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ゴスペルハウスコミュの「救いの条件」2024.09.21

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.09.21
「救いの条件」民数記21:1-9

1 ネゲブに住んでいたカナン人アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来たと聞いた。彼はイスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえた。
2 そこでイスラエルは主に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」
3 主はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡されたので、イスラエルはカナン人とその町々を聖絶した。そしてその場所の名をホルマと呼んだ。
4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、
5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」
6 そこで主は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。
7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
8 すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。

今週の聖書箇所は、出エジプトから40年間の荒野での生活の終盤の出来事です。
1-3節で、イスラエルは一度負けたアラドにリベンジを果たしました。
神様に誓いを立てて、神様の力によって、アラドを滅ぼし尽くしたのです。
にもかかわらず、イスラエルの民は、その後の旅の行程が自分たちの思い通りと少し違うことで不満を持ち、我慢できなくなってしまいました。
アラドでの戦いを体験したのにです。
出エジプトからの旅の最中、40年にわたって耕すこともできない流浪の民(実際は神様の導きで歩む民)なのに、日々マナを与えられていたのにです。
その間、履物もすり減ることがなく、着物も破れることがなかったのにです。
彼らは、毎日神様から与えられているマナを、「みじめな食べ物」(5節)と言って、神様とモーセを責め立てました。

今の私たちも、イスラエルの民のその行動を笑うことは、そしてそれを責めることは、できないかもしれません。
初めて福音に出会って、自分が愛され、受け入れられ、赦されていることを知った時の喜び。
日々イエスさまに慰められ、祈りの中で神様と対話し、神様の力によって乗り越えた壁も多くあったことでしょう。
それらを経験してもなお、その喜びを忘れて、不満を溜め込んでしまうのが、人間の醜さでしょう。
詩篇103篇2節は、まさにそれを知っている詩人の言葉です。
「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

神様とモーセを責め立てるイスラエルの民に、神様は燃える蛇、燃えるような痛みで死ぬ毒を持つ毒蛇を送りました。
そして、多くの人々が死にました。
ここに至ってやっと、自分たちが間違えていたことを知り、民はモーセに頼むのです。

私は、子どもたちによく「ごめんなさいは、早く言わなかったら意味がないんだ。」「遅すぎるごめんなさいは、『叱るのやめてくれ』と命令してるのと同じだから。」と口を酸っぱくして言っています。
神様は、私よりもずっと寛容な方ですから、モーセを通して救いの方法・助かる方法を示しました。
それが青銅の蛇を仰ぎ見ることでした。
「なんで?」「え?」と思うような方法です。
毒蛇の対処が、青銅でできた蛇を仰ぎ見るなんて、常識では考えられません。
しかし神様は、ただ神様の言葉を信じて従うことを、要求したのです。

神様は時々、人間の理解を超えた方法で人間を助けることがあります。
列王記第二5章で、ナアマン将軍の皮膚病は、ヨルダン川に7回浸って治りました。
ヨハネ9章では、イエスさまは唾で泥を作って目に塗って、目の見えない人の目を癒しました。
他にも不思議に見えることが、聖書の中にいくつも記されています。
聖書以外にも、そうやって救われた人は、たくさんいます。
私も、絶望の中、日本から逃亡して、ハワイで自死しかけていた時に、神様からの声を聞いて死に損ない、生命を与えられました。
そこからの人生は、「おまけ」のつもりで、喜んで、楽しんで、神様の愛を伝えて生きています。

神様が人間の理解を超えた方法を用いるのは、その救いや癒しが、人の手ではなく、神様の手によるものであることを知らせるためです。
青銅の蛇を見るだけで生きられるはずがありません。
そうです、しかし、はずがないところに神様の力が介入すると、それは現実になるのです。
そこに生きた神様の力があり、人の目が開かれる時が、人が神様をたたえるきっかけが、人が人をたたえなくなるきっかけが、あるのです。

さて、その青銅の蛇は、その後どうなったでしょう。
実は、この青銅の蛇、この蛇の像自体に救いがあったと勘違いされて、礼拝の対象になってしまっていたのです。
青銅の蛇は、神様の力を表すのではなく、大きな実績を持った、強力な偶像になってしまったのです。
そして、ヒゼキヤ王によって破壊されました(列王記第二18章)。

ヒゼキヤ王が破壊したので、今、青銅の蛇はありません。
けれども、あなたが仰ぎ見るべきものはあるのです。
ヨハネ3章14-18を読んでみましょう。
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。

今、あなたが仰ぎ見るべきもの、それは、人の子、イエスさま、救い主、神様のひとり子です。
イエスさまを信じる人は、一人として滅ぶとがないのです。
これが聖書の約束です。
「そんな簡単なものじゃない」「なんでだ」「信じるだけでなく、行いや悔い改めが・・・」と言う人もいるでしょう。
でも、青銅の蛇を仰ぎ見ることが、人の理解を超えて、人の力を条件にしないで、人々のいのちを救いました。
人々にいのちを与えました。
十字架のイエスさまを仰ぎ見ることが、天に昇った復活のイエスさまを仰ぎ見ることが、それに劣るはずがないのです。
あなたは信じて救われるのです。

ただ、信じた自分を誇って「自分は正しく偉い。信じていないあんたたちはダメ」とはならないようにしたいものです。
まるで青銅の蛇が偶像になってしまったように、信じたあなたが偶像になってしまうからです。
そのためには、いつも神様に愛されている自分、神様に赦されている自分、神様に受け入れられている自分を忘れないことです。
マナを「みじめな食べ物」と言ってしまったイスラエルの民のようではなく、詩篇103篇2節の言葉のように、神様を喜びたたえて生きてまいりましょう。
「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」

イエスさまを、あなたの救い主と信じて仰ぎ見ること。
十字架のイエスさまを、仰ぎ見ること。
復活のイエスさまを、仰ぎ見ること。
簡単すぎて、不思議すぎるかもしれませんが、これがあなたの救いの条件なのです。
あるはずがないところにある愛は、あなたのために実現したのです。

あなたの毎日が、喜びと祝福にあふれますように。

【参考聖書箇所】
☆ 忘れがちな私たち
詩篇
103:1 わがたましいよ主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
103:3 主はあなたのすべての咎を赦しあなたのすべての病を癒やし
103:4 あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
103:5 あなたの一生を良いもので満ち足らせる。

☆ 理解不能な恵みの与え方
列王記第二
5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

ヨハネ
9:6 イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
9:7 「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。

☆ 青銅の蛇の最期
列王記第二
18:1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
18:2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。
18:3 彼は、すべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。
18:4 高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し、モーセが作った青銅の蛇を砕いた。そのころまで、イスラエル人がこれに犠牲を供えていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
18:5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

☆ 今、見上げるべきもの(本当の救いの条件)
ヨハネ
3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。

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