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「肥後の猛婦」シンポジウムコミュの(小さな巨人)緒方貞子氏のパワーは「怒り」、世に出したのは市川房枝氏

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(小さな巨人)緒方貞子氏のパワーは「怒り」、世に出したのは市川房枝氏

 今朝から、現JICA理事長の緒方貞子氏の難民高等弁務官をテーマに、生い立ちから現在に至るまでの、インタビューを中心に紹介した著書「緒方貞子−難民支援の現場から」(東野真著)を読み始めて、初っ端から「怒り」の文字に、緒方氏に益々興味を覚えました。冒頭の一部を転載します。

(本文)
「緒方さんの行動のもとになっているエネルギーは何でしょうか?」
「何だかしりませんけどね・・・・」
 数秒の沈黙のあと、緒方さんは続けた。
「怒りかもしれないですね。何かうまくいかないと、がっかりするよりも怒りが出てくるんですよね。何とかしたいと、こんなことは受けいれませんと。それはいろいろな形がひどくなったかもしれませんね。これは承知できませんという気持ちですよね」
「そんなに難しい話じゃないんです。何かに照らすんじゃなくて、実態がということです。この10年で私、癇癪もちになったのかもしれないけど」
 そう言うと、厳しかった緒方さんの表情が不意に緩み、笑顔になった。(中略) 

・エネルギーの源は、「怒り」
 エネルギーの源は、「怒り」とは驚きですが、同じ質問を劇作家の倉本聡氏に投げかけた事があります。
「(倉本)先生のパワーの基は何ですか?・・・」
 少し考えられてから、出た言葉が、「怒りかもしれえない」と答えられました。
この言葉は、倉本氏を慕って、俳優を目指す私塾「富良野塾」の後援後の座談会で、倉本夫妻が参加された時に、私が質問した事に対して返答でした。

 自分をしっかり持って、世に出て来る人たちは、世の矛盾に高い関心を持っている人が、しっかり政権を検証しいているように感じます。

・世界の不安定で、大きな組織に
 難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、現在、予算10億ドル、世界114ヶ国、268ヶ所に事務所、約5,500人が働いています。
 元々は、戦前の国際連盟時代、ロシア革命、第一次世界大戦の時に流浪した難民の救済が始まりです。第2次世界戦のドイツ難民解決のためだったのが、戦後、56年ハンガリー動乱、60年代アフリカ紛争、カンボジア、アフガン、・・・、冷戦終了後の民族紛争、・・・、途切れることなく続いています。
 国際連盟に戦地された民高等弁務官事務所は、本来3年の期限付きの組織だったそうです。いかに紛争、戦争が各地で勃発しているが理解できます。


 さて、緒方貞子氏の国連での活躍には、緒方家の外交官、政治家の家系もあり、貞子氏自身の国際政治学の研究も関係してはいますが、きっかけは、女性の地位向上に一生を注いだ市川房枝氏の推挙と、強い誘いがあったと知りました。それから国連総会に毎回参加するようになり、それが縁となり国際舞台での活躍につながりました。

 緒方氏が就任する以前の難民高等弁務官事務所は、苦境にありました。

(本文)
 実は、緒方さんが就任する前のUNHCRは組織としてかなりひどい状態にあった。二代目の高等弁務官ジャン=ピエール・オッケは、スキャンダルにまみれて辞任。後任のトールバル・ストルテンベルグも、一年もたたないうちにノルウェーの外相に転任して組織を去った。職員の士気は落ち、財政状況も破綻の危機に瀕していた。緒方さんが選ばれたのは、日本からの資金援助の期待したからだろう、という陰口がかれるほどの状態だったのである。

・初舞台、クルド難民問題
 第一次イラク戦争時に、発生したクルド難民が、緒方氏の最初の仕事だった。難民は、国境を越えた人びとを想定して対応するのが、それまでのUNHCRの任務だった。
 ところが、トルコがクルド難民の越境を拒み、戦禍のイラクに難民40万人を押し戻した。UNHCRの常識では、諦めるしかない状況を、国連・国連軍の理解に奔走し、「難民の側に居るのが、UNHCRの役目」と、国境内の難民保護の決断を出し、イラクにも了解を取り、多国籍軍をイラク内に駐留させる決断し、現地へヘリで視察し、現地に自分が入り、陣頭指揮を取った。就任してニケ月の出来事でした。
 その時の重要な一日の緒方氏の行動から、ニックネーム「小さな巨人」の呼び名ができた。緒方氏に人間性が良くでているので、長いですが紹介したいと思います。

(本文)
 前例を打ち破る形でクルド難民の救援に道を開いた緒方さんは、組織の中でリーダーシップを確立すると同時に、一躍世界の注目を集めることとなった。未曾有の事態に果敢に対処する緒方さんの行動力をジェッセン=ピーターセン官房長は驚嘆の思いで見つめていた。
「彼女が、へとへとになって現場から戻ったときのエピソードを今でも覚えています。
 ヘリコプターで、高地にあるイランとトルコの国境地帯を訪れ、一日中歩き回り、次々と到着する難民に話しかけていたのです。本当に疲れきっていました。しかし午後九時のテヘランへ戻り、記者会見を開く必要がありました。多くの記者が集まっていたのです。その会見は見事なものでした。政治的にデリケートな問題についても決然として答えていきました。就任してまだ日が浅く、12時間以上も歩き回ったあとですよ。次の日、地元紙は彼女を『小さな巨人』と称した見出しを付けました。『小さな巨人』というあだ名は、その後すっかり定着しましたよ」(中略)

 以後の活動は、後日また日記に書きます。

*参考資料:東野真著「緒方貞子−難民支援の現場から」
 
*緒方貞子 プロフィール
 政治学者、博士論文は『満州事変と政策の形成過程』(日米で出版された)
 父は、フィンランド公使 中村豊一 
 母方の祖父は、元外務大臣 芳沢謙吉  
  〃 曽祖父は、首相 犬養毅(5・15事件で暗殺される)

<コミュ>
・緒方貞子
http://mixi.jp/view_community.pl?id=922572

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