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ゴスペルハウスコミュの「なくてはならないもの」2024.09.28

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.09.28
「なくてはならないもの」ルカ14:15-24

15 イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
16 するとイエスは彼にこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。
17 宴会の時刻になったのでしもべを遣わし、招いていた人たちに、『さあ、おいでください。もう用意ができましたから』と言った。
18 ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、ご容赦ください。』
19 別の人はこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それを試しに行くところです。どうか、ご容赦ください。』
20 また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』
21 しもべは帰って来て、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』
22 しもべは言った。『ご主人様、お命じになったとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』
23 すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。
24 言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」

イエスさまが人々と一緒に食事をするシーンは、聖書に多く記されています。
なので、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』(ルカ7:34)のように言われることもありました。
今日の聖書箇所も、イエスさまが食事をしているシーンの一つです。
ただ、この食事は「喜びの食卓」とは言えないようなものでした。
14章1節から4節を読みます。

1 ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はじっとイエスを見つめていた。
2 見よ、イエスの前には、水腫をわずらっている人がいた。
3 イエスは、律法の専門家たちやパリサイ人たちに対して、「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と言われた。
4 彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて癒やし、帰された。

パリサイ派や律法学者との食事、それは緊張の食事でした。
イエスさまに難題をぶつけて、どう対応しても責め立てようとしていたのです。
イエスさまは、彼らに質問をすることで、愛のわざを成し遂げました。

15節の「客の一人」も、彼らのうちの一人で、自分は神の国にふさわしい者であるとうぬぼれていました。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」(15節)
そして、律法をきちんと守っていない人たちを、ふさわしくない者であると考え、見下していたのです。
ルカ18章9節からの「パリサイ人と取税人の祈りのたとえ」そのままの姿が、ここにあります。

そこで、イエスさまはたとえ話を始めました。
当時は、宴会を開く時には、二回招くのが常識でした。
一度目は「何月何日に開催します。来てください。」という、日時の告知です。
これは、今でもありますね。
二度目は、当日、準備が完了したときに、『さあ、おいでください。もう用意ができましたから』(17節)と、もう一度招くのです。
二回招かれなければ、行くことは非常識と考えられていました。
そして、一度目の招待で、行くと答えたのに、当日キャンセルするのは、とても失礼で非常識なのです。
宴会の当日になって、それまで招いていない人を、いきなり招くことも非常識なのですから、このイエスさまのたとえ話は、「非常識の詰め合わせ」と言ってもいいものでした。

当日キャンセルした非常識な人々の言い分です。
一人目は、「畑を買ったから」と言いました。
二人目は、「牛を5くびき(10頭)買った」ことを理由にしました。
三人目は、結婚したことを理由にしました。
畑を買うことも、牛を買うことも、結婚することも、何も悪いことではありません。
むしろ、喜ばしい大きな出来事と言ってもいいでしょう。
動産を取得する、不動産を取得する、婚姻する、どれも喜ばしいことです。
彼らは、「急に忙しくなっちゃってごめんね。」という気分だったかもしれません。

さて、ここで「忙しい」ということについて考えてみたいと思います。
「心を失うと書いて忙しい」という話を聞いたことがある人もいるかもしれません。
でも私は、そうではないと思うのです。
私は、忙しいと言っている人は、優先順位を正しくつけられていないだけだと思うのです。
やることがたくさんあった場合に、忙しいと感じる人がいるかもしれません。
けれども、優先順位の順番に一つずつこなしていけば、「忙しい」ではなく、「まだやることがある」という状況に変わります。
忙しいとしてしまうと、右往左往してしまいますが、「まだやることがある」とすると、感情が揺さぶられることがないので、平安に作業できます。

このたとえ話の、当日キャンセルした彼らは、優先順位を間違えてしまったのです。
宴会の次の日になったとしても、畑も牛も消えることはありません。
また、宴会の前日でもよかったはずです。
彼らは、招かれたことを軽視し、後回しにし、その権利を捨てたのです。
結婚したと言った人はさらに悪質かもしれません。
申命記24章5節の神様の言葉を自分の都合で利用したのです。
「人が新妻を迎えたときは、その人を戦に出してはならない。何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない。」(申命記24:5)
神様の言葉を使って自分を正当化して、逆に、「これ以上しつこく誘うならば、君たちが御言葉を冒涜するのだ」と責め立てるような勢いです。
それを裏付けるかのように、彼だけは「ご容赦ください」(18,19節)と言っていないのです。

やらなければならない忙しさの中で、優先順位を間違えてしまう。
そんな記事が、聖書にはあります。
ルカの10章38節からの記事を、リビングバイブル訳で読んでみましょう。

38 エルサレムへの旅の途中で、イエスはある村に立ち寄られました。その村のマルタという名の婦人が、喜んで一行を家に迎えました。
39 マルタにはマリヤという妹がおりました。 マリヤは座り込んで、イエスの話にじっと聞き入っていました。
40 一方マルタはというと、てんてこ舞の忙しさです。 「どんなごちそうで、おもてなししようかしら。 あれがいいかしら、それとも……。」気を使うことばかりです。 とうとうイエスのところへ来て、文句を言いました。 「先生。 私が、目が回るほど忙しい思いをしているのに、まあ、どうでしょう。 妹ったら、何もしないで座ってるだけなんですから。 不公平じゃございません? 少しは手伝いをするように、おっしゃってくださいな。」
41 しかし主は、マルタに言われました。 「マルタさん。 あまり多くのことに気を使いすぎているようですね。
42 でも、どうしても必要なことはただ一つだけです。 妹さんはそれを見つけたのです。 わたしはそれを取り上げようとは思いません。」

マルタは忙しさの中で、何もしていない(ように見える)マリアを、そして、その状態に何も注意しないイエスさまを、責め立ててしまいました。
イエスさまを歓迎して、おもてなししようという、自分の気持ちすらわからなくなってしまったのです。
なくてはならないもの、どうしても必要なもの。
それを見失うと、忙しいという気持ちに振り回され、愛を手放してしまうのです。

これらの悲喜劇は、当日キャンセルした人たちやマルタだけでなく、私たちの毎日にも起こりうることです。
大切なのは、忙しいということにのみ込まれず、きちんと優先順位をつけられることです。

さて、招いた主人の反応です。
『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』(21節)
ここで招かれているのは、優先順位が間違いようのない人たちです。
マタイ福音書5章3節の言葉「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」の通りの人たちです。
彼らは、物質的にも貧しく、心も貧しい人たちでした。
ですから、当日の招待という非常識な宴会にも、対応できるのです。
そこにしか希望がない、だから受け入れやすいのです。
彼らは現状の苦しさゆえに、人生の大逆転を受け入れやすい状態にあったのです。

そのような人を招いても、まだ空席がありました。
主人は、『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。』(23節)と言い、いっぱいにしようとしたのです。
それほど招きたい宴会、どうしても来てほしい宴会、神様との和解の場なのです。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」(15節)
この宴会こそが、まさにこの御言葉の食事なのです。

このたとえ話は、イエスさまを陥れる罠のために人を使ったり、人を自分より見下したりする、律法学者やバリサイ人たちへの警告なのです。
また、なくてはならないものを、きちんと選びなさいという、イエスさまの勧めなのです。

では、失ってしまったなくてはならないもの、忙しさで混乱してしまった優先順位は取り戻せないのでしょうか。
買った畑を見に行く途中に「やっぱり宴会に行こう」と考え直したら、牛を試しに行く途中に「戻らなきゃ」と宴会に向かったら、妻に「実は宴会に行きたいんだけど」と話し合いを持ったら、彼らは宴会に参加できるのでしょうか。

この聖書箇所には、その答えはありません。
しかし、答えになるように、マタイ21章28節から「2人の息子のたとえ」があります。
父から、畑で働いてくれと言われた兄弟の話です。
兄は、「行きたくありません」と答えたものの、思い直して畑に行きました。
弟は、「行きます」と答えたのに、畑に行きませんでした。
二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたのか、というたとえです。

神様は、やり直しを受け入れてくれるのです。
思い直すことを、方向転換することを、受け入れてくれるのです。
マルタとマリアは、そう生きられました。
ヨハネ福音書12章1-3節で、同じようにマルタの家にイエスさまが来ました。
マルタは心を込めてイエスさまをもてなし、マリアは高価な香油をイエスさまのために使い切りました。
そこには、優先順位を取り戻した者の姿があります。

また、律法学者やパリサイ人も、生き直せるのです。
自分の正しさや自分勝手な順序を捨てるなら、立ち返ることができるのです。
そのために、イエスさまは十字架にかかったのですから。
イエスさまは、すべての人の救い主なのです。

そして、もちろんあなたにとっても、これは真実です。
なくてはならないものを見失っても、優先順位が狂ってしまっても、そこで終わりではありません。
忙しさに押しつぶされ、人への愛をなくしても、やり直せるのです。
あなたのやり直しを、あなたの立ち返りを、あなたの悔い改めを、神様が受け入れてくれるのです。

あなたの「なくてはならないもの」を取り戻しましょう。
神様の愛の招きを、イエスさまの十字架の覚悟の愛を、後回しにするのはやめましょう。
正しい優先順位に生きるのです。

あなたに注がれた、この愛をしっかり握って、今日も生きてまいりましょう。


【参考聖書箇所】
☆ 食事をともにするイエスさま
ルカ
7:33 バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは『あれは悪霊につかれている』と言い、
7:34 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。

☆ 安息日に食事に招く魂胆
ルカ
14:1 ある安息日のこと、イエスは食事をするために、パリサイ派のある指導者の家に入られた。そのとき人々はじっとイエスを見つめていた。
14:2 見よ、イエスの前には、水腫をわずらっている人がいた。
14:3 イエスは、律法の専門家たちやパリサイ人たちに対して、「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と言われた。
14:4 彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて癒やし、帰された。

☆ パリサイ人と取税人の祈り
ルカ
18:9 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
18:10 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
18:13 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

☆ 結婚を理由にする根拠
申命記
24:5 人が新妻を迎えたときは、その人を戦に出してはならない。何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない。

☆ なくてはならないもの
ルカ
10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
10:41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
10:42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

(リビングバイブル訳)
10:38 エルサレムへの旅の途中で、イエスはある村に立ち寄られました。その村のマルタという名の婦人が、喜んで一行を家に迎えました。
10:39 マルタにはマリヤという妹がおりました。 マリヤは座り込んで、イエスの話にじっと聞き入っていました。
10:40 一方マルタはというと、てんてこ舞の忙しさです。 「どんなごちそうで、おもてなししようかしら。 あれがいいかしら、それとも……。」気を使うことばかりです。 とうとうイエスのところへ来て、文句を言いました。 「先生。 私が、目が回るほど忙しい思いをしているのに、まあ、どうでしょう。 妹ったら、何もしないで座ってるだけなんですから。 不公平じゃございません? 少しは手伝いをするように、おっしゃってくださいな。」
10:41 しかし主は、マルタに言われました。 「マルタさん。 あまり多くのことに気を使いすぎているようですね。
10:42 でも、どうしても必要なことはただ一つだけです。 妹さんはそれを見つけたのです。 わたしはそれを取り上げようとは思いません。」

☆ 優先順位を間違えない人
マタイ
5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

☆ なくてはならないものを取り戻せるのか
マタイ
21:28 ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。
21:29 兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。
21:30 その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。
21:31 二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。
21:32 なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。

☆ その後のマルタとマリアは
ヨハネ
12:1 さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2 人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。
12:3 一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

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