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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの住の江の 岸に寄る波 よるさへや、夢の通ひ路 人目よくらむ

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ー18−

住の江の 岸に寄る波 よるさへや、夢の通ひ路 人目よくらむ  藤原敏行朝臣
<寛平の御時 后の宮の歌合せの歌 古今集・恋二>

・・・・・・・・・・・・・・・
住之江の岸に寄っては返す波

あたかもその波のように恋の思いを反復するわたしだが

昼のうちはもっともとしても

夜の夢のなかでの行き来にまで

わたしはどうして人目を避けるのであろうか
・・・・・・・・・・・・・・・


住の江の 岸に寄る波;

「よる」の序詞。「夜」・「寄る」同音に掛ける。
「住の江」は大阪市住吉区住吉の浦。
「に」は「よる」という動作、作用の帰着点を示す格助詞。
「よる」は動詞「寄る」の連体形。

よるさへや;

昼はもちろん夜までも
「よる」は名詞、「夜」。
「さへ」は添加の意の副助詞。
「や」は疑問の係助詞で、結びは「らむ」。

夢の通ひ路;
夢の中の恋路。「夢路」に同じ。相思相愛は夢で逢えると信じられていた。

人目よくらむ;

「人め」は人の見る目。ひとに見られること。
「よく」は避ける意。動詞終止形。活用は四段・上二・下二のいづれか不明。
「よく」の主語は作者か相手か。
「らむ」は現在の原因推量ドウシテ・・・ノダロウ。助動詞連体形で、「や」の結び。


◇すみの江 摂津国の歌枕。
今の大阪府の住吉大社付近の海。当時は入江をなしていた。
万葉集や中世の歌集の写本には「墨江」「墨の江」の字を宛てている例があり、墨を流したように穏やかな入江のイメージがあったと思われる。
当歌でも「すみ」に「墨」を意識し、静かな暗い海を暗示していると思われる。
◇岸による浪 ここまでが序詞。
「寄る」と同音の「夜」を導く。そればかりでなく、波は昼夜問わず寄せることから第三句「夜さへや」全体にも響き、また岸を歩く時は波を避けるので、第五句の「よく」にも響くことになる、という、複合的な効果を持つ序詞である。
◇よるさへや (明るいうちばかりでなく)夜でさえも…か。
◇夢のかよひぢ 夢の通ひ路。夢の中で恋人のもとへ通う時、魂が通ると考えられた道。
◇人めよくらむ 恋人が来ないのは、人目を避けるからだろうか。「らむ」は原因・理由を推量する心。用心深すぎる恋人に対する恨みを籠めている。「よく」の主語につき「私は」とする説もある。
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恋わびて うち寝るなかに ゆきかよふ、夢の直路は うつつならな

を前において詠んでいる。
比べると「夢の通ひ路」は並ぶ歌の「ゆきかよふ夢の直路」で「人目よくらむ」はおなじく「恋ひわびて」である。

二首はそうした関連を持った一組の歌である。敏行の歌の特色は、直叙的で平明な点である。

『古今集』には十九首入っているが、そのいくつかをあげると
「秋立つ日詠める」として

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ

ひさかたの 雲の上にて 見る菊は 天つ星とぞ あやまたれける

どの歌も入り組んだ曲折がない。

話をこの歌に戻して、住之江の岸は、大阪市住吉区の住吉大社のあたりの海岸で、歌枕であるが、ここでは「よる」を引き出すための序である。

しかし全く意味のない言葉かというと、そうともいえず、夢うつつのまどろみに、ヒタヒタとよせる波音は、恋しい人のかそけき足音とも聞きまがうようでもあり、夜の海の深沈は恋の怨み、深い嘆きに通う。

作者の敏行は九世紀後半の人、清和・陽成・光孝・宇多・醍醐の五朝に仕え、寛平八年(896)右兵衛督となっている。
皇居警備の長官である。延喜七年に亡くなったといわれている。

父は陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)、富士麿で、母は紀名虎の娘であるから、母方に紀貫之友則らの縁戚がある。敏行自身も歌人として有名で、三十六歌仙の一人に入っている。

紀有恒の娘を妻にしたので、業平とは相婿になる。妻どうしが姉妹である。この相婿はどちらも色好みという点ではひけを取らなかったらしい。

彼は世に聞こえた能書家であった。この書にまつわる逸話を一つあげると、

能書家である故に、人々に頼まれて法華経をよく写経した。ある日、にわかに死んでふと気がつくと自分はきびしく鹹めとられ、引き立てられてゆく。
一体どうしたのだろうかとびっくりして、引き立てる使者に問うと
「御前の写経についてお裁きがあるのだ」というではないか。

見るとまわりに、見るも怖ろしいたけだけしい軍勢が目をいからし、歯をかみ鳴らして彼をねめつけており、いまにもつかみかからんばかり、あれは何かと使者にたずねると、使者は哀れむごとく。

「分からないのか、あれは御前に写経を頼んだ人たちだ。彼らは本来ならその功徳で、極楽に生まれて幸せになるべきはずのところ、御前はその経を書くときに不浄の行いがあった。御前は写経をしながら平気で魚を食い、女に触れただろう。思うことは女のことばかりだったろう。
だから功徳もかなわず、この連中は極楽へ行けなくて怒り狂っているのだ。
御前を呼んでくれ、八つ裂きにしてこの恨みを晴らしたいと閻魔さまに訴えたので、御前はまだ定命尽きてはいないが召されたのだ。お裁きで罪が明らかになれば奴らに引き裂かれるぞ」

聞くや否や、敏行はがたがた震えて、生きた心地もしない。確かに思い当たるふしがある。
しかし後悔してももうおそい。閻魔の庁の門は近づく。
敏行は足も地につかず、泣く泣く使者に取りすがり、

「おた、おた、おたすけ下さい、どうしたら助かりますか」とむせび泣く。

使者はさすがに哀れに思ったのか、内緒でカンニングしてやった。

「金光明経、四巻を写経供養しますという願をかけろ」・・・

敏行はすぐさま心中に発願して念じた。閻魔の庁の前に引き据えられ、不浄写経をきびしく咎められ、怖ろしい軍勢の手に渡されようとしたとき、敏行はぶるぶる震えながら、必死に訴える。

「四巻の写経供養がまだできておりません、これを成し遂げて罪をあがないたいと存じますが」

「何?そんなことがあるのか。帳面にはついてないぞ」

閻魔大王の帳面には、その人間の一生で、した善事・悪事がつけ落としなくついている。
敏行のいいことは一つもなくてみな悪いことばかりだったというからおかしい。
しまいに一番奥に写経供養発願という殊勝な善事が書れてあった。なんといってもついさっき発願したばかりだからである。

おかげで敏行は「娑婆へ帰って願を遂げよ」と許されたかと見る間に目がさめ、生き返って、妻子らは泣いて喜んだ・・・

敏行も、生き返った当座は、心身清浄にして写経しょうと決心していたが、生来の色好み、写経よりも女への懸想文のほうが忙しく、女の心を動かすような歌を詠むのに頭を使っているうちについつい「はかなく年月過ぎて」しまった。そのうち定命尽きて死に、あの世でえらい目にあったという話。
これは『今昔物語』『宇治拾遺集』に出ている。
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【作者】
藤原敏行朝臣、陸奥出羽按察使、室麿の子。右兵衛督。書に優れ小野道風によれば空海と並ぶ古今の妙筆とされる。
勅撰集入集歌二十九首、三十六歌仙の一人。
妻は在原業平の妻の妹、母方には紀貫之・有恒らと縁戚がある。
能書家としても名高い。
 百人一首では親交のあった業平の後、18番に置かれているが、百人秀歌では11番目に位置し、12番の陽成院と対になる。ともに暗い情念の感じられる悲恋の歌であり、かつまた名高い歌枕に寄せた恋歌である。
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【他の代表歌】
 秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる  (古今集)
 ふる雪の みのしろ衣 うちきつつ 春きにけりと おどろかれぬる  (後撰集)

【主な派生歌】
波の音に 宇治のさと人 よるさへや 寝てもあやふき 夢の浮橋
 (藤原定家)
住の江の 松のねたくや よる浪の よるとはなげく 夢をだに見で
 (〃)
松かげや 岸による浪 よるばかり しばしぞ涼む 住吉の浜
 (〃)
はかなしな みつの浜松 おのづから 見えこし夢の 浪の通ひ路
 (藤原家隆「続拾遺」)
見し人の 面影とめよ 清見潟 袖にせきもる 波の通ひ路
 (藤原雅経「新古今」)
すがはらや ふしみの里の ささ枕 夢もいくよの 人めよくらん
 (順徳院)
住の江の 浪の通ひ路 たがために 春は霞の 人めよくらん
 (藤原為家)
よし野河 きしによる波 山吹の 花を名残の 春なさそひそ
 (肖柏)
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<出典・転載等>
[北極星は北の空から〜ブログの中に] ・千人万首等より。

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