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徳川将軍家コミュの将軍家の呼称

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江戸時代、徳川将軍家はどう呼ばれたか。
一般的には「上様」が有名ですが、この呼称は三代将軍徳川家光公までです。
四代将軍徳川家綱公からは「公方様」が定着いたしました。
時代劇のように「将軍様」とかは呼びませんでした。
将軍が隠居、または死亡して将軍家を相続すると「上様」と呼ばれるが、それはわずかな期間で、正式に将軍宣下を受けた時から「公方様」となり、隠居すると「大御所様」となります。
将軍の側近や奥女中は「お上(かみ)」と呼ばれました。
一説には「大樹」と呼ばれたという説もありますが、定かではありません。

コメント(2)

日光山殿へ

江戸時代の国内的には日光山殿の内容で正しいでいいと思います。
ちょっと外に目を向けてみると下記のような例がありますね。

江戸時代、対外的には李氏朝鮮王朝からは「大院君」と公式文書に呼称及び記載されてますね。

それ以前の室町時代には「日本国王」と対外的に呼称及び記載されてますね。
但し、室町幕府三代将軍足利義満公だけです。

英語圏の国では「ジェネラル」とすると国王の下みたいで、「キング」とするような話があったりと記憶してます。

国内だけでもこんなにいろんな呼称があり、また対外的にもいろんな呼称があり、ややこしい存在だったに違いありませんね。
○赤髪のシャンクスさん

>「日本国王」

新井白石のとき、「日本国王」が使われています。
実質日本の支配者だからということで。
ただ、新井白石失脚後には元に戻りました。

海外から大君は世俗的皇帝、帝は宗教的皇帝と映っていますね。

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