは凄い事だと思う。
 僕はこれ以上聞き回るのも不毛なので,心当たりのある場所を片っ端から当たってみることにした。適当に昼食を済ますと,スーパーを出る。そこでちょうど警備員の人に会ったので,一応彼女のこと聞いてみた。
「見てないね。どんな格好をしていたんだい?その子は」
「ジャージを着ていました」
「そんな目立つ服装なら覚えもあるんだろうけどね」
 と彼は首を横に振る。
「君はその子の彼氏か何かかい?」
「いいえ,ただのクラスメートです」
 僕は咄嗟に嘘をついた。彼はそれに納得したらしくそれ以上は聞いてこなかった。
 歩道を歩きながら,この辺りで人を監禁出来そうな場所を片っ端から探していった。近くの公園の倉庫や,古びた工場。散々探し回った挙げ句,体力が尽きた僕は公園のベンチの腰を下ろした。
 やがて夕日が傾きだし,遠くの電柱の黒い影の尾が足下まで伸びてきた。
 彼女は無事だろうか。夕希のことがとても心配だった。
 きっと今も真っ暗の中で恐怖に怯えているに違いない。いや,普段が根が暗いからむしろ馴染んでいるかもしれない。監禁されるのも引き籠もることも似てるものだし,などど考えながら彼女の無事を確認しようと指輪とを取り出した。
 そこで手が止まる。
 頭の中で宙ぶらりんとなった疑問点。バラバラだった,自分でもまったく自信が無く確証がない可能性や証拠。
 まさか。
 彼女はあそこに。『彼』がまさか彼女を。
 それらのすべてが思考の中で繋がった。まさか,と疑う前に身体が先に動いた。
 考えや確証がはっきりとした。彼女はあそこにいる。確証はあった。それと同等ぬ不確かな疑問も何個かあったがそんなものを考えている暇はなかった。
 僕はベンチから立ち上がり,時間を確認した。五時半を少し過ぎていた。おそらく犯人はあと少ししたら動く。
 犯人はおそらく『彼』に違いない。確信できた。
 僕は指輪を仕舞うと,夕闇に染まった並木道を駆け抜けた。
 彼女は,夕希はあそこにいる。



 辺りはすっかり暗くなり,携帯の液晶画面に現在六時であることが表示されていた。
 僕はいつもバイトをしているスーパーの倉庫に向かっていた。
 倉庫に着くと,扉を開けるためスイッチを探した。ここの扉は重く,人の力では動かない。リモコンを見つけ,赤いボタンを押すと重い扉が音を立ててゆっくりと開く。段ボールが多く積み重ねられていて,中は真っ暗だった。僕は中に駆け込むと倉庫中を見回し,隅に横たわっている夕希の姿を発見し彼女の所へ駆け寄った。
「夕希!」
 揺さぶって何度も彼女の名前を呼ぶ。彼女は小さく唸って気がついた。
「…ひ,引き籠もり君…?」
 夕希は意識が朦朧としていた。昨日の晩から何も食べていないからそれも仕方がない。唇が紫色だ。僕は彼女の手を束縛しているロープを解きながら言った。
「助けに来たよ」
「あ,ありがと…」
 そう言って彼女は僕の服を強く握って嗚咽した。彼女の視界を塞いでいる布が透明に濡れる。
「こ,怖かったよう…」
「もう大丈夫だから」
 僕は彼女の頭をそっと撫でる。
 彼女は安心したように顔を僕の胸の中に埋めてきた。別の意味ですこし焦った。
「はやく出よう。時間がない。そして犯人を警察に突き出そう」
「は,犯人って,犯人が分かったの?」
 彼女の足を縛っているロープを解こうとしたその時,入り口の方に気配を感じた。
 振り向くと,そこには『彼』が立っていた。信じられない,といった表情で僕たちを見つめていた。
 間に合わなかった…。僕は再び後悔した。
「どうしてここが分かった…」
 『彼』は一歩,中に足を踏み入れるとそう言ってきた。
「あなたが犯人なら,ここにしか隠す場所が思いつかなかったんでしょう」
「なぜ,俺を犯人だと分かった…」
 『彼』は僕を睨んできた。僕も彼をにらみ返す。
「あの時,あなたは僕に彼女の服装を聞いてきましたね。僕はたしかこう聞きました『ジャージを着ていました』っと。僕はジャージしか言ってませんが,あなたは『そんな目立つ格好をしてたら嫌でも覚えている』と言いましたね。どうして目立つんですか?ただのジャージーじゃないですか。学生なら部活とかでジャージを着ていてもなんら不思議はない」
 実際,あの日,近くの高校の生徒を見たが何人かジャージ姿だった。ただ色は紺色に統一されていた。
「ただ、その中でも彼女の白いジャージはかなり目立ちますしね」
「それだけか?それだけで俺を疑ったというのか?」
 まだ納得いなかい,と言った様子だった。
「いいえ,まだあります」
 僕は彼女を後ろに移動させて,いつもの紺色の制服を纏った男と向かい合った。
 そう,彼女を攫った犯人は,彼女を攫った犯人は警備員の男だ。
「僕は最初,藤方って同じバイトをしている奴を疑ったんです。あと,書店の青年も。彼らは以前から彼女を知っていたようだし,何かと気にしていた。動機なら十分だし,特に藤方はここをよく知っています。一番疑わしかったですよ,最初は」
「それならなぜ俺を疑った?」
 警備員の男はまた一歩,間隔を狭めて来る。僕たちは後ろに下がる。
「僕と藤方は大体五時にバイトが終わります。実際,あの日も僕は五時半にあなたと会ってます。僕は彼女が五時半になる十分前くらえに書店を後にしたのを見ました」
 あの日は藤方は一人で五時十五分まで仕事をしていた。僕のほうが早く終わって僕は五時に書店に行った。
「彼女は店を出た所で誘拐された。つまり犯行は彼女が消えて十分間の間に行われたことになる。その時,書店の青年はレジにずっと居ましたし,藤方はバイトが終わってたぶんロッカーに居たのでしょう」
 そうなると,二人の容疑は消える。警備員の仕事も大体五時までだが,その日は彼は六時までが仕事だった。僕はそれを彼本人から直接聞いていた。
「そしてあなたはスーパーから出てきた彼女を眠らせ,ここの倉庫に閉じこめた。ちょうど藤方はバイトを終えていますので誰もいません。あなたは警備員ですからあまり長くその場所を離れることができないから,やもえずこの倉庫に彼女を閉じこめた」
 駐車場は人が多いし,そして遠い。一番近くにあったあの倉庫なら,監禁を目的とした者から見ればこれほど最高な場所はない。
「だが,人の出入りの激しいこんな場所にいつまでも入れておくと思うかね?」
「ええ,だって今日はバイトは休みです。どうして休みだか知っていますね?」
 彼は顔に笑みを浮かべて,後ろに隠していた包丁を取り出した。銀色の鋭利な刃物が妖しい光沢を放っていた。
「今日はスーパーが休みだから。当然警備員であるあなたが知らないはずがない」
 だが仕事の終わるまでこの場所に来ることは出来なかった。なので彼女は丸一日放っておかれたのだ。気づくのが遅かった。もう少し早く気づいていれば犯人と鉢合わせすることはなかったに違いない。まさに後の祭りだ。
 そして今日,仕事が終わるこの時間は目撃者も居ない。何が起きても誰にも分からない,という訳だ。
「色々無理がある推理だね。だがおおむね正解だ…」
 彼がこの場に現れた時点で現行犯である。証拠も推理もくそもない。今はそんなことはまったく意味を要さない。
「たしかに,俺が彼女を攫った犯人だ。だが…」
 警備員の男は包丁を僕に向けると口元を歪めて可笑しそうに笑いを漏らす。広い倉庫の中をその薄気味悪い笑い声は重く響いた。
 酷く冷たい笑いに聞こえた。
「君はそれで何も持たずにここへやって来たのかね?」
 そう。
 僕は何も持たずにここへ来た。もしかしたら犯人と鉢合わせるかもしれない,という考えはなかった訳ではなかった。だが,犯人がまさか包丁まで持ち出すとは,これは僕の考えが甘かった。
「あなたは彼女を殺すつもりですか?」
 僕は包丁を構える警備員の男の前に一歩進み出た。
「最初は殺す気はなかったよ。ただ,今俺の正体がばれてしまったからね。元々,彼女が俺を拒んだら彼女を殺して一緒に死のうと思ってたから」
 後ろで夕希が小さな悲鳴を上げた。
 僕は彼にゆっくりと歩み寄った。
「あんた狂ってるよ。拒んだら一緒に死ぬ?馬鹿げてる。死ぬなら自分だけ勝手に死ねばいいでしょう。彼女は関係ない」
 僕の声はいたって冷静だった。だが…
「すでに僕はキレてるんですよ」
 怒りもなにもかも通り越して。
「俺は彼女を愛しているんだ。一目見た時からな…誰にも邪魔はさせない」
 警備員の男の目には狂気の色はなかった。故にさらにやっかいでもあった。さてどうするか。
 僕は彼に向かって言い放つ。どうしてこんな言葉が口から出たのか信じられない。以前の僕だったら絶対考えない台詞だ。
「彼女には指一つ触れさせしない。いや,夕希が僕より先に死ぬことなんてありえない」
 僕がそうさせない。
 警備員の男は,無言で僕に向かって走ってくる。手には包丁。しっかりと剣先を僕の胸に向けている。僕は身構えた。
 僕を刺すなら刺してみろ。その代わり,僕はおまえの喉に食らいついて離さない。食いちぎってやるくらいの自信はある。たとえおまえと相打ちになっても絶対彼女には触れさせない。
 警備員のが僕に包丁を突き立てた。
 腹部が殴られたような衝撃を受ける。後ろに倒れそうになったが,何とか踏ん張るがそれと同時に激痛で目の前が赤く染まる。だが,僕の手は彼の肩を掴んで離さない。
 決して離すものか。離せば僕は倒れるだろう。そうしたらいくらなんでも僕でも起きあがることは出来ない。奴にとってはそうなった僕はもはや眼中には入っていないだろう。ただ彼女を,夕希に矛先を向けるに違いない。
 絶対離さない。
 彼の両肩を強く握りしめる。警備員の男は苦痛に顔を歪ませた後,今度はすこし驚いた顔をした。
「…どうしてだ?」
 僕は手に力を込める。彼の肩がめきめきっと軋む。
「なぜ立っていられるんだ。痛くないのか?」
 痛いさ。
 だが,本当はもはや腹部は痺れて感覚なんて感じてはいなかったので痛いのかどうかも分からない。勝手にそう思いこんでいるだけかもしれないしそうでないかもしれない。どちらにしろ今はどうでもいいことだ。
 決して離さない。
 だが彼は僕の腕を振り払うと,思いっきり当て身を繰り出してきて僕を突き飛ばした。僕は壁に吹き飛ぶ。背中に衝撃を感じて息が詰まる。咳き込み涙が出た。
 意識が朦朧とし,もう何を考えているのか分からない。
「夕希…」
 彼女の方を見た。どうして先に目隠しや足の縄を解いてやらなかたのだろうか。そうすれば彼女だけでも逃げられたはずなのに。また,後悔した。情け無い。無性に悔しくなった。これを無念を言うのかも知れない。
 警備員の男はゆっくりと彼女の方に身体を向けて包丁を握り直した。
 顔からは笑みが消えていた。どこか悲観した,悲しそうな顔をしていた。
「やめろ…」
 声には出なかった。もはや目の前が白い靄に覆われ始めて男の姿も夕希の姿もおぼろげに見えた。夢なのかもしれない,と思った。
 だが,突如警備員の男が床に倒れた。
 誰かが後ろから殴ったようだ。彼の怒声が倉庫内に響く。もう一人は誰だ?もう何も考えられない。腹部を刺されたのだ。僕は死んだのかもしれない。
 不思議な事に死ぬことには恐怖も何も感じなかった。
 ただ不安と彼女の姿だけが心に引っかかったまま,僕は意識を手放した。


 目映い光に思わず手をかざした。
 目が覚め,ゆっくりと起きあがる。腹部にわずかな痛みが走り,顔をしかめる。それからゆっくりと回りを見回す。病院の個室らしかった。僕はベットの上で寝ていた。
 入り口の所に小さな棚とテレビがあり,その上には花瓶と一輪の花が置いてあった。花の種類は分からない。ただ白い品種だった。
 目の前の白い壁に時計が掛けてあり,時間は十一時だった。窓から差し込む日の光から明らかに昼であることは間違いない。
 しばらくぼーっと天井を眺めていた。
 どうして僕はこんな所にいるのだろうか。
 しばらく考えた後,次第にあの時の記憶が鮮明に思い出された。
 僕は刺されたのではなかったのだろうか?なぜ生きているのだろうか?腹部にわずかな痛みがあったが,それほど深い傷ではないらしい。一体なにがあったというのだろうか。
 そして彼女は?夕希は?
「目が覚めたかい?」
 病室の扉が開き,一人の中年の男性が入ってきた。黒い背広を着ていて,顎には武将髭が生えていた。これでサングラスをかけていたら,MIBか秘密組織か何かに見えるだろうな,と感じた。
「佐川だ」
 男性はそう名乗ると,黒い手帳を取り出した。彼は警察らしい。
「いろいろ聞きたい話があってね」
 そう言って佐川はパイプ椅子を広げてそこに腰を下ろす。懐から煙草の箱を取り出し,煙草を口にくわえライターを探した。
「おっと,病院は禁煙だったな」
「かまいませんよ」
 僕はそう答えた。
 だが彼は,首を振って口にくわえていた煙草を潰してゴミ箱に放り投げた。律義な人だ,と思う。
「で僕に聞きたいこととはなんですか?」
 警察が来たのを見れば,大体何を聞きに来たかは分かる。案の定彼は彼女を攫った犯人,あの警備員の男の事などを聞いてきた。どうして場所が分かっただとか,どういう状況だったとか,事情聴取的な物ばかりだった。
「あの一つ聞いても良いですか?」
「なんだい?」
「あ後一体何があったんですか?」
 ああ,と佐川さんは答えてくれた。
「あの時,藤方って言うバイトの男がよ,犯人とやりあったんだそうだ。犯人共々,彼も怪我をしているが何とか犯人を取り押さえていたよ。警察に連絡したのも彼だ」
 藤方が…。
 驚いて言葉も出なかった。
 心の中で藤方に何度も感謝し,謝罪した。
「まあ,犯人ほ方は場所が悪くてついさっきここの病院で死んだがな」
「もう一つ聞いて良いですか?」
「なんだ?」
「どうして僕は助かったんですか?」
 確かにあの時僕はあの男に腹部を包丁で突かれたはずである。もの凄い激痛が襲ってきたのも覚えているし,現在も腹部に痛みを感じる。
「ああ,確かに普通なら死んでたな」
 佐川さんは,頭をかきながらポケットをあさると机の上にコトンと何か金属の塊を置いた。
「これは…」
 僕はそれを手に取る。
 僕の方の指輪だった。二つに割れている。
「丁度野郎の包丁の先がこの指輪の輪っかの中を通しておまえに突き刺さったから,先っぽの短い部分だけがおまえの腹部を傷つけた。だからほとんど致命傷も負わずに済んだわけだ。んで,まだ他にも聞きたいことが…ん?」
 僕は呆然としていた。
 指輪が割れた事によって,彼女との繋がりが途切れてしまったかのように思えたからだ。
「おおい。何か大切な物だったのかい?」
 あまりのも僕が悲しそうな顔をしたのだろう。佐川さんはすこし気まずそうだった。腹部ではなく胸の方が痛くなった。
 何かを吐き出すように僕は彼にすべてを話した。
 僕は物置での事。
 アルバムの事。
 そこで見つけた指輪の事。
 そして夕希の事。
 不思議な指輪の力の事。
 それで彼女が監禁されていたことを知った事。
 一言一言喋っていくと,それがどこか遠い昔の出来事のように思えた。もう彼女が遠く離れた存在のように思えた。もう会えない。会話も出来ない。離している内に僕の頬を涙が伝っていた。
 佐川さんはやれやれと言った様子で嘆息した。呆れているのかもしれない。別に信じてもらうつもりはなかった。自分でも信じられないことだった。もしかしたら夢だったのかもしれない。
「ふう…どうして二人揃って同じ事を言うのかね」
 佐川さんが額に手を当てて苦笑した。
「どういう意味ですか?」
 よく分からず彼に聞き返す。
「そう言う意味だよ」
 と彼は病室の入り口の方を示す。僕はそこに目をやる。
 そこには夕希が立っていた。
 白い病院服を着ていて,顔色はいつものように病気のような白色だった。まるで白血病患者のようだ。彼女は入り口からじっと僕の方を眺めていた。
「澄原さんよ。これがあんたの言ってた引き籠もり君だ」
「夕希…」
 僕は思わず顔を背ける。彼女は僕の顔を知らないはずだ。だから余計恥ずかしい。一体なにが恥ずかしいのだろうか。訳が分からない。
 生まれて初めて狼狽した。
「引き籠もり君…」
 いつの間にか彼女が僕の側まで来ていた。彼女の顔を直視できない。
 僕は心臓の鼓動が激しくて,それが,女に聞こえるのではないかといった余計な危惧ばかりしていた。
 なんと声を掛けて良いのだろうか。
 しばらく無言の時間が続いた。
「あ,あの…」
 彼女もすこし困惑したように視線を泳がせていた。そして僕の前に,自分の指輪を差し出した。彼女の方の指輪だ。これも二つに割れていた。
 これは一体どういうことなのだろうか。
「後は若い者同士勝手にやってくれ」
 佐川さんは含み在る笑みを浮かべて立ち上がると,病室を出て行った。
「夕希…」
「あの,あのね…わたし…」
 彼女は元来持っている笑顔を顔に浮かべて言った。
「私,ちゃんとあなたにお礼が言ったかかったの…」
 ありがとう,と彼女は小さく呟く。顔がすこし赤らんでいた。
 僕も赤らみ視線をそらした。
 何かが,何かが変わったのかも知れない。世界が変わったのではない。僕自身が,彼女自身が変わったのだ。
「こうしてあなたと話すのは始めてよね」
 気が付けは指輪はいつの間にか消えていた。まるで最初からそこに指輪などは存在しなかったかのように,指輪の痕跡は消えていた。彼女と僕を巡り合わせた不思議な指輪はもはや無い。だが,もう彼女との繋がりが切れたようぬは感じない。
 僕と夕希の間に指輪はもう必要なかった。
 その日,僕は久々に彼女と会話を楽しんだ。

□END□
 
                        

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