ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ゴスペルハウスコミュの「王とナアマン」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴスペルハウスメッセージ 2015.09.19
「王とナアマン」 列王記下 5:1-14

1 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士ではあったが、らい病にかかっていた。
2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、
3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」
4 それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。
6 彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のらい病から彼をいやしてくださいますように。」
7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、らい病を直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
8 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。
10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。
12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」
14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

今週の聖書箇所は、ナアマン将軍の重い皮膚病がもとどおりに良くなるという箇所です。
ここから、イスラエルの王とアラムのナアマン将軍の怒りをキーとして、御言葉を開いていきましょう。

アラムの王の手紙を読んだイスラエルの王は怒っていました。
それは、イスラエルの王は、ナアマンの皮膚病を癒せという言いがかりと誤解したのです。
もし、癒やすことができなかったら責められ、場合によっては攻め込まれるのではないかという恐れが、彼を怒らせたのです。

ナアマンの妻の女奴隷の言葉(3節)は、真心から出たものでした。
きっと、ナアマン夫妻は、彼女に対して良い主人だったのでしょう。
アラムの王の提案(5節)も、真心から出たものでした。
ナアマンは、王にとって大切な家臣・将軍だったのでしょう。
「ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。」(5節)
ナアマンも、誠意を持って、敵意を持たずに、出かけてきたのです。

それなのに、イスラエルの王は、誤解と恐れから、怒りだしたのです。

エリシャのところへ行ったナアマンは、怒っていました。
それは、エリシャが彼の期待通りではなかったからです。
ナアマンはエリシャ本人に「出て来て、立ち」(11節)と期待したのに、エリシャは使いをやって伝言しただけでした。
ナアマンは皮膚病を直してほしかったのに、エリシャは「きよくなります」(10節)と答えました。
ナアマンは、「この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると」(11節)期待したのに、エリシャは「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。」(10節)と伝えました。

エリシャはことごとく、ナアマンの期待通りではなかったのです。
自分は誠意を込めた贈り物を持ってきたのに、自分は真心を込めているのに、皮膚病で大変な目にあっているのに・・・使いを出して、ヨルダン川で洗えなどとは、誠意のかけらもないではないか。
ナアマンの怒りはここから発せられているのです。

これは、福音に向かった時の人と同じかもしれませんね。
こんなに大変で、こんなにがんばって、こんなに真心を込めて、・・・・・
そんなあなたに、「身を洗いなさい。聖くなりなさい。」と聖書は言うのです。
もちろん、身を洗い聖くなるのは、ヨルダン川ではありません。
イエスさまの十字架の血潮です。

あなたが大変であろうとなかろうと、十字架の血潮で洗われたらいいのです。
あなたががんばっていようといまいと、十字架の血潮で洗われたらいいのです。
あなたが誠実な人であろうとなかろうと、十字架の血潮で洗われたらいいのです。
誇るべきはあなたではなく、救い主・イエスさまなのですから。

怒ったナアマンでしたが、しもべの言葉かけによりヨルダン川に行き、皮膚病は直りました。

十字架の血潮のみという福音が、あなたの前に提示されています。
言いがかりでもない、期待通りでもない、でも、本当の愛があなたに注がれています。
さて、あなたは、どうしますか。
イスラエルの王は、誤解と恐れで怒りました。
ナアマンは、期待通りでないと怒りました。
あなたは、怒って背を向けますか。
それとも、受け入れて新しくされて生きますか。

今、この愛の中で、新しく生きましょう!

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング