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シュタイナー的生活を楽しむコミュの第25週 聖書の唯物論的解釈

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10/9〜10/15

やっと自分をとりもどす。
私の内部の光が今
空間と時間の闇を照らす。

森羅万象が眠りにつこうとするとき、
魂は深いところから目覚めはじめ
内部に引き受けた陽光の熱を
冬の寒気の中へそそぎ込む。
(Rudolf Steiner 高橋 巌訳)
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シュタイナーは、この数世紀の間に人間の考え方が、

ますます唯物論的になってきたので、聖書の「言葉」の解釈、

さらには、イエス・キリストへの理解に対しても、

唯物論の影響をかなり受けていると語っている。

まさにアーリマンの影響によるものであろう。

シュタイナーによると

アトランティスの時代に人間のエーテル体にアーリマンの介入があった。

エーテル体の作り替えられた部分としての悟性魂にアーリマンが棲み着いた。

アーリマンは悟性魂の中に入り込んで、物質的なものについての

誤った判断、つまり誤謬と罪と虚偽へと人間を導くのである。

アーリマンは人間の悟性魂に今も働き続けている。

そして、周囲の世界を物質的に受け取り、

霊的なものを 洞察しないよう作用し続けるようになった。

その結果人間は、人間にとって一番大切なものが見えなくなり、

どうでもよい細事にこだわり、俗物的になり、

果ては唯物論に覆われた世界になってしまった。

人間の「霊性」が目覚めないように働き続けているのだ。

そして、その結果、その影響は、現代の「宗教観」の中に

顕著に現れているとシュタイナーは語っている。

アーリマンの影響である唯物論はまず初めに、

宗教に働きかけるというのである。

確かに、現代の様々な宗教を見ると納得させられる。

さらに読み進めてみよう。

「数世紀以来、考え方がますます唯物論的になってきましたので、

ヨハネ福音書の冒頭の言葉にあるような宇宙生成論に対して、

一種の拒否反応が起きるようになりました。
・・
この冒頭の言葉は、西洋の初めに地上に生きていたナザレのイエスの中に、

最高の霊的存在が受肉した、と述べているのです。

ヨハネ福音書の作者は、まったく彼らしい仕方で、

イエスについての物語を、

『言葉』もしくは『ロゴス』から始めました。

『言葉が太初にあった。・・・そして全てはこの言葉によって生じた。』
(一章一〜三)

これを意味する通りに受け取れば、

次のように言わざるを得なくなります。

−ヨハネ福音書の作者は、宇宙の太初を言葉(ロゴス)と呼び、

そして全ての事物は、万物の根元であるロゴスによって作られた、

しかもそのロゴスが肉体となって、

私たちのもとで暮らしたと言おうとしている。

(1/14)つまりこう言おうとしている。

−ロゴスはイエスとなって私たちのもとで暮らしていたのだ。

だからイエスのことを知ろうとするなら、

君たちの周囲の万物、

植物や動物や人間を創り出した原理と

同じ原理が彼の中に住んでいた事実を受け入れなければならない。

無理にこじつけたりせず、

素直にこのヨハネ福音書の言葉を受け取るならば、

最高の創造原理が一度人間の肉体に宿ったことになります。

人間の心に訴えかけるこの考え方を、

今日の多くの神学者が語っている考え方と較べてみてください。

現代の神学書や説教の中で語られているのは、

次のことなのです。

―我々はもはや超感覚的な原理などに訴えかけたりはしない。

最初の三福音書が語るイエスが本来のイエスの姿だ。

そこには、他の人びとと似ている『ナザレ出身の素朴な男』のことが

語られている。

多くの神学者にとって、この素朴な男こそが理想となったのです。

歴史上の出来事を一般の人間的な出来事と、

可能な限り同列に置こうとするのです。

ヨハネ福音書の描くキリストのような崇高な存在が、

ひとり突出しているというのは、人々の神経を逆なですることなのです。

ですから、ヨハネ福音書はイエスを神化して、

ナザレ出身の素朴な男を神として崇仰している、

ということになります。

単なる素朴な男の方が、

神学者たちの気にいるのです。

そうすれば、イエス・キリストをソクラテスのような、

偉大な人間のひとりとして語ることができるのです。

イエスは他の偉人たちとは本質的に異なる存在なのですが、

『ナザレ出身の素朴な男』について語るときには、

どこかで通常の陳腐な人間性を基準にして語ることができます。

今日のいわゆる『啓蒙神学』の立場で書かれた無数の神学書、

神学論文が『ナザレ出身の素朴な男』について語るとき、

そこには数百年来の唯物的な感覚が生きているのです。

この立場は、物質的、感覚的なものだけが実在する

それだけが意味を持っている、と信じているのです。

超感覚的な世界に眼をむけることのできた時代の人は、

外からみれば、歴史上の偉人たちと

ナザレ出身の素朴な男とを比較することができるけれども、

ナザレのイエスの中の、眼に見えぬ霊的な存在に眼を向ければ、

この男が比較することのできない存在であることが分かる、

と思っていました。

超感覚的なものへのまなざしを失った人は、

平均的な人間性を超えるすべてが理解できなくなりました。

その結果が宗教観の中に顕著に現れています。

唯物論はまず初めに、宗教生活に働きかけるのです。」(p9〜12)

超感覚的な世界に眼をむけることのできたかつての時代は、

聖書を霊的に解釈していた。

一つ一つの言葉の深い意味と価値を理解していた。

そして、時代と共に唯物論的な感覚が生じたとき、

聖書の中のまさに霊的な解釈が理解できなくなってしまった。

そして、唯物論が支配的になると、聖典の真の理解が

失われてしまったのである。

「物質存在の背後には秘密がひそんでいる」ように

宗教聖典の中にも「秘密」が記されているのである。

コメント(4)

あめじすとさん、
emi☆さんコメントありがとうございます。

「ヨハネ福音書講義」はシュタイナーが、
たどり着いた世界を凝縮して語っていると理解しています。

聖書のヨハネ福音書は、元々人間と宇宙を解明する深い内容ですが、
シュタイナーはこれを明確に掘り下げて究明しています。

ここにこそ、人間として生まれた私達が至るべき最終目標が示されています。
この秋、一緒にヨハネ福音書講義を読み進めていきたいですね。
ありがとうございました。
興味が尽きません、いつもありがとうございます。

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