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OSHOコミュの存在の詩

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バクタにないかといわれていた1975年8月10日発行の存在の詩が今日、奇跡的にでてきました。当方、引っ越し26回以上なのである事自体が不思議です。色がオレンジなのも時代を感じさせます。

焚書になったラジニーシズムもついでにでてきました。

コメント(36)

2号と3号の住所は茅ヶ崎にあった
最初の瞑想センター
4・5合併号からニューズレターになって500円、三鷹の井の頭に引っ越し
76年5月発行の6・7合併号でもってアディナタにバトンを渡して終了
こんばんわ。
手書きのってのが新鮮です。
今はもう、発行してないんですよね?
こういう雰囲気、面白いです。
最初の頃は『ラジネーシ』といってたんですね。^−^
一緒に女性自身もでてきました。
さすが女性週刊誌
「獣になり3昼夜フリーセックス」とか「ここでは男はみなインポになる。」単に記者の頭の中味の投影だろうがとつっこみたくなる見出しばっかりだ。
>さすが女性週刊誌

はい、「セックスグル」とか。
そればっかり。あきれました。(笑)
「存在の詩」のロゴがイカスね〜 ☆☆ カッコ良い〜〜♪
う〜ん、いいもの見せてもらいました!
そうか、あのころって、手書きの文字なんですね〜
ワープロもまだないもんね・・!
しかし何というか、独特の雰囲気があっていいなぁ。
アッシーシのは、活字のものは持ってますが、手書きは初めてみました。うん、いいもの見せてもらいました。残っててよかったね。
女性自身の記者、来てたんやねー、
グループとか受けたんやろか、
その後の、彼か、彼女か、
どうなったか興味ある、

性から超意識へは、なかなか、
偏見がある限り、
理解しにくいわなー
人間のマインドはすごい。ついこの間も、アマチの写真をペンダントにしている人と話しながら、「なんだ、教祖の写真なんてぶら下げて気持ち悪い」と思った。

その私の首に、その日は、オショウのマラがかかっていたので、自分のマインドの発言に笑った。まあ、自分はいつでも例外になっているんだなあ。

やはり、別のエナジーワークを受けに行って、教祖が二人座っている写真がおいてあるのを見て、奇妙な時代錯誤を感じたのだが、家に帰れば、全部の部屋で、オショウが笑っているのだ。

記事を書いた記者だって、仕事が終わったらクラブできれいなホステスさんといちゃいちゃしてるかもしれない。それは例外なのだ。
いえるな、、それは、
僕の周りでは、
「自分のことは、神棚に上げる」と表現する、
>自分はいつも例外

それでいいんだと思います。
OSHOの弟子は。
だってOSHOのは、他のとは明らかに次元が違うのだから。
そういえば、長いことマラかけてなかった。
今出してきて、ずっと見てた。
やっぱり辛い時はマラ見て手にすると落ち着く。
久しぶりに、ストレートな表現、ありがと、Nayana
お金を出していちゃいちゃするのとフリー(ただで)いちゃいちゃするのは、世間では違うらしい。いつだったか、インタビューで「フリーセックス」という表現を受けて、OSHOが「あなたはセックスするのに金を取るのか」って言ってるのがあった。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
>Viruさん
初めまして。
こちらこそ、ありがとう^^

>まゃさん
あははははは・・・・・・
nayanaさん

>>自分はいつも例外

>それでいいんだと思います。
>OSHOの弟子は。
>だってOSHOのは、他のとは明らかに次元が違うのだから。

師がいくら偉大でも

それで自分を例外視、特別視したら

師が泣くと思う(あるいは笑うか)

ポイントは自分じゃないですか
はじめましてViru
女性自身によるとサニヤシンは「セックスの荒行によって解脱」して男はみなインポになったそうです。記者は執着を捨てきれずに仕事に戻ったそうです。

はじめましてNayana
>アッシーシのは、活字のものは持ってますが、手書きは初めてみました。

手書きはプラブッタがだしたもので、6・7号で終わり。
アディナタがはじめたものはラジニーシ・ニューズレター1号で手書き、「名前のない新聞」のアパッチが全面的に手伝った。写真は1978年、よく見ると知っている人がいるのでは。
>prayas

写真は、アディナタ、も写ってるね、
ヤショダとか、スギト、マサル、もいるのかな、

荒行で、解脱は、おもしろいけど、
インポはガセネタ、、(笑)

記者の人も、なにかを感じたって事やね、
執着うんぬんって事は、
prayasさん、はじめまして

アッシーシには私は確か1980年から行ったと思います。
確かに見たことのある方、いますね。^^
夫のアトマンドは1978年頃から通ってたんじゃないかな、知ってる方沢山いそうですね。

ところで日記「ニューエイジの胎動」読ませて頂きました。
C+F の話が出てきたので驚きました。
私と夫はサニヤシンになる前、吉福伸逸さんの主催する「神秘学講座」に通っていたんです。(そこで出会ったわけですが)
吉福さんは面白い方で、講座に参加する人達に「存在の詩」を読むよう勧めていたんです。「インドにこういう人がいる。生きてる覚者に会えるのは凄いことなんだからすぐにでも飛んで行きなさい。」ってね。当初ほびっと村の3Fで開かれていたその講座、その後大久保の自宅マンションに場を移してからも継続して行われていたようですね。プラブッダも出入りしてましたよ。赤い服にマラを下げて。私がサニヤシンを見たのは彼が初めてでした。そうそう、アパッチさんもいましたね・・・シャンタンさんも遊びに来てましたね。
 吉福さんはアメリカから帰国したばかりの頃だったようで、彼に出会えたのはラッキーでした。OSHOの存在を教えてもらえたのですから。もちろん、求めていればこそ・・・の出会いでしたけど。
当時、IIPMって言うテレビ番組で、、
瞑想や、精神修養の特集やってて、
他のグループの人達なんかが、
瞑想や、修行の素晴らしさ、
気持ち良さを、話してる中、
ひとり公園でダイナミックする
サニヤシンも取り上げられてて、
楽しいですかって、質問で、
苦しい時もあり、いろいろです、って答えてたのが
印象的だったのを思い出した、、1978年頃かな、、
>苦しい時もあり、いろいろです、って答えてたのが
印象的だった

今聞いても印象的。
>苦しい時もあり、いろいろです、って答えてたのが
>印象的だったのを思い出した、、

正直が一番だよね
>Viru

日記のほうにも書いたけれど、教えてくれて本当に有難う。過去と現在が少しシンクロしたりしました。・・道に終わりなし、いう事かな。
こんばんは

>Viru

女性自身の続き載っけようとおもったけどよく知ってるサニヤシンの三角関係の話しだからやめました。全然、珍しくないでしょう。記者の事を私が話すのもなんですがそれなりに感じるところはあったようだ。昭島のセンターがアサヒグラフに乗ったことがあるけれど手元にはない。アディナタの兄貴の家にあるかも

> Nayana

吉福伸逸が日本にもどったのは73年頃でアシーシが昭島にいったのが77〜78年頃、ソパンがあのあたりのことを私の日記に書いてくれている。
吉福伸逸はプラブッタのすすめでインドへ行きプネーの滞在日記を雑誌に書いている。
また吉福伸逸はプラブッタにマラを外すようにせまったこともある。それからアパッチの彼女もサニヤシンだったことがある。山尾三省もサニヤシンになるところだったと聞いていた。あのころはサニヤシンになるのがまるで流行病のようだった。
ただ部族の連中とはそりがあわなかったようだ。部族のながれでしっているサニヤシンは一人だけ。サニヤシンも年をとり亡くなる人もちらほら。

敬称略
日記に prayas氏のコメントもらって見にきました。
思ったのは 8月にでてるんですね。
9月のキャンプのスケジュールも書いてありました。
ここで瞑想をやった覚えはあります。
見ただけかもしれない。

でも興味はわかなくてその後数ヶ月してからともさんに
2号をもらって初めて読んで感動しました。

9月20日の満月の日ははっきりと覚えています。
夜疲れ果ててテントに帰ると爺さんがいたのです。
えっなんでと思ったけどすぐにいなくなって満月が
きれいだった。
その後満月の日に死んだと聞いてこういうのって
よく週刊誌とかに載っているねただけど自分で
体験して そういうこともあるんだと思った。

しかし懐かしい。忘れていた記憶がよみがえってきます。
ありがとう。
>prayasさん

吉福さんはプラブッダのすすめで、インドに行ったのですか。
知りませんでした。
プラブッダにマラを外すよう迫ったこともあったなんて・・ちょっとびっくり。でも確かに人にOSHOの本を強く薦めるわりには、本人はサニヤシンじゃ無かったりして・・・ご自分の中に未消化な部分が残ってるカンジはなきにしもあらずでした。でも魅力はある方でしたよ。

プラブッダとはC+Fの7、8人の集まりで同席したことがあります。オレンジの服とマラで静かに座っていた彼、言葉をかわすことはありませんでしたが、言葉を超えた何かをしっかり私に感じさせてくれました。サニヤシンとは何なのか、なぜそういった格好をしているのか、まだ何も分かっていない頃でしたね・・・

C+Fで私がプラブッダを見たのは、その時が初めてで一度きり。
プーナから帰ったばかりのようでしたが、またすぐに飛んだのかもね。
1980年頃の話です。
すごい!

これが噂に聞く、手書きの「存在の詩」!


あきーるにこのトピックをおしえてもらいました。

ものすごく作りが凝ってる!

情熱が伝わってきます。

なんであと10年早く生まれてこれなかったんだろう、

New Generationサニヤシンのわたしとしては、

コメントのみんなの思い出話がうらやましいかぎりです。
お誕生日おめでとうございますOSHO
 おめでとうございます。ワイングラス

 わたしも大事にとってあるよ。手書きの「存在の詩」

 それに鎌倉のギルドで出会わなかったら、Oshoに会えなかったかも。

 なつかしい写真に自分ものっていてびっくり。

 Prayasありがとう。
久しぶりにトピが上がってきたので読み直したり、写真見直しながら
「この可愛い娘はChintanoかなぁ?聞いてみようかな?」って見てたら、
すぐにChintanoがお返事してくれれた。

懐かしい写真ですねえ。(僕はまだセンターには行ってなかったけど
私の記憶では、
この手書きの「存在の詩」の手書きの主は確か莫さんという方で、
その後「ミラージュ」というプログレのロック喫茶をされてましたが、
80年代に亡くなってますね。

最初の号は、1975年かな?
東藻琴山であった「宇宙平和会議」という集まりで、
友人が買ったものを、その後もらいました。
プラブッダと故サンボーディが居ましたね。
おおえまさのりさんやあと部族の人たち.......。
先日バクタと話してたら、バクタもいたそうです。
GOROという雑誌に記事も出てました。

20の写真いいですね。
確かにChitanoかわいい♪
ごめん、ミスタイプです。
正しくはChintanoです。
なつかしい顔がいっぱい♪
(アッシッシには一度しか行ってないですが...)

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