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萬葉集・万葉集コミュの「天の香具山」は豊後別府の鶴見岳

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天皇の御製歌(おほみうた)

春過ぎて夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)したり天(あま)の香具山(かぐやま)
巻一(二十八)

この短歌は、飛鳥時代の天皇だった持統天皇(女性)によって詠まれた歌です。持統天皇は大化の改新を行った中大兄皇子(天智天皇)の娘です。

という解説が一般になされ、「天の香具山」とは藤原京から東に見える山のことで、畝傍山、耳成山とともに大和三山の1つとされています。しかしこれは誤りで、この「天の香具山」は奈良の飛鳥ではなく大分県別府市の別府湾に臨む鶴見岳です。題詞にある「天皇の御製歌(おほみうた)」は万葉集に掲載するに当たって後からそれらしく付けられたものに過ぎません。

この歌には古来から疑問が持たれ、写実歌としては不適切と判断され古今集では、

春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 
    衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)

と「虚構歌」に 改変されています。そして現代では、「香具山の山腹に衣を乾したくらいでは、藤原宮からは全然見えないのである。」(万葉集研究入門ハンドブック (日本語) – 1994/5/1‐森 淳司 (編集))と指摘されています。藤原京跡から飛鳥の香具山までは直線距離で約1kmで、実際に実験しても肉眼では点にしか見えず、「白妙の衣乾したり」などというのは不可能であることが実験、実証されています。

では、この「天の香具山」とはどこかというと九州の天国(あまくに)である大分県別府の別府湾に臨む鶴見岳であることが確認、論証されています。「天の香具山」はこの歌だけではなく、舒明天皇(じょめいてんのう)御製とされる、

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜■(りっしんべん+可)國曽 蜻嶋 八間跡能國者(巻一・二)

にも、「天乃香具山」が出てきます。この歌は、

大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は

とよまれていますが、「大和(やまと)には」は原文では、「山常庭」で「大和」ではありません、奈良の飛鳥の「天の香具山」にするために無理やり「大和(やまと)には」と改訂されてしまっているのが実情です。この「天の香具山」も同じ別府温泉の湯煙りが「煙(けぶり)立ち立つ」鶴見岳ということになります。

これらの点を明らかにされたのは古田武彦氏で、一連の万葉歌について『古代史の十字路―万葉批判― 』(2001.1)『壬申大乱』(2001.10)他で明らかにされています。

発刊より既に10年以上を経過していますが、万葉学者はこの万葉学のパラダイム転換というべき業績を無視し続けているのが現状です。著作は中西進氏をはじめ、万葉専家に贈呈されていますが、書評一つ出さないという徹底した無視がなされています。日本語学、古代史学にとって大きな損失であり、現在も誤った万葉教育がなされているのは真実を国民の目から覆うことになります。

今回はこのような万葉の真実を提起し、順次古田武彦氏による万葉学のパラダイム転換を紹介していきたいと思います。興味を持たれたかたは上記著作他を参照下さい。■

コメント(15)

     歌と表題の差

 この、「天の香具山」の歌が明らかにしたのは、万葉研究に当っては「歌それ自身」と「表題」との不一致というテーマが不可欠であるという事実であ。

 本来の「歌そのもの」を「万葉集」という歌集の中に”編入”するに際し、”間違った表題”を付した。いや、それを強いられた、あるいはそうしないと残せなかったということである。事実、現在、その本となる歌集は残っていない。そう考える他ないのである。

  大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかづち)の上に いほりりせるかも (巻三、二三五)

について古田武彦は次のように述べています。


 通説では、この「雷(いかづち)」は、大和三山に近い雷丘である。天武か持統かの、天皇を対象とした「作歌」とされている。そういう「編成」なのである。

 しかし、当の雷丘は、わずかに十数メートルの高さの丘だ。雨雲など、垂れようもない。その上、その丘の上で、”いっとき”休憩したからといって、それが“天皇が生き神さまである証拠だ。”などとは、とんでもない。お世辞にも、度が過ぎている。

 ところが。これをいったん「九州」の場に移す。福岡県と佐賀県の境にある背振山脈、その高峰、雷丘について、「作歌」されているとすれば、

 第一、千メートル近い高山であり、三方が海だから、ほとんど「雨雲」におおわれていることが多い。

 第二、ここは、代々の筑紫の君の墓域であるから、彼らは死して「神」として祭られている。

 第三、白村江の敗戦後、庶民の「いほり」は失われ、夫や父も帰って来ない。しかし、筑紫の君の代々の「墓」は、あたかも、「いほり」のように安泰である。

 第四、戦勝者、唐軍の来襲によって、庶民の「いほり」は荒れ果ててしまった。
     ここでは、「矛盾に満ちた、お世辞の歌」どころか、無謀な戦闘へと突入していった為政者、筑紫の君への批判、さらに、無理矢理「戦闘」へと引き込んだ占領軍、唐側への痛烈な批判を背景とした「作歌」である。

 万葉集は、世界に類のない、秀抜の歌集であると共に、歴史の最上の証人だ。

 わたしは、中西進氏等、各万葉研究の専門家に、わたしの著書(『人麿の運命』等)を贈った。しかし、それに対する「応答」は、一切「ナシ」だ。「古田説はなかった」かのように、”頬かむり”し通して今日に至っているのである。

 真の問題は、この『先」にある。

 これほどの「表題と歌そのもの」との間の矛盾に、万葉集の編者は”気付かなかった”のだろうか。
 私は考えた、

 逆にこのように「チグハグな編集」によって、「心ある読者が、それに気付いてくれるように、「発信」している。そのための、「矛盾の露出」なのではないだろうか。

 わたしは、信州(長野県)の浅間温泉のホテルの中で、このような「思い」にひたったのである。

(『真実に悔いなし ―親鸞から俾弥呼へ 日本史の謎を解読して―』 ミネルバ書房:2,013.9)//
>>[3]

興味深いコメントを有難うございます。

ただ、ここで歌われているのは、

>>春から夏にかわる風物詩として奈良で実際によくあった光景

ではなく飛鳥時代の藤原京での作とされており、奈良時代以前の歌なので「奈良で実際によくあった光景」などではありません。そもそも「香具山」は藤原宮からは全然見えない離れた場所の低丘で神聖な霊山とされる所で、「雨乞いの丘」として知られ、よく雨が降る丘なので住んで衣を乾すなどと云う場所ではありません。

なお、

飛鳥時代

飛鳥時代は、日本の歴史の時代区分の一つである。崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)の118年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代を指す。草創期は古墳時代の終末期と重なる。

狭義には、推古天皇元年(593年)に聖徳太子が摂政になってから、持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約102年間を飛鳥時代と称している。以前は、古墳時代と合わせて大和時代とされていた時期があったが、今日では古墳時代と飛鳥時代に分けて捉えるのが一般的である。推古朝に飛鳥文化、天武・持統朝に白鳳文化が華開いた時代でもある。

この時代に倭国(倭)から日本へ国号を変えたとされている。
https://costume.iz2.or.jp/period/asuka.html

です。■
>>[5]

>>雨の香具山

いやいや!

天(あま)国、つまり北部九州沿岸の香具山です。

宣長の云うような、ヘヴン、つまり天(てん)高くの国ではありません。■
>>[4]
アスナロウさんのお考えには興味ありませんけど、ひとつだけ申し上げてよろしいでしょうか。
アスナロウさんは『そもそも「香具山」は藤原宮からは全然見えない離れた場所の低丘で神聖な霊山とされる所で』とお書きになっておりますが、香久山(香具山)は藤原宮からモロ見えです。実際にいらっしゃったことないのでしょうか。
すみません、余計なことだったかもしれません。失礼します。
>>[9]

>>藤原宮からは全然見えない離れた場所の低丘

何か根本的な誤読をされているのでは?

「香具山」が見えないのではなく衣など乾しても全然見えないということですが?

それとも、 殿サンは一気!!に見える千里眼の特殊な方ですか?
鶴見岳は「天の香具山」
わたし共の研究課題

奈良市 水 野 孝 夫
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/bs01817.pdf?file_id=181

では次のような報告がなされています。


「鶴見岳は天の香具山」説を確認するために、鶴見岳へ登ってみたかったが、あいにくの雨で山頂は雲に隠れていた。市内鶴見地区の火男火賣神社へ参拝し、『式内・火男火賣神社史』(創建千百五拾年祭記念誌)を社務所で求めた。中を読むと、そのものズバリ「鶴見岳は天の香具山」とわたしには思われた。

 また、

「鶴見山神社由来記」に「火結神ノ御体ヨリ成ル天ノ香具山ヲ初メ」と記述があり、

火結神こと、カグツチ神のお体そのものから或る「鶴見山」が「カグ山」と呼ばれるのは当然の理と考えたい。
 この地(註、別府市)にのみ伝わる文献にある以上、「天ノ香具山=鶴見岳」説はいよいよ確実になったと思う。

と文献的、歴史的な実証が報告されています。■
また、下記を参照下さい。

 英文解説:万葉集第二歌
 
これは大和の歌ではない

https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jbeppu/jbeppu1.html
下記も参照下さい。

古田史学の万葉論 (5)
  ―天香具山豊後説の論証―

https://koganikki.furutasigaku.jp/koganikki/manyoshu-anthology-of-myriad-leaves/post-12447/

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