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日本国債市場分析コミュのアリスの不思議の国と来ましたか。

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本日、日銀が1999年1〜6月の金融政策決定会合議事録を公表しました。その中で、ゼロ金利政策突入に際して、ある委員が「アリスの不思議の国に踏み込むような感覚」という感想を漏らすなど、当時の生々しいやり取りが明らかになっています。

まあ、JGBマーケットもある意味「アリスのワンダーランド」だったけどねウッシッシ


ゼロ金利は「アリスの不思議の国」−日銀が99年上期議事録公開(上)
2009-07-30 23:50:01.0 GMT


【記者:日高正裕】

7月31日(ブルームバーグ):日本銀行は31日、1999年上期の金融政策決定会合の議事録を公表した。日銀が前人未到のゼロ金利政策に突入したこの時期。政策委員の間から「アリスの不思議の国に踏み込む」との声が出るなど、未知の世界に対する不安が強かったことがうかがわれる。2回に分けて当時を振り返る。

日銀は金融政策決定会合の約1ヶ月後に簡略な議事要旨を公表しているが、発言者の名前と、個別企業に言及した発言などを除くすべての発言を記録した議事録を会合の10年後に公開している。当時の政策委員会メンバーは、今年5月に他界した速水優総裁、それに山口泰副総裁、藤原作弥副総裁、中原伸之審議委員、植田和男審議委員、篠塚英子審議委員ら9人(肩書きはいずれも当時)。

日銀をゼロ金利に追い込んだ最大のきっかけは長期金利の上昇だった。大蔵省(現財務省)資金運用部が98年12月22日、長期国債の買い入れ停止を公表。宮沢喜一蔵相がその影響について「大したことない」と述べたことを受けて、長期金利が急騰。同年9月に0.7%だった長期金利は99年2月初めには2.3%台まで上昇した。

日本経済は当時、長期金利上昇、円高、株安に直面。日銀は内外の政治家から長期国債の買い入れ増額、あるいは国債引き受けを行うよう圧力を受けた。速水総裁は99年1月19日の会合で次のように述べている。「最近は日銀による国債引受論といったものがみられる。今朝も経済閣僚会議の席上、ある大臣から日銀はなぜ引き受けを行ったり、大量に買いオペを実行しないのか質問された」。

堺屋大臣も出席

そして、日銀がゼロ金利に突入した99年2月12日の会合。新日鉄の元副社長だった三木利夫審議委員は「長期金利の上昇が最たる問題」と指摘。「景気回復に向けた政府の財政政策を可能な限りサポートする必要がある。日銀としては、効果は小さくても、さらなる金融緩和措置をとるべきではないか」と述べた。

会合には堺屋太一経済企画庁(現内閣府)長官も出席した。篠塚氏は退任後のブルームバーグ・ニュースのインタビューで、「やはり私は圧力を感じた。政策委員との間で丁々発止の議論が行われたわけではないが、大臣が出席するというだけで無言の圧力になった」と当時の雰囲気を振り返っている。堺屋大臣はその後、ゼロ金利の実現に向けて根回しを行ったと発言して物議を醸している。

政策金利である無担保コール翌日物金利の誘導目標は当時、0.25%。長期国債の買入額は月4000億円。速水総裁は「国債の買い切りオペは長い目で見て銀行券の増発におおむね見合わせている。この考えを当面変えるべきではない」と言明。長期国債の買入増額を断固拒否する姿勢を示した。

金利か量か

残された手段は金利の引き下げか、量的緩和か。植田委員は「短期金利が既に低い水準にあるため、多少下げてもあまり効かないという気がする」と指摘。「大きく下げる政策があるかとなると、限りなくゼロに近づけるという政策か、あるいは視点を変えてハイパワードマネー(日銀券と日銀当座預金)のようなものについて目標を設定し、それを着実に伸ばしていく努力をする政策か」と述べた。

山口副総裁は「一応金利の面で打つべき手がわずかながら残っている以上、それを打ち尽くしてみることが1つの選択として考えられるのではないか」と一段の利下げを支持した。中原委員は「金利の手段が尽きてきた以上、少なくとも量的な緩和を図るということを明確に言うべきである」と述べたが、大勢はゼロ金利に傾いた。

篠塚氏はインタビューで「0.25%に引き下げた98年9月の会合と比べても、緊張度は今回の方が大きかったし、1人1人がピリピリしていた」と語った。元農水事務次官の後藤康夫審議委員は胸中をこう吐露している。「いわば童話の世界のアリスの国のようなワンダーランド(不思議の国)へ本行が足を踏み込むことになる」。

最後まで悩んだ委員も

情勢判断とのギャップから最後までゼロ金利に踏み切るべきか迷った委員もいた。元日本興業銀行(現みずほグループ)エコノミストの武富将審議委員は「少なくとも今の金融経済月報等における景気の評価は、悪化テンポが幾分和らいでいるということであり、その認識と緩和とがどう整合するのか」と疑問を投げ掛けた。

これに対し、植田委員は「基本的見解については、悪化テンポは緩やかになっているという判断に続き、しかし足元円高、長期金利上昇をみると、先行きに関するリスクは懸念される等と付け加えざるを得ないのではないか」と発言。速水総裁が「それでは、その線で考えることとしたい」とこれを後押しし、大勢が決した。政策判断、つまり結論まず先にありきのゼロ金利政策が決まった瞬間だった。


時間軸の誕生、量的緩和で火花散る−日銀が99年上期議事録公開(下)
2009-07-30 23:50:02.1 GMT


日本銀行は1999年2月にゼロ金利政策に突入した。前人未到の経験だっただけに、最初は手探りの状態だった。実質的にゼロ金利が達成された後、市場では早期解除の思惑が浮上。これを打ち消すため、「デフレ懸念の払しょくが展望されるま
で続ける」ことを約束する時間軸が導入された。

当時、総裁の定例会見は月1回、会合の2営業日後に行われており、政策変更があったときのみ会合後に会見していた。速水優総裁は2月12日の会見で「ゼロということは、私どもでは想像できない状態であるので、そこへ行くかどうかというのはこの時点では申しかねる」と述べるにとどめたが、同月16日の定例会見で「ゼロでやっていけるならばゼロでもいい」と発言、一段の低下を促した。

それまで0.10%近辺で下げ止まっていた翌日物金利はこれを境に低下。大蔵省(現財務省)資金運用部の長期国債買い入れ再開もあって、長期金利は低下に転じた。速水総裁は2月25日の会合で「こうした市場の展開により、景気の先行きに対する下振れリスクは、前回会合時点に比べてやや薄らいだ」と胸をなで下ろした。

3月12日の会合では、情勢判断が「下げ止まりの様相を呈している」に上方修正された。植田和男審議委員は「実体経済面はやや明るさが見えてきているように思う」と述べた。3月25日の会合では、三木利夫審議委員がさらに踏み込んで「ゼロ近傍の金利は異常」であり、「経済の流れが正常化するに伴い、金利を正常化させる時期、手順は常に考えておくべき」と、早くも出口政策に言及した。

植田委員と山口副総裁の連携

これに対し、山口泰副総裁は「市場の中にも、現在のゼロ金利政策は年度が替わればやめるのではないかという見方さえある」と述べ、早過ぎる出口論をけん制。植田委員も側面支援に回り、「景気が本格的に立ち直るまではこれを続けるという方向感でのメッセージで、市場にとって若干驚きがあるようなものを何か入れられるかどうかは検討に値する」と発言。初めて時間軸に言及した。

4月9日の会合では、山口副総裁が「ゼロ金利政策をいつまで続けるべきかについては、あるいは今少し明確にした方が良いのではないかとも感じている」と言明。植田委員も同様の発言を行い、速水総裁に対して、記者会見でその旨を表明するよう要請した。

山口副総裁と植田委員の発案に押される格好で、速水総裁は4月13日の定例会見で「デフレ懸念の払しょくということが展望できるような情勢になるまで」ゼロ金利を続けると表明。正式な決議を経たわけではなく、単なる意思表明に過ぎない発言だったが、これをきっかけに長期金利は急低下し、株価も上昇した。

明確でなかったデフレ懸念

篠塚英子審議委員は退任後のブルームバーグ・ニュースのインタビューで「いつまでゼロ金利政策を続けるか言ってないから、金利がじわじわと上がっていた。せっかく(世界の中央銀行が)どこもやったことのないことをやったのだから、きっちりと効果を上げないといけないという意識が政策委員の間で強かった」と述べた。しかし、デフレ懸念払しょくという条件は当初から明確でなかった。

1-3月の実質GDP(国内総生産)の1次速報値は前期比年率プラス7.9%と、予想外の高成長となった。6月14日の会合では、山下泉金融市場局長が「GDP統計の発表を受けて、本行のゼロ金利政策が解除され、早晩オーバーナイト・レートは上昇に転じるとの思惑がにわかに台頭してきている」と指摘した。

時間軸の生みの親である植田委員は「ここで、当面は現行スタンスを継続するという意思を明らかにすることが必要である。今日の会合は、早めに議論を終えることがかなりの抑止効果、あるいは市場の悪い動きを摘む方向で好影響をもたらすと思う」と発言。市場の思惑を鎮めるため、早めの会合終了を呼び掛けている。

議事要旨から出口論を削除

6月28日の会合では、後藤康夫審議委員が「デフレ懸念とは物価が下がることと判断すれば、例えば卸売物価なり消費者物価が2ヶ月連続して下げ止まっている、あるいは上昇すると、政策変更があるのかという市場の不安を生んでいる面がないではない」と指摘。「自律的、持続的な回復の兆しが見えるまでの金融政策の現状維持と言い直した方が明確になるのではないか」と提案した。

こうした中、元記者の藤原作弥副総裁は「本日の会合で現在の政策を変えるべきだという活発な議論が展開されたと記録に残ることはないと思う」と述べ、山口副総裁や後藤委員とともに、議事要旨に手心を加えることを示唆。篠塚委員から「議事要旨がどのように書かれるか本席で相談するのはおかしい」と反論が出された。

中原伸之委員も「篠塚委員はデフレ懸念が収まりつつあるから政策を変えるべしと主張しているわけだし、私はデフレ懸念が残っているから一段と緩めるべしと言っている。デフレ懸念の払しょくについて議論していないということはなく、正々堂々と記録に残した方が良い」と述べ、恣意(しい)的な運用に異論を唱えた。

火花が散る場面も

篠塚氏はインタビューで「議論していて何度か火花が散る場面があった」と明かした。4月9日の会合では、植田委員が中原委員の発言を「初歩的な誤り」と断定したのに対し、中原氏が「私はこの点についても世界的な金融論の先生といろいろ議論して申し上げており、もし論争されるのであればその方々を紹介する」と発言。植田氏が「それはフェアな議論ではない」と反論する場面もあった。

日銀がゼロ金利を実施した背景に、物価下落が加速するという執行部の予測があった。村山昇作調査統計局長は6月14日の会合で「その懸念は足元においてはないように思われる」と述べ、見通しの誤りを認めた。篠塚氏はインタビューで「物価の先行きを読み間違えたことがその後の政策運営でも尾を引いた」と語った。日銀はここから2000年8月のゼロ金利解除に向けてひた走ることになる。

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--Editor:Hitoshi Ozawa,Masaru Aoki

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