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伊庭八郎コミュの昭和八年の映画『伊庭八郎』

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1933年(昭和8年)に日活製作で『伊庭八郎』というタイトルの映画がありました。
たぶん、唯一の伊庭八郎が主役で、かつ題名にもなっている映画だと思います。

かれこれ4年ほど、この映画について少しづつ調べています。

これまでは映画系の雑誌を多く持っている資料館等で、当時の試写評の記事や解説、
スチール写真や広告などを見つけてはコピーしてきましたが、
先日、ついに都内某所の古書市で入手した当時の映画演劇雑誌にこれまで見たこと
が無かったスチール写真が掲載されていたので、アップさせていただきます。
今まで見てきた画像の中で、最も気に入っています。見つけた時は大変嬉しかったです。

ちなみに向かって左端が、山本禮三郎氏が扮する主役・伊庭八郎。

配役等は、以前に調べて解っているので、以下こちらのトピックに掲載させていただこうと思います。

◎上の画像◎
映画『伊庭八郎』(『映画と演劇』昭和八年号より)
*画像の無断使用、転載等は禁止いたします。

コメント(26)

この写真では解りにくいですが、伊庭八郎は総髪を後頭部の上の方で束ねた、
ポニーテールのような髷です。

山本氏は、この髷姿が大変似合っていると思います。
これまで見てきたどの伊庭八郎を演じた役者さんよりも、美しく凛々しいな、と
個人的には思っています。

劇中では、月代を広く剃った髷のシーンもあり、それが前半なのか、逃亡中なのかは
不明ですが、左手に包帯していて負傷中のシーンのスチール写真で見ました。
でも、こちらの髷のカツラは、山本氏にはあまり似合っておらず、頭からなんだか
浮いた感じです。あんまりカッコよくありませんでした。

画像に映っている他の3人の配役も後で書きますが、良かったらクイズ?で、
ちょっと考えてみてください。
さて、誰でしょう?
дкiмоさん、こんにちは。
解答ありがとうございます!

>キャストは…
>
>八郎
>小稲
>鎌吉
>榎本

おおっ!! ほとんど正解です!! 惜しいっ!

向かって左から二番目は、山田五十鈴さん演じる八郎の「義妹・禮子」です。

続いて、田村邦男さんの「鎌吉」!(この人が一番難しいと尾思っていました。大正解です!)
そして、鳥羽陽之助さん演じる「榎本武揚」!
(この『映画と演劇』では、「鳥羽陽之助の商人」と解説されていますが、
鳥羽氏の配役は、キネマ旬報によれば、榎本武揚ですので、そちらが
正しいと思います。確かに「不思議な商人」という怪しげな配役も
あるのですが、別な俳優さんです)

小稲は、この映画にもちゃんと登場しているのですが、残念ながら、
私はまだスチールを見れません。

>超みたい

本当に超みたいですね!どこかにフィルムや台本が残っていないかなー。
速報!

今日、ついに念願だった、この映画の幻の原作!である子母澤寛の著作
『伊庭八郎』を発掘しました。

たぶん単行本化はされていないと思います。

子母澤寛が伊庭八郎に関して描いた作品は、全集の中などに収録されている
『剣客物語』がありますが、それ以前にも、ちゃんとタイトルが
『伊庭八郎』な作品があったのです。

短編ですが、本格的な物語としては、最初の伊庭八郎モノだと思います。

子母澤氏のイバハチへの愛を感じる内容です。あと義妹・禮子や小稲にも
スポットが当たっています。

でも、原作であるこの作品には、「不思議な商人」は出てこないですけどね。
こちらに書き込むのは初めてですが。はじめまして、りーと申します。

子母澤先生の著書に『伊庭八郎』があるっていうのは驚きでしたexclamation ×2初めて知りました。単行本化されていないのが惜しいですね…(汗)(^^; 単行本化されてたら即買いなのにダッシュ(走り出す様)
読んでみたいです…!よろしかったら、本の内容をお聞かせいただきたいでするんるん

私も、イバハチ歴はそんなに…というか、全然長くないんですよ。まだ4ヶ月くらいで。まだまだヒヨッコですひよこ

でも、イバハチはもう別格!!てなくらい大好きです(笑)
私もはじめまして,おのりという者デス。
八郎好きにはたまらない情報,ありがとうございます!
原作もあるということで,私も内容がかなり気になります!
八郎と言えば本山さんだと思いますが,彼はどんな感じで出演(?)しているのか,とかも気になります。
出てなかったら泣ける…けど,流石にそんなことはないですよね?
дкiмоさん、りーさん、おのりさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。

原作の内容は、もうちょっと待ってくださいね。自分なりに整理しますから。
(子母澤氏は、まだ著作権が残っていますので、全文掲載はできないですが、
筋書きや文章の一部は、引用として載せますね)

本山は出てきますよ!(私も小太郎、好きです)
映画や『剣客物語』では本山と思われる人物の名前は「来山二郎」と
なっていて、子母澤さんの勘違いなのかな、と思っていたのですが、
なぜかそれより古いはずの今回見つけた『伊庭八郎』では、「本山二郎」、
とちゃんと本山姓になっていたのです。

『剣客物語』の来山と同じく、本山は戦死せずに伊庭に「禮子を頼む」みたいに
後を任されます。

完全な小説(物語)形式では無く、部分部分に作者(子母澤氏)が一人称で
聞き語りを話す、みたいな感じになっていて、幕末世界に入り込みやすい、
子母澤先生お得意のリズムで書かれています。

ちなみに、伊庭八郎の最期は、ここでは「諸説あるが」とちゃんと補足した上で、
田村銀之助の説(榎本に渡された服毒死)を採用しています。

禮子が良く登場しますし、扱いがいいので、どうも子母澤氏は、今風に
言うなら「禮子 萌えェ〜〜」だったようです。

***

私は特に伊庭八郎さんに「こうであって欲しい」みたいな願いは無いのですが、
いくら調べても、不思議なくらい、彼を悪く言った話が出てこないので、
羨ましいほどにいろんな人に愛されていたんだな、と思います。

小笠原長生氏の語るところでは、八郎の実父の秀業も、義父の秀俊も、
弟の想太郎も、親戚の面度見が良く、親切な人物たちだったようです。
想太郎が生徒を思って、真剣に叱る時は、涙を流しちゃったりで、
八郎さんといい、涙もろいのも家系かもしれませんね。

子母澤寛『伊庭八郎』の冒頭は、こんな感じで書かれています。

「(八郎を描いた錦絵の紹介の一文が入る)- 伊庭八郎は、当時江戸で五本の指に数えられるような剣客でいて、黙って下を向いて笑う時なんか、役者のようだったと云いますからねぇ。丈はあまり高くないが、色の白い黒目がちな、こう何んとも云えない愛嬌があったと申します。」
(原文は旧字体)

***

伊庭八郎に興味を持った時期が古いとか新しいとかは、全然関係ないと
思いますし、八郎さん本人も肩の力が抜けたあの感じが素敵な人ですから、
あんまり細かいことは気にしなさそうですよね(鰻の焼き方には、細かくうるさそうですが…)。

なんと言っても、数少ない遺品の中に「迷子札」がある幕末ヒーロー!
こんな人、どの時代探しても、他にいないですよね。
дкiмоさん、こんにちは。

>まさに不思議な魅力

そう、色々魅力がつまった御方なのですが、なにしろいろんな意味で
ついていない、損をしていると思うんです。

昭和初期に上記の小笠原長生(箱館脱走軍の殿様の1人・小笠原長行の息子であり、
伊庭想太郎の教え子)が、ある雑誌で、なんと十回にも渡って八郎と想太郎の
ことを語っているのですが(先日、発掘した1つがこの連載です。幻の一品)、
あまりその頃と八郎さんをとりまく状況が変わっていないような気がします。
相変わらず世間一般ではマイナーな人ですね。
でも幕末明治の江戸では、土方歳三や沖田総司よりも、ずっと有名だったんです!

以下、上記の連載の第一回より

***

伊庭八郎   美男の豪勇

 伊庭八郎と云う人はまるで小説的人物とも云えようし又ある意味では理想的勇士とも思われるような人であった。極めて美男であって極めて強い人であり其の伝記中にはお定まりの忠僕が出て来るし美にして貞なる愛人も現れるのである。そして其の一生は短くあったが剣と血汐に彩られた華々しさであり且つ壮烈を極めたものであった。どの点から眺めても此の人は大衆小説的資格を充分に具備した人であり今日までに此の人が芝居となり小説となり映画とならなかった云う事は寧ろ不思議な位である。

(原文は旧字体、旧かなづかい) (以下、続きます)

***

↑で小笠原氏が語った後、およそ一年後には上記の子母澤寛著の『伊庭八郎』が
発表され、数ヵ月後にはそれを原作とした映画『伊庭八郎』が公開されます。

昭和の初め、幕末・明治初年関係の本が多く出版され、ちょっとした幕末ブーム
だったようなのですが、そんな中で、若干遅れて伊庭八郎と言う人も
メディアに登場する(題材となる)ようになりました。
然し、太平洋戦争をはさんで、またリセットされて、池波正太郎氏の
『幕末遊撃隊』等まで待たねばなりません。

でも本当に明治初年の江戸では、「伊庭八郎」は確かにヒーローで、
有名人だったのです。
上記 小笠原長生「伊庭八郎 美男の豪勇」の続き(を引用)

***

 私は八郎氏の実弟想太郎氏の文友館と云う家塾にいたので八郎と云う人がどんな人あったかと云う事をうすうすでも知る事が出来たのである。私は文友館の塾生時代に、八郎と云う人が十四歳の時に書いたと云う書や、写真を肖像画にしたと云う其の肖像画を見た。八郎氏の愛刀であったと云う庄司直胤の業物も見た。其の肖像画を見ると実にすっきりした女にしても見まほしいほどの美男子あった。之れが伊庭の小天狗であり之れが箱根や函館で官軍を相手に闘い、斬って斬って斬り捲った勇士かと驚かされるほどである。

(原文は旧字体、旧かなづかい)
(「美男の豪勇」の項は終わり、以下、「鉄舟を驚かす」の項に続く)

***

小笠原長生氏の没年は、1958年なので、まだ著作権が残っています。
というわけで、引用としてのみで、この辺りで本文の紹介は止めようと思います。
2009年になれば、全文公開も可能ですので、お楽しみに。

あくまで「引用」ですから、この文章について書かねばなりません。
伊庭好きには、初耳や堪らない要素が満載ですよね。
以下、〔 〕内は、私がこの文章を見つけた時の心境です。

「八郎と云う人が十四歳の時に書いたと云う書」
 〔なぬっ!〕

「写真を肖像画にしたと云う其の肖像画を見た。」
 〔なぬっっ!!〕

「八郎氏の愛刀であったと云う庄司直胤の業物も見た。」
 〔なぬっ!なぬっ!〕

「其の肖像画を見ると実にすっきりした女にしても見まほしいほどの美男子あった。」
 〔おおっっ!? …っ??〕

と、だいたいこんな感じで、わくわくしながら読んでいましたが、
すぐに疑問詞も付きはじめました。
・写真を肖像画にしたって言うのは、池波氏が複写した古田中家に伝わっていたあれか!?
・いや、「女にしても見まほしいほどの美男子」ってほどかななぁ?
・他にも写真や肖像画があるのか!?

なんて、新しい資料や伝聞を見つける喜びと新たな疑問符は、表裏一体です。
こうやって、調査のドツボにはまっていきます…。

この日は、なにしろ、伊庭想太郎の若い頃の写真を三枚も見つけられたのが
本当に嬉しかったので、まだ若干、興奮が冷めていません。

『伊庭八郎のすべて』や伊庭八郎について詳しく解説したサイトなどを読んで、
もっと他のことを知りたい、と思った方々にとって、有益な情報となれば、嬉しいです。

**

伊庭八郎の刀については、私は知識は無いのですが、上記の「庄司直胤の業物」は、
初耳な気がするんですが、どうでしょう?
どなたかそちら方面にお詳しい方、よろしくお願いします。
дкiмоさん、こんにちは。

やっぱり「庄司直胤の業物」は、あまり聞かないですよね。
検索をかけても出てきませんでした。

**

トピックタイトルに1回戻って、映画『伊庭八郎』のキャストです。
私が昔書いた「脱走軍には美男がいっぱい」からの転載と、現時点で
だいたい判明したことを整理・訂正したものです。以下。

『伊庭八郎』
製作=日活(太奏撮影所)
1933年 3月8日 封切り 富士館
白黒 無声

監督  荒井良平
脚色・脚本 山上伊太郎
原作 子母沢寛
撮影  谷本精史
 
配役    
伊庭八郎 - 山本礼三郎
養父軍兵衛 - 磯川勝彦
その娘 禮子(礼子) - 山田五十鈴
中根淑 - 光岡竜三郎
来山二郎 - 沢村国太郎
植木屋鎌吉 - 田村邦男
その女房 - 西畑ケイ子
榎本武揚 - 鳥羽陽之助
林昌之助 - 賀川清
人見勝太郎 - 山口佐喜雄
来山二郎 - 澤村國太郎
八郎の弟 武司 - 永井寛二郎
八郎の弟 時康 - 久世一郎
不思議な商人 - 高勢實乗
遊女小稲 - 成宮欣子

(参考文献)
「キネマ旬報」
「日本映画データベース」
「庄司直胤」ですが、8代目軍兵衛秀業さんと懇意だったようで、“たまに”伊庭家を訪れていた、との話が残っています。山形にゆかりのある幕末の刀匠のようですね。「最上義光歴史館」のサイトの「鐵の美2007」というページで簡単なプロフィールがありました。
「あまり名刀を好むのは良くない。丈夫で手頃のよいのを選んで、唯見苦しくない程に作っておきなさい」というような言葉を軍兵衛秀業さんが残しているので、そういう刀だったのでしょうね・・・。
ahweiさん、またまた貴重な御情報、お調べいただいてありがとうございます!

私は刀に関しては、ほとんど知識が無くて困ったものなのですが、他のこと同様に
伊庭八郎がからむと、なんだか調べてみたくなってしまいますね。
>この映画の幻の原作!である子母澤寛の著作
>『伊庭八郎』を発掘しました。

>たぶん単行本化はされていないと思います。

すいません、訂正の速報です。

今日、「伊庭八郎の会」の会合で、私の↑の文章が一部間違いだったことが
証明されました。

子母澤寛の昭和十年代の単行本の中に、上記の映画『伊庭八郎』の原作が
ひっそりと収録されていることが解かりました。

現在、入手困難ですし、幻の作品であることには変わりないのですが、
>たぶん単行本化はされていないと思います。
これは誤りでした。

私が以前から探していて見つけたのは、昭和七年に発売された雑誌に
掲載されたモノなのですが、それから10年近くたって、単行本に
こっそり収録されていたなんて!

戦前の子母沢氏の本は、目に入るモノはかたっぱしから見てきたのですが、
まったく知らない書名の本で、見つけていただいた御方には、大感謝です!
絶対に自分では見つけられなかったと思います。

昭和七年に発表された原作を、昭和八年に映画化、、、と現在の
映画公開のスケジュールとなんだか似ています。

戦争を挟んで、単行本の方も絶版で、現在は入手困難です。
図書館などに置いてある、子母澤寛全集には、「剣客物語」は
収録されていますが、「伊庭八郎」は無いと思います。

あとイバハチが登場する子母沢氏の作品としては、『突っかけ侍』があります。

情報の間違い、失礼いたしました。
私の武友(他流の方ですがすごい遣い手です)に庄司直胤についてうかがったところ、次のように教えていただきました。

>直胤は水心子正秀と云う学殖豊かな名刀匠のお弟子さんです。
>彼の生まれは知りませんが正秀門下に入って修行したのは江戸での事。
>斯界では有名な刀鍛冶ですよ。

>確か正秀も山形出身じゃなかったかな。。。

>とにかく水心子正秀と云うたら刀剣史上でも特筆大書されてる名職人。
>彼の偉業の余慶に預からない現代刀匠はいないでしょう。
>江戸後期に活躍した「復古刀」思潮の主唱者ですね。

とのことです。
刀に疎い私ですら水心子正秀の名前を聞いたことがあるので、庄司直胤という方も当時はメジャーな人だったようですね。よくは存じませんが試斬をやる人たちの間では水心子正秀の評価は非常に高いようです。その弟子で、やはり知られていた方のようですから実用的な名刀を造られる人だったということだと思われます。
上記の知人が知り合いに連絡をして聞いてくださった話によると、

とにかく偽者が多い新々刀だそうです。これはニセモノが出回るほど人気のあるいい刀だということの証明でもあります。
もし銘があって裏年号のある本物ならば現代の通貨で安くて500万、重要刀剣に指定されれば高いものは1000万を超えるとのことです。 

戦前にあった国の文化財指定制度に「重要美術品」ってのがありますが(略称旧重美)この旧重美の指定を受けた大慶直胤なんかもあるそうです。

聞いていただいた方曰く「こういうクラスになると3千万とかすんじゃないですかね。市場には出てこないので正確な値段がつかないでしょう」とか。

この話をしてくれた知人曰く「そういうことに左右されないためにも自分の審美眼で判断できる無銘の刀が一番」でもあります。
とは申せ、実際に審美眼がない私どもにとっての一つの判断が世俗の塵埃にマミレ足る値段であったりもしますので、ご参考までに。
ジュリアーノさん、御情報ありがとうございます!

>「庄司直胤」

刀に関しては、本当に無知なもので、水心子正秀という御方も知りませんでした。
ahweiさんとジュリアーノさんにお教えいただいた事を総合すると、「庄司直胤」を八郎が
持っていたというのは、わりとリアリティがある感じの話になりそうですね。

他の有名どころを持っているとなると、なんとなくでまかせっぽくもなりそうですが、
実用的な刀を持つ辺りが、伊庭家の人っぽくて良いですね。

小笠原長生自身は、八郎とは直接会っていないですし、そのほとんどが想太郎や中根香亭から
聞いたことだと思うのですが、想太郎さんも宗家を継いだ御方ですし、刀の制作者のことで
いいかげんな事は言わないでしょうし、他のことはいろいろと誤伝があったとしても、
実際に手元に残った刀に関しては、正確なのかもしれませんね。
この映画の原作、子母澤寛『伊庭八郎』の冒頭に紹介される、
『近世記聞』で描かれた八郎の姿です。

「(箱根)湯本三枚橋に伊庭八郎奮戦血路を開く」

『伊庭八郎のすべて』などでも、裏表紙の装丁に使われてますし、参考文献の一覧にも
ありますから、別に新発見の資料というわけではありません。

国会図書館の近代デジタルライブラリーでも、見れると思います(たぶん)。

煙?の表現とか、なかなか面白い絵ですよね。

子母澤氏は、原作読み物の冒頭で、この挿絵のことを、誉めちぎっています。
「なんとも美男に描いてあるじゃありませんかっ!」みたいな感じで。
この時期によく見られる子母澤節ですが、かなり伊庭八のことを氏はかなり
お気に入りだったみたいです。
子母澤氏の祖父も御家人だったようですし(箱館まで転戦した上野戦争の生き残り)、
親近感もあるのかもしれませんね。
↑まちがえてしまいました。

>『近世記聞』 ×

>『近世紀聞』 ○

10月のミクシイのデザイン改悪のせいで、今までつかえていた古いオーエスの
ブラウザからまともに書込みできなくなり、現在も、変な状態で打っています。
コピペもできず、誤字脱字が多くなってしまってすいません。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、明治初め頃と思われる古写真で、
裏に「小稲」と書かれたモノが、数ヶ月前に、ついに出てきました。

某業界では有名なさる古書店の店主様が、市場で古写真をまとめて入手されて、
それをほぼ全部見せていただいたのですが、その中に2枚だけ
花魁だとはっきり解かる写真がまじっていました。(他は芸者さんが多いです)、

その2枚のうちの1枚の裏に、「小稲」と入っていたのです。
いままでずっと探してきましたが、小稲と裏書きされている写真は初めてです。

その古写真を購入された御方から、現在、お預かりして撮影場所や撮影年代の検証を
しております。時間はかかるとは思いますが、いつかお見せすることができれば、と思います。


先日の第一回の「朝涼忌」の当日に、伊庭八郎の会の会報『朝涼』を買ってくださった
方々に、オマケとして、速報のコピーを付けさせていただきました。

少なくとも、明治十年以前に撮影されたモノではないか、と考えております。
(写真の形態、花魁の髪のボリュームなどから)

小稲は、慶應年間から明治初年にかけて、トップアイドルの1人だったから、
写真は残っていて当然のはずです。もう1人の大関(今で言う横綱)と称された
金瓶大黒の今紫が、明治三年の現役時代の写真ですらあれだけ残っているので、
(今紫は後に女優になっているから、それ以降はもちろん小稲より多く写真に
撮られたのは当然として)、絶対に四代左近小稲の写真は、世界のどこかに
眠っているはずなんです。

今回の写真が、そうだと証明できればいいのですが。
五代の福寿小稲の可能性もあるので、なんとかして五代(角海老の濃紫)の
写真を見られれば、四代の可能性がグッと高まります。

肝心のその写真に写っている、小稲の姿ですが、今紫と、どこか目の感じとか
似ていて、幕末〜明治初年の典型的な超美人なのではないか、と思います。
(現在の目線では、違うと思いますが)。
高橋由一の花魁図の顔とは、輪郭が違いますが、眉や鼻の感じは似ている気がします。

続報をお楽しみに。
慶應四年、江戸の若い男たちのほとんどは、この二人の名を知っていたんではないか、
と思います。とりあえず新吉原のトップ2の二人、それが小稲と今紫です。

今紫は、上で書きました通り、明治三年頃に写されたとされる写真が何種類も残っていますので、
伊庭たちが訪れたであろう頃の、花魁の容姿の雰囲気を考える上で、私はすごく参考にしています。

それで、今回でてきた、小稲の可能性のある写真が、ちょうど今紫の写真と対になるような
ポーズだったので、大きさを揃えて、ちょっくら描いてみました。
向かって左が今紫で、右が小稲です。

この小稲が本当に稲本楼の四代小稲のモノなら、戊辰戦争の頃の二大アイドルの姿が写真で
揃ったことになるのですが。

錦絵のほうの画像は、明治五年の二人です。
私が描いたモノとちょうど同じ順番で座っています。
函館に行ってきました。
感じのいい飲み屋も見つけましたので、こんど皆さんで行きましょう。

函館のビジネスホテルでメモして帰ってきました。
たまたま放送していたテレビなのか、雑誌の情報なのか憶えていません(笑)。
メモには、
松田 豊   ex.澤登 翠(サワトミドリ)   無声映画   上映会
とあります。「ex.」は私のメモの癖で「例えば」の意味です。
断片的な記憶を書き足すと、たしか松田豊という人が、かつての無声映画の上映会を各地でやっていて……ということだったと思います。

ネットでこれらをキーワードとして検索できないでしょうか。
もしかすると幻の映画「伊庭八郎」にたどり着くかも……、そんな気がしてメモしたような記憶があります。
ShowRoさま、こんにちは。
函館のおみやげ話、楽しみにしております。

私はまだ行ったことが無いのですが、函館は食べ物も美味しそうですね。

昭和八年の『伊庭八郎』ですが、やはり無声映画を専門に調べている方、
上映会を主催されている方にお伺いするのが、一番良いのかもしれませんね。
きっと、挙げられたお名前は、そういった方々でしょうか。
これから、ちょっと調べてみますね。

少しづつでも、この映画に近づければなぁ、と思います。

主演の山本禮三郎氏は、戦後も黒澤映画などに出演されたりと、けっこう活躍
されたようですが、主役ということで、御本人にとっても、もしかしたら、
この『伊庭八郎』は思い入れがある作品だったかもしれませんね。

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