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シュタイナー的生活を楽しむコミュの意識魂に生きたミケランジェロ

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夏の季節
10週
6/7〜6/13

太陽の輝きが
夏空の高みへ昇り
私の個人的な感情を
果てしない空間の彼方へ連れ去る。

私の心の内部には予感が目覚める。
そして暗い感情が私に語りかける。

「神的存在が今
私のことを感じとってくれたと、
いつかかならず
知るときがくるであろう。」
(R.シュタイナー  高橋 巌訳)
…………………………

ヴァチカン美術館の売店で、

『ミケランジェロ』 、『システィーナ礼拝堂の傑作案内』

『ヴァチカン美術館歴史作品コレクションを知る』の

三冊が日本語訳されている本があったので購入した。

少しづつ読み始めているので、

その中からまとめてみたい。


「最高の芸術家は着想を持たず、

大理石自体が着想を

削るべき部分で包み込んでいる

着想に到達できるのは

知性に従う手だけだ。」(ミケランジェロ)

ミケランジェロの彫刻を仕上げる作業の仕方は人々を驚かせた。

彫刻を彫る場合、

普通なら等身大の石膏像を作り、

それを見ながら大理石にノミで彫っていく。

しかし彼は、寸法も測らずに、

いきなり彫っていくのだ。

一気に彫り進む彼の作業は、

他の彫刻家の数倍も速かった。

では、なぜそれほど速く彫るのかと尋ねられた時

ミケランジェロは、その理由を以下のように語っている。

「石の中に埋もれている人が...

早く解放してくれ、

早く自由にしてくれと

私に語りかけるのだ。」(ミケランジェロ)

ミケランジェロには、

大理石の中に埋もれている人が見え

その叫びが聞こえるというのだ。

彼は、形は物質から生まれるのではなく、

「物質に先在するもの」であって、

技術の使用とは全く関係のないことだと

語っている。

さらに、

「生命ある像が

荒々しく硬い石から余分なものを

取り除くことによって得られ

石が減るに従って像が大きくなるように

肉体という余分なものは

その粗野でむき出しの硬い皮の下に

震える魂に溢れた良き作品を宿している」(ミケランジェロ)

とも語っている。

今から約500年前の1508年、

システィーナ礼拝堂の天井画の偉業に心身共に

打ち込んだミケランジェロは33歳の若さであった。

彼は絵画、彫刻、そして建築の三大視覚芸術の世界に

他の追随を許さぬ人物描写の力量と

自らの宗教的信念を反映した深い精神性を示した。

このフィレンツェ文化の神童ミケランジェロは、

ロレンツォ・イル・マニフィーコのもとで

新プラトン主義者のサークルで成長する。

ルドルフ・シュタイナーはこの神智学の伝統

― それは新プラトン主義 ― を20世紀の

思想的状況の中で新たに復興させようとしたが

ミケランジェロも新プラトン主義のサークルで学び

そこから深い影響を受けたのである。

ミケランジェロの生きた時代、

中部イタリアの都市フィレンツェは、

共和国として独立してた。

この都市国家は、

様々な手工業や銀行業などを発達させ、

ヨーロッパで最も開けた国の一つとなっていた。

そのフィレンツェの指導者となっていたのは、

貿易業から身を起こし、

世界一の銀行業者となっていたメディチ家であった。

ミケランジェロが13歳の時

画家ドメニコ・ギルランダイオの工房の見習いとして

フィレンツェに行った。

見習い期間は3年の予定であったが一年で終わった。

ギルランダイオの工房を去った後、

ミケランジェロが通ったベルトレドの彫刻塾は、

メディチ家の当主ロレンツォ・ディ・メディチが主催していた。

このイタリア・ルネッサンスの最も懸命な人物として

歴史に名を残しているロレンツォ公は、

早くも少年ミケランジェロの才能を見抜いて、

病没する1492年まで自分の屋敷に少年を寄宿させていた。

この時以来、ミケランジェロの生涯は、

このフィレンツェのメディチ家と

深い因縁関係を保ちつつ展開してゆくことになる。

さて、フィレンツェは14世紀中頃より

世界貿易によってヨーロッパ随一の富を貯えたばかりでなく、

その開かれた精神によって新しい時代を導きつつあった。

近代の始まりである「ルネッサンス時代」である。

ルネッサンスとは、

キリスト教の神を中心とした中世の世界観の中に、

古代ギリシャやローマの時代の人間を中心とした世界観が

再び復興してきたことを意味する。

シュタイナーは、ミケランジェロは、

フィレンツェで成熟したルネサンスを

ローマにもたらした人物であると

以下のように語っている。

「彼の時代の上昇する局面において起こっていること、

これが繰り返し彼の魂のなかへと働きかけた、

と言うことができるほどに、

フィレンツェを担っていたのです。

そして繰り返しローマに行くたびに、

ミケランジェロは彼のフィレンツェを

ローマまで担って行って、

フィレンツェ的感情をローマ的なもののなかに描き、

形造ります。

レオナルドは事物のなかに彼が創造した世界感情を持ち込みます。

ミケランジェロはフィレンツェ的感情を

その芸術創造のなかに持ち込むのです。

彼はフィレンツェ的感情をローマにまで携えていきます。

彼はローマにおいてフィレンツェを再生させることで、

いわば精神的に芸術家としてローマを征服するのです。」
『内的霊的衝動の写しとしての美術史』ドルナハ1916/11/1yucca訳

キリスト教的世界観の頂点に立って

絶大な権力を振るっていたローマ法王は、

メディチ家とともにミケランジェロの最大の擁護者であった。

ミケランジェロの生きた時代は、

古い悟性魂の時代に

新時代の意識魂が注がれ始めていた時代であった。

この人間中心の世界観は、実は、

メディチ家のロレンツォ公が擁護者となって開いていた

「プラトン学園(アカデミア)」で学ぶ

新プラトン主義が源流となっていた。

ロレンツォ・ディ・メディチに

愛護されていたミケランジェロも、

当然のことながらこの知的で感性豊かなサークルの中で、

多大な影響を受けることになった。

15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心に

プラトン研究が盛んにおこなわれていたのだ。

ここにも時代霊の働きを感じる。

新プラトン主義によれば、

人間は神によって創られたが、

そのあとに霊魂は堕落してしまった。

そして、霊魂は、肉体の中に閉じ込められた。

このような状態から人間を向上させるためには、

人間自身一人一人が

自己の霊魂を高めようとする

理性的な意志を持たなければならない。

死とは人間の霊魂が肉体を離れることである。

自己によって高められた霊魂は、

限りなく神に近いものとして、

天上界の高みで生き続けることができる。

このような思想の中から、

ルネサンス期において、

人間中心主義、

さらに、自己によって高められた魂を中心とする

人間への尊厳の思想が生まれてきたのである。

このように15世紀のフィレンツェでメディチ家を中心に

プラトン研究が盛んになり、

プラトンやプロティノスの著書がラテン語に翻訳された。

そして、美に対するプラトン的な愛(プラトニック・ラブ)

によって人間は神の領域に近づくことができると考えられた。

この新プラトン主義の思想は

ルネサンスの文芸・美術にも大きな影響を与えた。

そして、ミケランジェロにも深く影響を与えていた。

コメント(6)

あめじすとさん
コメントありがとうございます。

運慶も
「眉や鼻が木の中に埋まっている」
と語っています。

運慶は木、
ミケランジェロは大理石と
彫る素材は違いますが、
同じようなことを語っているのは興味深いですね。

木や大理石の中には
あらかじめ像が内包されていて、
彫刻家の仕事はそれを見いだし
自由に解放すること
というのは、

悟性魂を超えた意識魂の力が働いているように
思います。

ありがとうございました。

私も、埋まっているものを掘り出してみたい!ウッシッシそういえば・・・気がついたら文字が・・・文章が・・・書き上がっていることが・・・ウッシッシ勝手に動く口に・・・なんでこんなこと知ってるの?話してるのと聞き入っている?観察している私がいることもあるわーい(嬉しい顔)人間って面白いですよね^^
ありがとうございます。全てに感謝です。
ヘヨカさん
コメントありがとうございます。

コメントを拝見していて

生きていくということは、

人生という大理石を

彫り進んでいくことかな〜と思いました。

毎日生じる様々な出来事、

試練の意味を探り

全てを感謝にかえて、

彫り進んで行きたいと思いました。

ありがとうございました。

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