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幽斎コミュの9月26日正忌

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9月26日正忌

 今日は旧暦で定家が死んだ8月20日の正忌にあたる。藤原定家は仁治2年8月20日に死んだ。 また同じ、8月20日(慶長15年)に細川幽斎が死んだ正忌である。ただし、こちらは10月6日であるが。

 定家は晩年京都嵯峨野の小倉山に住み、また幽斎(但し、忠興の方が移った)が豊後の小倉藩に領土を得たという小倉つながり。なによりもどちらも和歌の神様のごとく敬われ、その足跡や偉大なものがある。古今和歌集もこの両者とは深くつながり、幽斎は定家の和歌の流れを組み、幽斎自身は二条流の和歌の中興の祖であり、江戸時代にもその流れが脈々として受けつがれていった。

 昨日、池辺義象の「細川幽斎」(明治36年)という本を詠み、その和歌における彼の天才的な才能を改めて知った。その有名な逸話のこの本から三つを紹介する。

1. 秀吉の愛せられける筒井茶碗といふを近習の者、おりおとして、五つにわりにけり。秀吉けしき悪しかりければ、幽斎、

   筒井筒いつつにわれし井戸茶碗
     とがをば我がおひにけらしな

(五つに割れたところが創作だろうが、業平の和歌を巧みに詠んだ)

2. ある時、幽斎の隣屋敷より火出でて、折しも、風強かりければ、殆ど類焼に及ばんとす。家中さわぎあへること大方ならず。時に、幽斎熟睡中なりけるを、人々起こししかば、目をさまし、手水鉢のもとにて、顔を洗はんとせられしに、早や塀に火移りたりといふ者あり。幽斎、とりあげず、

   ほのぼのとかきのもとまでやくるとも
     歌さへよめばひとまると志れ

かかれば、忽ち風かはりて、火鎮まりけりと云ふ。それより、時の人、この歌を火よけの歌ととなへ、常にこれを張り置けば、火災をまぬかるる由、いひ伝へぬ。

(火とまると人丸を掛けたところが面白い)

3. 秀吉能興行の時、樋口といへる鼓うち、自然居士のささなみを、面白く流しければ、秀吉いたく感ぜられ、幽斎をかへりみて、唯今の鼓はいかにといはれければ、

   忘れても質には置かじこの鼓
     ひつたながしにながす樋の口

 (質に置かれた鼓が質流れたことをいい、「ひった」とは多分 これにはおったまげた のことだろうが、驚くほど上手く流しに流した樋口という意味なのだろう)


 幽斎が古今伝授を授けた人に烏丸光広がいる。幽斎は彼には遺物として「名所和歌四冊 御手跡」(小田原在陣で幽斎がある本を筆記したもの)、「唐木乃硯」を残した。烏丸光広は幽斎の死を悼んで、二十八品の和歌を詠んだが、これに添えた和歌が彼の歌集「黄葉集」に収められている。

  細川二位入道身まかり侍りし時、二十八品の歌にそへて、参議忠興のもとへつかはし侍りける

   事とひしむかしおほえてもしほくさ
     かく袖ぬらす和歌の浦波

   よるの鶴のあとや思ふと我も又
     ねになく和歌の浦千とりかな

   もしほ草かくをく跡も家のかせ
     よるへをたのむわかのうらかな


 光広の悲しみが伝わる和歌である。

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