人智学の開祖、ルドルフ・シュタイナーについて語るコミュニティです。
***シュタイナーの生涯***
オカルティスト、神秘家、芸術家、科学者、教育者…。
シュタイナーは、様々な顔を持っている。
「自由・平等・友愛」という普遍のテーマを掲げながら、自然科学的思考法と精神的直観の統合を追求し続けた、知の巨人、シュタイナー。
彼の生涯とはいかなるものだったのだろうか?
1861年、オーストリア人の鉄道技師の息子として生まれた彼は、幼い頃から自然の美に対して、関心が強かった。
一番最初に興味を持ったのは、幾何学についての本で、
「内面に置いて直観される世界」に、特別な思いを抱いた。
「霊的な次元」に対しても敏感だった彼は、早くから、
自分と他人の見ている世界が、大きく違うことを察していた。
15歳の頃、カントの『純粋理性批判』を徹底的に読み抜いた。
そこから、論理的思考能力や言語表現力を身につけていく。
1879年、18歳で、ウィーン工科大学に入学。
化学・数学などを専攻したものの、彼の関心を集めたのは、もっぱら哲学や文学であった。
彼はこの頃から、「真理を探究すること」を義務と感じて、「霊的世界を体験する霊的直感の正当性」について
考え続けていたらしい。
ウィーンの研究機関に入学すると、「ゲーテ研究」に勤しんだ。
ドイツ国民文学叢書となる『ゲーテ自然科学論文集』の校訂と、その序文の執筆という、本格的な仕事を任される程になる。
これは、ドイツ語文化圏において、知識人としての資格を証明されたに等しいことだった。
そうした仕事と並行しながら、彼は「霊的集中」を続けた。
「目に見えない、超感覚的世界」についての集中的な観察を。
学究生活を終え、彼は脳水症に罹った少年の家庭教師を
務めることとなる。
読み書きや計算ができない少年を前にして、彼は、心理学・医学・治療学にまで手を広げて取り組む。
そして少年の中に高い精神力が隠されていることに気づく。
ついには少年の潜在能力を引きだすことに成功。
少年は後に医者になったという。
この経験を通して、シュタイナーはかけがえのない理解を得た。
人間に内在する本質が、霊的なものであることを確信したのだ。
知性や論理に頼ることなく、感性や感情を通して学ばせる、という「シュタイナー教育」の出発点は、この時期にある。
36歳の時、ベルリンに移住して、編集者となる。
生活や人間関係は一変、秘密にしてきた神秘思想的な側面が、彼の講義や論文の中に、少しずつ見られるようになった。
すると、当時ヨーロッパの神秘思想に大きな影響を与えていた、ブラヴァツキー婦人率いる神智学協会のメンバーが、彼に対して、神智学協会で講義をするように依頼をしてきた。
この機会を得たことで、彼の神秘学への傾倒は、加速を始める。
1902年、神智学協会の新会長に就任したアニー・ベサントは、神智学協会のドイツ支部を指導するよう、シュタイナーに要請。
彼は「自分が望む内容のみを講義する」という条件付きで承諾。
しかし、両者が基盤とする思想の相違によって、緊張状態は続き、1912年、「クリシュナムルティこそが神智学の救世主である」とベサントが主張し始めたことで、二人の関係は終焉を迎える。
瞑想と道徳的修養を通じて、「超感覚的認識」が獲得できる、という教えを実践するために、彼は「人智学協会」を設立した。
神智学者の多くが彼に従い、ドイツ支部の神智学運動は、ベサントと決別することとなる。
こうして彼のポジションは、ほぼ固まった。
生命の霊的進化を統合し、壮大かつ緻密な宇宙観を組み立てる。
「人智学」の創始とその啓蒙は、やがて、多様な枝を持つ、大きな大木となる。
1925年、彼は64歳でこの世を去った。
だが彼の創始した運動とその精神は、様々な現実の中で、現在も力強く脈打っている。
いやむしろ、彼の真価が証明されるのは、これから、なのかもしれない。
元ソース
http://