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去年のノートに書いてあった言葉コミュの20歳の僕から20歳のあなたへ3

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人ひとりが何とか通れるほどの路地が、びっしりと林立する建築物の隙間を縫って迷路のように張り巡らされていた。

彼女は迷うそぶりも見せずに網の目のような路地を右に、左に、あるいはそのまま真っ直ぐに進んでいった。

あまりにも建物が密集しているせいで僕の視界はほとんど限られていた。暗い灰色の石のブロックで作られた建物の特徴も、同じ色の石畳でできた路地も、見た目には全く変化することがなく続いていた。

ここにきて現実感がより一層希薄になっているように思えてならなかった。自分が本当に移動しているのか、それとも背景の方が動き形を変えているのかがとても曖昧に感じられた。
僕は子どもの頃に遊んだ3D視点でダンジョンを探索するロールプレイングゲームのことを思い出していた。エルフやホビットといった架空の生物とパーティを組み、悪の魔法使いを倒すために迷宮の奥を目指すのだ。魔法使いと戦う旅の方がずいぶんマシだな、と僕は思った。エルフの代わりに青いコートを着た女の子がいるにせよ、だ。

限りなく続く無機質な石の建造物、その隙間から微かに視界に入る暗い空と、目の前を先導する女の子。僕は彼女の後ろ髪と首筋、コート越しに動く腕や脚に注意を払った。彼女のシルエットはどこか非現実的な美しさをはらんでいたからだ。まるでライトアップされたみたいに薄闇の中にもコートの青はくっきりと見え、それでいて何光年も先にいるような距離感がそこには感じられた。

2分か3分に一度、冷たい空気の塊が獣の唸り声のような音と共に吹き込んでくる。それは何かにつかまらないと立っていられないほどの猛烈な風だったが、女の子は事前に風のタイミングを教えてくれていた。

「風がキリキリと甲高い音を立て始めたあと、一瞬の静寂があります。その‘間‘のうちに石に掴まってできるだけ身を低くしてください。風が過ぎ去るのをじっと待つのです。一回の風はそんなに長くはありません」

風は短くて10秒、長くても30秒ほどで通り過ぎた。風は、それが過ぎ去ると我々のいる路地を完全に凍結してしまうほどの猛烈な冷気も帯びていた。風が吹くたび髪は凍り、コートにはびっしりと霜が付いた。
路地は次の交差点が現れるまで真っ直ぐなアイスバーンと化した。

繰り返される同じ風景と繰り返される猛烈な風。僕が遅れていないことを確認するために、女の子は風が止むと僕に色々と声をかけた。「大丈夫ですか?」とか「滑らないように気を付けて」といったようなことだ。そのようなこと以外に僕たちは口を聞かず、ひたすら歩いた。聞きたい事はたくさんあったが、風はあまりにも苛烈だったし、それに彼女はとても急いでいるようだった。

何回目かの風のあと彼女が「がんばって、もう少しで休憩できますよ」と言った。それからしばらくすると我々は突然広がりのある空間に出た。

その空間はローマのナヴォーナ広場を思わせるような開けた場所だった。僕はナヴォ―ナ広場がどんなものかはよく知らなかったが、なんとなく僕の貧困なイメージは、その場所を映画でよく見られる噴水広場に重ねていた。
もちろん、広場の真ん中には噴水のようなモニュメントがあることがその原因の一つだった。

 広場に出ると突然“石の迷路”も視界から消えてしまい、暗い空がはっきりと頭上に広がっていた。先ほどまでと違い冷たく重い冷気は消え失せ、強烈な風もなかった。振り返ると“石の迷路”の痕跡すらなくなっていた。広場の地平線は闇の彼方まで延び、そこは空中に浮かんでいる舞台のようだった。

 女の子は「少し休んでいきましょう」と言い、コートを脱いで噴水の横に腰かけた。僕もそれに倣ってカチコチに凍ったダッフルコートを脱いで彼女の隣に腰を下ろした。
手や顔など肌を露出している部分は赤く霜焼けになっているようだった。
僕は白い息を吐きながら手をこすり、顔をほぐし、足を確認し、体の各部に異常がないことを確かめた。

「大丈夫?怪我はないですか?」と彼女は聞いた。
僕は肯いて「君は?」と聞いた。彼女はここを出た時と何一つ変わって無いようにみえた。コートにも髪にも一粒の霜さえついていなかった。それにここに来るまで息一つ切らさなかった。
「私は慣れていますから」
「誰かが迷い込んだとき、いつもここを通るの?」僕は聞いた。
「いいえ、人によって戻るべき時間の場所は違います。ですが環境は同じようなものです。大抵寒く、冷たい風が吹き付ける回廊が続くのです。その点、あなたの場合はとても楽な部類です。きっと…」彼女は頬を赤らめて伏し目がちに言った。
「きっと、あなたの心が温かいのです」
僕はびっくりして言った。
「そんなこと今まで言われたことがない気がする。僕は自分が何者だったかをほとんど思い出せない。だから言われたことが無いなんて言い切れないけど、覚えていることもあるんだ。特別な才能も野心もなく、ごくごく普通の人間だったこと。でも誰かを深く傷つけたことがあること。必要以上の人付き合いを避けてきたこと。特別に金持ちでも貧乏でもなかったこと。そして、犬を飼っていたこと」
女の子は僕の顔をじっと見つめて何かを言おうとした。

「君は僕が教師をしていたって言ったね。でもそれはあり得ないんじゃないかな」

「いいえ。それは間違いないはずです。あの記録、“時の記憶”と父は言っていましたが。父の記した記録は何よりも正確なはずです」

時の記憶。それは彼女が部屋の中で最初に読み上げたファイルのことらしかった。彼女の父という人は

「時の歪み」というものを研究しているということだった。

「ごめんなさい。詳しくは説明してはいけないことになっているんです。それにとても専門的な内容で、時の歪の成り立ちは私にもほとんど分からないことなのです。私は父に、“時の歪み”に迷い込んだ人を、“時の記憶”を手掛かりに、しかるべき時間へと繋ぐ為に作り出されました。ですから、“時の記憶”には間違いはないはずなんです」

僕はまたびっくりして聞いた。

「君は作り出された?」

彼女は僕の目をじっと見て、何も答えずに寂し気に微笑んだ。

「現実的な話をしましょう。今から私は、あなたをしかるべき時間の近くまでお送りします。ですが色々と事情があって、完全な元の時間へはお送りすることができません。辿り着いた時間でまず、父に会ってください。あなたがあなたの世界を取り戻すには、それしか可能性はありません」

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