萬葉集・万葉集コミュの人麻呂筑紫下向の時の羇旅歌についての若干の考察

人麻呂筑紫下向の時の羇旅歌についての若干の考察(上)

巻3二四九～二五六の人麻呂羇旅歌群から人麻呂たちがどういった行路(航路)を辿ったかという全容の詳細を知ることはできないが、内海に限って言えばどうやら往路は山陽道の南岸沿いの、帰路は讃岐中の湊までは四国北岸沿いの行路を取ったらしく思える。そうすると帰路、讃岐の中の湊を出た船は途中で狭岑島で風待ちをした後、島が多く浮かぶ狭岑島辺りから内海を東北に北上、山陽道沿いへと航路を変えたのではないだろうか。歌群全部の歌を見てゆくと相当な長さになると思われるので、その条件の下でのこの歌群の不明点、疑問点を探ってみようと思う。

伊藤先生は、「※③八首は別の折の歌を類聚したと見るのが一般。だが同じ折のものと見、前半四首は往路の旅愁、後半四首は帰路の心情を述べた一連の作と見るのが穏当であろうかと思う」と述べ、そのすぐ後で「但し、第六首(二五四)は紛れもなく筑紫などへ下る時の歌だが、後半四首に含まれているのは※④七首目の二五五との対比効果を狙ったものと思われる」と述べている。
これは航路の順序を考えればすぐに分かることで、本来ならば三首目の二五一番の位置にあるべき歌である。結果、上の記述に関わらず二四九～二五二、二五四が往路の歌となり二五三、二五五、二五六が帰路の歌となって往路五首、帰路三首となっている。これは往復同数といういわば常識的な、バランスの取れた配列数ということを思えば少し妙な数字だが、別に往路と帰路の歌は同数にしなければならないなどといった規則があるわけでもない。この時代の船旅の危険を考えると、以前通っていた万葉講座の先生の「喜びを詠んだ歌が少ないのは、寂しい時や悲しい時、不安な時には歌が必要だが、嬉しい時には歌を詠む必要がないから」という言葉を考え合わせると納得できる数字なのかもしれない(笑)
そして、但し書きの記述からは伊藤先生もこの歌群八首が人麻呂筑紫下向時の歌だと認識していると考えてよいのではないか。また三〇三、四の題詞には「柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に海路にして作る歌二首」とある。詠まれた時期がいつなのかははっきりとはしないが人麻呂が二回も筑紫下向をしたとは思えず、おそらく同じ折の歌で出所の異なるものを編纂時に追加された…といったことではないだろうか。

第一首目二四九の　
御津(みつ)の崎波を畏み隠江(こもりえ)の舟公宣奴嶋尓
(※①三津の崎で波が荒いのを恐れて一行を乗せた船は入り江に籠っていたが、波が静まったので、一行の長（おさ）が今こそ野島に向けて出港するぞと告げたことだ)
原文; 三津埼浪矣恐隠江乃舟公宣奴嶋尓

であるが、この歌の四、五句には定訓がない。このことは以前にも述べたことであるが、私は大濱厳比古先生の「船なる君は宣(の)らす(或いは「宣る」)野島(ぬしま)に」を採った。これを直訳すると「難波御津の崎で波が荒いのを恐れて一行の船は入り江に籠っていたが、一行の長が野島に向かって出港するぞと告げた」　となってしまい、これでは長田王と思しきその長が危険な状況を弁えぬ※②無分別で長らしからぬ暴君だということになってしまう(笑)。なので、独断で「波が静まったので」という誰しもが納得し得る仮定を入れて意が通るようにした。なお伊藤先生は井手至氏の漢文風の訓み(本当は帰って読むことには感心しないらしいが)で「船なる君は野島(ぬしま)と宣る」を採用しているが内容は大濱先生と同じことである。
まあともかくもこれで船は無事？に難波の御津から※③淡路の野島へと向けて出港したこととなる。

二五三「稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の※⑤島見ゆ」
(稲美野もなかなか通過できぬように思っていると、恋しく思っていた加古の崎が見えてきた)

については往路の歌だと言う人が多く、私も最初は往路の歌だと思っていた。が、この時代の「稲日野」は「加古川市の西隣の高砂市の西辺から東方へ明石市にかけての海沿いも平野を印南野といわれた」(犬養孝万葉の旅・下) と、今よりも広い範囲の地域だったのであり、茂吉氏によると可古島は加古川の河口のことで現在の高砂町あたりだろうということである(万葉秀歌・上)

また「行き過ぎかてに」は「立ち去り難い」と取らずに、潮流が逆流となって※⑥舟の進行が困難となることだと考えると帰路の歌である(茂吉氏)というのも理解の進んだ今では強弁ではないと納得できるが、そう思うと故郷へと急ぐ、はやる気持ちが感じられてなかなか味わい深い歌である。歌と茂吉氏の文を何度も読んでいるうちにそう思えるようになったのだが、西の辺とはいえ高砂と加古川の距離からは、自身そうであっただけに往路だと考えるのも無理はない、納得できないという方は無理に帰路と考えずともよいと思う。集中の歌をどう解釈するかは、邪説、トンデモ説は別として個人の自由と思うからである。
まあ、こういった見解の分かれる歌について議論をしても結局は水掛け論になってしまうだけと思われるので、茂吉氏の「万葉秀歌」に氏の詳細な説明があるからご熟読頂いたうえでじっくりと考えて頂ければよいかと思う。

因みに伊藤先生は「『心恋しく』思う『加古の島』は、旅する者(人麻呂)にとっては都により近い「島」であるはずで、第二・三句の『行き過ぎかてに思へれば』という思いも、帰路なればこその余裕であろう」と述べている。確かにこの歌を往路の歌とした場合、人麻呂にとって縁があるとは思えない「加古の島」が何故に「心恋しき」なのか、その根拠は何なのだろうか。
それに対して加古の『島』が加古川下流高砂の陸地を指すことを考えると、「心恋しき可古の島見ゆ」の四、五句は、二五五の「夷の長路ゆ恋ひ来れば」に通じる「いよいよ都が近くなってきた」という趣きで、東に向かう帰路にこそ相応しい句であろうと兵庫県民の私は思うのである。

また、二五六「笥飯(けひ)の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船」
(慶野の辺りの海は穏やかであるらしい。漁師の釣船が刈り取った菰のようにあちこちから漕ぎ出してくるのが見える)

の歌にある慶野周辺は往路、帰路ともに見える可能性があるものの、地図を見ながら読んで頂ければすぐに分かると思うが、東からの往路よりも遙かに広い視界が開ける西からの帰路と考えた方がずっと自然だと分かる筈である。往路ではやや西に出っ張った淡路島中央部が邪魔になり、また慶野の辺りは逆に少し引っ込んでいるため播磨町辺りまで船が西進しないとその下部にある慶野辺りの海はよく見えないし、そこから先は振り返りながら見ることになってしまう。
というより、これも地図を見て貰えば一目瞭然であるが、加古川や播磨町あたりの海からでは、いくら活字を知らぬ目の良い万葉人といえども南淡慶野辺りの海に浮かぶ漁師の船など肉眼で見えるわけがない。だからこれは後述する回想を元にした人麻呂の創作と思われ、原案と思しき左注に「一本に云はく」の
武庫の海の庭よくあらし漁(いざり)する海人(あま)の釣船波の上ゆ見ゆ

の歌の方がずっと実際に近く信憑性がある。この辺りが実地で詠んだものと回想で詠んだものの差であろう。また歌の配列という点からも八首の最終の位置にあることから帰路と考える方が自然で常識的だと思われる。
伊藤先生はこの第八首(二五六)最終歌について「旅先の平和な景の中にいよいよ都に帰りうる歓びを託した悠然たる心境は第七首(二五五)に大和島を見納め得たことによるゆとりであろう」と述べている。

この歌群は「一本に云はく」という左注のある歌のみが実際に人麻呂が旅の行路で詠んだ歌、すなわち原案であり残りは帰京してから披露するために作った歌と思われる(伊藤先生)。この考え方によると原案では往路二首、帰路二首という極めて単純明快な構成となっている。乱暴に聞こえるかもしれぬが、航路全体の詳細は不明であるし原案と思しき「一本に記載」の四首だけの方がずっとすっきりしていてよいように思ってしまう。
一般に評価の高いこの歌群は、配列からも往路であることは間違いないであろう一首目の二四九の第四、五句に定訓が無いことを初め、他にも推敲、創作、脚色が過ぎるのか逆に疑問点、不明点が多く「全体の解釈についてはまだ定まらないところが多いと言わねばならない」らしい(伊藤先生)。また二五四の配列を見ても、朝廷へ報告するために作られたせいか、凡人の私などにはどうも構成が綿密なようでありながらその実複雑に感じてしまう。柿本人麻呂の歌が、上下(かみしも)を着た宮廷歌人人麻呂の歌へと変貌してしまい、纏向辺りを詠んだ人麻呂歌集の秀歌のような自然な趣が無いように感じられてしまう。だからかもしれぬが、この歌群はあまり成功した作品とは思えず、二、三の歌は別として好きにはなれない。

コメント(8)

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[1] mixiユーザー 10月06日 08:13

人麻呂筑紫下向の時の羇旅歌についての若干の考察(下)

【「島」について】
なお二五三の「可古の島」といっても加古川下流やその先にいわゆる島は無い。
可古の島とは可古川の三角州、『崎』のことでこの時代には半島や崎をも「島」と呼ぶことがあったのである。
これは「大和島」「大和島根」というのと同じことで海の上から見た陸地のことをこう呼んでいるのであり「島は大和島のごとき陸地」をも言う(中西先生)
「伊良虞の島」とは伊良湖半島、その崎や三島由紀夫「汐騒」の舞台の神島をも言うのであるからどれに該当するか注意が必要である。(二三、四二の「伊良虞の島」とはおそらく伊良虞半島の崎のことだろうと私は思う。但し、これらの歌は創作、特に四二の歌は人麻呂の想像による創作ではないか)

しま【島】　①水に囲まれた陸地　(「周囲全部が」と書いていないことに注意)
「うち廻(み)る島の埼埼(さきざき)」(記歌謡五)
(岩波古語辞典)
②以下………関係無いと思われるため省略

この古代の「島」とは、今日私たちが考える離れ小島のようなものとはかなり異なる結構大事な語だと思うが、岩波古語辞典では若干というより、かなり説明が不足していると思うため、ここでは私の下手な説明よりも分かり易い御大二人の文を挙げておきたい。
この時代の「島」の意は、香川県の小さな半島である屋島をも含むんだものと考えると分かりやすいだろう。

(犬養先生)

「大和恋しい、恋しいと思ってやって来ると、明石海峡から「大和島見ゆ」。別に大和島という島があるわけではありませんよ。大和の方が見えるということです。
だいたい、島という言葉の意味は、※⑦水に面した美しい所ということなのです……(中略)……今、ここで大和島というのは、生駒山とか葛城山だの、ああいう所を眺めて大和島だと言ったんのですね。そうしますと、今日、淡路島の岩屋というところに大和島という島がある(これは兵庫県民の私も初耳であるが地図には見当たらない。ごく小さな島か)のです。それはこの歌から後世につけたものなのです。」　(万葉の人びと)

(中西先生)
中西先生の解説文もよく練られた分かりやすい名文だと思うので載せておく。

「明石の門」は、西下に際して、視界から大和を失った地点であって、いま、ふたたび大和を視野に入れることができた。小さく微かに波間に浮沈しつつ、生駒の山巓(さんてん)が望見された。それは瞬間的な発見であり、ひたすらな思慕が形づくる山容であろうか。
生駒に大和を代表させたのだろう。ここは現実に見えなくとも、心に見る大和島であると思われる。一には「家門(いへ)のあたり見ゆ」とさえ言っている。この結句によって旅愁の深さは歓喜へと展開してゆく。古代の苦難の旅に思いを馳せれば、歓喜はおのずからにわかるであろう。」　(万葉の秀歌)

※①御津(三津)………「御(み)」は美称。集中では地名化していて難波の湊、すなわち「難波のみ津」、「大伴のみ津」をいう。その所在はこんにちあきらかにしがたいが、上町台の西方にあった海浜地で、大阪市南区心斎橋筋の町名に三ッ寺町があり、三津寺の寺名のあるのは、その名残かと見られる(犬養先生)
「大伴の御津」………「大伴」は、もと大伴氏が管掌していた大阪湾東岸一帯の地名。この地の範囲内に官製船の出入りする難波の御津があったことから言われた言葉で後に「御津、三津、見つ」の枕言葉となったように思える

※②また、二二〇では時津風のために海が荒れて狭岑島で風待ちしたのだから言動が、その時その時で二転三転ずる一貫性が無い人物ということになってしまう

※③村田正博「柿本朝臣人麻呂が羇旅の歌八首」和歌文学研究第三十四号

※④このことからも八首が宴などで披露されたものであろうことが分かる。

※⑤これを「湖」(みなと)とする「一は云はく」は「一本に云はく」とは異なる
湖(みづうみ)………まわりを陸に囲まれ、池より大きく淡水をたたえた所　(岩波古語辞典)
ここでは加古川の河口で港のこと(中西先生)

※⑥(今日のように)汽船ならば楽々と、まあ機械で通って行けるが、手漕ぎの船では潮に逆らってなんかは絶対行けない　(犬養孝・万葉の人びと)

※⑦水に面した地を島と呼ぶのであるから、陸地であっても海や川に面している大阪の堂島、都島、柴島、福島、網島、東京の向島、寺島、柳島、岡山の水島、児島、玉島、香川の屋島など「島」の付いた多くの名前を挙げることができる。淡水湖琵琶湖の畔にも高島がある。
だいたい日本のことを「大八洲(おほやしま)というくらいだから海に面する福島や広島、徳島、鹿児島、島根もそうなのであろう(笑)

[2] mixiユーザー 10月08日 07:28

人麻呂筑紫下向の時の羇旅歌についての若干の考察

人麻呂にとっての旅と九州という風土(上)

私は以前に人麻呂と大伴坂上郎女について都人意識が強く九州の風土には興味を持つことができなかったのではないか、という記事を投稿した記憶があるが、この筑紫下向の羇旅歌群を読んで改めて人麻呂は九州の地の景観や風物には何らの興味を覚えなかったようであるという認識を強くした。少し長くなるが※①寺川眞知夫先生は人麻呂作三〇三～四について以下のように述べている。

「この筑紫への旅が太宰府に逗留するものではなく、長田王に従って薩摩との境にまで至る旅で、いうなれば都人人麻呂には関心の持てない景観しか目に入らなかったのか、苦しい旅で関心が外部に向かなかったのか、多くの歌を詠んでいたとしても万葉集に残されなかったのか、歌は播磨の地で詠んだ二首でしかなかった理由は明確ではない………(中略)………しかし今まで見てきたところでは、人麻呂には筑紫の場合、関心の向かない地を経巡った意識しかなかったのではないかと考えられる。
彼は和邇氏の伝承の中で育ったとみられる。また天武天皇の地方の歌の収集事業と関係づけられることもある。当然、地方の伝承や歌謡には関心を向けなかったとすると、ややイメージを異にするところもあるが羇旅八首の周辺をこのようにみると、彼はやはり地方の文化や景観には関心を持たない歌人であったように見える」

先に述べたように私には人麻呂が二度も筑紫に下向したとは思えず、三〇三～四については筑紫下向歌八首が詠まれた旅と同じ折のものと思っている。しかしこの寺川先生の文から考えられることはそれらを併せた十首においてさえも※②畿外で詠まれた歌は二五三のみしか無く、その二五三でさえも※②畿内畿外の境の地である明石からすぐの加古川、高砂の地を詠んだものだということである。加古川や高砂は畿外とはいえ、いわば畿内に近い都周縁の延長とでもいうべき地である。こんなことを言うと九州にお住まいの方は気を悪くされるかもしれぬが(笑)そうではなく、以前にも言ったことだが人麻呂は九州に限らず特に都である大和少し広くとも畿内以外の地の景観には興味を示さぬゴリゴリの都人意識の持ち主であったかと私には思える。人麻呂はその歌集に一二七九、一二九四などの九州の風物、景観を詠んだ歌を載せてはいるがこれらも人麻呂の作とは思えず、長田王に従って出張した九州の地で収集した或は太宰府に保管されていた他の官人が収集したものかと思われる。さすがに九州の風物を詠んだ歌を持ち帰りでもしないと差し障りがあったのであろう(笑)人麻呂には歌によって報告する義務があると思われ興味がないから詠まなかったでは済まされないだろうと思うのである。

[4] mixiユーザー 10月08日 11:50

人麻呂筑紫下向の時の羇旅歌についての若干の考察

人麻呂にとっての旅と九州という風土(下)

大伴坂上郎女も人麻呂と同様に都人意識と、人麻呂よりさらに高い気位の持ち主だったと思われる(笑)が、それでも太宰府逗留中は歌を僅か二首、それも九州とは関係の無いものしか詠まなかったものの帰京時には宗像大社に参拝したらしく、その道で私の好きな九六三「筑前宗形郡の名児山を越える時の歌」を、帰京してからもやはり一度住んだ所が懐かしくなったのか、これも好きな一四七四「筑紫の大城の山を思へる歌」を詠んでいる(^^)

この一四七四は、「太宰府滞在中には歌の中に見えなかった景が、都に戻って都のうたう歌の景と重なる時、新たに彼女の世界に呼び起こされたのである」(浅野則子・坂上郎女・おうふう)
「これは佐保の霍公鳥に触発されて詠んだかと思うほど無理が無く伸びやかな気品漂う歌」
「郎女は当時の女歌を代表的、集約的に示すのみならず男の文学への架橋となる」(中西進・同上) と高い評価を受けている。

少々難解で長くなるので詳細は省略するが、郎女の場合、戯れの恋の掛け合いの歌の相手が太宰府周縁の地を歌い込むという方法で(太宰府の人間という)共通理解を求めたことが彼女の都のおんな意識を刺激したのか太宰府逗留中は頑なに九州を詠まなかったと思えるフシがあるように思う。他にも地名を詠み込んではいないものの帰京の船旅の出発地(おそらく豊前であったと思われる)辺りの浜で詠んだらしき九六四があり、中西先生はこうした郎女の歌について「こうした行旅の歌は殆ど男性の世界である、にもかかわらず、郎女は唯一の例外としてこれに関与する」と郎女の独自の位置を認めている。

このように同じく九州を詠まなかったとはいっても、大伴坂上郎女と人麻呂とはその質も度合いも全く異なるように私には思える。郎女は一年間太宰府に逗留したとはいえ、女ながらに人麻呂と同様に長く苦しく恐ろしい船旅を経験したわけで、やはり寺川先生の言うような人麻呂が「苦しい旅で関心が外部に向かなかったのか」などといったことでないのは間違いないだろう。この頃の船旅の苦しさ、怖さを考えるまでもなく、都のおんなで頑なな中にもある意味柔軟な部分を持つと思える坂上郎女とは違って、やはり人麻呂は大和を中心とした畿内以外の地の風物、景観には殆ど興味を示さぬ偏屈とさえ思えるゴリゴリの都人であったように私には思える。何故ならば人麻呂は石見でも現地妻を絡ませた石見相聞歌以外には※③石見の風物、景観を詠んだ歌を詠んでいないし、帰京してからも郎女のように純粋にこれら石見や九州の地を思い出して詠んだ歌は少なくとも私が知っている限り無いのである。

※①………寺川眞知夫　柿本人麻呂の旅一人麻呂は旅において風土をどのように表現したかー

※② 畿内……西は明石。東は名張、北は逢坂山、南は妹背の山が境でその外は畿外となる(講座の先生)

※③………巻７人麻呂歌集所載の一二四九
君がため浮沼(うきぬ)の池の菱摘むとわが染めし袖濡れにけるかも

については、石見相聞歌など人麻呂が石見に赴任していた時期があることから石見の三瓶山中腹の「浮沼の池」を詠んだ人麻呂の作だろうという意見が多いが
原文は君為浮沼池菱採我染袖沾在哉
の略体歌であり、「浮沼」は元は泥沼の意味であること、この歌の属する歌群一二四七～一二五〇がそれぞれ異なる地方を詠んだ略体歌であることから、私は人麻呂が若い頃に収集した某地方の歌ではないかと思う。人麻呂が石見に赴任していたのは持統七、八年(693～694)で人麻呂四十才前と思われ、この頃の歌集歌は非略体歌と思われることから違うのではと思うが、はっきりしたことは分からない

[5] mixiユーザー 10月08日 16:56

【2】、【4】の
※①………寺川眞知夫　柿本人麻呂の旅一人麻呂は旅において風土をどのように表現したかー
人麻呂にとっての旅と九州という風土(下)
についてのURLを貼っておきます。
　　↓
※①………寺川眞知夫　柿本人麻呂の旅一人麻呂は旅において風土をどのように表現したかー
https://www.manyo.jp/ancient/report/pdf/report9_6_hitomaro.pdf

[7] mixiユーザー 11月02日 12:30

朽網山

朽網山(くたみやま) 夕居(ゐ)る雲の薄れゆかばわれは恋ひむな君が目を欲り
(夕方、※①朽網山にかかっていた雲が薄れてくると、一目でも貴方に逢いたくて恋しくなってしまうことだろうよ……)

(作者未詳・巻11ー二六七四)

雲という言葉からはどうしても好きな一二八二・人麻呂旋頭歌「橋立の倉梯山に立てる白雲」を連想し、作者の恋人は亡くなったものと思ってしまうのだが、「君が目を欲り」という句からはどうやらそうでもなさそうである。そうするとこの朽網山と恋人とはどういう関係にあるのだろうか。久住のやまなみは深い山々が連なる地で、生駒山のように越えるとそこは※②難波の街…というわけではない。二人は嘗て西に朽網山の見える大分辺りにでも住んでいたのではないか。

犬養先生はこの久住地方の民謡歌だろうと言っているがそれにしては歌が上手くて垢抜けしてるように感じる。そのためか遊行女婦だろうという意見も多く見られ、私も多分そちらの方だろうと思う。遊行女婦は全国どこにでも居たということを読んだ記憶もあるが、さすがにあまり草深き田舎に居たとは思えず、やはりこの朽網山が見える大分辺りの地に多くいたかと思われる。

「君が目を欲り」という美しい結句からは、私ども万葉ファンはすぐに遣新羅人秦間満の名歌「夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞわが来る妹が目を欲り」 (巻15ー三五八九)
を思い出すが、ジャズにも「I have only eyes for you (瞳は君ゆえに)」という素敵な名前の曲があります。どうやらこういった恋人たちの気持ちを表す語彙というのは東西を問わず共通のものがあるようである。

私は父親が九州出身であったからか九州は何かと縁が深い。高校は九州で過ごし、山口県下関市にも住んだことがありこの久住、阿蘇周辺を始め変化に富んだ九州の自然風土の美しさ、素晴らしさはよく知っている。平貝や河豚等の魚介類、鶏、黒豚、ラーメン、高菜と食べものも美味しいし温泉は極めて多い。若い頃には東京栄転より左遷で博多の方がずっと良いなどと出来ない不良社員同士で笑いあっていたものだ。
人麻呂や大伴坂上郎女のように歌の才能豊かな人たちが偏狭な都人意識のせいか、せっかく機会のあった九州の土地や風物を詠まなかったことは当人にも万葉集にも大きな損失ではなかったか。旅人や家持のせめて半分でも関心を持ってくれていたならば、万葉集はもっと変化に富んだ楽しい歌の書物になっていただろうにと思うと残念でならない。尤も、もしそうならば今でも知らぬ歌の方がずっと多いのに、と自分で失笑を禁じ得ないのである。

しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ

※ ① 朽網山…………一般に大分県直入郡(現竹田市)の久住山と言われているが、はっきりしない。伊藤先生は「巻11には、現代の関西地方以外の地名を登場させる歌は少ない」(釈注)と述べている。
しかし私は数年の間下関市に住んでいたことがあり、近隣の小倉南区の朽網には昭和池という大きな池があり桜の名所であったことをよく覚えている。また、「朽網」の語源は、九州に火山や温泉が多く硫黄の匂いで「クサミ」と言ったことからだろうということを何かで読んだ記憶がある。
伊藤先生が言うように関西地方に「クタミヤマ」と呼ぶ山が無いのであれば、この二六七四歌はやはり九州大分県の久住山のことではないかと思うのだ。そしてやはり歌に興味がある官人たちが豊前豊後赴任や出張の際に収集、京へと持ち帰ったのではないだろうか

※ ② ………尤もこの頃の浪速は湿地帯が多い田舎であったらしい

[8] mixiユーザー 11月02日 22:29

＞近隣の小倉南区の朽網には昭和池という………

書き忘れておりました。
この朽網は「クサミ」と呼ばれています。
この朽網にはTOTOの工場があることで有名です ^^;

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